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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
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切れ端とおはじき




 午後十時の最後の餌やりを終え、ブラッシングでお互いの愛を確認した私はアルカディア号を休ませるためにしぶしぶと母屋へと引き上げた。

 まあいい、昨日のグラビアホースたちと妄想の中で戯れるという上級者の楽しみが私を待っている。

 ふふふと口元からマジに流れる涎を拭いつつ、風呂上がりのご褒美ビールを一本手にした私は、そこで今日届いた書留の存在を思い出した。

 東京から田舎に引っ込んだ馬フェチの私に、書留なんて物を送ってくるのはうちの両親か仕事関係者だけだ。あえて言おう、友達などひとりも存在しないと。

 また見合い写真とかだったら嫌だなあ、とか思いつつ素っ気ない茶封筒を開いてみれば、出てきたのは本社に頼んでいた資料の束だった。

 まあ急ぐ物でもないし、今日は飲んじゃったし……と色々言い訳をしつつ、そのまま多少乱暴にダイニングテーブルに書類を放る。

 すると、その勢いで書類の間から何かの紙がひらりと舞った。

 小さな紙の切れ端。見覚えのある筆圧の強い文字。走り書きの言葉に息を、止める。


“どこにいる? 会いたい”


 過去の亡霊が甦ったように、その言葉が熱を持って身体の中に浸透してくる。

 囁かれた耳に、少しだけ欲望に掠れる懐かしい声。

 優しい言葉なんてひとつも口にしなかった癖に、別れを切り出そうとすると必ずそれを遮った唇の感触。 私から言葉を奪うようにいつも、与えられるのは全てを飲み込んでしまうようなそんな触れあいで――。

 がつっと床に何かが落ちる音に幻は振り払われる。

 まだ充分に中身が残っていたビールが床に広がり、裸足の足に冷たい感触が届いたところで、私はようやく手近の布巾を取ってそれを拭い始めた。

 身体が、心がまだ、震える。

 どんなに物理的に距離をとったとしても、悔しいほど私は未だ『彼』に囚われたままだと、あまりの滑稽さに笑いさえ覚える。


「バカみたい……」


 ため息とともに零れた言葉に、切れ端がかさりと音を立てた。

 ビールを拭った布巾を洗う気力も無く、勿体ないけれどそのままゴミ箱に投げ捨てると、一瞬迷ってからその紙は元の茶封筒の中へと封印する。

 見たくないけれど捨てられない。今の私の気持ちと同じように。

 なんだか何もかものやる気をなくし、駄目にした替わりのビールをもう一本空けるのも躊躇われて仕方なく自室へと足を向ける。

 最早年頃の女性の部屋とも思えぬ万年床に思い切り寝転がり、もう一度軽くため息。

 会社に友人もいなければ、私の今の住所を知っているのは直属の上司くらいだし、他部署で仕事上なんら関わりのない『彼』においそれと個人情報を開示したりはまさかしないだろう。

 そう冷静に考えてみても、何だか胸に巣くったもやもやは一向に晴れてくれない。

 一体私は何を望んでいる?

 『彼』にばれずにこのままやり過ごし、お互いに忘れてしまうこと?――かもしれない。

 それとも、なりふり構わず『彼』にここまで追いかけてきてほしい?

 おまえが必要だと、そんな嘘をまた囁いて抱かれたいわけ?――わからない。

 考えれば考えるほどに泥沼にはまる思考に嫌気が差し、寝てしまおうかと枕元の電気スタンドに手を伸ばしたところで、そこに置いてあった手紙の束に目がいった。

 それは毎日届けられるあのケンタウロスからの手紙。

 本気なのか、娯楽の少ない田舎での駆け引きのような遊びなのか。よくわからないまま受け取っている手紙は、彼が私に会いに来ない日にも、いつのまにか設置した郵便受けの中にごく自然に入っているのだった。

 まだ一度も開けたことのない、それ。田中はそれについては何も触れることはない。

 白いシンプルな封筒に、私の名前。裏には律儀に自分の住所と名前が書かれていて、普段のストーカー並みの態度と真逆で、ちょっと笑えた。

 今日の言葉通りに封筒の表にはきちんと切手が貼られ、ご丁寧に消印まで押されている。内勤の局員が彼の行動に対してどう思っているのか、聞きたいような聞きたくないような。

 この際だから、と私はその手紙を一通、思い切って開封してみることにした。

 私の名前だけ延々と書かれていたり、日々の私の行動記録が逐一書かれていたりしたら、真面目に駐在さんを頼ろう――そう心に決めて、封を破る。

 すると中から掌の上にこぼれ落ちてきたのは、ガラスのおはじき二つ。

 透明に赤い色が混じったものと、青色のと。スタンドの灯りだけの部屋で、まるで宝石か何かのようにきらきらと光を反射する。

 驚いて封筒の中を覗き込むと、そこには小さなメモのような手紙がひとつ。


『河合さんちのミミちゃん提供です。女はきらきらしたものが好きなのよ!とのこと』


 表書きと同じ綺麗な、だけどどこか大らかな字でただそれだけが書いてある。

 確か河合さんとこのミミちゃんはまだ四歳だったと思うけど、まさか田中、恋愛相談とかしてるんじゃないだろうな……。すごくあり得るが。

 興味を引かれてもうひとつ、封を開けてみる。まるでクリスマス前にもらう、アドベントカレンダーを開ける時のようにどこか躍る心。

 今度掌に落ちてきたのは、すっかり乾いてしまった緑のクローバー。しかも四葉。


『配達の途中で見つけました。素敵なことが二十九日さんに起こりますように』


 開けば次から次へと小さなプレゼントが転がり落ちてくる。わずかずつ気持ちが降り積もるように、押しつけない優しさで包み込まれるように。


『この地図でわかりますか? この間見つけた絶景夕陽スポットです』


『携帯で撮ったからちょっと小さいですけど、この雲、馬の形に似ていると思うんです』


『美女撫子という花の種をもらったのでお裾分け。 花の名前を聞いた時、二十九日さんが浮かびました』


 胸がひどく苦しい。

 恋はいつでも身を抉るような、心を切り刻むようなものだったはずなのに……こんな美しい気持ちを私は知らない。私には返す術がない。

 小さい頃、まだ小さかった私の手にすり寄ってきた子馬に抱いた、暖かな気持ちの裏の大きな恐怖感に似ている。頼りない命に抱いた、不安。それにあの子馬は――。

 いつの間にか冷え切っていた身体を抱き締め、私は軽く頭を振った。

 これは違う。これは、あのメモを見て心が揺れていただけ。絶対に違う。

 布団の上に散らばった物と手紙を手早くまとめ、近くにあった空の缶の中へとしまい込む。何もかもに蓋をして、今は、まだ。

 スタンドの灯りを消して、何かから身を守るようにして布団に潜る。

 眠る前に誰かの顔が浮かんだけれど、それが誰だったのかわかる前に私は眠りに落ちた。



***



「知っていますか、二十九日さん。ドライブスルーってケンタウロスでも可なんですよ?」

「お前は黙って北の大地でソリでも引いてろ!」

「試される大地ですね、婚前旅行には最適ですよねっ。二十九日さん、やっぱり時計台とか行きたいですか? それとも羊ヶ丘で羊を食べながら羊を愛でるとか? 僕、同族はちょっとあれなんですけど、羊だったら食べられますよ」

「色々ツッコミが追いつかないんだけど!?」

「すみません、僕としたことが少し急ぎすぎましたね。そうですよね、まずは近くの温泉に日帰りくらいからスタートですよね! 最近はケンタウロス族客専用の部屋とかあるんですよー。あ、行き帰りは当然僕に乗って頂いて結構です! 本来僕たちは鞍を付けられるなんて屈辱の極みなんですが、二十九日さんは特別です! なんなら付けずに乗って頂いても。僕、絶対に振り落としたりしませんから。ああ……二十九日さんのお尻、素敵な感触なんでしょうねえ……」

「ばんえい競馬場に連絡してやるから、心おきなく北で試されてこい」

「心配要りませんよ。二十九日さんのひとりくらい、僕は背に乗せていても第二障害を余裕で越えていけますから!」

「今、すごい自然に重りの四百八十キロと同じ扱いにされたんだけど!?」

「新婚旅行は北海道で牧場巡りもいいですよねえ……、可愛い子馬を見ながら僕たちの家族計画を話し合うなんて、幸せすぎて……」

「私産まないよ!? 子馬なんて産まないよ!?」


 今朝目が覚めて、何とも言えない重苦しい気持ちに悩まされた私がバカだった。

 どんな顔して会ったらいいんだとか、手紙についてなんか言ったほうがいいんだろうかと、餌を食べていたアルカディア号に心配をかけてしまったくらい考え込んだというのに、この馬は!

 珍しい白いシンプルなシャツ姿で現れたかと思ったら、「僕、今日お休みなんです!」から始まった一連の言葉に、私は個人的に気まずいことも悩みの種である昨日のメモのことも忘れ、いつも通りの会話を繰り広げてしまっていた。

 悩んだ私がバカだった。そう結論づけてため息をつくと、突然ぽん、と頭の上に暖かな掌の感触。

 慌てて見上げると、そこにはひどく優しい瞳をした田中の笑顔。

 氷のように薄い青がじっと私を見つめ、何かを許すように細められた。色はまるで透き通るほどなのにその奥にあるものは深くて、今の私の所からでは絶対に届かない。

 いつもは豊かに変わる表情で気にならないその美貌が、ただひたすらに私の前にあった。

 形の良い眉、男らしさを損なうことのない程度に長い睫毛、高すぎないすうっと通った鼻梁の線。その下の、笑うとどこか子供っぽく見える大きな口が今は黙って、少し乾いた唇がかすかに笑みの形に持ち上げられている。

 理屈も何も抜きに、私はその切なさに何も言えなくなってしまった。

 そうっと髪を梳く大きく温かな手が耳を掠め、私は彼から目を逸らし、再び俯いた。

 彼は待っている。

 何故なんてわからないけれど、ずっとずっと、私のことを待っているんだ。まだ、何も答えられない私を――。


「……ドライブスルーは却下だけど、絶景の夕陽コースくらいは付き合ってもいい」


 そこに踏み込んでいけない私はやっぱり手前で立ち止まる。

 それは絶対に置いて行かれない事を知って駄々を捏ねる子供のようにずるいことなのに、田中はどうしようもないくらいに綺麗な笑顔で私に手を差し出した。


「ご案内します!」


 今はまだ、この手の距離で――。



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