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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
6/34

不審者と夜の痛み



「ねえ、お願いです二十九日さん……、入れさせてください」

「断る」

「いじわる言わないでください。……ねえいいでしょう?」

「駄目だ!」

「先っぽだけでもいいんです、ね?」

「ね、じゃないっ! そんなの突っ込んだら壊れるだろうがっ」

「大丈夫、優しく入れますから……」

「や、だって言って……っ」


 優しい、甘えたような口調の癖に、やってることは相変わらず。

 この根拠に欠ける押せ押せ姿勢はなんなんだ、田中! 半分馬だからって調子にのんなよ!

 ぐぐぐ、と迫り来るうっとりとした顔が、今日も美しいので余計に腹立つ。


「お前達、昼間からずいぶん卑猥な会話だな」


 もはや日常となりつつある田中との攻防中。

 突然、後ろからかけられた声に私は吃驚して、思わず掴んでいた郵便受けの蓋を放す。しまったああ!


「隙あり!」


 慌てて再び手を伸ばすものの、時すでに遅し。目の前のバカ馬は、手にしていた手紙の束をその中へと突っ込んでしまった。ちくしょおおおお!

 毎日、毎日、何の嫌がらせだこの馬鹿は!

 一日一通ならまだしも、週末を挟むと二桁に増えるってなんの法則だ!


「うちの郵便受けを壊すつもりか、この馬鹿馬が!!」

「馬鹿に馬を付けたら、頭痛が痛いと同じになりません? 馬から落馬するとか」

「むかつくううう、心底むかつくううう!」


 足を振り上げて尻を蹴りつけるも、なんでそんな嬉しそうな顔をするんだ、田中。気持ち悪い、気持ち悪いよ、このケンタウロス!


「僕、SかMかって言われれば、ちょっとMかもしれないです……」

「頬を染めるな。目を潤ませるな。もう息もするな。存在するな」

「言葉攻めもいいですね。あ、もちろん、二十九日さん限定ですから!」


 安心してくださいねっ、と目尻を下げてとろけるような笑みを向ける田中に、もはや私の打てる手だては無いに等しい。ていうか、無い。ないない、無理無理。

 誰か猟友会の人、と辺りに視線を走らせてようやく思い出す。私の後ろに立ち、無表情にこの光景を眺めている人物に。


「おい、駐在。わいせつ物陳列罪でこの馬をぶちこんどけ」

「個人の性癖に地方警察職員が口を挟むことは出来ない。頑張って励んでくれ。子供――いや、子馬が出来たら経過観察をさせろと杉村獣医が言っていたぞ」

「お前ら全員、下の毛だけ禿げろ」

「微妙に嫌な呪いをかけるな、尻の残念な尾野」

「今の会話に何か尻が関係あった!?」


 田中のような派手さはないが、日本男児としては充分整った顔立ち。私の言葉に大野は涼やかな目元を歪ませ、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。忘れてた、こいつも抹殺対象その二だった。

 小さい頃、じいちゃんのこの家に遊びに来るたびにどつきまわされた記憶が甦る。

 そうだ、その時もこいつはこんな顔で笑って、私を川や沼に突き落としたりしてたっけ……。このドエス警官が!!


「気にするな。尻は俺の趣味だ。残念ながら、お前はその中に入っていない」

「うわあ、よかったあ」


 真面目な警察官その物の顔でそんな外道なセリフを口にする大野に、私はひたすら棒読みで答える。こいつらの独身寮、早く潰れればいいのに。

 誰だよこいつを公務員に合格なんかさせてんのは。明らかにこいつはあっち側の何かだろうが!


「ちょっと、大野さん! この前も言いましたけど、僕の二十九日さんには尻も胸も必要ないんですよ。こんなにぷんぷんいい匂いさせてるだけで、もう僕のわいせつ物が……」

「いいか、言うなよ。その先は絶対に言うなよ」

「田中、真夜中のボーイズトークは女性に言うものではない」

「お前もナチュラルに気色悪いんだよ、駐在!」


 どうしよう、深刻な突っ込み不足だ。ボケにボケを重ねてくる奴らを私一人でどうしろって言うんだ。

 とにかく混ぜては危険だなんだから、ひとりひとり対処しよう。そうしよう。

 だが、その前に――。


「あいたっ! 何でっ!? 何で僕にかかと落としなんですかっ、二十九日さんっ!」

「ほら、嬉しいんだろ? 嬉しかったらもっと笑えよ、田中!」

「ちょっ、二十九日さんっ、そこは駄目ですっ! そこはちょっと微妙なっ……ああ!」

「さすがケンタウロス田中。尾野の何かを目覚めさせたようだぞ」


 どこぞの微妙で繊細な場所を安全靴で思い切り踏みつけ、頬を上気させたままぐったりと動かなくなった田中を後目に、私はようやくもう一人の変態に用件を質す。

 これでまともに返答がないようだったら、大好きな尻――主にここで横になっている田中の――に、失神するほど顔を押しつけてやろうと心に誓う。まさにトラウマ。


「落ち着け、尾野。危険な思想は捨てるんだ」

「うるさいっ! 用件を言え、用件を!」


 半眼で怒鳴りつければ、やや青ざめた顔の大野が手にしていたチラシを私に渡す。

 藁半紙に手作り感溢れるポップなイラスト。どこの女子高生だっていう特徴のある文字。


 『気をつけよう☆ 最近、地区に不審者の目撃情報あり☆』


 わあい、可愛いクマのイラスト!


「……きもっ」

「失礼な奴だな。だから尻が小さいままなんだぞ、尾野」

「いい加減尻から話題を放さないと、田中の尻を味わわせるけど?」

「……ごめんなさい」


 よし、謎の達成感。今日も詰まらぬものを斬ってしまった。

 にしても、と私は可愛いイラストも文字も脳内でスルーをしつつ、改めてそのチラシに目を通す。

 こんな片田舎で不審者情報なんて、珍しいこともあるものだ。大体こんな所、じじいとばばあと変態くらいしかいないし、歩いていればよそ者だってすぐにばれる。空き巣や強盗が狙うような金持ちも存在しない。

 何が目的でうろちょろしてるんだか、この不審者は。


「お前たち変態が放つ空気がこういうのを呼び寄せるんだ。お前たちが悪い」

「地区で評判のイケメン独身たちを掴まえて何を言う。とにかく尾野、お前は乳も尻も残念だが、一応独身女性の一人住まいだからな。何かあったらすぐに通報しろ。戸締まりにはくれぐれも気を付けるんだぞ」

「途中の何かに引っかかりを覚えるけど、一応気を付ける」


 口では何だかんだと言うが、この大野が職務に忠実な警官であることには間違いはない。とりあえず素直に頷く。

 その私の頭を軽く叩くと、大野は近くに止めてあった自転車に乗って去っていった。もう二度と来てくれるな。

 さて私も仕事に戻るかなあ、と家へ向けたその足に絡みつく腕が二本。


「ひどいですう、ひどいですよ、二十九日さああんっ」

「職務怠慢だぞ、郵便局員。こんな所に転がってないで、さっさと配達に戻れ」

「今日はもう終わったんですっ。だから一秒でも長く二十九日さんの傍にいようって駆けつけたのに、こんなのひどいっ。僕は色々きちんと考えていたんですよ!? 初めてはこの家で、床に敷いた藁のちょっとちくちくした感触にくすぐったそうに身をよじる二十九日さん……。そんなあなたを僕は優しく掴まえて――」

「安全靴は鉄板入りだと知っているのか、田中」

「いやああっ! 駄目ですっ! それは駄目ですってば、二十九日さん! 僕のっ僕のがああぁ!!」



***



 疲れた。物凄く、疲れた。

 いらんものを踏みつけて普段使わない筋肉まで使ったもんだから、身体の節々が痛みを訴えている。筋肉痛がすぐに現れるだけまだいいのか。

 風呂上がりに軽くストレッチをしつつ、私は夕方の会話を思い出していた。無論、田中以外の部分だ。

 何か引っかかるんだよなあ、不審者。


『ぼさぼさの天パ、無精髭、長身。外見は限りなくクマに近し。大きな荷物を所持していた、との情報もあり。テントで寝泊まりしていることも考えられるので、夜の外出には気を付けられたし』


 なんか、こういう外見の人間をひとり知っている気がするんだよ。すごく嫌なことに。

 まさかとは思うが、そのまさかを転がってくる男。

 脳裏に浮かんだその面影に、私はぶるりと身を震わせる。いやいやいやいや、ない。今の忙しい時期、こんな所に出没するほどあれは暇じゃないだろう。ないと思いたい。

 大体、いたとしても私に何の関係がある?

 ごろりと寝床に仰向けになって、私は枕元に無造作に置かれた茶封筒を手に取った。書類の束に手を突っ込んで、一枚のメモを取り出す。

 それはこの前、私を動揺させた言葉の欠片。捨てるに捨てられず、無視も出来ず、なんとなく手にしてしまう憎たらしい文字。


『どこにいる? 会いたい』


 私は会いたくない。会えない。だけど、それは本当に?

 あの頃に戻りたくなくて、顔を合わせたくもなくて、ここに逃げてきた。それは真実。

 けれど、もしも。もしも、あの人が本当に追いかけて来たら、私はどうする?

 そもそも、何で私は何も言わずにここに来たんだろう。

 直接会って、別れを告げればそれですんだはずなのに。何もかも、それで終わりに出来たはずなのに、どうして言えなかった?

 不意に鈍く痛みはじめたこめかみを押さえ、私は横向きになるとそのままきつく目を閉じる。

 灯りを消して目の裏の残像を追い払い、そしてここに来てからずっと口に出来なかったその名前を呼んだ。


「榊部長……」


 暗闇の中で未だ甘く響くその名前に痛む胸を無理矢理沈めて、私は苦しい過去の中へと落ちていった。


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