天使、就職先が決定する。
ホント、この二人の話はスローペースです。
作者としては早く仲良く(ラブラブ?)させたいのにっ。
しかし、天音ちゃんがしっかり者過ぎてビビる。何この小学生、コワイ。
き、緊張した……。
◇◇◇
少しずつ近付いて来る大きな扉に、天音はゴクリと唾を飲み込んだ。
思わず、足を止めて自分の服の裾を小さく握り締める。
……怖い人だったら、どうしよう。
天音の想像の中の大神官は厳格で偏屈な老人だった。……小学校の、生徒達から恐れられていた校長のような。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。大神官様はお優しい方だからな、取って食いはしないさ」
謁見室を前に立ち止まり、身体を強張らせた天音に気付いたレイナルドが声を掛けてきた。
隣を見ると、安心させるように笑い掛けてくれる。
「……はい」
その優しげな笑顔に少しだけ肩の力が抜けた。天音は身体の強張りを解くように、握った手をゆっくりと開く。
レイナルドさんも一緒にいてくれるし、大丈夫。
レイナルドの存在に励まされながら、止めていた歩みを再開する。
謁見室の扉は、近くで見ると一層大きかった。
両開きの扉は柔らかな温かみのある茶色で、よく見ると美しい細工が施されている。その両脇に控えていた護衛らしき二人の騎士がレイナルドを見て頭を下げた。
レイナルドがそれに軽い頷きを返すと、彼らの手で静かに扉が開かれる。
「行くか」
その言葉に背中を押されるように、天音は謁見室へと足を踏み入れた。
◇◇◇
最初に目に入ってきたのは、床に敷かれた緋色の絨毯だった。所謂レッドカーペットと言われるものだろう。無遠慮に踏むのを躊躇わせるような豪華なものだ。
天音は緊張しながらも、失礼にならない程度に室内を見回す。
……広い。
謁見室は縦に長く、かなり奥行きのある造りで、奥の方は緩やかなカーブになっていた。全体の広さは学校の体育館くらいある気がする。絨毯の先は一部が階段のようになっており、その少し高くなった場所には立派な台が置かれていた。どことなく、その大きさが教卓を思い出させる。
両側の壁にいくつもある大きな窓の外には雲一つない青空が広がり、遠くに城のような建物が見えた。
明るい。
窓から入ってくる強い日差しに、天音は少し目を細める。
何度か瞬きをしてから室内へと視線を戻すと、先程は気付かなかったものが目に飛び込んできた。
「……何で、ティーテーブルが…」
この謁見室の神聖な空気をぶち壊すかのように、ソレは置かれていた。
部屋の中央辺りに、唐突に置かれているティーテーブルと三脚の椅子は、なぜ一番最初に気付かなかったのかと首を捻る程の存在感を放っている。……室内から浮き過ぎていて、ついスルーしていたのだろうか。
置かれていた椅子の一つに座っていた人物が、天音の疑問に答えるように口を開いた。
「座っているだけだと暇ですからね。それに、客人をもてなすために必要でしょう?」
こちらを見つめていたのは慈愛に満ちた笑みを浮かべた上品な老紳士だった。齢は六十歳くらいに見える。目尻に刻まれたシワが、見る者に優しげな印象を与えていた。
間違いなく、この人が大神官だ。
「……初めまして、大神官様。私、白鳥天音と言います」
ティーテーブルの近くで止まった天音は、そう言って深々と頭を下げる。
想像していたよりも優しそうな人物で、内心ホッとしていた。
「初めまして、礼儀正しいお嬢さん。私は大神官のマーリンです。……レイナルドは良くしてくれますか?」
「はい。とても親切にしてもらっています」
「それは良かった。立ち話も何ですし、お茶でもどうですか?」
マーリンの言葉に天音が礼を言うと、レイナルドがサッと椅子を引いてくれる。
彼を見ると視線で着席を促され、小さく頭を下げてから椅子に座った。
「世話役は……確かバネッサでしたか。少し賑やかな子なので、あなたとは合わないかもしれませんね。
彼女とは上手く付き合っていけそうですか?」
「……はい。明るくて、とても話しやすい人だと思います」
「おや、もう何かやらかしたのですか。レイナルド、世話役を変えた方が良いのでは?」
一瞬言い淀んだ天音に気付いたマーリンが、そう言って先程から無言だったレイナルドに話を振る。
「本決まりではないので。もう少し様子を見てから判断します」
普段よりも素っ気ない様子に、彼も大神官を前に緊張しているのかと親近感が湧いた。
天音はそんな二人の会話を聞きながら、マーリンが手ずから淹れてくれた茶へと口を付ける。
「そうですか。まあ、あなたに一任していることですから口を出すつもりはありませんが」
「………………信頼して頂けているようで、恐縮です」
何だか返事をするまでにミョーな間が空いていた。
カップを置いて、レイナルドの方をそっと窺っていると、マーリンが話し掛けてくる。
「ああ、そうでした。お嬢さん、あなたの世界はどんなところですか?」
「ええっと……」
漠然とした質問に戸惑う。
いざ、どんなところかと聞かれても何を言えば良いのか分からない。この世界との違いについて話したら良いのだろうか。
「私のいた世界は、魔法とかはなくて……アクアマリンのレタスもないです」
「……そんなに嫌だったのか…」
天音の言葉に、レイナルドがボソッと呟いた。
「えっ、別に嫌とかじゃ……ただ、すごく衝撃的だったというか」
慌てて弁解する。
確かに、食べることを躊躇するようなモノを出されて困りはしたが……嫌だった訳ではない。ただ、あまりのインパクトについ言ってしまっただけだ。
レイナルドとの遣り取りを見ていたマーリンがふと口を開いた。
「もしかして、レイナルドと食事をしましたか?」
「あっ、はい。昨日の夕食……いえ、朝食と、さっき昼食を一緒に食べました」
「ああ、それでですか……。ふふっ」
マーリンは天音の答えに納得したように頷く。
謎の笑いに首を傾げていると、レイナルドが少し訝しげな顔でマーリンに尋ねた。
「…………何か?」
「いえ、あなたがわざわざ他国の食材を取り寄せていた理由が分かったので。……仲が良いようで、何よりですね」
天音とレイナルドを交互に見て微笑む。
「……………………」
天音は苦い顔をするレイナルドを見て、彼が大神官について“面白がられた方が面倒”と言っていたことを思い出した。
ああ、なる程。面白がってちょっかいを出してくるタイプなのか。それは、確かに面倒臭い。
自分のために色々と手配してくれていたらしいレイナルドがからかわれているのが申し訳なくなって、話を変える。
「あの、私の世界は魔法じゃなくて、科学が発達してるんです!」
勢い込んだ所為か、少し声が大きくなってしまった。しかも、唐突過ぎて意味が分からない。
天音は恥ずかしくなり顔を赤くしたが、大人な二人は素知らぬ顔をしてくれた。
「ほう、そうなのですか。面白いですね。確か……“ぱそこん”や“けーたい”があるのでしょう?」
マーリンは少し考え込み、確認するように聞いてくる。
「えっと、ありますけど……」
たぶん、天音の前に来たという人に教えてもらったのだろう。
興味深そうな顔をしたマーリンに、ランドセルの中に仕舞ってある携帯電話を思い浮かべながら提案する。
「ケータイならあるので、見ますか?」
「……持っているのですか?」
「あっ、今は持ってないんです。部屋に置いてあるので」
「ぜひ、見せてください。話には聞いていたのですが、二人共何も持って来ていなかったようなので…」
「大神官様!」
突然、レイナルドがマーリンの言葉を強い調子で遮った。
その声に驚いた天音の肩がビクリと跳ねる。
…えっ、前の二人の話はタブーなの?
天音をチラリと見たレイナルドは、声のトーンを落とし言葉を続けた。
「その話は……」
「……はぁ、分かっていますよ。あなたは見た目に合わず細かいですね」
やや厳しい顔で見つめるレイナルドにマーリンはやれやれと軽く首を振る。……ひょっとして、仲が悪いのだろうか。
「そうでもないと神殿でやっていけないでしょう」
「そんなこともないと思いますが。……では、お嬢さん。また今度“けーたい”を見せてください」
「……はい」
溜め息混じりのレイナルドの言葉をアッサリいなし、マーリンは天音に微笑み掛けた。
天音には優しい初老の男性に見えるが、この数十分で何だか疲れてしまっているレイナルドの様子から察すると、見た目通りの人物ではないようだ。
思わず、返事をする声が小さくなってしまう。
「特に聞きたいこともありませんし、もう帰っても良いですよ、レイナルド」
「アマネは何か聞きたいことはないのか?あるなら、今の内に聞いておけ」
退出を促すマーリンに軽く頷きを返しながら、レイナルドはそう声を掛けてくれる。
……聞きたいことはないけど。
何かお手伝いさせて欲しいって言ったら、怒られるかな。
この神殿に天音のような子どもにできることなどないかもしれないが、少しでも何かの役に立ちたかった。それに、訳の分からないこの世界でぼーっとしているよりは、何かしていた方が気も紛れる気がする。
「あ、あの……できれば、こちらで何かお手伝いさせて欲しいんです。お世話になるばかりじゃ悪いし」
「手伝い、ですか?……別にそんなことをしなくても良いのですよ?あなたは神殿の客人ですから」
言い難そうに口を開いた天音に、マーリンは優しく言葉を返す。
しかし、招かれた訳でもないのに“客人”扱いされるのは気が引けた。突然異世界トリップしてしまって困っているのは確かだが、だからと言って、ただ相手の厚意に甘えるのは嫌だ。
「客人って言われても……私はただの小学生なので、一方的にお世話になる訳にはいきません。“働かざる者食うべからず”が我が家の家訓なんです。大して役に立たないかもしれないけど、少しで良いので何かお仕事をさせてください」
これは自分の我儘だと自覚しながら、天音はマーリンに頭を下げる。
緊張の所為か、指先が微かに震えた。もし“迷惑だ”と言われてしまったら、泣いてしまいそうだ。
情けない顔を見られないように頭を下げ続ける天音に、レイナルドが気遣わしげに声を掛ける。
「アマネ、それは……」
「良いでしょう。そうですね、働く場所は……」
「大神官様」
レイナルドが咎めるようにマーリンの言葉を遮った。
少し眉を顰めた彼は、やはり天音が働くことに反対らしい。しかしマーリンは、そんなレイナルドに諭すような顔をする。
「働きたいと言う者に仕事を与えずどうすると言うのです、レイナルド。
それに、ここは神殿ですよ?奉仕精神を否定する訳にはいきません」
「……それはそうかもしれませんが、アマネはまだ保護されるべき年齢です」
「このくらいの齢なら働いている者もいますよ。
……ふむ、お嬢さんの仕事は食堂の手伝いが良いですね。どうですか?」
その問いかけに、天音はガバッと顔を上げ満面の笑みを返した。
「ありがとうございます!」
「可愛いお嬢さんの頼みは断れませんからね。
食堂の手伝いについてですが……調理などは含まれませんから、安心してください」
それは良かった。
天音は学校の調理実習以外で包丁を握ったことがないのだ。まあ、別に不器用な訳ではないので大丈夫だろう。
「はい。……じゃあ、お皿洗いとかをしたら良いんですか?」
「そうですね。あとは皮むきや清掃でしょう。詳しいことはグリゴリー……料理長に聞いてください」
こうして、天音の異世界での就職先が決定した。
◇◇◇
後ろで謁見室の扉が閉まる音を聞きながら、天音はレイナルドの顔を窺い見るように口を開いた。
「……あの、怒ってますか?」
勝手なことをした自覚はある。
マーリンがアッサリと許可してくれたから良かったが、もしかすると彼に迷惑を掛けることになっていたかもしれない。
怒られたら、ちゃんと謝ろう。
そう思い、天音はレイナルドを見つめる。
「いや、そんなことねえよ。……ま、対応の仕方を間違えた自分には苛立つが」
最後の方は声が小さ過ぎて聞こえなかったが、どうやら怒ってはいないらしい。
それでも、反対していたレイナルドに何だか申し訳ない気がして、天音は俯いた。
「その、レイナルドさんには“ここに慣れたら”って言われてたのに……」
「慣れたら、つったのは俺の事情だ。お前が気にする必要はない。
それより、働くならしっかり働けよ?さすがに投げ出したら怒るぞ?」
レイナルドはそう言って、からかうような目を向けてくる。天音が本当に仕事を投げ出すとは思っていないのだろう。
その信頼が嬉しかった。
「投げ出したりなんてしませんよ。……それに、何かした方がこの世界にも早く馴染めると思いません?」
「……そういう考え方もあるか。一つ勉強になった、ありがとな」
少しイタズラっぽく笑った天音の頭をレイナルドはクシャリと撫でた。
大きな手の感触が心地良い。
他人に髪を触られるのはあまり好きではないはずなのに、彼に頭を撫でられるのはなぜか嫌ではなくなっていた。
「私、お仕事頑張りますね」
「ああ、そうしてくれ。……そうだ、一度食堂に行くか?挨拶くらいしときたいだろう」
「はい!」
天音は元気な返事をして、レイナルドと一緒に食堂へと向かった。
家に家政婦がいる天音は、およそ家事というものをしたことなどないが……まあ、何とかなるだろう。
―――天音の異世界生活は、なかなか順調のようだ。
天音ちゃんの家には家政婦さんがいるので、基本的に家事はその人がしてくれます。
塾にバレエにピアノに……と習い事の多い彼女は、自分の決めたことを全うするのが仕事(義務)です。