全人類は微温湯で生きている自覚を持つべきである
おいおい、そんな有様で生きてて、本当に楽しいのかお前は?
全人類はどうせ、百年で死ぬのだ。
全世界を覆う物語的な因果律的に言って、どうせ平凡な人生を生きて死ぬのだ。
幸福と不幸は等価、何もかもに意味も価値もありは絶対にしないのだ。
だったら、どうせなら、情報量至上主義的に、過激に刺激的に生きなければ絶対にいけない。
圧倒的な、絶対的な、特異点的な熱量を、それだけを求めるべきであるのだ。
不老不死に、VRMMOの技術の実用化、太陽光発電の実用化、
世界がインフレしまくって、既存の世界に僅かでも意味や価値を見出せなくなるのは、既に確定的な既定路線なのだから。
ぶっちゃけた話、今すぐに核兵器の暴発で人類は滅亡したって、幸福と不幸の絶対的な均衡等価的な法則的に有りである。
人類は恐るべき科学技術の発達で、不老不死にした人間の脳味噌を摘出して、一生知的な機械的な労働に使ったりするだろうし、
無上に無限大の、地獄のような痛みだけを与え続けるような、そんな空前絶後に想像をひたすらに絶するような、怒りの世界を創造するだろう。
そんな未来の全ては、既に今の現状の段階で、既定路線で確定しているのだ。
君の、貴方の人生は、物語のような因果律に支配されているのだから、
自殺なんて詰まらない展開はありえない、絶対に自殺なんてできないのだから、無に成るなんて逃げ場はどこにもない。
逆に、無限に幸福になる、みたいな空想上の無の正反対のような人生の状況も、絶対にありえないのだ。
人間は、誰しもが無限にギリギリのギリギリの無尽蔵にギリギリのド修羅場を歩み、
無限の不幸と幸福を手にする事が、確定的に明らかであることを、既に今の段階で知るべきであるのだ。
どれだけ頑張って、努力して、死力を尽くしまくっても、全ては無駄・無意味・無価値である。
逆に、どれだけ頑張らなくても、怠惰に不摂生の限りを尽くしても、
罪悪と背徳を無上に尽くして、人間を無限にやめるような生き方をしても、全ては徒労の限りでしかないのだ。
どんな人間も、最終的には世界に救済されるのだ。
そう、この世界に生きている以上、誰もが想像上の概念を超越する事はありえないのだ。
世界というセーフティーネットに存在する以上は、所詮は幸福も不幸も数値的な概念情報の域を出ないのだ。
だから全人類は焦ることはない、
なぜなら、人間として世界に在る以上は、絶対に微温湯で、どうせ温いままで生きる事が宿命として有るのだ。
ならば、あるがままに、世界の外側へ向けて、世界の果てで己の存在証明を示し続ければよい、それ以外に選択肢はない。
俺は思う、こんな場所、世界で人間で、生きる事は本来的な俺の生だとは、何が何でも信じない。
俺は生まれ変わって、ここよりも絶対的に上位な格違いの世界で生きる事が真である、
所詮は此処では練習している感覚で、適当に真剣でしかありえない、真の戦場はまだまだまだまだこれからなのだから。
このように俺は、常に情報量至上主義的に生きている、全人類の誰だってそうだ。
人道と倫理を守るのも同じ、人道と倫理を死守した果てに、無限に感情を燃やせる何かがあると信じれるから、
つまり人道や倫理、人を殺さないとかだな、某るろ剣的に、それを守るのは人を殺さない事に一定の情報量がある事を知るから、
だが逆に言って、人を殺したり、戦争を起こしたりした方が良いシチュも、絶対的に確実に存在するのは否定できないのだ。
歴史が物語っているのだ、人道を破り、倫理を超越して、全世界を巻き込んだ戦争を起こした方が良い、ぶっちゃけ面白い、ってな。
だからこそ、そういう事をしない為に、今はできる事を我々は全力でやらなければいけない。
そうだ、人道と倫理を死守する事だけを考えて、全人類は生きるべきなのだ。
そしてこれも、この全世界を覆う物語的な因果律的に考えて、
無限にギリギリの極限まで無尽蔵にギリギリの、均衡の境界線上の上に存在している天秤の傾きが規定するのだ。
そう、人間の主観が規定する無限に矛盾して、先の最果てが存在しない、倫理観、人道のようなモノ、
そして、その他の絶対的に矛盾的な世界の概念の全て、善と悪も全ては同じ、幸福と不幸のように根本的には等価であるのだから。
だからこそ、主観的な視点を持つ一人一人のキャラクターが、全員に全員が無限責任を持っている自覚を持つべきである。
この世界は無限の並行世界で並列同位異世界の、無尽蔵に因果律のバランスを極限まで高めた感じの、ミックス構造でもあるので、
人間一人の人生が、世界の命運を絶対的に無限大に規定する、というハイパーインフレ設定だって、確実に絶対的に存在するのだからな。
これは一人一人の無限に微小なモノで傾くものだ、
だが、それにすら意味は無いのだ、
情報量至上主義的に言って、全ては有るがままに有るだけだ、それだけだ。
虚無主義的に言って、俺は絶対的な上位世界から見て、少しでも大きい存在で居たいだけだ、ただそれだけのゲームでしか絶対にありえないのだ。
結論として俺が言いたいのは、”屑は屑””悪人は悪人””薄汚い孤児のような奴は薄汚い孤児”である、ということ。
そして、そういう真理によって、人間の屑と、薄汚い人間の屑のような奴は、絶対的に世界に絶望する事は、絶対的に確定的に明らかに絶対的に真なのだ。
だから、絶対的に戦争は無くならない、恨みつらみと妬みと不幸、大いなる人間の病理が有る、存在すると言っている。
こんな世界でキレイ事を吐けるのは、絶対的に懐柔政策でしかない、
そして懐柔して、どうにかこうにか企んでいるだけなのだ、本当に全てはくだらん、汚物と同義、
どんなに尊い芸術も、美しい悦楽と快楽的なモノも、世界は平等に救済する、
全てが平等にクソうんこみたいな無くても有ってもどうでも良いモノなのであるのだ。