天使、困惑する。
とりあえず、今回はここまで。
夢とかじゃないよね、これ。
◇◇◇
目の前に広がるのは、どこか神聖さを感じさせる白。
「…えっ!?………な、何!?」
先程までいたミラーハウスとは全く違う辺りの様子に、天音は戸惑いの声を上げた。
キョロキョロと周囲を観察すると、どうやらここは教会のような場所らしい。
石造りの白い壁は大理石なのだろうか、まるで淡く発光しているかのようだ。大きな窓に嵌まるステンドグラスは見たこともない程緻密で、一瞬状況を忘れて見惚れてしまう。
綺麗なところ……って、ここどこ!?
自分の状況を思い出し慌てる天音の思考を遮るように、その声は響いた。
「………あなたは…。……まさかっ!?」
驚いてそちらに目を向けると、白いゆったりとした服を着た男性が、目を見開いて天音を見つめている。
男性がいたことに気付いていなかった天音は、もう一度辺りを見渡した。この男性の他には誰もいないようだ。
「…ええっ、な、何なの!?」
なぜか天音を見ながら跪いた男性は、電波なセリフを叫んだ。
「ああ、天使様!!私の祈りが天に届いたのですね!」
天音が立っている場所が高い所為か、何だか彼が這い蹲っているように見える。しかも、その顔は紅潮し、目はランランと輝いていた。
「え゛、ナニこの人……変質者?」
「なんと愛らしいお声でしょう!まさに、天上の音のようです」
「うわぁ、ヤバイ人だ………」
こちらの話を聞かない男性の様子に、天音は思わずドン引きしてしまう。コレは、怪しいを通り越して、確実に関わっちゃいけない人レベルだろう。
こういう人に無闇に話し掛けてはいけない。刺激を与えると何をされるか分からないからだ。たとえ怖くとも、学校で教えられた通りの対応しなくては。
「…えいっ!」
自分を勇気づけるように小さく声を出して、ランドセルに付けている防犯ブザーの紐を力一杯引き抜いた。
『ビィー』
途端、辺りにブザー独特の甲高い音が響き渡る。
「………なっ!?」
さすがの変質者(仮)もこの音には慄いたようだ。
とにかく、大人が助けに来てくれるまで一人で頑張って対処しなくてはならない。油断は禁物。
「ア、アレン様!?」
「何事ですかっ!?」
外と通じているらしい扉を開け、慌ただしく二人の男性が駆け込んで来た。
日本人に見えないどころか、明らかにオカシな格好をしていたが、とりあえず助けてもらおうと声を張り上げる。
「そ、その人、変質者です!捕まえてください!!」
しかし、なぜか彼らは変質者(仮)を指差した天音を恐ろしい顔で睨んできた。
「貴様……っ!!」
「アレン様に対して、何と言うことをっ!」
何やら、マズイことを言ってしまったらしい。今にも“曲者っ!”と言って、手に持っている剣で斬りかかって来そうだ。
な、何でっ!?
予想外の出来事に焦る天音を守るように立ち上がったのは、変質者(仮)本人だった。
「剣を引きなさい」
どうやら、変質者(仮)は偉い人のようだ。
二人に剣を収めさせ、なぜか今度は謝罪を要求し出した。天音の立場的に何とも口出しし難い。というか、むしろこの変質者(仮)をどうにかして欲しい。お詫びはいいから。
ごちゃごちゃ揉めている三人を所在なく眺めていると、再び扉が開いた。
「アレン!さっきの音はなんだ!?」
入って来たのは、またしても変な格好をした男性だった。
彼らはコスプレ集団なのだろうか。コスプレにしては安っぽさが感じられないが。
「レイ。……見てください、天使様が降臨されたのです」
変質者(仮)が新しく入って来た男性に声を掛けた。やっぱり電波なことを言っている。彼はイイ歳をして、治らない病気なのかもしれない。中二的な。
「………ああ?」
“レイ”と呼ばれた男性は、変質者(仮)に胡散臭そうな目を向けた。どことなく面倒臭そうに見える。
「きっと、私の祈りが通じたのでしょう」
「……んな訳ねえだろ」
ぼそりと呟き、レイは天音へと向き直った。……変質者(仮)の相手をするのは諦めたらしい。
「大丈夫か?」
こちらの警戒を解くよう、ゆっくりと話し掛けてくるレイに天音は少し安心する。マトモな人もいるみたいで良かった。
とりあえず、事情を説明しようと口を開く。
「………え、ええっと、その人が変質者です…」
「ああ、それは分かってる。……コレに何もされていないか?」
「……はい」
実害はなかったので頷いておくことにした。
まあ、変質者(仮)が天音の危険人物リストのトップにいる事実は変わらないが。
「えっと、ここから下りても良いですか?」
実は、ずっと台の上に立っていたのでいい加減地面に下りたかった。別に怖くはないのだが、大人を見下ろしている状況は何だか居心地が悪い。
このくらいの高さなら、飛び下りても平気そうだ。
「ん?…ああ、気付かなくて悪かったな」
レイはそう言って、天音の両脇に手を差し込み、軽々と持ち上げた。
「きゃあっ!?」
突然のことに思わず声を上げてしまう。
さすがに、足が宙に浮いているのは少し怖い。そんな天音の思いが伝わったのか、レイはすぐに地面に下ろしてくれた。
「驚かせたか?…すまん」
「い、いえ。……ありがとうございます…」
「どういたしまして」
お礼を言った天音に、レイは笑いながら頭を撫でる。……これは、完全に子ども扱いされているのだろう。正直、小学五年生としてはこの扱われ方は不満だ。
「……私、もう十歳です」
「これは失礼した。……ところで、お前はどこから来たんだ?」
「えっと、遊園地にいたはずなんですけど………ここ、どこですか?」
本当は一番初めに聞きたかったことだった。
記憶が確かなら、自分は遊園地のミラーハウスにいたはず……。
「ハイディングスフェルト王国の王都ベヒトルスハイムだ」
「ハイディ……外国?あの、ここは日本じゃないんですか?」
“何その名前”とばかりに、頭の上に疑問符を浮かべた天音の言葉を聞いたレイは微かに眉根を寄せる。
「…ニホン?……まさか、な」
「レイ。もしや天使様は……」
「ああ、分かってる」
呟きに反応した変質者(仮)を、レイは片手を上げて止めた。
視線を交わす彼らには、“日本”と聞いて何か思い当たることがあるのだろうか。
「お前…あー、いや、名乗るのが遅れたな。俺はレイナルドだ。お前の名前は?」
「…天音。白鳥天音です」
名前を名乗ると、レイ改め、レイナルドはなぜか天を仰いだ。いつの間にか彼の後ろに移動していた変質者(仮)も頷いている。
「あの…?」
「アマネ。……異世界って、信じるか?」
「全く信じてません。……ええっと、宗教の勧誘ならお断りします」
レイナルドまで電波なことを言い出した。まさか感染したのだろうか、何と恐ろしい。
ちなみに、天音の家は無宗教だ。両親共に“神様に祈るくらいなら、自分で努力しなさい”と言うようなリアリストである。天音もその影響を多分に受けている。……夢のない子どもだ。
「いや、違う。そうじゃない。…………あー、くそ、何て言えば良いんだ?」
「私が話しましょう。……天使様、魔法は信じておられますか?」
「…………信じていません…」
「そうですか。では、これを見ても?」
そう言って、変質者(仮)は宙に浮き上がった。
「…ワ、ワイヤー?」
「………………」
「………………」
どうやら、ここには魔法があるようだ。
◇◇◇
「異世界、かぁ……」
少し待っているようにと案内された応接室らしき部屋のソファーに腰掛け、天音は独りごちた。
「……はぁ」
正直、信じられなかった。
目の前で“魔法”を見せてもらっておいてなんだが、夢だと言われた方がまだ現実味があると思う。
確かに、レイナルドやアレン――変質者(仮)の名前だ。恐るべきことに、彼はレイナルドの上司らしい――は日本人には見えない。いや、別に異世界人に見える訳ではないが。天音からするとフツーに外国人だと感じる容姿だ。
第一、言葉も通じるのである。天音は日本語を話していると言うのに。
ここまでご都合主義だと、夢なのかと疑っても仕方がないだろう。
「ハイディングスフェルト、か……そんな国、聞いたことない」
声に出しながら、今の状況を少しずつ整理していく。
レイナルド達の話が本当なら、ここは地球とは別の世界であり、天音は所謂異世界トリップなるものをしてしまったことになる。しかも、剣と魔法のあるファンタジーな世界へ。
「これから、どうしよ……」
一人でいる所為か、どんどん心細くなってくる。さすがに、ただの小学五年生には今後の対策など思い付かない。
そんな天音の思考を遮るようにノックの音が響いた。
「レイナルドだ。入っても良いか?」
「どうぞ」
“失礼する”と言いながらレイナルドが扉を開けて部屋に入って来る。彼の手にはティーポットとカップを乗せたトレイがあった。どうやら、お茶を淹れてきてくれたらしい。
「少し落ち着いたか。……まあ、茶でも飲みながら話そう」
「あ、ありがとうございます」
天音は差し出されたカップを両手で慎重に受け取った。カップから伝わる温かさで、身体の強張りが解ける。思った以上に緊張していたようだ。
天音の様子を見ながら、レイナルドは自分のカップに口を付けた。
「アマネにとっては異世界のものかもしれないが、身体に影響はないから気にせずに飲んでくれ」
「……ん、美味しい」
その言葉に従うようにゆっくりとお茶を口に含む。芳しい香りと口の中に広がる程良い甘さに、頬を緩めた。
「なら良かった。……それで、これからのことだが…」
一旦言葉を切って、レイナルドはこちらの反応を窺う。
“これからのこと”という言葉に、天音は緊張したように居住まいを正し、真剣な表情を作る。とうとう本題のようだ。
「一度言ったとは思うが……今の段階では、お前を元の世界へ帰してやることはできない。
だから、帰す方法が見つかるまで神殿にいてもらいたいんだが、構わないか?
もしこの場所を不快に感じるのなら、他の滞在場所を探すから正直に言ってくれ」
改めて“元の世界へ帰れない”という事実を伝えられ、カップを握る手に力がこもる。分かっていたとはいえ、やはりショックだ。
しかし、ここには天音を守ってくれる保護者はいない。自分のことは自分でしなければ。
「ここで保護してもらえるなら、嬉しいです。私、この世界のことは全然分からないし、迷惑掛けちゃうと思うんですけど……よろしくお願いします」
目の前に座っているレイナルドを見つめながら、しっかりと挨拶する。この世界で頼れる人は他にいないのだ。礼儀正しくしておくに越したことはない。
「そうか、ありがとう。こちらこそ大して力になってやれず、すまないな。
……そういえば、腹は減っていないか?俺は飯がまだだったから、できれば付き合って欲しいんだが」
「お腹、ですか?うーん、そう言われれば、ちょっと空いてきたかもしれないです」
「気を遣わせたか。ま、食堂に行けば神殿の雰囲気も掴めるだろうし、遅めの朝食にしよう」
大人びた天音の受け答えに、レイナルドは苦笑を浮かべる。
しかし天音は、そんなレイナルドの様子とは違うところに気を取られていた。
「えっ!?……あ、朝なんですか、今?」
天音が遊園地に行ったのは放課後であり、少なくとも16時を回っていたはずなのだが。いつの間に夜が明けたのだろう。気付かぬうちにミラーハウスで遭難していた訳ではない、と思いたい。
「ああ、だいたい10時くらいだな。この時間なら、昼飯も兼ねるか」
「10時?……日本との時差って…」
「ん?もしかして、お前の世界とここでは時間に差があるのか。何時だと思ってたんだ?」
そう聞かれ、天音は自分の左腕を見る。
お気に入りの水色のベルトが可愛い腕時計。その短針は“8”を指していた。まさか、朝の8時ではあるまい。
「えーと、今は私の世界だと20時になってます」
「10時間の差は結構キツイな……。眠くなったりはしてないか?」
「この時間はいつも起きてるんで、大丈夫です」
今時、幼稚園児だってそんなに早く寝たりしない。やはり異世界は“早寝早起き”の文化なのだろうか。朝日と共に起きて、日が沈むのと共に寝る……的な。
「それなら良いが。……しかし、それじゃあ普通に腹減ってんじゃないか?」
「なんか、色々あり過ぎて……」
「そりゃそうか。んじゃ、食堂に移動しよう」
「あっ、はい!」
レイナルドが立ち上がったのを見て、天音も慌てたようにソファーから腰を浮かせる。
「急がなくても良い。……はぐれでもしたら困るな」
そう呟きながら差し出された手に、子ども扱いかと一瞬ムッとしつつも素直に従った。はぐれて困るのは確実に天音の方だ。しかし、子ども扱いには文句の一つも言っておくべきだろう。
「……私、もう十歳だからはぐれたりしませんよ」
「聞こえたか、悪いな。だが、女性をエスコートするのは男の役目だろう?」
「あははっ、じゃあ、お願いします」
ニヤリと男臭く笑ったレイナルドの手をギュッと握り返し、天音は異世界に来てから初めて、子どもらしい笑みをその顔に浮かべた。
―――とりあえず、衣食住の心配はしなくて良いらしい。
感想をもらえると、やる気がモリモリ盛り上がります。別に、催促してるわけじゃないんだからね!