隣の席は偽ボーイッシュ
着席と号令がなるなか、俺は回りから遅れながらも慌てて座りと、隣のボーイッシュな女を見た。
重大な事実。
別にそいつが昔一度だけ会ったことがある初恋の子だと思い出したわけでも、生き別れになった双子の妹だと気付いた訳でもない。ちなみに俺に兄弟はいるが、双子ではなく十歳年上の姉一人だけだ。
俺が固まった理由はそのボーイッシュな女が濃紺のズボンをはいていたからだ。
うちの学校の制服は女子が濃紺のブレザーとスカートで男子が濃紺のブレザーとズボンとなっている。女子はリボン、男子はネクタイを巻くことになってはいるが、これは強制ではないらしく、着けていない女もクラスにはちらほらいた。
隣の席のやつもそうだ。ちなみに俺はそんなルールなんか知らずに、優等生のごとくネクタイを固く結んでいる。
そう、隣の席のボーイッシュな女は男子用のズボンをはいていたんだ。生まれてはじめて出会う男装女子でない限りは、こいつは……男と言うことになる。
見た目が女っぽい事もあり、女子しかいないと思っていた俺はこいつを女だと思い込んでいた。
教科書のなんページ目を開いてと担任に言われ、俺は教科書を鞄から取りだし慌てて開き、もう一度ちらりと横目で偽ボーイッシュ女を見る。
顔立ちは中性的で男にも女にも見えるが、教科書を開く手は女よりはゴツゴツしており、男の手をしていた。間違いなくとまではいかないが、十中八九男だと思う。
クラス唯一の男ではない事に俺のテンションぐんぐん上がっていき、自然と笑みがこぼれ落ちた。源氏物語を開きながら笑みを溢すヤバイ生徒と坂上先生には思われただろうな。
俺は授業中ではあるが隣の席の偽ボーイッシュ女に話し掛けた。
「なあ」
軽く顔を向け小声で話し掛ける。
「……」
偽ボーイッシュ女は俺に親の敵を見るような目を一瞬向けると、すぐさま教科書に戻し無視した。
そこで俺はこいつに睨まれていたことを思い出した。
なぜ睨んでくるんだろうか。クラスに男子が転校してきてくれたならば、俺なら小躍りして喜ぶと思うんだが。
「なあ……なあって」
俺は再度呼び掛ける。唯一の男同士仲良くしたいと言う思いからか、二度目の呼び掛けは少し声が大きくなった。
偽ボーイッシュ女は無視しても何度も呼び掛けられると思ったのか、はじめて口を開いた。
「話し掛けないでくれるか」
言葉の後に耳が腐るとでも付け足しそうな、嫌そうな顔を向けると言った。
言葉に刺はあるものの、声は男の中では少し高め程度の低い綺麗な響きをしていた。この声は間違いなく男子だな。
ほんの数パーセント残っていた男装した女子説がなくなりホット胸を撫で下ろす。話し掛けるなと言われたが俺はくらい下がった。
「俺は水澤。お……君は何て名前?」
お前と呼びそうになり慌てて誤魔化しながら俺は聞いた。最初からお前なんて呼んだら警戒心を抱かせてしまうからな。俺は出来うる限りの爽やかな笑みを浮かべる。
「話し掛けるなって言っただろ。僕は君と馴れ合うつもりはないし、名を名乗る義理もない」
小さな声にめいいっぱいの敵意を込めて言ってくる。
ここまで敵意露にされれば大抵のやつなら引いてしまうだろうが、俺は親から常に引かず攻める人間になるようにと、攻と名付けられ、逃げ出さない人間に育てられた。
「名乗る義理はないって、クラスメイトになったんだから少しは仲良くしようぜ」
教科書で顔を隠し隣の偽ボーイッシュ女にだけ聞こえるように小声で話す。
「聞いてなかったのか? 僕は君と馴れ合う気はないと言っただろ。分かったなら黙って二度と僕に話しかけないでくれ」
二度とって。出会って数分でここまで嫌われるなんて俺が何をしたと言うんだ。自己紹介を失敗したが、それでこんなにも嫌われたりはしないだろうし。
「なあ、なんでそんなに俺と距離を取ろうとするんだよ。俺が何かしたか?」
「何も。ただ僕は君と関わりたくないと思っただけのこと。分かったなら前を向いて静かに授業に参加してくれないか」
「お前が名前を教えてくれたら、黙ってやるよ」
俺は引かない。攻だから。
「ちっ」
と、舌打ちすると眉間に皺を寄せ俺を睨む。
「お前に教える義理なんかないって言っただろ。日本語を理解する能力があるなら黙ってくれないか」
呼び方が君からお前に変わるくらいにイラつきを見せ始めた。これ以上踏み込んだらキレそうだなと思いながらも、築かれた心の壁を俺は乗り越える。
「名前くらい教えてくれてもいいだろう。別に今すぐ男の友情を築こうぜって言ってるわけでもないんだからよ」
キレさせないように、笑みを浮かべて言う。
しかし俺の踏み出した脚は偽ボーイッシュ女の防衛ラインを越えたらしく、けたたましいサイレンを鳴らした。
「男の友情何て築くわけないだろ!」
偽ボーイッシュ女はクラス中に届くような大声で叫んだ。叫びに呼応するように女達が振り替えると、きゃーと黄色い声をあげる。
「はぁー」
ため息をつくと、坂上先生は頭を抱える。
「静かにしなさい。月城君も授業中です、大きな声を出さないように」
「……すいません」
偽ボーイッシュ女ーー月城は頭を下げた。
「授業を続けます」
坂上先生が源氏物語の説明を続けると、クラスに静けさが戻った。
「月城君って言うのか」
名前がわかった俺はニヤリと笑い言った。
「なあ、頼むから僕に関わらないでくれ。頼むからさ……」
月城はうつむき切な願いと言わんばかりに俺に頼んだ。小さな小動物を虐めたような気持ちに襲われる。
名前も分かったし、薔薇色の学校生活を送るためにはこれ以上踏み込んだら不味いだろうから、俺はその頼みを受け入れた。
「わかったよ」
この授業中はなと心の中で付けたし俺は、朗々と読み上げられる源氏物語に耳を傾けた。