Episode3 「彼女の在り方」
亮也はスギハラに、戸籍について10分ほど説いたあと、
「とりあえず、もう暗くなってきたから戸籍確認は明日にしよう。それで明日もここ集合な、オーケー?」
と確認し、スギハラは素直に頷いた。
正直、亮也にはまだまだスギハラに訊きたいことが沢山あった。
どうやってここまで来たのか。
世間的には秘境と呼ばれているこの丘に、手段無しに来られるなんてことはまずない。
スギハラの目も、亮也や同様に遠くまでハッキリ視認出来るものならあり得なくは無いが、亮也のような眼がそうそうあるわけもない。
戦闘服もといスギハラの服装に関しても亮也は問いたかった。
ただの女の子が、ましてや亮也と同い年の容姿である女の子がロングレインコートを着ているのは、あまりにも不自然だと亮也には映った。
もう2つほど、亮也はスギハラに訊きたいことがあったが、時間も時間で今日は解散にした。
「あ、途中まで一緒に帰ろうぜ」
亮也はこれはチャンスだと言わんばかりにスギハラにそう言う。
当のスギハラは相変わらずの無表情で、しばらく考えてからか一拍置いて森の中へと戻って行った。
(早く行こうという意思表示かな?)
亮也は、まだ恥ずかしいのかな? などと勝手に考えてスギハラの後ろを追う。
「……っと」
一歩目を踏み出したところで、亮也は自分がベンチに鞄を忘れていることに気付いた。
(スギハラ……。あまりまだ掴めない子だけど、これから一緒に過ごして行けば自ずと理解していけるかな)
亮也は自分では気付いていないが、少しにやけていた。
そしてベンチで鞄を手にした亮也は、再びスギハラを追い始める。
が、
「…………どこ行ったよ」
スギハラの後ろ姿はもう無かった。
(…………まぁ、別に一緒に帰るって言わなかったしね。妄想が過ぎたな俺は)
そして亮也は、一人とぼとぼと家への帰路についた。
■□■□■
10月17日。時刻は17時35分。
「…………はぁ……はぁ……」
『……………………』
二人は肩を上下に揺らしながら、距離を取って相手の様子を互いに伺っていた。
(…………中々に手強い相手……)
切れた口から滲んだ血を、空いている右手の親指で拭う。
戦況は彼女には分が悪かった。
相手の戦闘スタイルは遠距離からの電撃。
一方彼女の戦闘スタイルは近距離タイプで、遠距離から電気の塊を放つことの出来るような相手とは基本的に相性が良く無い。
「……………………」
だが逆に言えば、
『……………………ッ!』
ーーーー相手の懐に潜り込めれば勝てる。
彼女の"能力"は体力の消耗が激しいため無闇には使えない。
そのため普段は愛用の小刀で対処していたが、今回のような戦いの場合は使う代わりに一撃で仕留めることに決めていた。
刹那の合間に相手の目前にまで忍び込んだ彼女は、相手の首元を鷲掴みにする。
そして、
ーーーー破壊した。
そして彼女は、沈む夕日に照らされる綺麗な夜色の髪をたなびかせながら家への帰路についた。
□■□■□
家に帰ると、リビングの奥の方から母親の声が聞こえた。
「へぇ〜ぃ……ただいま〜……」
亮也は聞こえもしないぐらいの声でも返事を返し、二階の自室へと向かった。
部屋の扉を開けて電気を点けると、亮也はもう限界だという風にベッドへ倒れ込む。
今まで望みつつ退屈に感じていた平和な日常が崩れるような感覚を味わった今日。
不自然な服装をした謎の美少女にキスをされ、挙げ句の果てにその少女は自分の名前を知らないという。
こんな出会いは滅多に、いや普通ないだろう。
そんな非日常的なシーンに亮也は立ち会ってしまった。
「……それで明日は戸籍確認、か」
これで名前が判明しなかった場合、亮也は認めた方が良いのだろうかと考えていた。
ーー望んでいた非日常に巻き込まれたということを。
いくら非日常を希望していたとしても、まさか本当にそんなような体験をするなんて思いもしていなかった亮也は、初めてこんな出来事に遭遇してその非日常を受け入れられないでいた。
「でもまぁ、可愛かったよな……あの子、いやスギハラか」
スギハラの事が好きなのかハッキリしていない亮也だが、あんな可愛い子とこれから過ごしていけるならそれはそれで良いかなとも思っていた。
「……まぁ、とりあえず明日……戸籍を、確認して……それから…………だよな…………」
そのまま亮也は睡魔に負けて眠りへと落ちた。
それから数時間が経ち、日をまたいだ10月18日の深夜1時頃。
「……………………んぁ?」
亮也起床。
「…………あぁ、寝てたのか俺」
ベッドに倒れ込んで、そのあとすぐに寝てしまったことに気付いた亮也は、部屋の壁に掛けられている時計をチェック。
「1時10分ね……、というより電気点けっぱで寝ちゃってたのか俺。電気代勿体無いなぁ」
親を代弁して自分で自分の失態を宥める亮也。
そして何故か暑いと言って服装を見て制服のままで寝ていたことを知り、亮也は部屋着へと着替える。
ぐぅ〜…………。
この音で亮也は空腹を自覚、部屋の電気を消してリビングへと遅すぎる晩飯を摂りにいった。
1時間後、亮也は晩飯と風呂を済ませて自室へと帰ってきていた。
とりあえず部屋の勉強机の椅子に腰下ろした亮也は、今までのこととこれからのことを思い返し始めた。
幼い頃から平凡に過ごし育ってきた亮也は、友達も並にいて平和を謳歌していた。
だがある時、自分の視力が以上に高いということを知る。
幼い頃は目良いから遠くまで見渡せるぜー、と考えていたが人間の視力とはいわばカメラで言う解像度。
視力が高いほど、物体を鮮明に見ることが出来る。
そんなことも露知らず、子ども亮也は意気揚々と目の良さを自慢していた。
だが、歳が増していくと周りの反応は一変。
興味を示す人間は減っていった。
確かに今考えるととてもしょうもないことを自慢していたんだな、と亮也自身思う。
しかし、亮也は昔からこういう"非日常"なものが大好きで、だから周りに自慢したかったのだ。
そして周りからそういう反応をされ始めて、初めて自分の眼が無意味なものだと知り、亮也はそれ以降その眼を閉ざした。
けれどもその方法というのがまた眼帯を付けることで、亮也はまた周りに変な印象を振りまいていった。
「……今思うと、意外と非日常な生活送ってたな俺。眼がやたら良いのだって変だし……」
何てこと考えててもキリが無いな。
亮也はこんな風に堂々巡りしそうな思考になった時に、決まってこう考えて無理矢理終わらせる。
ある意味前向きである考えだが、裏を返せば結論が無いということ。
どんな事にも結論はあるものだ。
いずれはまた考えなければならないのだから、言えば先送りな考えだった。
しかしそんな事は気にせず、亮也はその時その時を過ごす。
話が一段落つき、次は今後の未来予想図を亮也は立て始めた。
まずはスギハラがどういう人間なのかを考えることにした。
黒で統一された服装、それは隠密性に優れていて尚且つ髪までも黒いだけに身を隠すにはうってつけ。
そんなスギハラの容姿から考えて、スギハラの正体は……、
「殺し屋だ! 何か重要なことを知ってしまった俺は、彼女に殺されてしまうんだ。今日殺さなかったのは、猶予を与えてその間に残りの人生を楽しめというやつなのかも……」
妄想好きの亮也は、こんな事を考えるのが好きだった。
こんな非日常な妄想するのは、中2の頃から得意だった。
(…………多分眼の良さと眼帯のせいだよなぁ……)
そして馬鹿な妄想をしていた自分に大きな溜め息を吐く。
ようやく真面目に考え始める亮也。
「んまぁ、とりあえずスギハラは俺と初対面なのにも関わらずキスをしてきた、と」
亮也にスギハラと出会った記憶は無い。
スギハラの方にはあるのかもしれないが、それはただスギハラが見掛けたという話だろう。
そしてキスをするということは、相手に好意がある場合のみで、相手に好意を持つような関係になるにはある程度の接触が無いとおかしく、それほどの交流があれば流石の亮也も覚えているはずだ。
しかし亮也はスギハラの事を覚えていない。
つまりスギハラは、初対面で亮也に一目惚れをして早急にキスをした、ということになる。
「……いくらなんでもいきなりすぎるだろう」
そう考えてみたものの流石にあり得ないだろうと、亮也は頭を掻いてその考えを振り払った。
「となるとやっぱり俺とスギハラは何処かで会っているということになる……、それも何回も」
……………………。
亮也の思考はすっかり停止していた。
先ほどの例に習って、「スギハラに関係する何らかの人間がおれに記憶操作を仕掛けてそのせいでスギハラと会っていた記憶がなくなっている!」という風に亮也は適当に考えてみるも、やはり現実味が無く振り払った。
「……何てこと考えててもキリが無いな」
何にも思いつかなくなった亮也は、今度もこの言葉で議論を打ち止めにした。
「さてさて、そろそろ眠いし寝ようかね〜。てかさっきも寝たはずなのにまだ眠いとか……」
今だ続く眠気に、亮也は昨日一日で色々ありすぎて脳も疲れたのだろうと決めて、ベッドに潜り込み眠りについた。
□■□■□
「…………疲れた……」
彼女は自室に備え付けられた風呂場でシャワーを浴びていた。
彼女の部屋は質素なもので、生活に必要最低限の物しかないという引越ししたばっかりのような有様だった。
だが、これが彼女には落ち着くようだ。
物が多いと物事に集中出来ないし、何より必要の無い物を置いておく必要がない、と彼女は言う。
彼女はシャワーを頭に浴びながら、今日してしまったことに謝っていた。
「…………私だって、本当はあんなことしたくはなかった」
ーーーーけれどもしょうがないことだから。
彼女は、今となっては謝れないその相手に心の中で謝って拳を悔しそうに握った。
それとは別に、彼女は嬉しかった。
「…………私、キスって初めてだったけど……心地よかった……」
そして彼女ーースギハラは、頬を当時のように赤らめて愛おしそうに唇に指を当てていた。