抱いた思い
これで連れでもいて、トイレか何かに行っている間預かっているだけならばまだ危ないやつへと認識を強めはしなかったのだろうが、男はどちらも自分のものだと主張するかのように、交互にバニラとストロベリーをペロペロと舐めていた。美味しくてたまらないと言った満面の笑みを浮かべて。
……ヤバイやつだ。
間違いなく危険人物だ。
そいつに気付いたのか、足を止め絡まれている俺達を見ていた通行人が足早に去っていく。
待ってくれ。俺達も逃げさせてくれ。
危ない男が猛烈な勢いでソフトクリームを舐めながら近づいてくると、はじめてそこで俺達に気付いたのか、おっと声をあげた。
「……何してるんだー?」
男が声をかけてくると、その声にライン男が答えた。
「……海野」
ライン男はワカメ男の名を呼んだ。
その名は昼間にも聞いた名前だった。
『海野くんの後輩です』
そう月城が口にしていた。
こいつが海野。そう思っていると、ぼそりと日向も呟いた。
「……彼が海野ですか」
小さな呟きは俺の耳のみ震わせた。
「……お前には関係ねえだろ」
語気強く返すが、ライン男の言葉には僅かな震えがあった。
「あはは。そんな事言うなよ。同級生のよしみじゃん。あっこれ、食うか? 会わせて食うと口の中でイチゴバニラになって旨いぞ」
近づいてくると、ライン男にソフトクリームを向ける。
半分ほど減った、どこに口をつけても間接キスになるソフトクリームを。
「……食わねえよ」
やはり声は僅かに震えている。ライン男が海野を恐れていることが響きが表していた。
「旨いのにな。じゃあさ一緒にエスカレーターの下でウォッチングしねえか? 今なら高校生からOLまで見放題のパラダイスタイムだぞ」
にこやかな笑みでライン男を誘ってきた。
つまりはパンチらを一緒に見ようと言うことだろう。うん、こいつは中々の屑だな。
「いやー、さっきなんて黒のレースの女がいたんだぞ。久々の大当たりでこれは顔を確認しなきゃと追いかけたらよ。まさかのミニスカートを履いた婆ちゃんだったんだよ」
よほど面白かったのかタハハと声をあげて笑った。「しかもその婆ちゃん中々の巨乳でよ、男の性なのか、婆ちゃんだって言うのに胸に目がいっちまったよ」
笑って語る海野に日向はぼそりと呟いた。
「屑です。近年まれに見る屑です。女の敵です」
「……だな」
俺が呟き、いい顔をして笑う海野を見ていると、ライン男がチッと舌打ちをした。
「……お前なんかと一緒に行動するわけねえだろ……いいからどっか行けよ。こっちは忙しいんだからよ!」
手で追い払うジェスチャーをする。
「そうか。楽園があると言うなに……残念だ……」
少し悲しげに言うと、海野はしょぼくれた顔をしてソフトクリームを舐めながら、俺達の前を通りすぎていった。
ライン男と連れは怯えた目で離れて行くその背を見つめていた。
しかし、海野は不意に足を止めると、あっと口にし振り向いた。「なあ、雄大」にこやかな笑みをしながら、ライン男を呼んだ。雄大と言う名のようだ。
「忙しいってのは……まさかカツアゲでって事じゃねえよな?」
「……ッ! だったらどうだって言うんだよ」
「もしカツアゲなんてだせえ事が忙しいって言うのなら……」
言葉を溜めると、にこやかな笑みから修羅のような形相に変わった。
「分かるよな?」
「ひっ!」
ライン男と連れ二人の悲鳴が重なる。
三人は体をびくつかせ後退した。
分かるよな? 何をするかは一切言っていないが、俺にはその言葉が殺すぞと行っているように聞こえた。
「おっ、おい行くぞ……」
あからさまに狼狽えた態度を取りながらライン男は連れに声をかける。
連れは目に怯えを宿しながら回れ右をしたライン男に続く。ライン男は歩き出した足を止め振り替える。
「海野……覚えてろよ」
目に怯えと怒りを半分ずつ宿し言うと、また後ろを向き今度こそ離れていった。
それにしても……今の台詞は……。
「初めて雑魚のお約束の台詞を聞いたです」
日向も同じことを思ったようだ。
「覚えてろってなんの事だよ」
カハハと快活に笑うと視線を俺に送ってきた。
「金とか取られなかったか?」
聞かれたので大丈夫だと答えようとしたが、それより早く海野は口を開いた。「……と、いらぬ心配だったかな。おたくは雄大達なんかより……ずっとやりそうだもんな」
「……何も取られなかったよ」
やりそう云々は置いといて、取られたかどうかだけ答える。
「そりゃ良かった。お嬢ちゃんも怖かったのに泣かなくて偉いな」
俺から日向に視線を移し言ってきた。その言葉から俺は嫌な予感をビンビン感じた。
お嬢ちゃん……。
「えっと……中……小学生? なのに肝が座ってるね」
小さな子供に贈る柔かな笑みを浮かべて言った。そして俺の背後で火山が噴火した。小さな小山が大噴火した。
「小学生じゃないです! そして中学生でもなく、高校生です。お嬢ちゃんじゃなく、レディです。淑女です」
「おっ、おお……悪かった……」
海野は日向が高校生と言う事実に驚きを隠すことなく言った。素直なやつだな。
「訂正求めるです。リピートアフターミー。高校生の淑女。ハイ」
どうしても淑女と言わせたいようだ。
「えっと……高校生の……縮小?」
どうやらあまり賢くはないようだな。淑女と言う言葉を知らない様子だった。
「誰が縮小版高校生ですか! 原寸大です。百パーセント高校生です」
言い間違いに気付いていない海野は困った顔をしながら、小首を傾げた。
なぜ怒っているんだと言う顔だな。
俺は怒る日向と困る海野に思わずふっと笑い、絡まれた所を助けてもらった恩があるなと思い、海野に助け船を出すことにした。
「お話し中悪いんだけど、それ溶けてきてるぞ。急いで食べた方がいいんじゃねえか?」
海野の持つ二つのソフトクリームを指差す。イチゴとバニラのソフトクリームは溶け始め、手を伝い海野の足元にピンクと白の丸い点を作り出していた。
海野は溶け出していることに気付いていなかったようで、うわっと声をあげると、大口を開けソフトクリームをコーンの縁まで頭からかじりついた。
「手がベトベトだし……ッ!」
口一杯にソフトクリームを頬張りながら話していると、海野は突如顔をしかめた。
「知覚過敏だから歯が……」
よほど凍みるのか目にはうっすらと涙が浮かんできた。
だったら二個も食うなよ……。
痛みの波が引いてきたのか、海野は残ったコーンを猛烈な勢いで食べ進め、そしてまた顔をしかめる。「はっ歯が……キーンと……」
学習能力もどうやら低いようだ。
俺が引いた目で見ていると、日向が海野にハンカチを差し出した。
「手がベトベトでしょうから使ってください」
「おっ、助かるよ。ハンカチなんて持ち歩いたことないから、制服で拭くかどうか迷ってたんだよ」
どうやら海野は日向のヤンキーはハンカチ等持ち歩かないと言う持論の証明者の一人らしく、受け取るとベトベトの手をぬぐい出した。
「悪いな。洗って返すよ。と、今洗ってくるか?」
「いいえ。次会ったときで大丈夫です」
「そうか。じゃあ俺は放課後は大抵駅ビルのエスカレーター付近にいるから、見かけたら声をかけてくれよ」
毎日の日課のようだ。こいつは間違いなくクズな人間だな。
海野はそう言うと軽く手をあげ背を向けて歩き出した。
「またな」
去っていく後ろ姿を追っていると体にぐったりと疲れを感じた。
「……ふう」
と、日向は息をつく。俺同様疲れを感じているようだった。
「あれが海野くんですか……こんな気持ちを味わうのは久しぶりですね」
「こんな気持ちって?」
海野の事を知っていることも気になったが、それよりも俺はこの質問の答えが気になり聞いた。
「水澤くんが感じたのと一緒ですよ」
疲れたようにふっと笑った。その笑い方は少しだけ日向を大人っぽく見せた。
「……だな」
俺は頷いた。その疲れた笑みから俺と同じ事を思っているのがわかった。
ああ言うやつと一緒にいるのは疲れるんだ。
俺は無意識にずっと握りしめていた拳を開く。力を込めていたからか、手のひらには確りと爪の痕が残っていた。
「清々しいほどの馬鹿と一緒にいると、ムカつくを通り越して呆れてしまう。誰もが思うことですね」
またふっと笑った。
「……いや、俺が思ってた事と違うんだけど」
全くと言って良いほど違うぞ。
「一年の時の茜を見ているようで懐かしさ半分、殺意半分でした」
「ムカつく通り越して呆れてたんじゃねえのかよ。殺意抱いているじゃねえか」
お前らは本当に友達なのか?
「と、いけないですね。このままではまた電車を逃してしまうですね」
楽しい雑談を続けていたいが、どうやら電車の時間が近づいているようだ。
言うと同時に歩き出した日向の背中を追う。
歩幅が狭い日向に並ぶのも追い抜くことも出来たが、俺はそうせずに、背後を歩いた。
楽しい雑談で一瞬薄れはしたが、歩き出すと海野に懐いた思いが満ち潮のようにじわりじわりと俺の足から胸にかけて侵食してきた。
日向は木ノ実を思い出したようだが、俺は別な人間を思い出していた。
楪と火乃を。
海野は似ているんだ。顔や体格やしゃべり方とかではなく……あの存在感が。
圧倒的な存在感が。
あいつらを前にすると思い知らされてしまうんだ。誰が主役なのかを。そして自分が脇役でしかないちっぽけな人間だと言うことを。
俺は顔に現れた感情を気取らされないよう、日向の後ろを歩きながら改札を潜った。




