〖第十六話〗私、お断りしました
ディレザリサ一行は、ひとまず屋敷の中へと入った。あのままでは騒ぎになり兼ねないと、ロブソンが提案したのだ。現在、ディレザリサ達は屋敷の中にある広い客間で、話し合いの…最中なのだが、当の本人である二人は、なかなか口を開こうとしない。
「お茶で御座います」
ロブソンは、ティーカップにスリータ(この世界での紅茶)を注ぎ、ハイゼル、ディレザリサ、フローラへ渡す。
「あ、ありがとうございます…わ、わぁ…素敵な香りですねー…」
場を和ませようと必死に取り繕うフローラだが、せっかくのスリータが一瞬で冷めてしまうかのような、それでいて、一方は沸騰しそうな空気を、その身体でひしひしと感じていた。
左右に四人ずつ、上下に一人ずつ、計10人は一緒に食事が出来そうな縦長のテーブルには、白い布のテーブルクロスが敷いてあり、その中央には赤、黄、青、白の薔薇が飾られている。ハイゼルとディレザリサは、その長テーブルを挟むようにして座り、ハイゼルの後ろにロブソンが待機し、ディレザリサの右隣にはフローラが座っている。
この沈黙は、ディレザリサが返事をしない事で発生した沈黙だ。フローラはディレザリサを見ると、ディレザリサは怒っているようにも見えるし、戸惑っているようにも見える。
「ねぇ。どうするの?」
フローラは小声でディレザリサに問う。
「私があの男と番になれと…?冗談じゃない…」
「じゃあ、早く断っちゃいなよ…」
「そうだな…」
ディレザリサが迷っていたのは、婚約について悩んでいたわけではない。寧ろ『どうやって殺してやろうか』という理由で悩んでいたのだ。
ディレザリサは「ふぅ…」と溜め息を吐くと、ハイゼルに向き合った。
「申し訳御座いませんが…そのお気持ちには、お応えする事は出来ません。せっかくのお申し出だったのですが」
ディレザリサは、かなり冷たく言い放った。
「そう…です───」
「まあ。そうでしょうな」
ロブソンの一言に、ハイゼルも、ディレザリサも、フローラも固まる。
「いえいえ。御二方がハイゼル様に相応しくないとは申しません。寧ろその逆…ハイゼル様には、まだやらねばならない事があります。故に、それを察してのご配慮でしょう。流石は、ハイゼル様が選んだ方々です」
「あ、アナタ…な、何を言っ───」
「まあ、そう焦らずとも良いでしょう。御二方がこの屋敷では気に入らないと仰るのなら、もう少し小さな家をご用意致します。それまでは、このお屋敷で生活なさって下さい」
「ちょっとロブソンさ───」
「私達はこれで失礼させて頂きます。後ほどメイドが来ますので、何かありましたらそのメイドにお申し付け下さい。では、これにて」
ロブソンは、ハイゼル、ディレザリサ、フローラの言葉を全て遮り、言いたい事だけを言って半ば強引にハイゼルと共にその場を去って行った。
『パタン』と静かに扉が閉められ、再び静寂が訪れる。
「何だったの…今の…」
「わ、私も分からん…だが、ロブソン…あの老人は出来るぞ…」
「それは、私も何となく分かった…」
* * *
「ちょっと待てロブソン!」
「───はい。何でしょうか」
屋敷の玄関の外で、ハイゼルはロブソンを止めた。
「今の態度は何だ!?」
「無礼をお許し下さい。ですが、あの場はああする他に有りませんでした。グラーフィン家の名誉を守るには、あれしか方法がなかったのです」
「どういう事だ…?」
「恐らくですが…」と、ロブソンはその理由を話し出した。
「現状、坊ちゃ…ハイゼル様があのお二人の…特にディレ様は、まだハイゼル様に対する好意はお薄いご様子でした。あの時、事を急げば縁談を断られたでしょう」
「それは…私が至らない証拠だ…」
「ですから、ハイゼル様はもっと御二方と心を通わせる必要があるかと…そう思います」
「そんな事が…可能なのか?」
ハイゼルは不安な顔をしている。だが、ロブソンは顔色一つも変えずに、こう告げた。
「無論です。諦めなければ、ディレ様は必ず振り向かれるでしょう」
「ありがとう…爺」
「当然の事をしたまでです」
ハイゼルは心の中で誓う。
必ず、ディレザリサの心を掴んでみせる、と。
「私はこれから、御二方がお住みになる家をもう一度探して参ります。ハイゼル様はどうされますか?」
「一度、城に向かう。レウター様が先の件で、何か知っているような素振りだったからな…」
「畏まりました。それでは」
二人は門の前で別れを告げると、各々の目的地へと向かっていった。
* * *
だだっ広い屋敷に取り残された二人は、ロブソンが言っていた『メイド』が来るまで、もう冷めてしまったスリータを飲みながら、今、何が起きていたのかを考えていた。
単純に考えれば、ハイゼルはディレザリサの事が好きで、その気持ちが暴走してしまった…と捉えるのが妥当だろう。然し、ロブソンは『ディレとフローラ』二人をハイゼルの妻として迎え入れると言っていたのだ。事は、ディレザリサをどうにかするだけとも言えないのである。
「フローラは、ハイゼルをどう思う?」
「見た目程頼りにならないし…悪い人ではないけど、私は遠慮したいなぁ…」
それはきっと、ハイゼルが自分でも気づいていない『天然っぷり』が原因なのだろう。天然と言えば聞こえは良いのかもしれない。下手をすれば、猪突猛進、急がば回れ、単細胞…等と言われてしまいそうだ。
「ディレは?」
「───聞かなくても分かるでしょ…」
「だね」
フローラは苦笑いしながら、残りのスリータを飲み干した。
「メイドさんって、どんな人だろう?」
ロブソンが呼ぶメイドだ、きっとそのメイドも『徒者ではない』はず。
「ハイゼル、ロブソン…グラーフィン家の関係者達は、何処かネジが外れている。そのメイドも、もしかすると…」
『ごくり』と生唾を飲む二人。
「逃げた方が、良いかも…?」
フローラの提案があと五分早ければ、今、門の前まで来ている『災い』に会わずに済んだのだろう。
時は、既に遅いのであった──────
* * *
時は少し遡る──────
ロブソンは、グラーフィン家に仕えるメイドの一人に声を掛ける直前まで…。
ここは名家、グラーフィン家。
貴族の中でも優秀な騎士を生む家系。
ハイゼルはメイドが待機している部屋の扉を叩いた。
「アリアンナ。居ますか?」
「はい。只今───」
扉が開けられると、ロブソンの目の前に、一人のメイドが姿を表した。名を『アリアンナ』と言う。
アリアンナは、代々グラーフィン家に仕えるメイドの一家であり、グラーフィンの仕来りを完璧に体現する程のメイドである。アリアンナの鋭い眼光は、一切の甘えを許さない。ロブソンはアリアンナを、いずれメイド長にする予定でもある。なので、アリアンナにこそ、この役目はピッタリだと判断したのだ。
「───と、言うわけなので、私はこれから別の家を探して来ます。後の事は頼みましたよ。アリアンナ」
「畏まりました、ロブソン様。この私が〝徹底的に〟その御二方を〝調教〟します」
「頼もしいですね、宜しくお願いします」
「全てはグラーフィン家の名誉の為に」
そう言って、アリアンナは頭を下げた。
* * *
アリアンナは手短に支度を済ませると、他のメイドに『重要案件』を伝えると、グラーフィン家を後にした。
「ハイゼル様に見合う、完璧な女性にしなくては…」
アリアンナは不敵な笑みを浮かべると、直ぐに表情を引き締め、ディレザリサ達が待っている屋敷へと歩いて行く。
道中、後ろから誰かに声を掛けられた。
「あの、お姉ぇさん。落し物だよ」
後ろを振り返ってみると、そこには18歳くらいの女の子が、万遍の笑みを浮かべて立っていた。その手にはハンカチが握られている。
「これ、お姉ぇさんのでしょう?」
「…いえ。それは私の物ではありません」
そう言って、また進もうと振り返ろうとした……
その時──────
「知ってるよ。そんなの───」
「───ッ!?」
アリアンナは、今自分がどういう状況になっているのか理解した。だが、その判断をするのに、少し時間を掛けすぎた。
(人通りが…ない…!?)
この道は、普段なら通行人が行き来するのだ。それも結構な人数が。然し、何故か今、この場所にいるのは自分と、目の前の女の子だけ。
つまり──────
「ごめんね。〝叔母さん〟」
それは一瞬の出来事だった。
瞬きをした瞬間、目の前にいるはずの女の子は姿を消し、首の後ろに強烈な衝撃が走る。
「───ちょろ過ぎ。これがあの〝グラーフィン家〟のメイドなの?肩透かしもいい所だね…」
女の子は、まるで木の枝を拾うように軽々とアリアンナを抱えると、路地裏へと消えて行った。
【続】