パーカーと伊達眼鏡
一年生。その言葉に俺の心臓がドキンと跳ね上がる。
一年ではなく二年であり、更に保川高校の生徒ですらないのだから、見覚えなどある筈もない。
どう返答すれば良いのか分からずに、帽子の中の頭皮にじんわりと汗が浮かぶ。
「はい。一年です」
少し俯きがちに久喜を向くと、月城は平然とした口調で答えた。
「一年か」
ぼそりと呟くと、また俺と月城を交互に見、ピタリと月城で視線を止めた。
「……君さ、どこかで会ってないかな?」
一歩近づき、月城を覗き込む。
もしや月城はこの久喜と面識があるんじゃないかと思い、背にも冷たい汗をかいた。ここで正体がバレては西根を追う事も今後ここで張り込むことも難しくなりそうだ。
「俺、海野君の後輩です」
焦る俺とは裏腹に、月城は平然と答えた。
「二年の海野か……なるほどね」
だから見覚えがあるのかと言った感じに久喜は納得した。
俺は海野とは誰なのか聞きたかったが、今ここで聞くような馬鹿ではないので黙って話を会わせるように頷く。
「いくら海野の後輩でも、一年のうちから外に買いに出るのは先輩方に疎まれるからお奨めしないよ」
「……すいませんでした」
と、月城が頭を下げる。
久喜はにこりと微笑みを浮かべ外に出ていった。
その姿が遠退いていくのを確認すると、月城が俺を向いた。
「おい、急いで出るぞ」
「……ああ」
俺は促され、残ったポテトを一気に口の中に流し入れ、月城の後ろに付き外に出る。
店内の冷房に慣れたら体に、五月の日差しが降り注ぐ。
足早に歩く月城に合わせ、俺は歩幅を広くとる。
道路に出ると白いTシャツ姿の二人組の後ろ姿が遠くに見えた。西根達だ。久喜と話していた時間のせいで大分距離はあるが、駅まで一本道と言う事もあり、見失うようなことはなかった。
「気づかれない程度に近づくよ」
月城は歩く速度をあげる。俺もそれに続くよう、歩幅を広くする。
日差しを浴び額にじんわり汗をかきながら俺は月城に話しかける。
「さっきの久喜ってやつ知っているのか?」
久喜のぞわりとするような笑みを思い出しながら聞く。他にも聞きたい事は山ほどあったが、まずはそこから質問した。
「……少しね」
俺を向くこと無く答える。
「少しって?」
掘り下げると、月城は目付きを厳しくした。
「名前と顔を少し知っているくらいで、君に話すようなことは何もないよ」
そう言った月城の目は今や射殺すほど鋭くなっていた。
これ以上は聞くな。そう語っているのが分かり、俺は別な質問をした。
「……それなら海野って言うのは誰だ?」
「……昔の知り合いだよ」
西根の背が大きくなってきたので、速度を落としながら月城は答えた。
「昔って、中学が同じとかか?」
「……そうだよ」
言いにくそうに答えた。本当なら中学の同級生なのかや、友達かと聞きたかったが、どこか悲しげな月城に俺は言葉を飲み込んだ。
無言のまま俺達は西根の後を追った。
どうやら駅を目指して歩いているので間違いないようだ。月城の選んだ距離は近すぎず遠すぎずと言ったところで、ギャハハハと言うばか笑いは聞こえるが二人が何を話しているのかまでは分からなかった。
月城は携帯を取りだし画面を覗き込み、顔を隠しながら後を追った。
そんな月城を見て、俺は昨日事を思い出した。
授業をサボり保川高校に張り込みに行くことを俺以上に月城は反発していた。
昨日は授業をサボることに反発していたと思っていたが、今になってサボることにではなく、保川高校を張ること事態に反発していたのだと分かった。
不良校だからと言うわけではないだろう。
月城は久喜を知っているのか聞いたときに、名前と顔を少し知っているくらいと言ったが、それは嘘だろう。あの時の顔は怒りと嫌悪感に溢れていた。
月城と久喜……もしかしたら顔を知っていた事から東とか言うあの体のでかい男とも過去に何かあったのかもしれないな。
保川高校のやつらと何かしらの関わりがあるからだろうか、月城は眼鏡をかけ、パーカーを着て、フードまでかぶり印象を変えていた。
俺もキャップを被り印象を変えていたので張り込みとはそう言うものだと思っていたが、月城の変装は過剰だった。
昨日、佐久間先輩のメールを全員で確認し捜査方針を決め、張り込み尾行をする担当に俺と月城が割り当てられた。
木ノ実は女だと言うこともありーー保川高校は男子校なので、女子が張り込むと目立つからだーー今回は別作業を行うこととなった。
役割分担が終わると俺と月城は演劇部を訪ね、張り込みに必要と言うことで学ランタイプの制服を借りた。
時風の制服のまま張り込みをすると目立つので、保川高校と同じ学ラン姿をするとの事だ。
学ランを借り部室に戻ると日向から保川高校風のファッションを教えられた。
俺は上は羽織らずズボンと白シャツ姿で、不良に見えるように裾と袖をまくり、更に斜めにキャップを被った服装をした。
月城は俺と同じで学ランの上は羽織らずに、代わりにパーカーを着た格好となった。更にくろぶちの伊達眼鏡も着用している。
金井が月城に似合っていますよと、世辞なのか本音かわからない言葉をかけた。写真まで買っているくらいなので、顔を赤くするか、小躍りして喜ぶのかと思ったが、その時月城は素直に笑みを浮かべありがとうと答えていた。
今思うとあの笑みも嘘臭く思えた。
何か理由があるんだろうな。保川高校を張り込みしたくない理由が。
そう思いながらも、俺はその事に触れなかった。
どうせ教えて貰えないだろうし、誰にだって触れられたくない過去の一つや二つある筈だ。
大小はあれど。
俺にだってある。あの火乃が差し出した封筒に入れられた書類に書かれていた過去が。
大きな傷の過去が。
前の学校の景色が頭の中に写し出された。
叫ぶ女子、泣き叫び懇願する男子、止めに入る教師。
ズキリとこめかみが痛んだ。
心と体の傷が。




