〖第十二話〗英雄、手駒にされました
あの後、フローラの対応は、ハイゼルにとって神と言わざるを得なかった。
「今すぐにお身体を拭くものと、身に纏える物をお持ちしますね。ディレ、行こ?」
「すみません…ありがとうございます…」
フローラはディレザリサの手を引いて、山小屋の中へと戻り、ディレザリサを中に残して、井戸の近くで縮こまっているハイゼルに、タオルと大き目な布を渡した。
「すみません…殿方が着れる洋服は持っていなくて、私達が使っているベッドの敷き布ですが…お洋服が乾くまでお使い下さい。お洋服は暖炉の近くに置けば、直ぐに乾きますから♪」
「感謝します…ローラさん…」
例え英雄と言えど、人間である。恥じらいはあるし、失敗もする。
「ディレには私から言っておきましたから、ご心配なさらず」
「聖母なのか…」と、ハイゼルはフローラの立ち振る舞いに、感服するしかなかった。
* * *
「先程は取り乱してしまい、申し訳ありません…」
ハイゼルが山小屋に申し訳なさそうな顔で入ると、ディレザリサはハイゼルに頭を下げた。
「い、いえ!こちらこそ、あのような醜態を晒してしまい、申し訳ありません…」
気まずい沈黙の中、フローラは「さ、夕飯にしましょう♪」と、明るく声をかけた。
(ローラさん…なんて気の利く方なのだろうか…)
「ハイゼル様、ディレ!早く席に着いて!冷めちゃうよー?」
「あ、うん!」
「はい!」
テーブルに並べられた料理は、お世辞にも豪華とは言えないが、それでも、綺麗な盛り付けをされていて、ハイゼルは華やかな印象を受けた。
「これは美味しそうですね!」
「腕に自信はありませんが…」
「謙遜する事はないわ。ローラの腕は私が保証してあげる」
「ディレ…ありがとう♪」
ハイゼルは二人のやり取りを見ながら、この二人が深い絆で結ばれている事を羨ましく思った。そして、少しでも自分がその絆の中に入れたら…と、心の中で気を引き締める。
メーン料理は野うさぎのステーキだ。ステーキと言うよりは、ただ焼いてあるだけ…という印象だが、それでも丁寧な下処理がされている。ハイゼルはそれを一切れ口の中へと運ぶと、噛み締める度に、ねっとりとした甘みが広がるのを感じた。
「こ、これは…美味い…!!」
隣の皿には野草がふんだんに使われているサラダが、これまた綺麗に、食卓に花を添えるかの如く盛り付けられている。ハイゼルはそれを口の中へと運ぶと、これまた信じられない…という顔をした。
「この…サラダに使われているソースは何でしょうか?」
「この前、ランダに行った際にお譲り頂いた果物に『グァナナ』という珍しい果実がありまして…ハイゼル様はお召になった事はありますか?」
「もしかしてその果実商とは…エドガー殿では?」
「あの方…エドガー様というお名前でしたか…グラッツォさんが〝エド〟と呼んでいたので、それがお名前かと思ってました」
ディレザリサはそう呟くと、ニッコリと笑った。
「はい。言葉遣いは荒かったですが、とてもお優しい方でしたね…。実は、お二人が街から突然居なくなって、私はてっきり人攫いに合ったのかと思い、街中を探し回ったのです」
「あ、ああ…そうでしたか…それは申し訳御座いません…」
ディレザリサとフローラは頭を下げた。
「いえ!これもまだ私が未熟故の失態です。それで、私はお二人を見つける事が出来ずに、落ち込んでいた時、エドガー殿がこの『グァナナ』をご馳走して下さいました。あの味は今も忘れる事が出来ません…」
「そんな事があったんですね…それで、そのグァナナですが、この甘さを利用して、何か出来ないかと考えたんです。この北大陸では牛の乳を発行させて作る『ヨーレット』と呼ばれる食べ物があるのですが、それをソースにすると美味しいんです。グァナナの甘みや香りはヨーレットに近いものがあるので、これを野菜のソースに出来ないかと…お口にあって良かったです」
「ヨーレット…」とディレザリサは呟く。まだ食べた事がなく、初めて聞く名前だったので、興味をそそられた。だが、それに気付いたフローラが、肘で腹を小突き、注意する。
「なるほど…。いや、実はヨーレットは知っているのですが、それをソースにするという発想はありませんでした…。ローラさんの発想力に感服します」
「いえ。私の料理の知識は、全て母から譲り受けたものですから」
「お母上ですか…そう言えばお二人は、何故この山小屋にお住いなのでしょうか?ご家族はどうされたのか…」
やはりその話題になるか…と、ディレザリサは思った。想定していた通りだが、上手い言い訳が思いつかない。
「私は数年前に父と母を亡くし、住む場所が無くなりまして…それでこの山小屋に住む事になったのです。ディレとはその頃知り合って、意気投合し、今ではこうして女二人、仲良く暮らしてます」
(フローラ…?)
まさか、フローラがこんなにスラスラと、まるで事実を話すかのような顔で平然と嘘を吐くとは思っていなかっただけに、驚いてしまった。
「数年前…ですか…」
どうやらハイゼルはディレザリサの事ではなく、違う所に目を付けたようだ。ディレザリサはそれを見て少し安堵したが、またフローラに小腹を小突かれてしまった。
「失礼を承知でお聞きしますが…元の住まいは何処でしょう?」
「…ランダです」
「ランダ…数年前…まさか…!?」
ハイゼルの中で、これまで得た情報が一つの答えに導かれていく…忌まわしい街の習慣『魔女狩り』という答えに。
「つまり…こういう事ですね。数年前に発生した集団殺傷事件〝魔女狩り〟により、ご両親と住む家を奪われたローラさんは、行く宛なくこの山を彷徨い、そして辿り着いたこの山小屋で生活をしている、と…」
「そうなりますね」
「なんて事だ…あの街は悪魔の住む街か!?」
ハイゼルは怒りに震える。
魔女狩りという非人道的行為は許せる行為ではない。その非人道的行為で、少女二人が路頭に迷うなど、あっていい事ではない。これは、然るべき制裁を加える必要がある…と、ハイゼルは軍に出動要請をする決意を固めた。
「もうご安心下さい。このハイゼルが、グラーフィン家の名誉に誓って、然るべき制裁を加えます」
「熱くなっている所、申し訳ないですが…」
と、今度はディレザリサが横槍を入れる。
「証拠が無ければ、軍は動かせないのではないですか?ハイゼル様の行為はとても有難いですが、こんな山奥に住む少女の証言だけでは、証拠にすらなりません。もう少し冷静になってお考え下さい」
「な、なんと───」
自分よりも歳が低い少女の一言は、ハイゼルの冷静さを取り戻すには、充分過ぎるだけの力があった。
確かに、この少女の証言を証拠として、軍に掛け合うのは難しい。英雄と持て囃されたハイゼルが信用に値すると言っても、一つの軍隊を動かす理由に値するかと言えば、首を横に振らざるを得ない。
「ディレさんのご明察、感服致しました…確かに、これだけの証拠では、軍を動かす動機にはなりません…ハイゼル・グラーフィン、一生の不覚です…」
この時、ディレザリサは考えた。
この男を利用出来ないか、と。
戦いを挑めば、多分勝ち目はハイゼルにある。だが、この状況を察するに、ハイゼルと戦うより、利用する方が得だ。フローラをチラリと見ると、どうやらフローラもそう考えたらしく、静かに頷く。
「一体、どうすれば…」
思い悩むハイゼルに、ディレザリサは言った。
「軍を動かす事は出来ないのなら、軍を動かさなければ良いのではないでしょうか?」
「どういう意味でしょうか?」
「いえ…私のような者が差し出がましい事を…申し訳御座いません」
「差し出がましいなど!!何かお考えがあるのなら、お聞かせ願いたい!!」
「そうですか…では───」
* * *
翌日、ハイゼルは山小屋でディレザリサ達と別れを告げた。
「本当に、精霊様に会えるのですか?」
「えぇ…もちろんです。後は、ハイゼル様が〝王都にいる有力者〟の方を一人、ランダへと連れて来て下されば、きっと精霊様もお力添えして下さいます」
「ならば信じましょう…では、一週間後に!!」
ハイゼルはそう言うと、ゴロランダ山を下山した。
「ディレ…本当に大丈夫なの?」
「忘れたか?〝邪な竜〟と呼ばれていた私だぞ…フフ…面白くなってきたな…」
* * *
王都にある城の一室、王の右腕と呼ばれている、天才にして剣才、レウター・ローディロイの寝室の窓を、伝書鳥が唇で小突いた。
「密書…ですか…」
窓を開け、鳥の足に括り付けられた手紙を解き、鳥を空へと羽ばたかせると、レウターはその密書を読んだ。
「やはり、ハイゼルをあの街に行かせたのは正解でしたね…面白い…」
手紙を読んだレウターは、部屋の扉の前に待機させている兵士に「出掛けて来ます」と声を掛けた。
「こんな夜更けに…ですか?」
「えぇ…ランダで、とても面白そうな〝余興〟があるらしいので、それの見学に行ってきます。バリアスとグライデンが城に残っているので、問題は無いでしょう」
「確かにバリアス様とグライデン様がいれば、問題はありませんが…」
賢者、バリアス・アンダーバン。
魔法の深淵を覗いたとされる、世界最強の魔法使いで、既に100を超える年月を生きているが、その姿は衰えを知らず、未だに40代の若さを保っている。
百戦、グライデン・マーティン。
『百戦』の由来は、かつての武勇から来ている。
昔、まだグライデンがただの兵士だった頃、一人で魔物百体を討伐し、王都防衛に成功した。その力を認められ、今では王を守る剣として君臨している。ただ、寡黙故に、周囲から理解されない事も多い。
「何か問題があればバリアスにお願いしますね。グライデンは…考えるよりも行動で示すタイプの人間なので」
「は!畏まりました!旅のご武運をお祈りしております!」
「ありがとう。それでは」
レウターは兵士の肩にそっと手を置き、コソリと呟く。
「国王陛下に悟られないよう、頼みます」
「…無論です」
そして、不適切な笑みを零し、レウターは城を出た。
「何を見せてくれるのでしょうかね…ハイゼル・ルーヴェルン君…」
この日の月は、妖艶な程に怪しい光を放ち、夜の闇を照らしていた……。
【続】