〖第二十四話〗私、懐かしい人に再開しました
夜、二つのベッドが並ぶ部屋に、一人の寝息がスヤスヤと聞こえる。ディレザリサの隣のベッドで眠るのは竜の魔力を得た人間『竜の魔女』であり、そして、まだまだ未熟な魔女見習い。その見慣れた寝顔を横目に見ながら、ディレザリサは未だ眠れずにいる。人間の身体は睡眠が重要なのだが、ここ最近は満足に眠る事が出来ずにいた。それもこれも、自分がこれからどうすれば良いのかを考えては、また振り出しに戻るという作業を頭の中で繰り返しているからだ。
(あの頃と比べると、私は弱くなったな…)
まだ竜として君臨していたあの世界で、ディレザリサはその圧倒的な強さで、世界を我が物顔で飛び回っていた。気紛れで人を殺し、喰らい、挑んでくる者達を羽虫同然に捻り潰す。最強にして最凶…そんな生活をしていた頃、自分は一体何を考えて、どう生活していただろうか。悩みも無く、ただひたすらに傍若無人な邪竜として、世界を破滅させようとしていただろうか?
今となって、自分がどうしてあそこまで戦いを求めていたのか改めて考えてみると、何が楽しかったのかが分からない。好敵手と思った白銀の騎士さえ、簡単に捻り潰してしまった自分を、あの世界の人間達はどう討伐するつもりだったのだろうか。まあ、実際にディレザリサを退けたと言えば退けた結果が現状ではあるのだが、もし仮に、まだ自分があの世界で猛威を振るっていたら、あっという間に滅んでいたに違いない。
(何の為…か…)
自分がそうしていた理由…快楽?それとも力の誇示?本気でぶつかって来る者達を赤子の手をひねるように潰す楽しさ?どれも、何となくは正解な気がする。だが、それを正解と言えない自分が、今、この世界でベッドの上で自問自答をしている。
人間の雌になってから、色々と人間の感情を学ぶ事になった。それはフローラが教えてくれた事だが、それ以上に、自分が竜ではなく『人間の雌』としての性を受け入れつつあるのかもしれない…と思う。この世界に、何故人間の雌として飛ばされたのか…これが大きな鍵となる気がする。
当初は『こんな貧弱な身体』と思っていたし、直ぐにでも竜の身体を取り戻したかった。だが、人間の身体に慣れ始めた頃、この身体も悪くないかと思うようにもなった。
(どうしてそう思った…?)
単純に『新鮮だった』というのもある。スベスベとした肌は、竜の鱗の身体とは断然に触り心地が良いし、味覚だって人間の方が繊細に伝わってくる。この長い髪の毛だって、サラサラとした手触りが良い。胸は…やめておこう。別に、ここが小さくても差し当って困る事は無い。
他にも様々な理由があるが、結論を下すと『神秘的』という他になかった。竜が『神秘的』など感じる程に、人間の身体、感覚、感情は『神秘的』なのである。それは『別の生き物だから』という理由もあるが、それ以上に『言葉にならない言葉』を扱えるという事。それをフローラは『相手の気持ちを考えるから』と説明していたが、多分違う。人間は『繋がり』を重んじているのだ。
社会的地位や、集団での生活、商売から戦まで、その全てがきっと『繋がり』なのだ。人間が人間と繋がるのは『良い感情』も『悪い感情』も同じ。それを『同調』と呼ぶのかもしれない。
人間という生き物は、それを断たれる事を怖がる。だから、自分を見失う程に相手の心に溶けてしまうのかもしれない。
(貴様はそれさえも断って、私の元へ来たのだったな…白銀)
全て手に入れ、全てを失った騎士。
強さを求め、強さに溺れ、そして、強さに負けた愚かな騎士。だが、その生き様にはなかなか共感出来る部分があった。そう、あったのだ。あの時の自分は、確かに白銀を『同類』と感じたのだ。
人類最強になれど、世界最強になれず、ハイゼルのような英雄でも無ければ、勇者でもない存在。
───異端。
その言葉が、白銀の騎士にはピッタリと当てはまった。つまり、自分も異端であったのだろう。即ち、これは『同調』かもしれない。自分と白銀は『同調』していたのかもしれない。それを『面白い』と思ったのだろうか…。
今の自分は何なのだろう。
竜ではない、人間とも言えない。
だが、限りなく『人間に近い』存在。
(まるで、心が二つあるみたいだな…)
一つの身体に、竜の心と人間の心が、お互いを啀み合うかのように睨み、反発しているようだ。そして、きっとこの二つの心は『同調』出来ない。どちらかが消えるまで、一歩も引かないのだろう。だから、選ばなければならない。自分が『竜』であり続けるべきか、それとも『人間』として生きていくか、を。
(結局、また不毛な自問自答に終わったか…)
結論を急ぐのは、きっとレウターのせいだろう。
このままレウターがディレザリサを『竜』として肯定してしまえば、たちまち自分は『竜』という存在としてこの世界に君臨する事になる。人間の身体でありながら…。それは、ある意味では楽なのかもしれない。いっそ、レウターに自分が竜である事を打ち明けても良いのではないだろうか?
「───何を馬鹿な事を」
「───ッ!?」
窓に月光が照らされ、その光がその者を照らす。
窓辺に腰を掛け、ただディレザリサを見つめている。
───五将の一人、ゼル。
先程、ディレザリサ達に手を貸してくれたが、全てを信用して良い相手ではないはずだ。だが、何故か目の前の窓辺に座っている男は、あのレウターとかいう小賢しい人間とは違う。敵意も無く、寝込みを襲いに来たわけでも無さそうだ。
「何をしに来たの…?」
その問いに、ゼルは少し笑ったような気がする。相変わらず顔だけは隠されているので、その表情を伺う事は出来ないが。
「───安心しろ。俺は味方だ」
「味方…?」
「いや、味方とは言えないか…〝好敵手〟とは言えるだろうがな」
フードを取ったその顔は、確かに見た事があった。だが、やはり魔族…紫色の瞳に紫の髪の毛。まさか、この世界に飛ばされたあの世界の魔族がいたのか…と、ディレザリサは考える。然し、この男が言った『好敵手』という言葉が、やけに引っ掛かった。
「───忘れたか、竜の王よ。お前に八つ裂きにされた事を、俺は忘れていないのだがな」
「ま、まさか…お前…白銀か!?」
目の前の魔族は、コクっと頷いた。
「何故貴様が…この世界に…?いや、何故魔族なんだ…?そして、何故五将に…?」
「お前と俺では、この世界…エグドラントに滞在した時間が違う」
「エグドラント…そうか、この世界はそんな名前なのか」
白銀…と思われる者は「おいおい…」と呟く。
「まさか…興味無いから調べもしなかった…とか言うんじゃないだろうな?」
「当たり前だ。そんな物調べて何になる。私はドラ───」
「───それ以上は言うな。誰かに聞かれたら終わりだぞ」
「そ、そうだったな…」
「取り敢えず、俺が知る限りの情報は教えておこう」
そうして、白銀と思われる男は語り出した。
これまで、自分がどう過ごして来たか、を。
「話すと長い…要約すると、俺はこの世界の魔族として再び転生されて、長い年月を魔界で過ごし、魔界の貴族として名を馳せ、そして…現国王に負けて人間側についた魔族の裏切り者だ」
「長い年月というのは、どれくらい前の話だ?」
「二十年は過ぎているだろうな」
「二十年!?」
白銀を殺してからそんなに経過していない。この世界での生活を合わせても、約一年くらい前のはず。然し、白銀がこの世界で過ごしたのが二十年だとすると…アレキアで一日過ごす度に、エグドラントでは二十日過ぎている事になる。
「そうか…それで、情報とはなんだ?」
ゼルは周囲を見渡し誰もいないか確認してから、ゆっくりと話し始めた。
「───レウター・ローディロイは、お前が〝竜〟だと、ほぼ確定している。後はお前がボロを出せば、完全に確定だ。さっきはマズったな。完全に言い負かされていたぞ?」
どうやら心理戦は完敗のようだ。元々ディレザリサは口が上手いという訳ではない。口よりも先に手が出るタイプだった。竜だった頃は、それで上手く行っていたのだが、人間だと話は別。たった一言で国が滅ぶ…なんて事態も有り得るのだ。
だからと言って、時間を遡り、もう一度あの心理戦を行うという訳にもいかない。そもそも時間操作なんて魔法は、流石に竜の創造魔法であっても不可能だ。
「う、うるさい…それで、私にどうしろと?昔馴染みが恋しくて来たわけではもあるまい?」
バツが悪くなったディレザリサは、少し嫌味ったらしく言った。然し、依然として表情を変える事の無いゼルの表情をみて、更に嫌気が差してくる。その一部始終を観察していたゼルは、「人間らしくなったな」と口から出かかったが、それを押し殺して、自分の要求を伝えた。
「レウター・ローディロイを殺して欲しい」
沈黙が辺りを包む。
世界最強の男を殺すメリットを暫く考えたが、メリットになり得る理由が何も見当たらない。
「ふむ…それをして私に何の得がある?」
「───元の世界へ戻る方法、というのはどうだ?」
「───ッ!?」
これは現状、最高のメリットかもしれない。ゼルに力を貸すのは癪だが、それだけの旨みはある。だが、嘘の可能性だって否定出来ない。甘美な言葉で相手を誘惑するのは、人型魔族の真骨頂とも言えるからだ。
「知っているのか?…帰る方法を」
「どうだろうな。だがツテはある」
「ツテだと…?それだけの理由で危険を犯せと言うのか?相手は〝五将〟だぞ?それが崩れれば国が傾く事になり兼ねないが…いいのか?」
「───生かしておくには危険過ぎるんだ、奴は」
確かに奴を野放しにしておくには、危険過ぎる相手かもしれない。底の知れない…まるで深淵を覗くようなあの目は、否が応でも不気味に見える。今後敵対するのなら、早いか遅いかの違いだけだろう。いずれ決着を着けるのなら、今が好機かもしれない。
だが、あの世界で最強だった男が、まさか誰かに…自分に殺しの依頼をしてくるとは思っていなかった。かつての白銀なら、その力で捩じ伏せる事は容易いはずだ。いや、容易いかは分からないが、それでも勝機はあったはず。奴もきっと、この世界に流れ着いた時に『弱体化』したのだろう…今のディレザリサがそうであるように。
「まさか、お前が私にそんな頼みをするとはな…それ程強いのか?」
「間違いなく、世界最強だろう。精霊王の力を使うハイゼルですら、勝てるか微妙な所だ。それはもちろん、お前も同じだがな…ディレザリサ」
以前のディレザリサなら「笑わせるな」と一脚していた所だが、現状が現状だけに、笑っていられない。
「勝てるかわからない勝負をしろと…?」
「それを楽しんでいたではないか…邪竜」
「そんなの、昔の話だ…白銀」
───そう、もう昔話なのだ。
かつての最強で最凶の邪竜は、人間の身体になり、魔力も半減してしまっている。故に、レウターを殺すなら、ディレザリサ一人よりも、ゼルが同行していた方が勝機は高い。それでも五分五分と言った所だろう。
「まあ、気が向いたら俺を呼べ。奴を殺す手助けくらいはしてやる」
「分かった。少し考えてみる…」
そして、ゼルは窓から外に出ようとしたが、ふと足を止めた。
「それと、ディレザリサ……」
「なんだ?」
「随分と可愛くなったな」
嘲笑うでもなく、ただの感想を伝えた…だけの言い方ではあったが、その一言で心臓が『ドクン』と高鳴る。
「───んなっ!?」
「もしかすると…いや、止めておこう。日程はまた後日伝える。じゃあな」
暫く放心状態になって、開け放たれた窓を眺めていると、自分の背後から小さく声が聞こえた。
「ディレも隅に置けないねぇ…」
「フローラ!?起きてたの!?」
「あんなに大声で話されたら、起きるに決まってるじゃん…それに、ゼルさんは気付いてたよ?」
なるほど…だから最後にあんな事を…と、全てが繋がった。あれは、素直な感想ではない。起きているフローラに気付いて、ディレザリサを遠回しに『弄った』のだ。
(魔族になって、性格が少し捻くれたのではないか…!?)
プンプンと怒りながら、ディレザリサはベッドの中へ潜り込んだ。
「あー!ちょっとディレ!もうちょっと話聞かせてよー!」
「嫌だ、教えない」
「ディレー!」
「いーやーだー!」
二人がようやく眠りにつく頃には、外もほのかに明るくなっていた……。
【続】




