茶封筒と脅迫
「手錠を外すですけど、何かあったら言ってくださいです」
日向はそう言うと、ポケットを漁り小さな鍵を取り出し、はめられた手錠の穴に差し込み俺の拘束を解いた。
「……鍵は部室に置いてあるんじゃないのかよ」
「手錠と鍵を別々に持ち歩くはずないです。水澤君はもう少し人を疑うことを知った方がいいです」
ボソリと呟くと外した手錠をポケットにしまう。
「それでは私達は外に出ているです」
「ああ。悪いね。直ぐに済むはずだから、近くで寛いでてくれ」
「わかりましたわ」
金井は答えると、礼儀正しくお辞儀をして部室を出ていった。日向月城とその後を追って部室を出た。
戸を閉めると廊下を歩く足音も聞こえず、部屋に置かれた時計のはりの進む音だけが俺の耳に届いた。
「さてと。立ち話もなんだから座ろうか」
火乃の声が針の音を打ち消す。
「大丈夫です。立ってます」
俺は火乃の提案を拒否した。仲良く座って話をする心境でもないし、そこまで心を許せるはずもなかった。俺は火乃を警戒していたからだ。
「そうかい。じゃあ私だけ座らせてもらうよ」
そう言うと、木製デスクの椅子ではなく、長机に設置されたパイプ椅子に腰を下ろし足を組んだ。
「さて、まず何から話そうか」
勿体ぶるように火乃は言った。少し前までならどうして探偵倶楽部なんかに入部させようとしているのか聞いただろうが、今の俺の心境から生まれた言葉はまるで違うものだった。
「……どこまで知っているんだ」
俺の事を……俺の過去をどこまで知っているんだ。
「それは君の家庭環境についてかい? それとも前の学校生活についてかい?」
「……ッ!」
俺の全てを……転校してきた理由を知っていると、自信に満ちた声が物語っていた。
「なんで……知ってるんだよ……」
「答えは簡単。私が探偵倶楽部の部長だからさ」
そんな言葉で俺が納得出来るはずもなかった。はぐらかされたような言葉に、俺は思わず舌打ちをした。
「それで俺が納得するように思うか」
「いいや。攻がこんな言葉で納得して、矛を納めるようなつまらない人間では無いことは十分知っているさ」
そう火乃は言うとパイプ椅子から腰をあげ、デスクの上に置かれていた茶封筒を取ってくると、また腰を下ろした。封筒を長机の上に投げ置く。
「……ッ!」
封筒には水澤攻調査報告書と書かれていた。
俺は慌てて封筒に手を伸ばし中に入っている書類を取りだし目を通す。一枚目二枚目と文を目で追い、そこで読むのをやめた。
そこには俺の転校理由が記載されていた。入学願書に載せた内容から、伏せた物まで細部に渡って。きっと火乃は全てを知っているのだろう……。
どうしてここまで載っているのか俺は心当たりがあった。
封筒と用紙を無意識に握りつぶし俺は聞く。
「楪に聞いたのか?」
俺はこの学校の教師である天川楪の名をあげた。
「いいや、楪は何も教えてはくれなかったさ。だから、これは私が独自に調べたことだよ」
聞かなかったではなく、教えてくれなかった。
「だからどうやって調べたか聞いてるんだよっ」
叫びと共に俺は長机に拳を叩きつける。冷静に話をする心の余裕すら俺は失いつつあった。
「射殺すような鋭い瞳。頭蓋すら易々と叩き潰しそうなほど大きな拳。鼓膜を破りそうなほど響く衝撃音。普通の女子なら涙を流すほどの迫力があるだろう。身を震わせるほど恐ろしく思うだろうが、私を脅すには力不足だ。いいや、私だけじゃない。うちの探偵部の可愛い後輩を脅す事も出来ないな。その程度は恐怖でも何でもない。本当の恐怖を知っているものにとってはね」
くすりと笑うと火乃は立ち上がり俺に近づいてくる。互いの服が触れるほど近づくと見上げ、俺の目をじっと覗き込む。
「君は私が脅して口を割るようなか弱い乙女に見えたか? 人を見る目を養わなかったら君はいつまで経とうが同じことを繰り返すぞ」
「……ッ!」
火乃の強い瞳が、ぶれない声が怖かった。背筋にじわりと汗をかき、俺は無意識に一歩後ろに引いた。
俺の本能がこいつはヤバイと騒ぎ立てる。逃げないと。俺は火乃を見据えたまま、手を後ろに伸ばす。引き戸に指をかける。
「逃げるのは勧められないな。君は知りたいんじゃないのか? どうやって調べたのか。そして、その調べた情報をどう使うのかを」
どう使うのか。その言葉に俺の手はピタリと止まった。
「……汚ねえぞ」
歯をぎりりと鳴らし俺は火乃を睨み付ける。
「時に情報とは武力に勝るものになる。少しは話をする気になったかな?」
俺の睨みなど異に返さずに不敵な笑みを崩すことなく言ってくる。
ああ、そうか。どうして俺の本能がここに来てはいけないと叫んでいたのかはっきりと分かった。
こいつに会わせないためにだ。
こいつは似ているんだ。俺が最も嫌うあの女と。
どんな手を使ってでも自分の思った通りに事を進めようとする……天川楪にそっくりなんだ。
「……学校の人気者だかヒーローだか知らないが……俺はあんたの思い通りにはならねえ。あんたみたいなやり方……ヘドが出る」
「私みたいなやり方? 転入書類に書かれたことが事実とは違うと、この調べた書類を持ち校長に親切に教えに行くことかい?」
ぼかす事なくはっきりと言った。悪びれる様子もなく。
「……ッ!」
「けれどそれが悪だというのか? 私は真実を伝えるだけ。学校にはメリットしかないじゃないか。君のような危険な人物の存在を知ることが出来る。まあ、知れば君は転入初日にして退学処分になるだろうがね」
「……」
俺は言い返すことが出来なかった。悪いのは……問題があるのは俺であって、それを伝えることは悪ではないのだから。
「狼狽えた顔をするんじゃない。ますます馬鹿な方の弟に似てこうふ……いや、悲しくなるじゃないか」
確実に興奮と言おうとしていたが、今の俺にはその歪んだ兄弟愛に触れる心の余裕などなかった。
「攻。回りくどいのは嫌いではないが、私も多忙の身。あまり長く話している時間がないから、率直に言おう」
そう言うと火乃は指を二本立てる。
「君には二つの道がある。一つはこの調査書の内容がばらされ、部室どころか学校からも出ていく道。一つはこの調査書を破棄する代わりに、探偵倶楽部に入り私達と共に生徒達の心に潜む謎を解決していく道。さあ、選べ」
「……ッ!」
こんなに汚い二択を迫られたのは初めてだった。火乃は確信があるのだろう。俺がどの道を選ぶのか。「あんたは汚いな」
「汚いか。それは私にとっては誉め言葉だね」
動じることなく微笑みを崩さず言い返してきた。
「私はね、この学校が、生徒達が大好きなのさ。生ぬるい空気と無邪気な笑顔と笑い声。私は、この学校を……生徒達を守るためならどんな事でもする。汚れようが穢れようが厭わない」
強いな。揺らがぬ心が赤い瞳に現れていた。
「さあ、どうする」
二度目の問いかけに俺は答えた。
「入りたかねえが……入るしかないんだろ」
入りたくなんかないが、俺がこの学校に残るためには火乃の提案を飲むしかなかった。
「いい返事だ」
そう言うと火乃は俺に手を伸ばした。
「これから同じ部の仲間になるんだ。仲良くしようじゃないか」
「……嫌々入るんだ。仲良くするわけねえだろ」
「そうか」
すっと手を引くと、火乃は笑った。不敵な笑みではなく、もっと歪んだ身震いしてしまいそうになる笑みを。
ぞくりと寒気が走り、額に背に掌にと身体中から汗が吹き出る。
「楽しみが増えたよ。いつか攻にこの部活に入ってよかったと言わせ、この手をとらせる楽しみがね」
「……そんな日は来ねえよ」
唾を飲み込み、俺は必死に言葉を返す。
「来るさ。ただ……」
と、言い、火乃のまた顔に不敵な笑みを浮かべると俺の手を見つめた。
「その時は掌の汗をハンカチで拭って貰いたいね。ハンカチは持っているんだろう?」
「持ってても関係ないな。握手することなんてないんだからな」
「それはどうかな」
と、返すと火乃は立ち上がった。
「さて、そろそろ時間だから私は帰るとするか」
木製デスクに向かい赤いバックを手にする。
「ちょっと待てよ」
俺は呼び止める。
「どうして俺の事を知っているかをまだ話していないだろ。それに……そもそもなんで俺なんかをこの部活にいれようとしたんだ」
「そう言えばその事について話していなかったな」
火乃は腕くみし考えると口を開き、また不敵な笑みを浮かべた。
「どうして知っているか。それは、四月も終わりに差し掛かろうとしたある日、私の耳に転校生がやって来るとの情報が入った。この学校では転校生がやって来るなんてそうあることじゃない。それも五月と言う中途半端な時期にやって来ると言うなら更に稀だ。だから調べた。なぜこの時期にやって来るのかを」
「……それで、どうやって調べたんだよ」
「それはこの部活にいれば嫌でもわかるさ」
はぐらかすような言葉に俺はいらっとして、露骨に顔に怒りの色を浮かべる。
「じゃあなんで俺を部活にいれようとしたんだ」
握り締め、さらに手汗も吸いよれた茶封筒をつき出す。
「あんたは俺の過去を知ってなお、なんで部に入れようとするんだ」
火乃はつかつかと歩いてくると俺の前に立つ。
「知りたいのなら自分で調べてごらん。攻はもう探偵倶楽部の一員なんだから」
そう言うと俺の肩にポンと手を置く。
「答えに辿り着く日を楽しみにしているよ」




