〖第十三話〗食いしん坊精霊が、また歌いました
北大陸にある港は漁業が盛んで、特産品が毎日、各大陸の港へと輸出されている。魚を降ろしている者や、競りの準備をしている者もいる。それがこの港の『漁師区域』という場所だ。この港町サーデンは、先にも述べたように魚を特産物としているので、一般区域と漁師区域に別れ、出入りが制限されている。漁師区域に入るには、この港町にある『漁師商会』に申請を出して、その証明となるバッジを胸に付ける決まりがある。それなのだが、まるで当然かのように一人の男はこの漁師区域に足を踏み入れ、納品されるであろう魚を見ては「美味しそうですねぇ」と微笑んでいた。その男こそ、王の脳であり、右腕であるレウター・ローディロイ、その人だ。
「レウター様!?な、何故このような場所に!?」
一人の漁師がレウターの姿を見るや否や、慌てて跪く。その声は喧騒に一つの石を投げた。その石は波紋のように広がり、その場にいた漁師やその関係者は慌てて跪く。
「いやいや皆さん。面を上げて下さい。今日は単なる〝観光〟ですから、私の事は気にせず、作業にお戻り下さい」
そうレウターが言うと、漁師達は「はっ!」と返事をして、また作業に戻り、先程の喧騒が再び漁師区域に飛び交った。
そんな中、レウターの存在に気付いた一人の漁師だけが、まだ跪いてた。
「順調かね?」
「…はい。ハイゼル様がお待ちです」
「そうか。ありがとう」
この漁師は、実は漁師ではない。
ハイゼルがこのランダに向かうと知ったレウターが、密偵として送り込んだ兵士である。
「私が来るまで、何かあったかな?」
「いえ。レウター様が気にするような事は何も」
「それはまた…退屈ですね…ハイゼル君は何処にいるのかな?」
「一般区域の船着場にある、監査門の前かと…」
「それはそうですね。私とした事が、ついつい〝魚〟に〝目を奪われてしまう〟とは…」
「今年の〝魚〟は〝脂が乗って美味しい〟でしょう…」
「それは期待出来ますね…楽しみです」
傍から見れば、レウターの好物が魚で、ついつい足を踏み入れてしまった…ように聞こえるだろう。然し、この二人が話しているのは、魚ではない何かのようだった。
「では、ハイゼル君を待たせるのも気が引けるので、私は行きます。引き続き、よろしくお願いしますね」
「はい…畏まりました…」
漁師風の男は、再び喧騒の中へ消えて行った。
「英雄君が、どんな〝魚〟をご馳走してくれるか…楽しみですね…」
* * *
「レウター様。ご足労頂きまして、感謝申し上げます!」
「畏まる必要は無いよ。それで、ハイゼル君。君が私を呼んだ…という事は〝妖しい兆し〟があったんだね?」
港町サーデンから馬車に乗り、ランダに向かう途中の馬車の中。ハイゼルはレウターにこれまでの経緯を話した。
「なるほど…魔女狩りですか…それはまた面白…くない話ですね…」
「えぇ…かなり醜悪な非人道的行為です。ですが、私の力及ばず、確たる証拠を得る事が出来ず…レウター様ならと…」
「ランダでは〝精霊騒動〟もありましたから、一度確認しておきたかったので、丁度良かったですよ」
「感謝します」
王から絶大なる信用をされているレウターが入れば、仮に彼女達が精霊の説得に失敗したとしても、何かしら情報を掴めるかもしれない。ハイゼルは期待を胸に、ランダに着くまで胸を高鳴らせていた。
「レウター様、ハイゼル様、見えました。ランダです」
馬を引く男が声を掛ける。ハイゼルが見慣れた街が、目の前にあった。
「ふむ…あれがランダですか…」
その口振りからして、レウターはランダに来るのが初めてのようだ。
「〝楽しみ〟ですね…」
「レウター様?」
「いえ。独り言ですよ」
門を潜り、馬車は止まる。
「すいません。商工以外の馬車は、ここから先は立ち入り禁止なので…」
「ありがとうございます」
レウターは懐から金色のコインを取り出し、それを渡した。
「こ、これは…王室直属発行のゴールドルーダ!?い、いけませんレウター様!!このような大金、受け取れません!!」
ゴールドルーダは、一枚につき約一万ルーダの価値があるのだが、一枚の価値以上に『王室直属発行』の価値の方が強い。つまり、一万ルーダの価値もあるが、それ以上の価値もある…という事だ。何なら、このルーダ一枚を担保にすれば家が建つとまで言われている。一般人では絶対に手に入らない。商人でさえこのルーダを手に入れるのは困難と言われている超貴重なものだ。
「いえいえ。快適な旅でしたよ。そのお礼です」
「感謝します…レウター様万歳!!」
そして、馬車はまた港へと戻って行く。
「良かったのですか…?あのような貴重なルーダを…」
「ハイゼル君。ルーダと言うのは、使ってこそ意味があるんですよ。額に飾って拝めるようなものではありません。ハイゼル君もルーダの使い方を、もう少し学ぶ必要があるようですね」
「勉強させて頂きます」
「さて」とレウターは切り出した。
「この街で、一体何が起きるのでしょうかね…」
「・・・・・・」
ここから先はあの二人の力添えが必要なのだが…と、ハイゼルはゴロランダ山を見た。
(頼みます…ディレさん、ローラさん…精霊様…)
* * *
「また…歌わなきゃいけないの…?」
フローラはずっと抗議していた。
「仕方がないでしょ…〝精霊様の歌声〟が必要なんだから」
ディレザリサは特に何とも思っていないようで、先程から「あーあー」と、発声練習をしている。
「もう、歌わないと決めたのに…」
「そろそろ時間だから、覚悟を決めて」
問答無用、という事らしい。
今回の作戦は、この『歌』が重要になっている。なので、『歌わない』となると、計画が全て台無しになってしまうのだ。そう分かってはいるものの、フローラは『あのトラウマ』があり、躊躇いを隠せずにいた。
「ディレだけじゃ駄目なの…?」
「私は〝あんな歌〟は歌えないもん」
「ひ、酷い…」
「───復讐するんでしょ」
「わ、分かったわよ…」
二人はゴロランダ山の頂上で、ついに歌い始める。
フローラが主旋律を奏で、ディレザリサはそれにハーモニーを加えた。その歌声は風に乗り、街へと流れて行く。
食いしん坊精霊の歌──────
ランダの街人達が夢中になった歌──────
そして──────
ランダを滅ぼす、破滅の歌が奏でられた。
* * *
時間は少し遡る──────。
ハイゼルが馬車でレウターを迎えに、港町サーデンへと向かった頃、街はいつも通り、何処か気怠げな空気で今日も人々が生活している。精霊騒動が終わり、活気も無くなったランダは、今はもう特に目立った事もなく、退屈な街と化していた。
そんな時、あの歌が聞こえた──────
「お、おい。この歌声は…」
「精霊様…の…歌声…?」
「食いしん坊様の歌だッ!!」
すっかり意気消沈していた街の者達は、再びあの歌を聞けると思っていなかっただけに、驚きを隠せずに騒いだ。
「食いしん坊様ー!!」
「「私はお肉が好きー♪」」
一人は笑いながら、一人は泣きながら、各々が各々の想いを込めて、精霊と共に歌う。
だが、然し──────
「あれ…?何か、何だろう…」
「いつもの歌じゃ…ない…?」
数人はその異変に気付いたようだ。だが、気付いた時にはもう遅い。既に『精霊の餌食』となってしまう。
「気持ち悪い…」
「はぁ…はぁ…私、どうなって…?」
「ヒハ…ヒハハハ…ヒャハハハッ!!」
街人は、次第に狂い始める。
まるで、歌に酔いしれるかのように。
「魔女狩り…魔女狩りだ…!!魔女を狩れ!!」
「ヒャハハハッ!!魔女を狩れぇぇぇ!!」
歌は『ある男』を除き、全ての者達の精神を犯した。
魔女狩りの発案者である『街長 ガレーゾ・フルダルソン』以外は。
* * *
「はぁ…何だかもうどうでも良くなっちゃった」
歌ってスッキリしたのだろう。清々しい顔でフローラは寝そべった。
「それにしても、何で〝約束〟を破ったの?」
ハイゼルとの約束では『王都から有力者を連れて来た際に歌わせる』という約束だった。だが、ディレザリサはその約束を破り、ハイゼルが港へと向かったのを確認して、歌ったのだ。
「今の歌。以前と何か違うのが分かったか?」
「うん…何か〝変な感じ〟だった」
「そうだろうな…。歌に呪いを含めて、ランダに届くように魔力を込めたからな。もちろん私だけでなく、フローラの力も借りたぞ?」
「それで…どうなるの?」
「この呪いは人間の〝疑心〟を高める呪いだ。私があの街に入った時、街に住む者は顔を俯いて歩く者が多かった。つまり、お互いに信頼出来ないのだろうな。裏切られて〝魔女〟にされたら殺されてしまう…」
「そう?宿屋の店主さんは気さくな人だったよ?」
「そうか。フローラにはそう見えたか」
「え?」とフローラは首を傾げた。
「あの女店主。怯えていたよ」
「そうなの!?」
「うわべだけの笑顔、そして言葉。私には分かる。自分が〝良い女店主だ〟と客に印象付けて、自分は魔女ではないと周りにアピールをしていたんだ」
「考え過ぎじゃないかなぁ…」
「もしそれが考え過ぎじゃないなら、今の歌を聴いても、何も変わらないだろう。だが、少しでも何かあれば…だ」
「そっか…」
そして、ディレザリサはニヤリと笑う。
「あと、一人だけはこの呪いを掛けてない」
「え、誰?」
「それは、フローラが一番〝殺したい〟と思う男だ…行こう。早くしないとハイゼルが戻って来る」
「私が一番、殺したい相手…」
そう考えるフローラの眼は、冷血な光を灯す。
(もう、すっかり魔女じゃないか…)
その眼を見たディレザリサは、我が子の成長を見るかのように満足し、これから始まる復讐劇に思いを馳せた。
【続】