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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
8/34

過去 榊部長と私 2



「おう、ぼっとしてんな、飲め飲め!」


 ぼんやりと先週の出来事を回想していた私に、榊部長が新しく運ばれてきた熱燗を勧める。いやいや、酒は好きですけどそんなに飲めませんて!

 しかし、その熊さん的お顔に人好きのする笑顔を浮かべられると、「あ、いただきます」なんて杯を差し出してしまうのが不思議だ。これが伝説の営業の為せる技か!


「お前の払いは木村持ちだからな、心配せずどんどん飲めよ?」

「えっ! そんな、申し訳ないですよ!」


 初めて聞かされる事実に、どうしようかと営業木村さんの姿を探せば、彼はすでに頭にネクタイを巻いた姿で盛り上がっていた。……また、ベタな!


「いいんだよ。してもらったことに対して何にも返せないと、あいつも心苦しいだろうし。こんな風にみんなで楽しめて、しかも少しの出費でその気持ちが返せるなら、そのほうがいい。あいつ、けっこう気にしぃだから縮こまっちまうと仕事にも影響するしな」


 赤い顔をして営業仲間や事務員さん達にいじられまくる木村さんを見つつ、部長は少しだけ仕事の顔になってそんな風に言う。

 私はそんな部長の横顔をまじまじと見つめてしまった。

 そんな風に考えたことがなかった。私は目の前の仕事をただひたすらこなしていくだけで、先週の一件だって、私はただラッキーだっただけだし。この人は仕事だけじゃなくって、人も全体も見渡すようにして仕事してるんだ。

 なんだか馬の話だけでここまでしてもらっている自分が今日に恥ずかしくなり、私は注いでもらったお酒を一気にあおった。


「や、でも私は趣味に助けてもらったというか……。ほとんど社長さんの厚意だったと思うんですけど」


 言うなり、またもや頭の上に部長の分厚い掌が飛んでくる。ぐりぐりぐり。

 いや、だから酔っちゃいますから!

 抗議とギブアップの思いを込めて部長を見れば、そこには優しく細められた瞳があった。


「……わかってないなあ、尾野」

「な、なんでしょう?」

「鹿島の社長、俺に言ってたぞ。尾野にはいつも無理して注文通してもらってるからって。どんなに無茶な要求しても、最初から絶対に駄目って言うことなく努力してくれて、本当にどうしようもない時もきちんと代替案考えてくれるってな」


 初耳すぎる。社長、そういうのは本人に言ってくれよ!

 誉められ慣れていない私は思わず顔を赤くする。それを誤魔化すようにお酒を飲めば、すぐに部長が継ぎ足してくれた。もう、酔っぱらうとかそういうことも考えず、飲む。


「うちの営業達だってそうだぞ? ただ単に先週の一件だけで飲み会開いてるわけじゃない。尾野がいつも営業達に納期について気を払ってくれたり、おかしな数の注文が客先からあれば、手間とも思わないで確認してくれたり。助かってるってみんな言ってる。確かにひとつひとつはなんてことない仕事かもしれないけどよ、そういうものの積み重ねが、社長とか営業とか客先の信頼を作ってるんだよ。だから、お前が困ってたら助けてやろうって気になるんだ」


 くしゃっと最後に頭を撫でられて、部長の手が離れていった。

 私は、今聞いた言葉をうまく理解できなくて一瞬呆然とし、それから一気に顔を今より更に赤くさせた。音を付けるなら、ぶわって感じで。

 今まで事務の同僚や営業さん達、それに客先とも一定の距離をとって仕事をしてきた、と自分では思っていた。

フォローするのも仕事のうちで、信頼してくれてるとか、そういうことなんて全然考えたことがなかった。そんな風に周りが自分を見てくれていたなんて……。

 小さい頃、どうにも人付き合いが下手で、地味な性格で。周りの明るい子や華やかな子に隠れがちだった私に、田舎のじいちゃんはよく言って聞かせた。


『二十九日、どんなに目立たなくたってな、見てくれている人はいるんだぞ』


 小さい頃は信じていた言葉は、大人になって捻くれた私にも染みこんでいて。それが、こんな風に返ってくるなんて思ってもみなかった。ちくしょう、泣きそうだ!

 真っ赤になって俯いてしまった私に何を感じたのか、部長はそれ以上何にも言わないでただ隣に座っていてくれた。

 「俺も秋華賞、フーカタイフーンに賭けようかなあ」なんて冗談を言いながら。



***



「尾野さん、これの在庫って今なんこうりあるかすぐにわかるかな? これ、尾野さんが発注してくれてるんだよね?」

「あ、はい。ちょっと待ってください、確認します」


 席の前のカウンターに肘をついた木村さんがにこにこ顔で、「待つ待つ~、俺、一生でも待つ~」とか言うのに笑いながら、私は机の中から注文ファックスの返信を取り出す。

 ついでにいつもチェックしている在庫表も。


「ええと。明日三甲さんこうり入ってきます。在庫はあとバラで四つですねえ。間に合いますか?」

「うわー、助かる! じゃあ、今ある在庫、こっちでもらっちゃっていいかな?」

「大丈夫です。ナカキュウさんは昼出発で、これが入るの朝ですから」


 配送の時間を確認してからそう言うと、木村さんはがしりと私の両手を掴み、カウンターから身を乗り出した。ちょっと、ここ受付兼ねてるんで、早くどっかに行ってほしいんですけど。


「ありがとう! ちょう助かった! このお礼は今夜にでもイタリアレストランで……っいだっ!」

「このアホが!」


 真剣な顔をしてそんなことを言い始めた木村さんの頭を、後ろからやって来た榊部長が思いきりファイルで叩く。


「セクハラしてる暇があったら、さっさと在庫に予約の紙でもはっつけてこい!」


 パワハラだー!とか叫びつつ、木村さんは言われた通り、一階の倉庫へと走っていった。元気だなあ……。今年新卒で入った営業木村さんは、例えるなら肉は赤身!って感じだろう。

 なんて下らないことをつらつら考えていた私の頭に、ぽこりとさっきのファイルが振ってきた。えええ、私も同罪ですか!?

 見上げれば、そこには部長のなんだか楽しそうな笑顔。


「悪いんだけど、それの中身を確認して、ファイリングしといてくれ」

「あ、はい」


 言うだけ言って営業の島へ帰っていく部長の背を見送り、私は首を捻る。何で私?

 部長と組んでいる事務さんが休みってわけでもないし、こういう仕事の越境しちゃうとあんましよくないんだけどなあ。

 ちらりとその事務さんを伺えば、やっぱり面白くなさそうにこちらを見つめていた。

 これはさっさと終わらせてしまうに限る、とファイルを開くと、そこにあったのは一枚のメモの切れ端。


『飲みに行こう。携帯に要連絡』


 筆圧の強い、癖のある字でそれだけ。

 思わずばしっとファイルを閉じると、私はできるだけ自然な動きでそれを持って事務倉庫へと移動した。ばばばばばかじゃないのかなあ!

 変な音をたてる心臓辺りをぎゅっと押さえて、私はしばらく迷った後、スカートのポッケから携帯を取りだした。

 あの後いつの間にか登録されていたメールアドレスに、返事を送る。


『馬鹿ですか! ケンタウロス居酒屋で』



***



 あの飲み会の後、私と部長は会社でも挨拶に加えて、色々なことを話すようになった。時々は会社が終わった後、こうして一緒に飲みに行ったりもする。

 決して恋人ではない。それだけは馬に誓って絶対にない。馬の尻に誓ってもいい。

 今日も今日とて、金曜日でざわめくケンタウロス居酒屋の片隅。すでに馴染みになりつつある店員さんに手を挙げ、「いつもの!」とか頼んでいる榊部長を前に首を振る。


「ん? なんだ尾野、生まれたての子馬じゃあるまいし」

「子馬が可哀想じゃないですか! 今すぐ訂正してください」

「これまたダイナミックな卑下だな!」


 部長は私の言葉に遠慮無く吹き出すと、緩む口元に手を当てた。その左手に光る、ひとつの証。居酒屋特有のぼんやりとした光の中でも、それだけが眩しく私の目に映った。


『部長ね、亡くなった奥さんのこと、まだ忘れられないみたいよ』


 同僚の言葉が頭に響く。退社前のロッカールームで、わざわざ訊いてもいないのに教えてくれたその人の、少しだけ意地の悪い笑み。

 そういえば、部長の仕事を一手に引き受けているのはこの人だったと、思い出した時にはもうその人は、ぼんやりとした私を置いて出ていった後だった。

 変なの。そんなこと私に言わなくたって、これは絶対に恋じゃないのに。傷ついたりなんか、しないのに。


「どうした? ぼやっとして」


 ふわりと、いつものように頭に手を乗せられて、私はまばたきをして現実感を取り戻す。口から自然と嘘がこぼれた。


「ええっと。秋華賞のフーカタイフーンがあんまりに素晴らしい走りだったので、脳内的にレースを録画再生してました」

「おまえ、ほんっとうに馬が好きなんだなあ!」


 またか! どこで誰といたって、いつもこれを訊かれるのだ。

 小学生の時のあだ名は『馬女』。最高の誉め言葉だ、この野郎。中学生の時には競馬雑誌をにやにやしながら見つめていた罪により、生活指導室へ。結局、先生にレースの予想を教えて解放。高校では休みごとにデートをしたがる彼氏への妥協案として、毎週何かしら馬のいる場所へ行っていたら、「馬と俺とどっちが大事なんだよ!」って切れられたっけ。

 さすがにね、さすがに学習したからね。大学に入ってからは、地味に生きたよ。サークルだって『お馬さんを愛でる会』だった。それは真摯な気持ちで競馬に挑む男臭いサークルだったけど、充実した毎日を送れたよ。なんでか学内で「当たり屋」と呼ばれたけどな。

 そんなしょぼい人生を思い返しつつ、いつの間にか来ていた生中なまちゅうをいっきに流し込む。


「ちょ、お前、お疲れさまとかそういうのはどうした」


 突然の私の行動に、いつも穏やかな目をまん丸くした部長が声を掛けるが、無視。そのまま息継ぎもせずに飲み干すと、ついでに部長の生中も奪い取っていっき飲み。

 唖然として固まる部長を置いてけぼりにして、近くを通ったケンタウロス店員さんにおかわりを追加注文。しかし、いつ見てもいい青鹿毛あおかげの下半身。


「お、尾野、さん?」


 なぜか微妙に丁寧になった呼びかけに、私は眉を寄せた。


「馬が好きでなにが悪い! 輝く毛並み、躍動する筋肉、そして尻! 馬の尻ほど見ていて飽きないものはないっ!」


 がつっと拳を机に叩きつけそう叫べば、間髪入れずに、この店の大多数を占めるケンタウロスの店員とお客さんから拍手と賛同の嵐。やっちまった。いや、もういいや、変態の方向で。

 私はヒト科ヒト属メスとしての何か大切なものを捨て、笑顔でその声援に応える。

 すると、頼んでもいないビールのピッチャーが目の前に差し出された。運んできた店員さんをまじまじと見る。


「頼んでないんですけど……?」

「あちらの芦毛のケンタウロスさまからです」


 しめされた方向に顔を向ければ、そこには見た目運送業系統のケンタウロスなおっちゃんが、人の好い笑顔でこちらに手を振っていた。お、おやっさあああん!

 そして青鹿毛店員さんは、「これは当店からのサービスです!」とにっこり笑って、ナスときゅうりの浅漬けをひと皿置いていってくれる。

 う、馬はいいなあああああっ、と思わず涙ぐんだ私はそこではたと気付く。私はメスとしてじゃなく、社会人として何か大切なものを忘れなかったか?


「人気者だなあ、尾野」


 私の奇行に動じた風でもなく、ご相伴に預かりまーす、なんて呟きつつ部長がピッチャーから空になったジョッキにビールを注ぐ。

 そして固まる私にかまわずに、かちんとジョッキ同士をぶつけて人好きのする笑みを浮かべた。


「尾野は会社でもどこでも、人気者だよな」

「ど、どこが!」


 気持ちいい飲みっぷりでジョッキを空けた後、二杯目を注ぎながらぽつりと部長はそんなことを言う。危うくビールを吹きかけそうになった私は、空気を求めて呻いた。

 渡されたおしぼりで口元を押さえる。なんか今日、調子狂うなあ!


「私、地味で目立たない事務員なんですけど」

「どこが!」


 息を整えてそう呟くと、今度は部長が驚いたように叫んだ。ええええ。

 どこが、と言われても、ねえ。眉間に皺を寄せて考え込む私を見て、部長は大きなため息をついて額に手を当てる。


「おまえなあ、全然気が付いてないのか?」

「何をですか?」

「営業の木村だよ。お前がこの間助けてやった」

「木村さんは知ってますけど、それがなにか?」


 聞き返した瞬間、部長は机に突っ伏した。ごつっといい音が額辺りで聞こえる。なにそのリアクション。

 慌てて頭に手を伸ばすと、それを狙いすましたかのようにぐっと強く掴まれた。私の手首なんて軽く包み込む、大きくてちょっと骨ばった男の手。

 驚いて下を見れば、少し額を赤くした部長が真剣なまなざしでこちらをじっと見上げていた。いつもの、穏やかで優しい瞳じゃない。それが剥がれて、むき出しの。男の。


「……木村だけじゃない。お前が入社してから営業どもが浮き足立つ浮き足立つ。終いにはお前とのコンビを賭けてソリティア大会なんてやってっから、俺がその方向に信用のある和久井さんを指名したんだよ。知らないだろ?」

「初耳です……」

「それだけじゃないぞ。お前と飲むようになってから、あいつらのうるさいこと。どっから嗅ぎつけてくんだかな。職権乱用だ!とか、組合を作って俺が近付くのを阻止する!とか息巻いてやがったから、悔しかったら部長になれってはっぱかけといたけど」


 掴んでいた手首から手のひらに移動させて、部長がくくくとどこか黒い笑みを零した。私が何か言う前に、その繋がれた手の甲を、ゆっくりと部長の親指がなぞる。

 ぞわりと背筋に走った甘い感覚に私は、ぐっと身体に力を込めた。どうして?

 何も言えずに無言で見つめ返せば、部長はそのまま机から身体を起こし、私の掴まれた指先に唇を寄せた。


「今日は飲めよ。できれば潰れてくれ。俺が持って帰りたいから」


 そんなの、指輪が光るその手のままで言ってほしくなかったのに――。



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