〖第二十一話〗二人の将、動き出しました
ディザルド城の一室、微かな蝋燭の火が照らすほの暗い部屋の中で、その男は待っていた。紫色の長い髪を靡かせながら、紫色の瞳をただ一点、その男が来る扉をひたすら見る。
───この者、人間ではない。
魔族を裏切り、人間に寝返った異端者。
かつては魔界の貴族として名を馳せたが、今では『裏切り者』として、魔族から命を狙われ続ける者になった、魔族の汚点。
その彼が、何故人間に着いたかという理由を知る者は少ない。故に、彼を慕う部下も少ない。だが、彼はそれでも王に忠誠を誓い、『五将』という地位に着いている。
───『魔将』ゼル。
本名は捨て、裏切り者の頭文字『ゼル』を名乗るこの男が待つのは、その五将を束ねる最強の男、レウター・ローディロイ。
「ゼル。入りますよ」
ゼルは何も言わない。それをレウターは了承と受け取り、ゆっくりと重い鉄の扉を開ける。
「レウター・ローディロイ…」
「そろそろ〝レウター〟と呼んでくれてもいいんじゃないかな?…まあ、それはさて置き…」
レウターは部屋の様子を窺うように左右を確認する。それを見てゼルは一言だけ「誰もいない」と、答える。
「───では、本題に入って良さそうだね?」
「構わない。何だ」
「近頃、何やら〝強大な力を持つ何か〟が動いている気がするんだが、魔族の君には何か心当たりはあるかなと、そう思って訪ねさせて貰ったんだが…どうだろう?」
ゼルは少し考えているのか、頭を伏せてブツブツと呟いている。だが、その顔は被っているフードが邪魔をして見えない。
自分に心当たりは何も無い…なので『強大な力を持つ何か』が『ゼル自身の事』ではない。確かにゼルは背が高いとは言い難く、印象はそんなに強そうな見た目ではない。だが、こう見えても魔族の貴族。力が全ての魔界において『貴族』と呼ばれるには、それを証明出来うる力を持っているという事だ。然し…だとしたらレウターはこんなに遠回しな言い方をするだろうか?
「───何が言いたい?」
結局、ゼルは先程の問に対しての答えは出せなかった。
「では、単刀直入に聞こう。この世界に〝竜〟は存在すると思うかい?」
「竜?」
レウターが竜について、最近色々と嗅ぎ回ってるのは知っていた。だが、竜はもうこの世界にはいない。それこそ存在するのなら、魔族である自分が一番に察知出来るはずだ。それに、魔界で竜が生まれたという話も聞いていない。
「───有り得ない…竜は滅んだ。それも遥か昔に」
「そうだろうねぇ…私もそう伝え聞いているし、バリアスに聞いても、返答は同じだったよ」
賢将バリアス・アンダーマンか…と、ゼルはこの男について考えを巡らせた。バリアスが仮に竜の存在を認めていたら、レウターが云々(うんぬん)より、王が動くだろう。竜とは人間にも魔族にも組みしない、災害のような存在。放置しておけば世界が滅ぶ可能性もある。
「───だが、本当にそう何だろうか?」
「さっきから何を言いたい。ハッキリ言え」
レウターの『遠回しな物言い』には、そろそろ飽きてきた。この男は敢えて遠回しな物言いで、相手に有利な状態を作らないように、言葉で翻弄するのが得意な男。故に、ゼルはレウターが嫌いなのだ。人間でありながら底が知れない。何を考えているのかイマイチ掴めない。そして、有り得ない程に…強い。
「そうだね。では…〝竜が人間に姿を変える〟事は、出来るだろうか?」
「───愚問だ、有り得ない。災害レベルの魔王にまで匹敵しうる存在が、人間になどなるはずがない」
だが、レウターは「いや、そうじゃないんだよ」と首を振った。
「する、しないの話ではなくてね…〝出来る、出来ない〟の話なんだが…ゼル、君はどう思う?」
「・・・・・・」
そもそも竜について詳しいか、と問われたら、人間よりは…という所であり、竜の生態について詳しい者など、この世界には一人もいない。だが、もし…竜が『人間に化ける』事が出来るのなら…まだこの世界に存在していても不思議ではない。
(竜はプライドが高いと聞いたが…下等生物である人間に擬態までして生き残る事を選ぶか…それこそ有り得ないだろう)
「ローディロイ。その質問は根底から間違えている。竜は人間に擬態などしない。する理由が無いからな」
「───する理由が、あったとしたら?」
「生き残る為に、か?馬鹿馬鹿しい。竜はプライドの高い生き物だ。そうなるくらいなら死を選ぶだろう」
「やはりそうですか。バリアスもそう言ってましたね」
「次は〝百戦〟にでも聞きに行くつもりか?」
「いえ。彼に聞くほど、無意味な事はないよ」
「ローディロイ。何を企んでいる」
もし、この国を脅かすのなら、今この場で殺すべきだ。と、ゼルは宙から一本の大剣を取り出した。
魔剣 シャドウ・シーカー。
その刀身は深淵の闇を映すような暗黒で、剣の大きさはゼルの身長を軽く越えている。所有者以外がこの剣を持つと、剣から伝わる力に耐え切れず破裂する。所有者は『影の力』を得られるが、その代わり、一振りする事に魔力を奪われ続ける。
「───その剣を私に向ける意味、それがどういう意味か知っての行動かい?」
「王に仇なす者は、斬る」
「良い忠誠心だ。ゼル。でも、私は何も企んでなどいない。その剣をしまってはくれいないだろうか。そうでないと───」
「───ッ!!」
「───君を殺してしまいそうだ」
レウターが腰から剣を引き抜いたまでは確認出来ていた。然し、引き抜いてから、自分の眼前に刃を突き付けられる瞬間まで…それを視認する事が出来なかった。
「───今死ぬ訳にはいかない。要求を受け入れる」
「感謝するよ。ゼル。これで〝四将〟にならずに済む」
(とても人間とは思えない動きだ…)
ゼルが剣から手を離すと、剣はそのまま、また宙に消えた。それを確認して、レウターはゆっくりと剣を納める。
「もう一つ相談があるだが…いいかい?」
物腰はいつも軽い。それが強者足る自信からそうさせているのか、それとも、単純にレウター・ローディロイという男の性格なのかは分からないが、先程の件から、今、この質問をする流れを、レウターが『予想していた』とするなら、ここで話を断ち切るのは良手ではないと判断し、質問を受け入れた。
「君がもし…人間に姿を変えている竜を見たら、分かるかい?」
「───無論だ。そんな竜は物好きにも程があるが、竜とて種族で言えば〝魔族〟に当てはまる。それを見抜けない俺ではない…その物言いだと〝思い当たる節がある〟のか?」
レウターは頭を縦に振り、笑みを浮かべる。
この笑みを言葉に例えるのなら『邪悪』だろう。
人間でありながら、そこまで笑みを歪められるとは、やはりこの男は危険だと、ゼルは思った。
「着いて来て欲しいのだが…いいかな?」
「…断れる状況を潰しておいて、よく言う」
二人は部屋を出て行った───。
* * *
薄暗い螺旋の石階段をゆっくりと登る。照明となるのは、暗闇で光る『発光石』と呼ばれる鉱石で、それを等間隔で壁に配置してある。だが、薄暗いという事実は変わらず、この階段を含む、ゼルが住む部屋にあまり立ち寄る者はいない。それは、ゼルが『魔族だから』という理由もあるのだが、それ以前に不気味過ぎるのだ。まるで、この階段を降りる度に、自分が死者の世界へと一歩ずつ降りて行くような恐怖に包まれる。
そんな階段を、レウターとゼルは、特に何も気にしないように登って行く。ゼルは兎も角、レウターは人間なので少しくらい恐怖を感じても良いのだが、この男にはそんな感覚が無いらしい。
「それにしてもゼル。ここは流石に暗過ぎでは?」
遠感覚に明かりがあるとは言え、それが『明るい』とは言い難い。だが、ゼルにとっては別段『暗い』という印象は無かった。
「───そうか?」
「兵達が気味悪がって、ここに行くのを避けるんだよ…何とかならないかい?」
「考えておこう」
別に考える必要は無い。とゼルは思った。
部屋には伝令を伝える『口信機』と呼ばれる通信手段がある。ラッパのような形で、それに向かって話すと、その管を伝って声が届くという物だ。だからこの階段を明るくする理由は無く、重要ではない。
「君は…少しくらい人間に近付いた方が良いと思うが?」
「説教か。大きなお世話だ」
そんな会話をしながら階段を登って行くと、城の一階の廊下に出た。
「はぁ…それにしても地下に部屋があるというのも、不便ですねぇ…」
「それで、何処に連れて行こうと?」
「まあ、もう少しだけ付き合ってくれないか?そろそろハイゼル君が、昼に起きた〝人攫い未遂事件〟の後処理に来る頃だからさ」
「ハイゼル・グラーフィンか…」
その名を口にしたゼルは、何だか気に入らないという印象を受ける。
「ハイゼル君が嫌いなのかな?」
「〝ゼル〟の名は、俺だけでいい」
「要は名前が被っているからかい?それは…グラーフィン家にいるハイゼル君の父君に物申す他ないなぁ…フフフッ」
「・・・・・・」
レウターと共に廊下を歩いていると、遠くからハイゼルが駆け寄って来た。
「お探ししましたよ、レウター様!…と、これは失礼しました、ゼル様!」
(まるで金魚のフンだな…)
ゼルは、レウターの横に常にと言っていい程張り付いているハイゼルの事を、あまり良しとしていない。それは、ハイゼルが悪いのではなく、レウターの悪影響を受けないか…という理由から来るものだ。
「先程の件、後処理は完了しました。つきましてはコチラにサインをお願いしたく、お探ししていました」
手渡された一枚の羊皮紙には、先程の事件のあらましと、犯人の名前、そして被害者の名前が記載されている。
「フローラ・カジス…というのが赤毛の子だね。このディレという少女が、青い髪の子かな?」
「はい。そうですが…何か?」
「名前は〝ディレ・ザリサ〟ですか…」
「・・・・・・」
ゼルは二人の会話に入る事なく、ただ一門一句聞き漏らすまいと耳を立てている。
「───彼女達は、今何処に?」
「はい。場所は───」
ハイゼルはディレザリサ達が住んでる家の場所をレウターに伝えた。
「ありがとうハイゼル君」
「彼女に何か気になる事でも?」
「ええ…少しだけ。君は公務があるでしょう。私とゼルが向かいますので、君はしっかりと公務をして下さい」
「はい!」
いくら英雄と言えども、国王に仕える騎士。やらなければならない事は沢山あるのだ。それに、番犬が所持していた『ケルベロス』という魔剣の出処も気になる。
「それでは、ハイゼル君。また後ほど」
そうして、二人は都へと向かって行った───。
【続】




