Episode4 「通り魔」
8時20分。
「…………ん、んー……」
亮也は自室のベッドの上で目を覚ました。
昨日普通は体験しないような事を体験して疲れていた亮也は、二度寝の果ての目覚めですっかり疲れも取れていた。
むしろ最高の寝起きという感じさえした。
初対面の美少女に突然キスをされるという世間的に"非日常"な体験をつい昨日した亮也は、もうあれは夢だったんじゃないかかと思っていた。
「そうだよ、夢だよあれは。俺は二度寝したと思ってたけど実は一回目の目覚めは夢の中の話で、つまりはあの体験は夢の中の夢で起きたことだったんだ!」
亮也は適当に理由を並べて、昨日の出来事をなかったことにしようとしてみた。
「……けど、それが本当だとあの子との出会いも無くなって俺は地味にショックを受ける…………」
もうどうしようもなかった。
まぁとりあえず、今日あの丘に行って彼女が現れなかったら夢だったとして終わらせよう。
亮也はそう決めて、時刻を確認。
「……………………」
亮也の学校は、朝のHRが8時40分でそれに間に合わないとHR分の単位が貰えなくなる。
そして亮也の家から学校までが、徒歩の場合おおよそ20分。
だが朝食はおろか、歯磨きや着替えすら当然出来ていない寝起きの状態では、家自体を出るのにもう10分は掛かるだろう。
つまり、遅刻寸前だった。
「……………………朝食は抜きですね」
亮也は着替えと学校の支度を済ませて、ダッシュで洗面台へと向かった。
□■□■□
大慌てで歯磨きを済ませた亮也。
口から滲み出た血は気にも止めず、すぐさま家を出た。
「やべぇ……、出る前にチラッと見たけど……もう30分だよ……ッ!」
このまま学校まで走り続ければ10分経たずに着けるかもしれないが、亮也にそこまでの体力はなかった。
ただでさえ運動が嫌いで、1500m走ではクラスの後ろの方に位置付くような体力だというのに、徒歩20分掛かる距離を休憩なしでノンストップで走り続けることは亮也には出来なかった。
「て、信号だよ……ッ!」
亮也の眼があると、周りにいくつかの信号があってどの信号なら今渡れるかなどがわかる。
だが今回は信号がここ一つな上、あまりにも距離のあるところだと体力的な問題で信号が変わらない間にそこに辿り着くのが難しい。
亮也の眼の利点といえば、遠くのものをハッキリと見たりするぐらい。
この一点しかメリットが無いのに、この眼は元々がこういう高い視力を持つ眼だから近くを視認するのが大変になる。
カメラが急に目の前の物を映してもピンボケするのと同じ要領で、亮也の眼も元々の焦点を近くに持ってきてないと上手く見えないのである。
「しっかし謎だよな〜。何でこの眼ーー」
ーーーー右眼だけなんだろうか?
亮也のこの高い視力を持つ眼は、右眼だけ。
だが、それでは右眼の視力と左眼の差異でまともに前を見られない。
だからと言って、右眼の焦点を左眼に合わせていたら体力がもたない。
亮也は苦渋の選択を強いられた。
体力をその眼のためだけに付けるのは疲れるし嫌と亮也は言う。
だからもう片方を選んだ。
ーーーー左眼を義眼にする方を。
そもそもの選択として、亮也の中に『右眼を義眼にする』というものは無かった。
何故かそれだけは無かった。
理由なんて、やはり今考えることじゃない、と亮也は振り払っていた。
だからこの選択をした。
今考えても理由が思い付かないため、やはりこの選択は間違いじゃなかったと思う。
義眼移植に成功した後、亮也は移植に掛かる値段を何と無く調べると、10万も掛かることを知った。
その時から、亮也は親に対して優しくするようになった。
「……と、信号変わったわ…………ん?」
信号が変わり、早く学校に行こうと駆け出したと同時に、亮也の視界の隅に何かが通った。
首を傾げる亮也は、街に設置された時計を見るなり、
「……って、それよりも遅刻寸前だよ……ッ!」
視界の隅に映ったそれを特に気にすることもなく、学校への通学路を駆けていった。
□■□■□
亮也の教室は、教室棟の3階に位置している。
1階には保健室等の生徒が頻繁に出入りするような教室がある。
そして2階には1年生の教室があり、3階には2年生の教室が……というような配置になっている。
そんな『公立 名和高等学校』の2階の階段を昇り、亮也は3階にある自教室・2-Eの教室へと到着。
中へ入ると、何やらいつもと騒々しさが違うと感じた亮也は、自分の机の近くで話している生徒を捕まえた。
「なぁ晴矢、今日何かあったのか?」
亮也が捕まえたのは、2年の馴染みの無い生徒ばかりが集まっていたクラスで始めて出来た亮也の友人・沢村晴矢だった。
特にこれといった交流もなかったはずだが、いつの間にか友人という関係になっていた。
友人というものは知らずのうちに出来るもの、と亮也は何処かで聞きそうな名言のような言葉で結論。
そして当の晴矢は、亮也のその問いかけに驚きの表情を浮かべる。
「おいおい……、亮也、お前だいたいは想像ついてるだろ」
そんな晴矢は、少し笑ってこそいたが真剣な面持ちだった。
晴矢の表情を見て、亮也は心が引き締まるのを感じた。
(晴矢がそんな表情するなんて、そうそう無いからなぁ……)
「……いや、想像つかん」
「マジかよッ! …………えっとな」
晴矢は何故か亮也の耳に手をかけて、小声で話し始めた。
別にこの話題で持ちきりなんだって言ってんだから、わざわざ小声で話す必要ないだろう、何てことを亮也は心の中で思っていた。
そして晴矢から話を聞いた亮也は、
「はぁ!? 通り魔ッ!!?」
盛大にぶったまげた。
「声大きいよ馬鹿ッ!」
「別にこの話でクラスがいつも以上に騒がしいんだろ? なら別に隠すように話す必要なんてないだろう」
晴矢に小声で怒鳴られ、亮也は思わず囁くように反論する。
「いやまぁそうなんだがな。何かこう、こういうのって小声でやり取りしたくなるような話題だろ?」
「……ま、まぁそれもわからなくはないけど」
事実、亮也は反論する時に小声で話してしまっていた。
人間の本能的なところが出たのかもな、と亮也は思い、通り魔の話を続けた。
「んで、通り魔ってなんだ?」
勿論、この間も小声で話し合っている。
「いやそれがな、すぐそこに商店街があるだろ?」
この街の商店街は存外賑わっており、週末のセールでは人がごった返しを起こすほど。
そして、亮也の通学路の途中でもある。
その商店街が話題に出て来て、亮也は一層耳を傾けた。
「あぁ、あるな。それがどうした?」
「その商店街だったんだよ」
「何が?」
ちょっとたぶらかすような晴矢の発言に、話を促す亮也。
晴矢はその亮也に、より真剣な表情で話をした。
「そこで起こったんだよ…………通り魔殺人は」
「……………………は?」
いやいやいや、それはいくらなんでもあり得ないだろう。
亮也は心の中でそうツッコんだ。
あまりの衝撃に、咄嗟には口が動かなかったからだ。
「待て待て、それが起きたのはいつだ?」
亮也は今さっき商店街の前の信号を通って来たばかり。
その通り魔殺人が今さっき起きたのなら、亮也自身が見ていないはずがない。
この街の商店街を指しているなら、その商店街しかありえないからだ。
そしてわざわざ違う街の商店街の話で騒ぐ事もない。
そうなると必然的にこの街のたった一つの商店街で通り魔殺人が起きたとしか考えられない。
亮也は今までの推論を含め、今訊くべき事件の時間を晴矢に訊いた。
晴矢は事件発生時の時刻を思い出すのに頭を捻じっていたが、やがて思い出したのか亮也に告げた。
「あぁ、確か時刻は…………8時15分頃だったか?」
「いやそれはおかしいぞ、そんな大事が起きていたなら商店街を通ってここまで来た俺が気付かないわけがない」
「そういえば亮也は商店街通る道だったな。その亮也が気付いていないのは確かにおかしいな……」
晴矢もこの不自然な事に気付いたようで、頭を働かせ始めた。
と、それも束の間。
「んじゃ、百聞は一見にしかずってことだな」
「は?」
突然、晴矢はそんなどこの誰が作ったのかもわからない諺を放った。
「さっき俺ら、商店街まで行って実際に観に行こうぜって話してたんだよ。つーわけで亮也も行こうぜ」
晴矢は後ろにいた2人を親指で差しながらそう言った。
亮也は、そんな通り魔がいると言われているようなところにわざわざ行く必要なんてないだろうと思っていた。
だが亮也も晴矢たちの言わんとしていることがわからないことはない。
人は珍しいものがあったら実際に見に行きたくなるもので、今のもその人間的な面の一つなのだろう。
(まぁ、わざわざ注意しても聞くようなやつらじゃないからなぁ)
「てか、一見にしかずってんなら別に食堂のテレビで観られんじゃないのか? まぁニュースやってるか微妙だけどさ」
あぁーーーッ!
3人には同時にそう叫んで、互いにテレビで観るという案を出さなかった仲間を貶し合っていた。
亮也はそんな光景を観て、思わず安堵の息を吐いた。
自分の日常はまだここにあるんだ、と確認出来たからだ。
俺が美少女にキスされたなんて知るわけもないもんなこいつらは……、と亮也は心の中で呟いた。
そして前の扉から担任教師が入ってきて、クラスの中の騒がしい空気は消えていった。
□■□■□
「……………………」
彼女は、目下にだらしなく倒れている人型の死体に目を受けていた。
その表情は無表情ながらも、どこか済まないといった風である。
肺に溜まった空気を口から吐くと、彼女は周りの様子を見た。
黒ずんでくしゃけた車。
その黒白で統一された緊急車両は、今も情けなく頭に付いたライトを回していた。
そんな車体の傍らには、幾つもの屍が転がっている。
首も無ければ上半身すら無い、完全に死んでしまっていることが一目でわかるような有様だった。
建ち並んだ建物には大量の返り血が、彼女自身の身体にも夥しいほどの鮮血が付着している。
周りにはギャラリーが。
彼女がチラッとそちらを向くと、瞬く間にそのギャラリーの並が荒ぐ。
彼女は一瞬切ない表情になるも、すぐにいつも通りの表情に戻す。
「…………しっかり張っておけばよかったかな、今更なんだけど」
だが、彼女は昨日から身体の調子が悪いせいか、体力が万全の状態じゃなかった。
結果、このような失態を起こしてしまった。
しかしそんな過ぎてしまったことを後悔してもしょうがない、と彼女はそれらに背を向け、今回のことを報告しに帰った。