俺と月城の名前
授業が始まる直前だからか、廊下を歩く生徒の数は少ない。俺は小走りで月城の背を追いかけ近づくと声をかける。
「俺も行くよ」
「ついてくるな」
立ち止まらずに月城は答えた。
「しょうがないだろ、場所知らないんだから」
「お前、僕がどこ向かってるか知ってるのか」
「トイレだろ。俺も行きたかったんだよ」
俺が答えると、月城は観念したのか足を止め振り替える。すると怪訝そうな目を俺に向けてきた。
「飲み物を買いに行くかもしれないだろ」
月城はそう言ったが、その可能性はないと俺は考えていた。
月城がペットボトルの封を開けたばかりだったからだ。休み時間で飲みきれるとは思えないし、いくら次が自習でも時間ギリギリにもう一本買いに行く可能性はゼロだろう。
その事を話すと、月城は隣には立つなよと言いトイレに案内してくれた。やっぱり根はいいやつなのかも知れないな。
用を足し手を洗い、用意してきた青いハンカチで手をぬぐいながら俺は月城に素朴な疑問をぶつけてみた。
「なあ、何でうちのクラスは俺とお前以外に男子がいないんだ? それに廊下も女子ばっかりだし、ここって女子が少し多いだけの共学じゃなかったのか?」
「……話し掛けるなって言っただろ」
「そう言うなって。転校初日の心細い転校生の疑問にくらい答えてくれてもいいだろ」
月城は蛇口の水を止めると手を払いハンカチで残った水滴を拭いた。
「答えてやるから、教室では話しかけないでくれるか」
険しい目付きで言ってくる。よほど教室では話し掛けられたくないようだった。
「わかった。話しかけないよ」
多分なと心の中で付け足すと、休憩時間終了のチャイムが鳴った。
「早く戻らなくちゃいけないから手短に話すぞ」
ハンカチをポケットにしまいながら言うと、月城は語りだした。
「僕の二個上、つまり去年の三年生までは全体の四割は男子だったんだよ。それが一昨年、一学年上の火乃先輩がこの学校に入るって噂が流れて女子の入学希望者が溢れ返ったんだ。そして火乃先輩が在学しているから僕らの代も一個下も女子ばかりになったってわけ。市内の女子の二、三割はうちを受けてるんじゃないかな」
「その火乃って先輩はどれだけのイケメンなんだよ」
アイドルが入学すると噂が立ち、大学入試の倍率が少し上がったとかは聞くが、男女比をここまで変えるとは。
「勘違いしているようだが、火乃先輩は女だよ。フルネームは火乃真夜。まあ、イケメンであることは間違いないけどね」
「女っ? 何で入学するからって、女がここに入ろうとするんだよ」
「君も一度会えば分かるよ。その辺の男より火乃先輩の方がよっぽどイケメンだからね。外見も中身もね」
月城はどこか苦笑ぎみに笑う。
「さてと、僕は教室に戻るけど、君は少し遅れてから戻ってきてくれないか?」
「何でだよ」
「何ででもだよ。言っただろ、僕は君と馴れ合いたくもないし、馴れ合っていると思われたくもないんだよ」
学校の事を語ってくれたので少しは距離が縮まったと思ったが、月城はまた深い溝を掘った。
「あのさ、俺が君に嫌われるような事をしたんだとしたら、しょうがないとは思うけどさ、初対面でここまで嫌われる覚えはないんだよ。俺が何かしたか?」
その言葉に月城は眉をピクリと震わせ反応した。
「……君を嫌っているわけではないよ。ただ君は僕のクラスに転校してきた。それが問題なんだよ」
「意味がわからないな。君はクラスでただ一人の男子になりたいから、転校してきた俺を恨んでいるってことか?」
ハーレム説を唱えてみる。
「違うよ。僕とすれば男子の転校生が来てくれることは嬉しいことだからね。そもそもクラスには土御門翔って男子が他にもいるよ。不登校で二年になってからは一度も登校して来ていないけど」
俺は教室にあったもう一つの空席を思い出す。
「転校生は来て欲しい、けれど俺はダメ。それこそ意味がわからないな。どうして俺ではダメなんだ」
他に男子がいて喜ぶ気持ちをグッと押さえ、俺は月城に詰め寄った。身長差があり見下す形になりながら、俺は険しい目を向ける。
体格がよく目付きの鋭い俺の睨みを月城は意に介さずに睨み返す。
「……君の名前がいけないんだよ。君が他の名前なら僕だって仲良くしようと思ったさ」
悔しそうに歯をぎりっと鳴らした。
「名前?」
「……いづれわかるさ。そうすれば君も僕とは距離を置こうと考えるはずだよ」
そう言うと月城は俺に背を向け扉に手をかける。
「頼むから少し時間を置いて戻ってきてくれ。これは君のためでもあるんだ」
俺の為と言った言葉に引っ掛かりを感じながらも、トイレから出ていくその背を無言で見送った。
俺の名前に何があるのか、距離を置かなければいけないとはどう言うことなのか。
一人洗面台の前で考えたがなにも思い付かなかった。
「あーっ」
煮詰まった俺は短い髪を手櫛で掻き乱す。
「考えてもらちが明かないな」
月城に話を聞くべく大股で教室に戻った。
月城以外に男子がいるとはいえ、数少ない男子なんだ。それに高圧的な態度をとっているが、根は親切で良いやつだってことは短い時間でも分かった。
仲良くしない理由はなくとも、仲良くしたい理由は十分あった。
俺の名前にどんな関係があろうとも、俺は距離なんかおかない。強い思いが教室の扉を開ける手に力を込めさせた。
ガンと音を鳴らし扉が開くと、教室中の視線が俺に集まった。
黒板には大きく自習と書かれており、皆席で自習用に配られたらしきプリントをやっていた。
「あっ、せめちんお帰りー」
なぜか俺の席に座り、金井と二人で、月城の髪をシュシュで結っている木ノ実が手を振ってくる。月城と真剣な話をしようと思っていた心が一瞬で砕けた。
そもそもせめちんとはなんだ? あだ名か? さっきまでせめるんとか呼んでいたのはなんだったんだ。
「あっ、動いちゃダメですよ」
月城の後ろに立ち髪を結っていた金井が、顔を俺に向けた月城の頭をまっすぐ前に戻させる。
月城の顔は恥ずかしいのか、赤く染まっている。いや、よく見るとその後頭部には金井のバレーボールが当たっていた。こっちが赤面の原因かもしれないな。
状況把握が出来ずに立ち尽くしていると木ノ実が席から立ち上がり俺を手招きした。
席に戻れと言うことなんだろう。
「せめちん遅かったねー」
前髪をシュシュで縛られ、馬の尻尾のように立てられた月城を横目で見ながら俺は席に戻った。
中性的な顔立ちだからか月城の髪型に違和感はなく可愛い女の子に見えたが……。
「どう、可愛いでしょ」
「あっ、うん……」
可愛いというよりは、可愛そうで見てられない俺は少し目を反らし答える。
「うけちんは素材が良いから腕がなるね」
確かに女と見間違えたくらい素材は良いなと改めて月城を見ると、俺は木ノ実の言葉の中に、耳馴染みのない単語があったことを思い出す。
俺は耳馴染みない単語を聞き返す。
「うけちん?」
木ノ実はキョトンとした顔を俺に向けてくる。
「あれー知らなかったかな? 月城受でうけちんなんだよ」
「受って、受け止めるの受か?」
「受難の受けです。受取人の受けです」
なるほどな。
俺は月城のフルネームを頭の中で漢字変換し全てを悟った。
すまん。確かに馴れ合いたくはないよな。
月城は名を知られた恥ずかしさからか、後頭部によりいっそうバレーボールがめり込んだからか分からないが、顔をさらに赤く染め、ズボンの裾をぎゅっと握りしめた。
目元にはうっすらと涙が輝いていた。