表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

殻繰リ匣 ~真壁馨子の捜査ファイル~

作者: 蓮崎文々

     プロローグ



 雛菱陽凪(ひなびし・ひなぎ)はエレベータ前のシャッターに到着した。

 全力疾走だった為、乱れている呼吸を整える。


 社屋の方で時間を食ってしまい、すでに五分ほど遅刻していた。始業までに余裕はあるが、だからといって遅れてよい理由にはならない。

 シャッター前には、普段通りに薄汚れたツナギ姿の男が仁王立ちしていた。

 白髪頭を角刈りにしている、いかにも職人風の頑固親父といった風采である。

 対照的に学生時代の雰囲気が抜け切らない高卒一年目OLの陽凪は、勢いよく頭を下げた。


「辰おじさん、遅刻してゴメン!」

「おう、朝から元気がいいな、お嬢」


 酒田辰朗は、特に気分を害した様子もなく、貫禄たっぷりに挨拶を返した。

 彼は『倉庫組』では常に一番乗りで出社する。五十七歳の酒田は、倉庫部門を長年取り仕切っている重鎮だ。雛菱家以外で唯一の取締役であり、四十年以上もこの㈱ひなびし商事に勤めている。陽凪にとっても親同然である。

 陽凪は酒田の隣にいるもう一人の男性社員に謝った。三十歳半ばの彼は、酒田の部下だ。


「お待たせしました、大宮さん」

「遅いよ。悪いけれど、すぐにシャッターを開けてくれないかな?」


 大宮翔太は落ち着かない様子で催促してきた。

 そんな大宮に、酒田は言った。


「どうした? 何をそんなに急いでいるんだ?」

「ちょっとチェックし忘れた物があって、始業前にやっつけときたいんですよ」

「そういうワケか。お前の車が俺の車より先に停まっていたんで驚いたよ」

「辰おじさんより早かったんですか?」


 陽凪は軽く驚く。

「今まで何処にいたんです?」


「早く来過ぎたから、散歩して時間潰していたんだよ。俺はセキュリティカード持ってないから、倉庫に入れないしな。って、いいから早く鍵開けてくれよ」

「あ、はい。すぐに開けますけど……」

 表情を曇らせて、陽凪は正直に言った。



「だけど、シャッターを開けてもエレベータ起動しないんですよ」



 大宮は目を丸くした。

「へ? どうして?」


「故障か? でも昨日は問題なかったし、定期検査したばかりだろう」

 酒田が不機嫌になった。エレベータが使用不能になると、大型の貨物・商品を地下倉庫から運び出すのが困難になり、業務に支障をきたすからだ。

 陽凪は申し訳なさそうに説明する。


「違うんです。故障じゃなくて、操作盤に挿した鍵が折れて、折れた鍵が刺さったままで起動できないんです」

「じゃあ抜いて予備のキー使えばいい。金属用の接着剤で着ければ抜けるだろ」

「ええ。わたしもそう言ったんですけれど、(サトル)くんはそのままにして業者対応にしろって」


 それを聞いて、大宮が真っ赤になって憤慨した。

「はぁ!? 何言っているのアイツ。エレベータは俺たち倉庫組の施設なんだから『社屋組』が勝手に決めるなっての。ったく、社長のお気に入りか知らないけど、アイツ調子に乗りすぎ。そう思いません? おやっさん」


 酒田が憤る大宮を窘める。


「大事でもない事でそうカリカリするな、こんな朝っぱらからよぉ。警備員がいなくなってからは、鍵の管理は経理・事務の管轄なんだからしょうがないだろう」

「オレは納得いかない。陽凪ちゃんもさ、あんまりアイツに肩入れしない方がいいよ」

「ええと……」

「やめろ。しつこいぞ。お嬢が困っているだろうが。それにウチがどうにかもっているのは、孝四郎――社長の頑張りだけじゃなくて、解の実績と力が大きいんだ。(サトル)が頑張ったから我が社は持ち直しているんだぞ」

「関係ないね。もしもアイツが陽凪ちゃんと結婚して次期社長とかになったら、オレは速攻でこの会社辞めますからね。あんなヤツ絶対に認めない」

「この不景気の中でなに言っていやがる。同業種で、ここより高い金でワシらを雇ってくれる中小企業なんて他にあるもんか」


 二人の言い合いが加熱してきたので、陽凪は控え目に口を挟んだ。

「あのぅ。とにかくシャッターの鍵は開けますから」


 酒田と大宮を退けて、陽凪は鍵穴に鍵を差し込み、捻った。ちょっと引っ掛かりが強かった。以前から油が切れ気味なのだ。後で解にでも言って油を差してもらおう。

 陽凪はシャッターの下を持って、「よいしょ」と力を込め一気に持ち上げた。


 がらがらがら、と蛇腹と滑車が唸るような音を立てて、シャッターが解放される。



「――え?」



 シャッターが持ち上がった後の光景に、三人は呆然となった。

 本来ならば、その空間には何もないはずであった。

 少なくとも陽凪が昨夜、このシャッターを施錠した時には何もなかった。



 それなのに人がいた。正確には、私服姿の女性が仰向けに寝ていた。



 より正確には、踊り場の中央に人が――倒れている。

 大の字に仰向けになったまま……


 眠っているわけではないのは瞭然であった。苦悶の表情で目を剥いているからだ。

 別人のように歪んだ顔になっていたが、陽凪が記憶している昨日の服装と同一である。


「お、おい……。これって、鈴中じゃ」


 震える声を漏らし、大宮がヨロヨロと後退った。

 酒田は呆然と固まったままだ。

 陽凪の全身からドッと汗が噴き出す。



 間違いない。鈴中圭子が死んで、いや、明らかに殺されている――



「きゃぁぁあああぁああああ!!」

 事実を理解した陽凪が、絶叫に近い悲鳴をあげた。




    第一幕  出題編(陽凪SIDE)



 パキン。

 微かな音を残して、金属性の鍵は根元からあっけなく折れてしまった。


「……うそ」


 折れた鍵本体が挿入されたままの鍵穴を見て、鈴中圭子(すずなか・けいこ)は苦々しい表情になる。ジッと手の中の金属片を凝視しても、鍵は元に戻らない。


「どうしたんですか? 圭子さん」


 圭子が電気系の昇降機操作盤の前から動かなかったので、陽凪は圭子に声を掛けた。

 残業で圭子と共に最後まで会社に残っていた陽凪は、今までエレベータの中を映す監視モニタを見ている。籠内に人が乗った状態で電源を落としてしまうのを防ぐ為だ。もっとも会社は自分たち以外は誰もいないので、気を遣う必要もなかった。

 圭子は苦々しい顔で言った。


「鍵折れちゃった」

「え? 本当ですか?」


 陽凪は慌てて操作盤に駆け寄って、鍵と鍵穴の状態を確認する。

 折れた起動キーの持ち手部分を手にとって、破断面を触った。破断面は綺麗だった。


「一応、エレベータは停止してますね」

「うん。回した後で折れたから」


 陽凪は額に手を当て、やや大げさにリアクションする。


「あっちゃぁ~~。 実は鍵の根元に亀裂が入っていたみたいなんですよ」

「そうなの!? どうしてそのままにしていたのよ?」


 圭子はキツイ口調で叱責する。

 陽凪は腰を折って謝った。

「すいません。誰か鍵を扱う人が交換するって思っていたから」


 そう言われてしまえば、圭子としても強くは言えなかった。実は圭子も同じ様な認識であったからだ。

 鍵の管理は、以前ならば警備会社から派遣してもらっている警備員の仕事だった。鍵の管理だけではなく、業者の入出管理と社屋と倉庫の解錠と施錠、門の解放と閉鎖もだ。


 しかし、昨年度の秋から経費削減の為に警備会社との契約を切ってしまった為に、今では鍵の管理は手の空いた社員で行っている。消灯やガスの元栓締めの安全確認も社員の自己チェックだ。機械警備装置のオン・オフや施錠も持ち回りで社員の仕事となっている。

 終業時の施錠と閉鎖は基本的に最後に帰る社員が行っている。今夜、最後まで残業していたのは圭子と陽凪の女子社員二人であった。


「杜撰よね。やっぱり専門外じゃ」

 圭子は重々しく溜息をつく。


 十八歳の新人と二十九歳の女子社員の二名では、少々手に余る事態であった。


「挿さったままの鍵、どうしようか? 接着剤とかで抜く?」

「上手くできますかね? 取りあえず停止したから良しとしましょう」

「けど明日の朝からエレベータが使えないと倉庫の人たち困るんじゃないかしら? 予備の鍵ってあったかしら」


 エレベータは貨物用で、倉庫の地下階に在庫してある大型の物品の地上への運送に使用されている。倉庫の事務所が近いので、階段を利用せずに従業員もよく利用するが。


「鍵箱の中を探しましょうか」


 二人は事務所の壁に据え付けられている金属製の鍵箱の中身を調べ始めた。ちなみに鍵箱は常に未施錠状態である。警備員がいた頃には、敷地の正門脇にある守衛室で警備員が鍵箱の鍵を預かり、鍵の使用状況を管理していた。しかし、今では鍵の貸し出し台帳の記入欄も真っ白である。鍵の管理台帳も更新が飛び飛びになっている。

 鍵箱内を探したが、目当ての鍵は見つからない。


「――ないですね。予備の鍵」

「ないの?」


 有事の際に使用可能な予備の起動キーと、災害時に停電になってしまいエレベータの中に人が閉じ込められた時に使用する、救出用のドアロック解除棒が金属環(キーリング)でセットになって保存されているはずだ。しかし場所は知らなかった。


「場所は解くんだったら知っているはずです。明日、朝一でどうにかしてもらいます」


 陽凪としては、もう時間が遅いのですぐにでも帰りたかった。それに会社の財務を担当している至峰解(いたみね・サトル)ならば、間違いなく予備鍵の場所も把握しているはずだ。


「でも、それだと……」


 圭子は陽凪に頼み込む。

「スマホで至峰くんに訊けないかしら?」

「う~~ん。この時間帯だと、アイツは捕まらないですよ」


 至峰は忙しい。㈱ひなびし商事の財務は本業とはいえず、資産家である実家のコネを利用しての大企業相手の公認会計士もこなしていた。この程度のトラブルで夜分に電話を掛けると、迷惑だろう。


「そっかぁ……」と、圭子は落胆した。

「しょうがないですよ。とりあえずエレベータの電源は落とせたんだし、ウチに帰ったらお父さんに話します」

 入社当時は、社内では父を「社長」と呼んでいたが、いつの間にか「お父さん」に戻ってしまっていた。


「お願い。そうしてちょうだい」

 予備鍵を諦めた圭子は、陽凪に手の平を差し出した。


「じゃあ、私シャッター閉めてくるから、鍵」


 折れた起動キーとシャッター鍵は、キーリングで一つの鍵束になっている。


「あ、いえ。今日はわたしがシャッターも閉めますよ。鍵箱に戻さないでお父さんに見せる為にこのまま持ち帰りますから」


 その台詞に、圭子は渋い顔になる。シャッター鍵に予備はなかった。いざという時にはシャッターの破壊が可能だからだ。


「大丈夫? 前に鍵をなくして大変な騒ぎになったじゃない」


 入社したての頃に、陽凪は会社のマスターキーを入れたハンドバックを落としてしまった事があった。鍵の紛失は普通なら減給処分か始末書、あるいは一発解雇されても文句の言えない大失態である。直後に交番に届けられていたので事なきを得たが、もしも見つからなければ、会社の鍵シリンダを総取替えしなければならない事態であった。


「反省していますってば」


 陽凪は上着のポケットからキーチェーンで繋いである鍵束を取り出した。鍵紛失の大失態から反省して用意したアイテムだ。そのキーチェーンに、折れた起動キーとセットの鍵束になっているシャッター鍵も括った。マスターキーが有効なのは、あくまで建物のシリンダ鍵に限られている。


「わたしが倉庫を点検して施錠してきますから、圭子さんは社屋の方のガス元栓と施錠をお願いします」


 倉庫は資材管理部の人間が全員退社した時に、施錠されているはずだが、最後に改めて倉庫の中を点検しなければならない。泥棒や屋外生活者などの侵入や盗難の有無を確認してから、社屋組の者が機械警備をセットするからだ。

 圭子は慌てて陽凪を引き止める。


「あ! いいからいいから! 万が一の時は危ないから倉庫の方は私がやるわ。陽凪ちゃんは社屋の方をお願い」


 返事を待たずに圭子は鍵箱から倉庫用の鍵束を取り出して倉庫に向かってしまった。

 残された陽凪は、社屋の方のチェックを始めた。窓の施錠に金庫のナンバーロックに、ガス元栓にブレーカー、――どこも異常はなかった。



         …



 ドアや窓、金庫を確認し、最後に鍵箱の施錠を終わらせた二人は、更衣室で着替え終わってからタイムカードを押した。

 タイムカードに印字された『PM11:04』の文字を見て、陽凪は謝った。


「すいません。わたしのミスでこんなに遅くなって」

「気にしないで。溜まっていた雑務を片付けられたし、残業代も助かるし」


 圭子は笑顔を作る。

 その笑顔は、陽凪が知る普段の笑顔とは違い、少し影があった。


「どうしたんです? ちょっと元気ないですね」

「ええ、ちょっとね」

「ひょっとしてエレベータの鍵の件ですか? 平気ですって。メールでお父さんに報告したら『気にするな』って返事が、ほら」


 陽凪はスマートフォンの液晶画面を圭子に見せた。父からの返信が表示されている。

 しかし圭子の雰囲気は晴れなかった。


 陽凪は首を傾げた。先程、圭子は携帯電話で誰かと話して揉めている様子だったが、そちらの方が原因だったか。ひょっとしたら彼氏と喧嘩中なのかもしれない。もっとも圭子に恋人がいる、という話は聞いていないが。

 陽凪は話題転換を狙う。


「あ。それ新しいバッグですね」


 目聡く気が付いた陽凪の指摘に、圭子は自慢げにバッグを掲げて見せた。

「どう? いいでしょう。これって輸入されたばかりの新作なのよ?」


 この夏頃から夢中になっているマウンテンバイクで通勤している陽凪は、シンプルなトレーナールックだ。反対に圭子は流行に気を使ったファッションをしている。アクセ類の小物や靴、バッグは特にこだわりがあり、高級ブランド品で統一されていた。


「いいですね。素敵ですよ」

 調子を合わせて相槌を打つ陽凪であったが、ウチの会社の給料でよくお金が続くな、と少し心配にもなる。会社に内緒で夜のアルバイトでもしているのだろうか。


「陽凪ちゃんの持っているバッグに比べたら全然安物だけどね。うらやましいわ」


 かつては陽凪も高級ブランド品に囲まれ、高級ブランド品が当たり前だと思って生活していた。懐かしいが、あの頃に戻りたいという気持ちはなかった。会社が持ち直している今ならば、昔の立場に戻ることも可能だが、陽凪はそれを選ばなかった。


「今はブランドに拘らないんですよ。ネットで安くてもいい物だってあるし」

「私はダメ。やっぱり自分の価値を高める為にも、絶対にブランドじゃないと」


 圭子の機嫌が戻り、陽凪は内心で安堵した。

 ブランド談義を交わしつつ、二人は出入り口前まで来た。


 陽凪はキーチェーンをポケットから引っ張り出し、繋いであるカードケースからカードキーを抜く。そして機械警備端末の液晶画面をセッティングしてから、スロットにカードを差し込んだ。これで完了である。


《警戒設定が有効になりました。三十秒以内にドアを閉めてください》


 電子音声による端末の指示に従って二人は出入り口から出て、ドアを閉めた。

 電子ロックなので鍵による施錠は要らない。出る時だけが自由で、入るにはキーによる解錠がいる特殊なドアである。いわゆる『ホテル錠』というやつだ。

「施錠、問題ありません」


 ガチャガチャ。

 ノブを掴み、ロックがかかっているのを確認して、陽凪と圭子は無人の社屋を後にした。





 敷地の正門から出る前に、二人は倉庫脇に設置されているエレベータへと向かった。

 人間用ではなく、基本的に荷物運搬用だ。


 雨天時を想定して、エレベータの扉は野ざらしにされていない。

 搬入搬出口用の一面以外は、天井を含めてコンクリート壁で完全に四方を囲まれている。その空間の広さは高さが二メートル半、縦横が約三メートル半といったところだ。

 ここも最後はシャッターで閉鎖する。閉鎖しないとゴミ捨て場かわりに不法投棄されたり、場合によってはそのゴミに放火されてしまうからだ。


「……どう? 中は異常ない?」

「異常なしです。ゴミもありません」


 陽凪はペンライトで踊り場を照らして確認した。停止しているエレベータの扉は正常に閉まっているし、本体は下の地下階に下りている。シャッターラインに物も挟まっていない。このシャッターには挟み込み防止用の安全装置と機械警備のセンサは未設置だ。電気的な装置は組み込まれていない、シンプル構造の業務用タイプである。

 最後にシャッターを手で引き降ろして施錠して、状態を確認する。

 これで仕事は終わりだった。


「――それでは、お疲れ様でした」

「ええ。遅くまでご苦労様。明日は朝一で解除の方をお願いね」


 ちなみに、マスターキー類を常備していない社員が最終閉鎖した場合は、基本的に鍵類を借り出した社員が、朝一番で出社して解錠と機械警備の警戒解除を行うのが決まりになっている。この二人の場合は、陽凪がマスターキーを常備しているので、圭子は早朝出社しなくてもいいのだ。


「はい。任せてください。とはいっても、倉庫の方は辰おじさんが解除するけど」

「そうね。酒田取締役はいつも一番乗りだものね」


 しかし酒田が所有しているセキュリティカードは、あくまで管轄下にある倉庫の機械警備用だけだ。少なくともエレベータ用のシャッターは、陽凪が解錠する必要がある。


「遅れたら、目玉喰らっちゃうかも」

「私もいつもより早くくるから」


 ここで二人は別れた。

 陽凪は愛車のマウンテンバイクを取りに駐輪場へ走る。圭子は裏口から出て、徒歩で駅まで行くのだ。正門は閉めるが警備員がいなくなってからは錠で閉鎖しなくなっていた。夜間巡回契約も解除してしまった為に、朝方や夜半に運送屋が緊急で来る場合に対応できないからだ。盗難未遂は何度か発生しているが、機械警備だけで甚大な被害は防げているので、当面はこの防犯体制でいく予定だ。

 陽凪は正門を閉めてマウンテンバイクに跨った。

 夜空を仰ぐと満月だった。ひんやりとした空気が肌に心地良い。


 腕時計を見ると夜中の十一時。こんな時間まで残業したのは初めてだ。まだまだ一人前には程遠い仕事ぶりだけれど、今日という一日の充実感と余韻を噛み締める為に、陽凪は一番遠回りのコースで帰る事にした。

 帰宅は日付を跨ぎ、真夜中の一時過ぎになった。


 寝ずに陽凪の帰りを待っていた父親の幸四郎に、遅いと愚痴を言われた。

 スマートフォンを確認すると、父からのメールが溜まっていた。



         …



 翌日の早朝。七時前である。


 陽凪は予定通りに出社していた。社屋に向かう前に、倉庫の機械警備のセットを解除しに、倉庫に向かったが解除済みであった。倉庫の中を覗くと、やはり酒田がいる。

 軽く挨拶を交わし、陽凪は社屋に向かった。


 玄関の前で男性社員が待っていた。

 背が高く肩幅が広い体型。黒のスーツを隙なく着こなしている見慣れた風貌だ。

 男性にしては長髪で、軽いパーマをかけている。


 顔の印象は、好青年というよりも詐欺師に近いが、美男子には違いない。

 公認会計士の資格を持ち、財務全般を担当する至峰解であった。


「おはよ、解くん。入らないの?」


 昔馴染みであり父の信頼が厚い至峰は、陽凪と同じマスターキーと機械警備用のカードキーを、父から預けられているはずである。陽凪にとって準家族的な身内だ。


「今日は朝一でヒナが来るのを知っているからな。あと五分待って来なければ自分で解鍵して入るつもりだった」

「相変わらず無駄に律儀ね」

「俺が先に着いたのは、いわば俺の事情であって、会社の事情じゃない」

「はいはい。分ったから分ったから」


 陽凪は強引に会話を切り上げた。


「昨夜で仕事は間に合ったか?」


 陽凪のミスが発覚して、至峰は自分が残ってフォローすると言ってきかなかった。至峰と娘が深夜まで二人きりになるのは危険だと、社長の幸四郎まで残ると言い出した。

 圭子が朝方から残業を申請していたので、彼女が陽凪の面倒をみる事で落ち着いたのだ。


「ギリギリ。すぐに内容をチェックしてね。ぶっちゃけ自信ないから」

 彼にいつまでも子供扱いされたくはないとはいえ、頼るべき時は頼るつもりだ。


「承知している。その為の早朝出勤だ」

「なんだ。珍しく仕事を残してあがったのかと思っていた」

「俺がその日の仕事を残して帰った事あったか?」

「ないけどね」


 陽凪はキーチェーンを出して鍵の準備をする。昨日のシャッター鍵と折れた起動キーの鍵束は繋いだままだ。


「――陽凪ちゃん、おはよう」


 挨拶に反応して後ろを振り返ると、男性社員がいた。

 やや腹回りが太すぎる三十代の男性で、肉厚の顔に愛想のいい笑顔を浮かべていた。

 額がかなり後退しているのが、どうしても目につく。


「おはようございます。大宮さん。珍しいですね、こんなに朝早く」


 大宮翔太は、フォークリフトの免許を持っている倉庫勤務である。主に倉庫内における商品の運搬と管理を担当している。


「おはようございます、大宮さん」

 至峰の丁寧な挨拶に対し、大宮は素っ気なく「ああ、おはよう」とだけ応えた。

 大宮はやや勢い込んで陽凪に頼んだ。


「あのさ、悪いけどちょいと仕事残していて。もう倉庫の方、開いている?」

「いえ、まだです。これから開けるんでちょっと待ってください」


 陽凪は早く倉庫の鍵を開けようと、出入り口のドアを解鍵して確認の為に少しだけ開けると、中に入らずそのまま『回れ右』をした。

 ぴー、ぴー、ぴー、ぴーという警告音と共に、《ドアが開きました。三十秒以内に警戒設定を解除してください》と音声が流れる。

 振り返る。慌ててしまった為に、機械警備の警戒解除を失念してしまっていた。


 発報まで三十秒の猶予があるのだが、焦った陽凪は機械警備用カードキーを手から溢してしまう。なまじキーチェーンに繋いである為にそのまま地面に落ちずに、キャッチするのに手間取ってしまう。

 ぴっ、という電子音が鳴り、《警戒設定を解除しました》と電子音声が流れた。


「あ、ありがと」

 陽凪は至峰に礼を言う。見かねた至峰が自分のカードキーで解除したのだ。


「おーおー、優しいねぇ」

 大宮が至峰を冷やかす。少なからずの悪意が見え隠れした口調だ。

 至峰は意に介さずに言う。


「警備会社に迷惑かけたくないからですよ。操作ミスによる誤報をやると、実際の発報の時の反応がどうしても鈍くなりますから」

「そういうもん?」

「人間の心理的にどうしても。一度のミスで、どうせまた操作ミスだろうって思ってしまいます。逆に言えば犯罪者っていうのは、そういう人間心理に付け込んでくるんですよ」

「ふぅ~~ん。流石に一流大学を主席卒業の会計士サマはインテリだねぇ。じゃあオレ、エレベータの前で待っているから、悪いけど急いでね」


 大宮は倉庫ではなく直接エレベータの地上搬出口へ向かった。

 陽凪と至峰は社屋の事務所に入りタイムカードを押した。


「エレベータの起動は俺がやっておくから、お前は大宮さんのところへ行ってやれ」


 倉庫内の事務所は地下にあり、出入り口よりも貨物用エレベータを使用してショートカットする従業員が多い。大宮もそのつもりでエレベータに向かったのだろう。


「――おいヒナ。エレベータ起動キーがないぞ。お前と鈴中さんが昨日の最後だったよな」

 鍵箱の中を確認した至峰(いたみね)が、強張った声で陽凪に訊いた。


「あ、鍵ならわたしが持っている」

 その台詞に、至峰は胸を撫で下ろした。


「ちゃんと鍵箱に返せよ。面倒くさがるな」

 誤解に、陽凪は頬を膨らませる。


「違う。鍵、折れちゃったんだって。だからわたしが預かっていたの。ちゃんとお父さんにも家で言ってあるから」

「ならいいが。エレベータのシャッター鍵は一緒に付けたままか?」

「うん。ちなみに折れたキーの本体がスイッチに刺さったままだから、よろしく」

「よろしくって、まさか俺に折れたキーを抜けって言っているのか?」

「できない?」

「瞬間接着剤つかえば可能だろうが、普通はそういう非常識な真似はしない。緊急時以外では故障状態を保護したまま、業者に連絡してやってもらうのが基本だ。業者には俺から連絡しておくから、お前はシャッターだけでも開けて、そのまま倉庫を全部開錠しろ。マスターで開けられるだろ」


 シャッターは電動ではなく一般家庭にも用いられている手動なので、事務所内にある電気系制御盤から遠隔操作などできない。現場で解錠し、手で持ち上げるしかない。

「りょぉ~~かいっ」

 あまり大宮を待たせるわけにもいかない。陽凪は事務所を小走りで飛び出した。



 ――そして、僅か数分後に陽凪の悲鳴が響いた。


 シャッターを開けた先で、鈴中圭子の他殺体を目にして。




    第二幕  解答編(馨子SIDE)



 その密室殺人事件は、真壁馨子(まかべ・かおるこ)にとって日比之奏音(ひびの・カノン)と組んだ初めての案件であった。


「――馨子先輩。ついにわたくしも念願の刑事デビューですね」


 興奮を隠しきれない相棒(パートナー)の台詞に、馨子は暗澹たる気持ちを抑えられない。

「そうだな……」

「緊張してきました」

「車に乗る前に、トイレは済ませているんだよな?」

「はい。ちゃんとお花は摘み終わっています」


「……ちっ」と、馨子は舌打ちした。なにが『お花を摘む』だ。そんな緩い気構えでこの先、捜査一課の刑事を続けられるものか。ストレートに小便といえ小便と。

 愛車(コルベット)のハンドルを握る手に、必要以上の力が籠もっていく。

 助手席に座るお嬢様は気楽なものだ。


 日比之奏音巡査。高卒で警察に入った十九歳の新人刑事。父方の親族が政財界に顔が利き、母方の親族は警察官僚と強いパイプを持っていた。つまり資産家の身内のコネによるごり押しで、奏音は非常識な若さで私服警官に抜擢されていた。


 そして馨子――真壁警部補は、このお嬢様がめでたく寿退職するまでのお守りを、警察庁上層部から押しつけられたのであった。貞操の警護も含めてだ。

 お嬢様が身につけている超高級ブランドのオーダーメイド品――フリル付きのヒラヒラ衣装が、完全に浮いていた。なんでも警察庁のお偉方からのプレゼントだそうだ。この服装を注意した者は、例外なく減俸処分を喰らっていた。馨子も減俸された。今でも恨んでいる。

(ったく、なんでこんな事になってるのかなぁ)


 コンビを組まされて一週間で、早くも馨子は心が折れそうになっていた。

 しかし刑事を辞めるつもりはないので、今は我慢するしかない。



         …



 死体発見の現場となった貨物用エレベータの運搬口付近。


 始業時間の近づきに比例して増えていく㈱ひなびし商事の社員達が、不安そうに顔を見合わせている。

 社長の雛菱孝四郎は、すでに最寄りの警察署へ行って事情聴取に協力している。

 明らかな殺人事件とあって、最初から厳重な捜査体制が敷かれた。


「……それじゃあ、此処から署までご同行してもらうのも面倒ですし、此処で簡単に話をきかせてもらいましょうかね」


 現場検証がひと段落したので、馨子は切り出した。

 積み重ねた実績から、その程度のスタンドプレイは捜査本部から容認されている。

 逆にいえば、チームプレイを拒否されてもいた。


 新しい相棒は傍にいない。案の定、奏音は死体を一目見て、トイレへ駆け込んだ。お花を摘む為ではなく、便器にゲロをぶちまける為だ。初めての死体との対面だから無理もない。刑事の洗礼だ。

 なかなか戻ってこない――が、いっそそのまま退職してくれれば、馨子としても大歓迎である。その時は、退職祝いはケチらないつもりだ。


 遺体はすでに搬送されていた。


 死因はひも状の物での絞殺。凶器は社内からは未発見だ。検死待ちではあるが、窒息死で間違いないだろう。服装に乱れがなかったので、強姦の可能性は低いとみていい。バッグや中身の財布等もそのままだったので強盗目的とも考え難い。

 死体としては不審な点のない他殺体だ。

 馨子は第一発見者である三名――陽凪、大宮、酒田を並べて、質問を交えながら状況を確認していく。


「おまたせいたしました~~」


 真っ青な顔色をした奏音が、頼りない足取りで戻ってきた。ダウン寸前のボクサーみたいだ。

 馨子は尋問の腰を折られ、軽い頭痛を覚えた。

 とはいえ、正直いって戻ってくるとは思っていなかったので、意外であった。


「先輩、状況はどうなっていますか?」

「ま、普通に問題ありね」

「問題?」

「エレベータの起動キーが折れてしまっていて、折れたキーがスイッチに挿入されたままなのは把握しているわよね」

「はい。それは把握していますが、何か問題でも?」


 ちなみに殺人事件が起こったので、業者には理由を伏せてヘルプをキャンセルした。折れたキーは警察の鑑識によって慎重に抜かれて運ばれていた。警察の方で精密に検査される。エレベータは未だに停止状態で、籠は下の地下階に鎮座したままである。


「不審な点がありましたか?」

 馨子は舌打ちした。

 対して新しい相棒は、馨子の舌打ちを見ても、無垢な笑顔のままである。


「よく聞きなさい。折れたキーの断面には接着剤等の形跡は見られなかった。つまり、あのエレベータは社長令嬢で第一発見者でもある雛菱陽凪さんの証言通りに、昨夜の退社前に被害者である鈴中圭子さんが停止してから、一度も起動されていない可能性が極めて高いという事。エレベータの制御盤にあるログファイルに起動時間と停止時間が記録されていなくても、これは決定事項として考えていい」


 簡潔かつ理路整然と説明していくが、それでも奏音には今ひとつ問題点が理解できない。

 そこで至峰が口を挟んできた。


「起動スイッチのある操作盤のエレベータ用監視カメラに録画機能があればよかったんですがね。そうすれば外堀ではなく、直接どうだったのかを確認できた。ただ、あのカメラはあくまで中の安全と上の階と下の階で、荷物が鉢合わせない為の代物でして」


 馨子は気分を害した様子を隠そうともせずに、至峰を睨みつけた。

「発言を許可した覚えはないけど?」


「これは失礼しました。ただ、そちらの刑事さんには貴女の言わんとしている意図が上手く伝わっていなく思えたので、つい」


〈猟犬殺し(ハウンド・キラー)〉の異名をもつ馨子の視線を受けても、至峰は物怖じせずに、堂々と睨み返した。

 奏音は至峰を見て、何か言いたそうにしていたが、何も言えなかった。





 至峰が女刑事に突っかかったので、陽凪は慌てた。


「ちょ、ちょっと! なに刑事さんに突っかかっているのよ!?」


 陽凪は至峰に注意する。そして刑事二人にペコペコと何度も頭を下げる。

 しかし、そんな陽凪に至峰は釘を刺した。


「ヒナ。あまりのん気に構えるな。このままだとお前が犯人にされかねない状況だぞ」

「え? なんで?」


 身に覚えがないので、陽凪には至峰の台詞が的外れに聞こえた。

 馨子を見る。陽凪の期待に反して、彼女は否定の言葉を口にしなかった。


 それどころか冷徹な双眸が、言外に語っているように錯覚する。



 お前を逮捕してやる――と。



 陽凪は身を竦ませる。

 至峰は奏音だけでなく、陽凪に対しても説明を始めた。


「いいか、ヒナ。そもそもエレベータを起動させるのには、社屋に入る必要があるが、機械警備の解除記録からして、社屋に部外者が入っていないのは明らかなんだ」

「部外者?」

「ああ。仮に侵入が可能として、防犯センサーが取り付けられていない箇所を知っているのは、社内の人間だけだ」


 実は社屋、倉庫ともに二階と三階の窓やトイレの窓には、防犯センサは未設置だ。


「そんな! じゃ、じゃあ、社内の人間の犯行だっていうの?」


 至峰は頷いた。二人の女刑事は黙って至峰に喋らせている。


「それに死体の状態からいっても、強姦でも強盗でもなければ怨恨としか考えられない。愉快犯にしたって、じゃあ、なぜわざわざあんな場所で犯行に及んだのか? と考えればあまりに社外の人間だと不自然だ。つまり間違いなく犯人は鈴中さんの社内関係者だ」

「……信じたくない」


 陽凪は沈痛な面持ちで唇を噛んだ。

 対照的に、至峰は感情を排した口調で言った、


「他の可能性が考えられるのなら提示してくれ。俺も社内の人間の犯行だなんて思いたくはないんだからな」

「それで、どうしてわたしが犯人って流れになるのよ?」

「気が付かないか? エレベータが起動していない。そしてシャッターが施錠されている状態の地上の踊り場で被害者が殺されている。つまり一種の密室殺人なんだ。踊り場の中で殺したにしても、あるいは殺した後に運び込んだにしても。――ただ一人、シャッター鍵を持っている人間以外にとっては」


 陽凪と奏音が同時にハッとした表情になる。気が付いたのだ。理解したのだ。死体発見当時も密室ならば、陽凪がシャッターを施錠した時も、密室状態だったという事実に。

 ここで馨子が事務的に告げた。


「そういった理由で、我々は第一発見者でありシャッター鍵を所持している貴女を重要参考人として扱わざるを得ないんですよ、雛菱陽凪さん。まずは昨夜のアリバイから確認させていただきます」


 陽凪は目の前が真っ暗になる。

 鈴中圭子の死亡推定時刻に、陽凪のアリバイは――なかった。



         …



 馨子はもう一度、状況を頭の中で整理した。

 死体の発見場所は、エレベータの出入口(地上部)である。


 このエレベータは地下倉庫搬入出口と地上搬入出口を昇降する荷物運搬用だ。

 エレベータの地上出入口は、本社ビルの横に隣接されており、四方をコンクリートで囲まれている。加えて放火火災対策として、コンクリート壁の出口部には手動シャッターが設置されており終業時にはシャッターが降ろされて施錠されるのだ。

 そして、エレベータの電源も終業時にはオフにされる。電源がオフになれば、エレベータの扉にはロックがかかる仕組みになっている。



 つまりこのコンクリート壁と出入口シャッター、そしてエレベータドアがロックされた状態において、エレベータ地上部の出入口の四角い空間は『密室』と定義できてしまう。



 ただ一人の例外を除いて。


 その唯一の例外が社長令嬢の少女――雛菱陽凪である。


 昨日、終業時に最後まで残っていた従業員が彼女であり、このエレベータ地上出入口のシャッターを降ろして施錠したのも彼女である。彼女自身が証言していた。

 そして、シャッターの鍵を持っているのは彼女ただ一人。

 翌朝、他の従業員の前でシャッターを解錠した第一発見者の一人でもある。


 また彼女は「シャッター施錠前には、エレベータ地上出入口には誰もいなかった」と証言していた。

 雛菱陽凪が犯人ならば、事件の構図は非常に単純明快である。

 この場合は、そもそも状況は密室でもなんでもない。彼女には解施錠が可能なのだ。

 だが、そこが逆に馨子には引っかかっていた。



「――凄いですわね。いきなり密室殺人ですよ」



 相棒である新人は興奮を隠しきれない様子だ。


「でも、数々の難事件や凶悪犯罪を解決してきた馨子先輩だったら、大丈夫ですよね」

「どうだかね……」

 馨子は素っ気なくあしらった。


 警察内に名刑事として名を馳せていたのは紛れもない事実だ。かつての事件で、当時高校生だった奏音を、凶悪犯人の手から救ったのも事実だ。

 けれども凄かったのは、馨子本人ではなく、当時の相棒だったのだ。


 警察内で〈名探偵(ザ・ディテクティブ)〉と渾名され、数々の警察有力者に疎まれながらも、それでも時に強引なスタンドプレイに走り、数々の難事件をその推理力で解決してきた、今は馨子の傍にはいない、頼もしかった彼は――警察を去っている。


 彼は彼の新しい道を進んでいる。彼の妻も含めて友人付き合いは続いている。しかし、もう彼は自分の相棒でも警察官でもないのだ。

 相棒を失い、馨子は警察内での威光を失った。相棒が警察を去り、二年以上が過ぎているが、その間の馨子は、せいぜいが並の上といった程度の成果しか挙げていない。本部の刑事として、何人もの所轄の刑事とコンビを組んだが、全て上手くいかなかった。

 だから奏音のお守りといった形で、体よく厄介払いされたのだ。

 これが本部刑事同士で、かつ女性刑事同士といった異色コンビ結成の実情である。


 奏音を見る。

 このお嬢様が、実はとんでもない頭脳の名探偵だった――などというオチは期待できない。

 もしも彼が傍にいれば、この程度の密室殺人、すぐに看破してくれるだろうに……


「わたくしも、精一杯頑張って、少しでも先輩のお役に立ちますから!」

「そうだな。今はやれる事をやろうか」


 この殺人事件の関係者についての情報をまとめてみる。

 まずは被害者である鈴中圭子。

 ㈱ひなびし商事に務めていた二十九歳のOL。地方の短期大学を卒業して、㈱ひなびし商事に入社して、十年目だった。借金はない。友人関係、男性関係でのトラブルも確認できていない。過去に付き合っていた男性も、今では綺麗に関係が切れている。親元を離れての一人暮らしだが、隣人トラブルも確認できていない。

 社内の評判は普通で、特に目立ったトラブルも出てきていない。今のところは、だが。


「正直、殺される理由ってのが見つからないんだよな」

「通り魔的な殺人じゃないですか?」

「だったら密室殺人にはならないだろ。……社長令嬢が犯人でなければな」


 雛菱陽凪が犯人ならば、説明はつく。被害者は雛菱陽凪に嫉妬しており、あの晩、雛菱陽凪を襲った。雛菱陽凪は過剰防衛で鈴中圭子を殺してしまった。即席で密室を作り上げて、警察を煙に巻こうとしている。これで一応の筋は通る。


「そういえば借金はゼロとはいえ、カードローンは自転車操業だったな」

 一人暮らしのOLにありがちな貯蓄ゼロ生活であった。加えて、高級アクセサリーやブランド品が山のように被害者の部屋から発見されている。㈱ひなびし商事の給与では到底買えない量だ。アルバイトしていた形跡はないので、パトロンがいたか、春を売っていた可能性が高い。しかしパトロンの形跡もないので、おそらく売春(ウリ)だろう。

「……ま、手段はどうあれ、金銭関係はシロだろうな」


 次に、容疑者について一通りまとめてみる。

 奏音が手帳をめくりながら言った。

「ええと。内部犯行だと仮定すると、アリバイが確定していない人物は、全社員七十八名の中で、……五名ですね」


 雛菱陽凪、十八歳。㈱ひなびし商事の社長令嬢。名門お嬢様女子中学、地元の共学公立高校を卒業した後、今春に実家の会社・㈱ひなびし商事に就職。友人関係は広い方で、会社の人間の評判も良好。将来は次期社長と結婚すると見込まれている。

 被害者の死亡推定時刻は、遠くまでサイクリングしていたと証言。


 至峰解、二十七歳。有力資産家の嫡子。最高学府を現役合格し、主席で卒業している。公認会計士の資格を取得、超大手企業数社と契約する傍らで、陽凪の家族とも古くから面識があり、契約社員として在籍して経理のみならず経営全般――社長の懐刀として辣腕を振るっている。事実上の共同経営者といって過言ではない。

 被害者の死亡推定時刻は、気分転換に夜の散歩をしていたと証言している。


 三人目は柊朔美(ひいらぎ・さくみ)、四十二歳。地元の私立大学卒業以来ずっと㈱ひなびし商事に努めている古株のOLで、総務を担当しているベテランだ。中学から大学まで柔道をやっており、腕力ならばそこいらの男よりもあるかもしれない。独身で恋人もいない。いわゆる婚活に精を出していて、相当な金額をつぎ込んでいるらしい。その所為で貯金もあまり余裕がないようだ。

 被害者の死亡推定時刻は、自宅アパートにいたとの事だが、裏は取れていない。


 四人目は、大宮翔太、三十五歳。妻子ありだ。㈱ひなびし商事に勤めて八年になる。前会社では上司と喧嘩が原因で自己都合退職している。妻とは高校時代からの付き合いで、二十歳の時に結婚して子供が二人いる。昔から女癖が悪くて風俗関係で借金を抱えている。昨日の夜も歓楽街で飲み食いして、あまり記憶が定かではないそうだ。

 彼が歓楽街にいたという証言は見つかっていない。


 最後の五人目は、岩田光秀(いわた・みつひで)、二十一歳。高卒で入社二年目。営業として入社して、去年まで倉庫で現場実習だった。実家暮らしだが、昨夜は買ったばかりの愛車で、夜通しドライブしていたと証言している。彼の車両が道路を走っている記録は見つかっているが、彼本人が運転しているという証拠は見つかっていない。

 手帳に書かれている内容を再読しながら、奏音はストレートに訊いてきた。


「先輩でしたら、もう犯人の目星はついているのですよね?」

「否定はしない。五名の内、確実に除外していいのは、柊朔美と岩田光秀の二名だ。特に岩田光秀は被害者との繋がりが皆無といっていい。柊朔美と被害者の関係も良好とは言い難いけれども、殺害に及ぶ動機も見つかっていない」


 だから新たな情報が見つからない限り、現時点ではこの二名は犯人リストから除外して考える、と馨子は断言した。


「鋭い推理ですね。尊敬しますわ」

「莫迦。これは状況判断で推理なんて大層なもんじゃない」


 馨子は嘆息する。これは本当に相棒の助力は期待薄である。

 とにかく――ここまでは簡単だ。誰だって分かる。問題はここから先なのだ。



 残るは、雛菱陽凪、至峰解、大宮翔太の三人。



 社長令嬢を残している理由は単純だ。被害者と前日に最後まで一緒に残業している、いうだけである。その時に、何らかの弾みで誤って被害者を殺してしまい、殺害を隠蔽工作した――線がゼロではない。その時の隠蔽工作には至峰(いたみね)解、大宮翔太のどちらか、あるいは両方が協力しているだろう。女性一人で被疑者をあの場に運ぶのは腕力的に不可能だ。


「何らかの弾みってなんですか?」

「若いお前には、まだ分からないだろうなぁ」


 馨子は自虐的に苦笑した。馨子は三十二歳。世の中、晩婚化しているとはいえ、結婚を考えるのならば、とっくにデッドラインを超えている。一応、激務の合間を縫って婚活をしているが、見通しは真っ暗な状況だ。とはいっても、実家が用意した男と結婚して退職するのならば、生涯独身の方がマシだと思っている。絶対に警察を辞めたくない。

 鈴中圭子は二十九歳。三十歳も目前で結婚のあてもない。対して、雛菱陽凪は十八歳の若さだ。それだけで女は充分に嫉妬する。それに雛菱陽凪は若いだけではなく、美貌に恵まれている。加えて同じ会社の先輩後輩とはいえ、雛菱陽凪は社長令嬢だ。

 ㈱ひなびし商事は、雛菱陽凪が中学生の頃に、一度倒産しかけている。雛菱陽凪が私立お嬢様高校ではなく地元の共学校に進学したのは、そういった理由だ。ここ二年で経営は立て直されたが、彼女はお嬢様大学への進学よりも、実家への就職を選んだ。


「名門女子中学に通っていた頃は、絵に描いたようなお姫様だったが、実家の大ピンチで庶民派お嬢様に転身。それが成功。周囲の評価も高く、ま、嫉妬しない女の方が少数だ」

「ええと、……すいません。わたくしにはよく解りませんわ」


 奏音は?マークを顔に浮かべて、小首を傾げた。


「だろうな。ま、雛菱陽凪が犯人の線は薄いって思っている。で、残りの二名が本命だ。まずは――至峰解。彼に対して被害者は猛烈にアプローチしていた」


 至峰解は、本人のスペックも優秀な上に、実家は資産家だ。彼が開業している公認会計士としての仕事であるが、複数の大手企業と専属契約できているのも、実家のコネが大きい。そんな男性ならば、上昇志向をもつ女性は、みな結婚したがるだろう。


「そうですね。わたくしもパーティーの席で何度か、あの方を見かけた記憶がありますけれど、常に女性に囲まれていましたわ」

「なんだ、面識があったのか」

「至峰様がわたくしを覚えていらっしゃるかどうかまでは……」


 残念ながら覚えてなさそうだな、と馨子は思った。

 至峰解自身の女性関係は綺麗なものであった。高校時代から通算して六名の女性との関係を確認できたが、全員、後腐れなく別れている。昔からの本命の女性や実家が決めた許嫁が他にいる、と噂されているが、真偽は確認できていない。



「――まあ、ヤツの本命は瞭然だったな」



「流石です、馨子先輩。もうそこまで調べがついているんですね!」

「え? 何いってんだ、お前」


 馨子は愕然と奏音の目を見る。瞳が輝いている。どうやら本気で感心しているようだ。

 思わず質問した。


「お前ってさ。好きな男とかいる?」

「お父様とお母様が運命の相手を見つけて下さると、昔から。楽しみですわ」

「よし、この話題はここまでだ」


 ダメだこりゃ。


 馨子は気持ちを切り替えた。

 最後に大宮翔太だ。風俗関係で多額の借金を背負い、夫婦の仲は冷め切っていて、妻の方も叩けば誇りが出そうだが、とりあえず旦那の方はよく浮気している。被害者にもちょっかいを出していた、という噂もある。もちろん本人は否定していた。男女関係の縺という線は、現実には大宮の方が遙かにあるだろう。

 それから四年前に一度、在庫を横流しするのが目的で倉庫に忍び込んで、警備員に捕まっている過去がある。その時は温情でクビにはならなかったらしい。


「社内での評判や仕事ぶりはいいんだよ。だが社内での評価はあくまで社内での評価だ。社会的な評価と本来の人格が乖離している。社内でも評判といえば、逆に至峰解は受けが悪い。彼の仕事ぶりに文句のいう者はいないけど」

 傾いた会社を建て直した立役者とはいえ、やはり嫉妬を受けるのは避けられない。


「大本命が大宮。対抗が至峰。大穴がお嬢様――で犯人を追い詰めていく」

「はい。分かりましたわ」


 だが、大宮が犯人だとすると、やはり密室という状況が大きく立ちはだかってくる。

 トリックがあるに違いないが。


 果たして今の自分に、あの密室トリックを一人で打ち破れるだろうか?



         …



 陽凪は自宅近くのコンビニエンスストアから出たところで、待ち伏せされていた事に気が付いた。

 自動ドア脇の駐車スペースに、鮮やかな紅に塗装されているコルベットが停まっている。

 その運転席には見知った顔が乗っていた。


「――刑事さん」


 待ち伏せしていたのは、真壁馨子といった女刑事だ。


「ひょっとして見張っていたんですか?」


 嫌悪感を隠せずに、眉根をしかめた。

 車から降りた馨子は、表情を変えずに否定する。


「偶然だ。逃げ出す危険性がない相手を見張っても意味がない。アタシたち警察もそれほど人手に余裕があるわけでもない」


 ニヤリと馨子は笑った。部分的に紫色に染めたラフなショートカットに、サングラス。真っ赤な口紅。開襟シャツの胸元を大胆に解放している。掛け値なしに美人と評せられる。凛々しい麗人である。

 そんな美貌の麗人が、まるでチンピラのような態度で自分に迫ってくる。

 陽凪は警戒心を強め、身を竦めた。


「だったら、どうして」

「偶然っていったのが聞こえなかったのか? ま、せっかくの偶然だ。少しアタシと世間話でもしない? 時間は取らせないから」

「下手くそなナンパ」

「口説き下手には自覚あるんだ。こんなんだから婚活パーティー連敗中だ」


 真顔で言われたその台詞に、陽凪は思わず噴き出した。

 お、受けた受けた、と馨子もまんざらではない。

 緊張と警戒が和らぎ、陽凪は馨子の言葉を待った。


「……とりあえず、ひと通りの情報は集め終えた。アリバイがないとはいえ、正直、動機の面からすると貴女を犯人とは想定できない」

「当然です。わたしは犯人じゃないですから」

「だが、その当然をあの密室トリックが阻んでいる。シャッターの鍵を保持していた貴女を除く容疑者を犯人とするには、どうしてもあの密室状態を、貴女以外でも密室ではない、と証明しなくてはならない。……理解できるかしら?」


 陽凪は神妙に頷いた。他の容疑者とアリバイは同等。動機の面で可能性が薄いとはいえ、密室という現場一点で、自分が他の容疑者よりも疑われて然るべきな状況だ。

「でも、密室トリックを解くのも、警察の仕事ですよね」


 馨子はサングラスを外し、陽凪の目を覗き込む。

 その双眸にゾクリときた。


「いいや。実は違う。アタシたち捜査官の仕事は、犯人の証拠を手に入れて、裁判所から令状を発行してもらい犯人を逮捕する事だ。そして最後には検察官が裁判所に起訴する」


 事務的な説明に、陽凪は視線を落とした。

 やはりこの女性は味方ではない。


「このままでは、アタシたち警察は、犯人はシャッターから出入したとしか考えないよ。警察はあらゆる角度からあらゆる可能性を検証するっていっても限度がある。この状況でわざわざ目の前にぶら下がっている容疑者を否定まではしない」

「じゃあ、シャッターにトリックを仕掛けて、鍵がなくても出入できるとすれば?」

「そういった物理的なトリックを仕掛ければ、絶対に物証は残る。今の科学捜査ならばミクロ単位で見逃さない」

「トリックの証拠はシャッターから見つからなかったんですか?」

「ああ。ただ、会社の敷地内にあった商品以外の物は可能な限り押収している。押収できない物も、全て詳細にデータを採集している。仮に何か他のトリックがあった場合には、その中から証拠を見つけ出せるだろう」

「合鍵の線はどうですか? シャッターの鍵なんて簡単な形状ですよね」

「社外に鍵は持ち出せないはずでしょう。例外は数人で貴女もその一人だから。それだと容疑者が君のご家族と恋人に絞られてしまうな」

「別に恋人じゃないです」

「特に誰と言っていないが、あれだけ露骨に大切にされれば悪い気はしないだろうなぁ」

「放っておいて下さい。話を戻します。真犯人はこっそり鍵箱から持ち出したんですよ。で、合鍵を作ってからこっそり戻す。警備員さんがいなくなってからその辺はすごいアバウトになっているから不可能じゃないはずです!」

「まあ、コッソリ持ち出すのが可能だと仮定しても、せいぜい数時間しか持ち出せないはずだ。なぜなら必ず朝に鍵を開け、夜に鍵を閉めるのに使用するからだ。つまり依頼できる鍵業者は限られている。そして当然、警察もそういった業者には全て当たった。だから合鍵の線はないと断言できる。あまり日本警察の捜査力を甘く見ないで」


 論理的かつ理路整然とした説明の前に、陽凪は反論の間隙を見い出せなかった。


「なら、ピッキングは? シャッターの鍵って扉とは違ってすごく簡単な構造じゃないですか。誰にだって可能ですよね?」

「そういった物理的な痕跡もなかった。材質の違う手製の合鍵が用いられた痕跡もだ。錠穴に不審な点は一切ないんだ」


 陽凪は言葉を失った。

 あの晩、確かに踊り場の中は無人だった。エレベータも電源が落ちている。その状態でエレベータの中が無人なのも監視盤のモニターで見ている。そして、施錠はこの手でしたのだ。間違いなく。

(――本当に?)


 ひょっとして自分は施錠を失敗したのではないだろうか。それならば、あの踊り場に死体を運び入れる事は可能だ。

 陽凪が無言になったのを納得と解釈して、馨子は言葉を続ける。


「それから、やはりエレベータが夜間に起動された記録もログには残っていない。よってエレベータ側からの出入も無くなった。もっとも鍵なしで記録に残らない方法でエレベータを起動できると仮定しても、社屋事務所とエレベータのある倉庫の機械警備の網の目を二度も潜り抜けなければならないけどな。もちろん事件の夜の発報はなしだ」

 状況は陽凪にとって絶望的だった。

 どう考えても陽凪以外には完全密室だ。



「……あまりヒナを虐めないでくれますか、刑事さん」



 その声に陽凪が振り返ると、至峰がいた。


「おやおや、王子様の登場か」と、馨子が皮肉げに鼻を鳴らした。

「いや違うか。今は王子様というよりも愛する姫君を守る騎士(ナイト)様かな?」


 至峰は陽凪と馨子の間に割り込むように、歩み寄ってきた。

 そして、やや呆れ気味の口調で言った。


「刑事さん。そもそも貴女はヒナを真犯人だと思っていないでしょう?」


 陽凪の顔が「え?」と呆けた。

 対して、馨子は不敵な表情になる。


「そうだな。アタシが怪しんでいるのは、お前だよ、至峰解」

「解くんが犯人のワケない!」


 陽凪は激昂した。自分が犯人と疑われるよりも、数段頭に血が昇っていた。

 しかし、至峰と馨子は冷静に視線をぶつけ合っている。


「大切なお姫様を守りたければ、密室トリックを暴くんだな。そうすりゃ、後はアタシがケツを拭いてあげるから」

「なんだ。刑事さんはあの程度のトリックに、早々に音を上げたんですか」


 至峰は拍子抜けした顔になる。

 馨子は至峰のリアクションに、肩を竦めた。

 次いでニヤリと笑ってみせる。


「ああ。正直いって降参だ。ただアタシは刑事であって探偵ではないから。アタシの役割は、情報と証拠を集めて足場を固める。そして、その先に潜む犯人を割り出して、逮捕する事だ。だからアタシは探偵役ができそうなアンタを焚きつけるのよ」


 至峰は首を縦に振った。


「いいでしょう。俺が刑事さんの手を阻む壁を壊してみせますよ」

「期待している、至峰。それからアタシの事は刑事さんじゃなくて、馨子でいい」


 馨子はそう言い残して去って行った。

 陽凪は二人の取引めいた会話に付いていけなかった。

 至峰は苦笑を漏らす。


「潔い女だな。自分に出来ないことは出来ないと割り切り、やれるヤツを使う」


 ああいった者が有能な人材だと、至峰は分かっている。

 一人取り残された格好の陽凪は、やや不機嫌に至峰に訊いた。


「ねえ、解くんは密室トリックを解いているの?」

「すでに解けている。ヒントは鍵箱だ。そして――共犯者の存在もだ」

「共犯者」

「そう。真犯人と鈴中圭子は共犯だったのさ。それ故にあの密室は可能になるんだ」


 犯人の共犯者が被害者の圭子と云われ、陽凪は目を丸くした。

 共犯者=被害者という図式が、理解できない。


「それにだ。今回の密室が本当に密室ならば、万が一の時を想定すると、社会的な大問題になるよ。そこいらに密室が溢れてしまうんだからな」


 それ以上は教えてくれなかった。

 陽凪は思う。至峰はいつもこうだ。肝心な事はずっとはぐらかすのだ。



         …



 馨子は久しぶりにパチンコに興じていた。


 すぐにフィーバーした。席の周辺には銀玉で埋まった箱が積み上げられている。すでに二十万円は稼げている。煙草が美味い。

「ちくしょう!」と、隣の台から罵倒が聞こえた。

 馨子は隣の席に声を掛ける。


「そう熱くならない。パチンコは娯楽、暇潰し。カッカすると運が逃げるよ」

「ああ!? なんだと」

「いい加減に家族が待つ家に帰る時間じゃないのか? 大宮翔太」


 隣に座る大宮は気が付いた。馨子という刑事の存在に。

 大宮は顔を引き攣らせた。


「まさか、オレを尾行していたのか?」

「偶然だよ。たまたま暇潰しにパチンコに寄ったら、隣がお前だった」


 馨子は煙草の火を灰皿に押しつけて、消した。


「嘘つくなよ。オレは犯人じゃないからな」

 大宮の台の玉は空になった。


 馨子は「奢りだ」といって足下の箱を隣席へ蹴り寄せる。

 大宮はその箱に飛びついた。馨子は侮蔑の笑みを口元に描いた。


「なあ、大宮ぁ」

「なんですか、刑事さん」

「奢ってやったんだ、真壁警部補サマって呼べ」

「……」

「冗談だよ。つまらない男だな。奢ったんだから少しだけ会話に付き合え。お前、借金だらけのクセに、近日中に金を支度できるって闇金に約束していたらしいじゃない」

「だからこうして稼いでいるじゃないか!!」


 苛ついた口調で、大宮が反論した。


「思いっきりマイナスだろ」

 馨子は小馬鹿にして鼻で笑った。


「ま、お前の金策なんてどうでもいいんだ。アタシが知りたいのは、お前がどうして鈴中圭子を殺したのか。いや、その理由もどうでもいい。お前がどうやってあの密室を作り上げたのか――だけだよ」

「知らないですよ。鈴中圭子とだって単なる同僚だし、オレは関係ないよ。それにあの現場は密室じゃないでしょう? 犯人はシャッターの鍵を持っているお嬢様ですよ。だって物理的にオレには絶対不可能なんだから。ふひひっ。やっとリーチかかったぜ」


 大宮は自信満々だ。

 その笑みで、馨子は(ああ、コイツが犯人か)と判った。

 これまで数多く見てきた、人を殺して開き直った下種野郎の貌をしてやがる。

 こんな野郎の傍には長居したくない。


「残りの玉も全部お前にやるよ。借金に対しては焼け石に水だろうがな。刑務所(ブタバコ)にブチ込む前の餞別としてもらっておけ」


 唾棄するように言い捨て、馨子は席を離れた。

 自然と歩幅が大きくなる。煙草の臭いが鼻につく。


 別の台で人生初パチンコに挑んでいた奏音を拾って店を出る。

 世間知らずの箱入りお嬢様は、随分と熱心に打っていた。楽しかったようで何よりだ。

 手ぶらの奏音は嬉しそうに言った。


「馨子先輩。パチンコって面白いですね!」

「あれ? お前、勝ったの?」


 意外だった。確か、すっからかんにされていたはずだ。

 奏音は満面の笑顔で言う。


「勝ち負けはよく解りませんけれど、玉を一杯流して絵を見るゲームなんですよね?」

「大筋では間違っていないけど……」

「あんまり面白いので、わたくし五十万円ほどつぎ込んでしまいましたわ」

「お前、二度とパチンコやるな」


 いけない遊びを教えてしまった、と馨子は後悔した。



         …



 今日の最終施錠は大宮の役目であった。


 社屋の方はとっくに全員があがり、施錠が終わっている。倉庫とエレベータの点検施錠を終えたので、最後に機械警備のセットをしなければならない。今日は鍵箱から機械警備用のカードキーを借り出さなければならない。貸し出し台帳の記載が面倒だ。

 本来ならこんな面倒はゴメンだ。警備員がいた頃には、最終施錠も朝の解放も全て警備員が管理していた。それが不況の所為で自主管理になって、ずいぶんと杜撰になった。

 もっともそのお陰で『あの裏技』を考えついて、現在、自分の身を警察から守ってくれているのだ。いくら怪しまれようとも、流石に不可能犯罪で逮捕はできまい。


《警戒設定をセットしました。三十秒以内に部屋から出てください》


 大宮は社屋の出口から出て、電子ロックが有効になっているのを確認した。

 そして駐輪場へと向かう。



「――こんばんわ。大宮さん」



 駐輪場脇の貨物用エレベータのシャッター前には、雛菱陽凪が待ち構えていた。


「どうしたの? 陽凪ちゃん」

 大宮は笑顔で訊いた。若くて可愛い子であるだけではなく、社長の娘だ。ご機嫌をとって悪い事はない。たとえ近い将来、自分の代わりに殺人容疑で逮捕される小娘でも。


「あ、まさか。ひょっとしてオレに深夜デートのお誘い?」

 大宮は懸命に愛想を維持する。


「自首してください。大宮さん」


 対して、厳しい面持ちの陽凪の要求はストレートだった。

 大宮の笑顔が醜く崩れる。


「オレは犯人じゃないよ。俺には物理的に不可能な犯罪なんだ」

「いえ。可能です」


 その言葉には力があった。自信に満ちていた。

 大宮の顔つきがガラリと変わった。敵意をむき出しにして喚き出す。


「どうやってだよ!? 説明してみせろよ? 状況は今と全く同じだ。陽凪ちゃんの後ろのシャッターは閉まっている。エレベータも停止している。中身は空で通路はエレベータのみ。起動スイッチがある社屋事務所は、施錠のみならず機械警備の警戒監視がセットされている。仮に、だ。君が被害者の鈴中で犯人が俺だとして、どうやってあの晩と同じ状況を作り出せる?」

「できれば自首して、自分の口でそれを説明してください。それだけでもかなり印象が変わってくるはずです」


 大宮は陽凪に詰め寄った。

 そして両手首を掴むと、乱暴に押し倒してそのまま馬乗りで組み伏せる。


「どういうつもりですか?」

 陽凪の声は微かに震えていた。その震えが、大宮の獣性を喚起する。


「ふひひっ。犯すんだよ」


 大宮は下品に頬を吊り上げた。好色の相だ。幸い、周囲には誰もいない。

 つまりこの場では、自分と陽凪の二人しかない。

 元々隙があれば、こうしてモノにしてやりたいと内心で舌なめずりしていたのだ。


「自棄になりましたか。別件逮捕の口実を警察に与えるだけですよ」

 目を伏せた陽凪は悲しげに訴えた。


「訴えられるものなら訴えてみろ。レイプ写真を撮ってネットにばら撒いてやるし、人を殺人犯呼ばわりしやがって、名誉毀損で逆に訴えてやるよ。それにお前、放っておいてもこのままだと殺人で逮捕されるぜ?」

「これが、本性ですか」

「いいだろ? 一発やらせろよ。どうせ至峰のヤツとやりまくってんだろ?」


 直後、背後からシャッターが持ち上がった。

 蛇腹の金属音が、まるで罪人を裁く雷鳴のように大きく響いて聞こえた。


 誰もいないはずの踊り場に立っているのは、至峰解であった。ちなみにシャッターの解錠は、内側からだと鍵を使用せずに、抓みを回すだけで可能になっている。

 至峰は冷徹な声で告げた。


「お前と同じ方法で参上した。あの夜との違いは、倉庫内の居残り点検についてだけだ。ちゃんと真面目に死角も点検しないのは、職務怠慢ですよ」

「そんな……バカな」


 両目を見開いた大宮は、やがて自分の敗北と破滅を悟ると力なく頭を垂れた。


「バカはお前だよ、大宮翔太。婦女暴行未遂の現行犯で逮捕する」


 ICレコーダーを翳しながら、駐輪場の死角から馨子と奏音が姿を見せた。

「お前の密室トリックは崩れたし、レイプ宣言もしっかりと録音させてもらった。まあ、要するに――王手だ。詰んでいるよ」





 ――犯行のあった晩。大宮翔太と鈴中圭子は共謀して、倉庫の商品を横流しする為に運び出そうと計画していた。


 倉庫内を点検して施錠する前に、大宮の潜入を圭子は意図して見逃した。

 つまり無人ではなかったのだ。


 陽凪が帰るのを待って、大宮はエレベータの地下階から地上階へと脱出したのだ。

 方法はごく常識的で、そしてほとんどの一般人が知り得ない方法であった。



 レスキューで使用する緊急脱出法である。



 棒状、または板状のキーをエレベータの自動扉が重なっている隙間から差し込んで、引っかかる部分を引き上げると、電気的ではなく機構的なロックが解除されて手動でドアを動かせるようになっている。これは形式が違えど、どのエレベータも同じだ。そうでなければ、大規模災害時などでエレベータ内での閉じ込めが起こってしまった場合の救助活動ができなくなってしまうからだ。

 無論、通常はレスキューかエレベータ業者以外の一般人が、停止したエレベータの扉を手動で開く事はない。危険だからだ。しかし、一刻を争う事態も想定されるので、必ずドアロックの解除キーは用意されている。そしてエレベータの運用者はエレベータ業者によって緊急救助の実習を受けるのが望ましいとされている。

 ちなみに、機械的ドアロックは一度解除しても、扉を閉めれば再びかかる構造だ。

 馨子が言った。


「物証として、扉のロック解除に使用された、安物の針金ハンガーを束ねて変形させた手製のキーが見つかった。そいつから大宮の指紋が出てくるだろうよ。そいつの塗料がエレベータの扉の裏からも検出できるだろうしな」


 エレベータのドアロック解除は少しばかりのコツの要る動作で、手袋をはめたままだと感覚的に難しい。陽凪の記憶に間違いがなければ、エレベータ業者による救助講習を受けていた時、大宮は四苦八苦していた。

 エレベータの中に入り込めば、そこからは踊り場まで一直線だ。

 天井に設置されている点検口を外して、外に出ればいい。


 外に出れば、地下にあるエレベータの天井そのものを台にして、手動でドアロックを外して表に出ればいい。表側から解除する場合は、ドア同士の隙間から棒や板を滑り込ませる細心の作業も、裏側からだと手で直接ロックを外せられる。知らない者には少々意外かもしれないが、実物の構造さえ見て知ってさえいれば、実に簡単なトリックであった。簡単すぎる故に気が付かなかったともいえる。

 本来、エレベータは運航時以外では、密室であってはならない空間なのだ。

 至峰が言った。


「あの踊り場が密室たりえたポイントは二つ。共犯者の圭子による居残りの見逃しによる機械警備の網の目を潜り抜けた事。そして災害時を想定した為に、簡単な棒や板で代用が利くドアロック解除キーの存在とエレベータの基本構造の一般的不認知です」


 陽凪は悲しげに大宮に訊いた。

「どうして圭子さんを殺したんですか? 二人は協力して商品を横流しようとしていたんですよね?」


「――鍵だよ」

「え?」


 顔を歪めた大宮は自棄っぱちに叫ぶ。

「終わった後にエレベータのシャッターを閉めて、明日の朝一で出社したアイツがこっそり鍵箱に鍵を返せば、犯行は完全犯罪として成立するはずだった! 搬出がバレても日時を特定できなければ、絶対に犯人の特定まではできないはずだった! それなのにアイツはドジ踏みやがって! アイツのせいで借金の返済期限が! ちくしょう!」

「そんな理由で……」


 人を殺したのか。命を奪ったのか。


 最後の最後に、陽凪は一番の失望を味わった。

 盗みを止められないとしても、せめて日時を改める、という考えはなかったのか。

 吼えるように泣き出した大宮を見て、陽凪は涙を流しても、泣くのは堪えた。


 至峰は、優しく陽凪を抱き寄せる。

 脱力した陽凪は至峰の胸に顔を押しつけた。


 寄り添い合う二人に、馨子は「ひゅー!!」と冷やかしの口笛を吹く。

 奏音も真似して口笛を吹こうとしたが、音が鳴らなかった。





    エピローグ



 大宮に手錠をかけた馨子は、至峰に言った。


「今回は助かった。またお前の力を借りるかもしれないから、その時はヨ・ロ・シ・ク♪」

「できれば、もう二度と関わり合いたくないですけどね」


 至峰は抱き寄せている陽凪を見る。


「特にヒナには、警察や事件には関わらせたくない」

「そいつはどうかなぁ?」


 馨子は挑発的に頬を釣り上げる。


「長年の経験からアタシは鼻が利くんだ。そのお嬢様はこれから色々な事件に巻き込まれていくよ、間違いなく」

「え、ちょっ、脅かさないで下さい。刑事さん」

「馨子でいいよ、陽凪。なにしろこれから長い付き合いになりそうだからね」


 陽凪は頬を引き攣らせた。とても冗談には聞こえなかったからだ。

 馨子はヒラヒラと手を振った。


「じゃあねぇ、お二人さん。特に至峰――これからのアンタに期待しているから」

「俺はむざむざと貴女に利用されるつもりはないですよ」

「いいや、利用してやるよ。陽凪(お姫様)という弱点はすでに掴んでいるんだからね」


 馨子と奏音は、大宮を連行して現場を後にした。

 これ以上、相思相愛の二人の邪魔をするほど野暮ではない。

 奏音がおずおすと馨子に訊いた。


「ひょっとして、わたくしでは馨子先輩のパートナーとして役者不足なのですか。パートナーは至峰様の方がよろしいのですか?」


 馨子は奏音の頭を鷲掴みにすると、くしゃくしゃにした。



「違うな。アタシの相棒はお前だ。至峰は必要な時に利用するだけだよ」



 自分は昔の相棒のような名探偵にはなれない。

 だが名探偵になる必要もない。

 刑事だからだ。名推理が必要ならば、その都度、新しい名探偵を都合して利用すればいい。

 それが〈名探偵(ザ・ディテクティヴ)〉と呼ばれた彼からの、自分なりの独り立ちだ。


「そうだよね、……クン」

「え? 何かおっしゃりましたか? 馨子先輩」


 薄く笑んだ馨子は首を横に振った。


「いんや、何にも。ともあれ、これがアタシとお前が初解決した事件ってわけだ」

「はいっ!」


 奏音は嬉しそうに抱きついてくる。普段は邪険にするが、今は振り解こうとはしなかった。

 事件解決の、ささやかなご褒美のつもりである。

 新しい相棒(パートナー)と共に、ようやく馨子は自分の足で歩み始めた。

 夜空を見上げる。



 ――雲海の隙間から覗くのは、綺麗な半月であった。

 読了いただき、ありがとうございました。


 シリーズ化可能なように設定しましたが、他にはこの登場人物・舞台設定での作品はなかったりします。


 お蔵出し品ですが、こういった作風も書けますよ、というアピール程度にはなりましたでしょうか(苦笑


 少しでもお楽しみ頂けたのならば、幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ