真夜中のボーイズライフ
「お前しかいないっ! お前しかいないんだよ! わかってくれるよな、東馬!」
「いえ、全然わかりませんし、わかりたくもありませんけど帰れよ乳魔神が」
「そうかそうか! わかってくれるか!」
「さすが、俺たちの後輩だけはあるな」
さらりと混ぜた悪意もスルーして、真夜中に人を叩き起こした先輩ふたりは真っ赤な顔をしてうんうんと頷く。酔ってる、この人たち確実に酔ってる。
さあ、それじゃあひと蹴り行きますか、と渋々立ち上がった僕に、大野さんが何かの写真を突きつけた。
薄暗い部屋の中。何かと思ってまじまじと見つめた僕の目に飛び込んできたのは!
「ひっ、ひっ、二十九日さんっ!」
「尾野二十九日七歳の夏。撮影者は俺の父だ」
桃色のワンピースを着て、麦わら帽子を被った小さな彼女が、写真の向こうから僕を見つめてはにかんだ笑みを浮かべていた。
角度的にちょっとだけちら見えするかぼちゃパンツが、また何とも言えない無邪気な可愛らしさを演出していて、思わず僕の何かが立ち上がるのを感じる。なんていうか、やる気的なものが。
そうしてその笑みに誘われるように手を伸ばしたところで、さっと写真は目の前から取り上げられてしまった。
「何するんですか、大野さん! 僕はまだ一分もはあはあできてないじゃないですか!」
「本当に時々ものすごく残念な美形だな、お前は」
「それがあれば僕、しばらくは寂しくないんです!」
「気持ちはわかるが、七歳の尾野に対してそれはどうだろうな、田中」
闘牛のごとく、写真にむかって突進しようとする俺を抑え付けながら、大野さんはその写真を今度は杉村さんへとバトンする。
ああ、僕の二十九日さんが、どうしようもなく汚らわしい二人の手あかにまみれてしまう!
「返して下さいっ! 二十九日さんの思い出が穢れるでしょうっ」
「何か今俺、ものすごい病原菌的な扱いされたんだけども、東馬君。これが欲しいのかい?」
にんまりと嫌な笑みを浮かべて、杉村さんがひらひらと写真を見せつけるように振る。そのあまりの憎たらしさに、僕は無意識に畳の上を蹄でがりがりと引っ掻いてしまう。
そろそろ畳みも替え時だなあ、なんて頭の片隅で考えつつ、僕は身体に抱きついている大野さんをひとまず振り払う。
そうしてにやにやと笑う杉村さんを睨み、仕方なくこちらから口火を切った。
「それで、僕に何をしろっていうんです……?」
もう半分以上は負けたも同然の物言いに、吹き飛ばされて転がっていた大野さんも、目の前の杉村さんも満面の笑みを浮かべて見せた。うわあ、きも。
ふたりはアイコンタクトで何やら合図を交わすと、床に置かれたままだった大きな袋の中に手を突っ込む。
そして。
「もうすぐクリスマスだよね、東馬君!」
二十九日さん、愛しの二十九日さん。
僕はあなたのためならば悪魔とだって取り引きします!
***
「よい子のみんなー! みんなのために、今日は特別にサンタウロスさんが来てくれたよー! はくしゅーっ」
そんな保育士さんの声とともに、この時期になるとかかる陽気なクリスマスソングが鳴り始め、僕は渋々と園児たちの待つ部屋の中へと入っていった。背後にはお腹をかかえて大笑いする、悪魔のような先輩ふたり。ふふふ。
写真さえ無事に手には入ったら、あの二人のクリスマスから正月を凍り付くようなものに変えてやろう、と決意を新たに僕はこちらをじっと見ている園児たちに笑顔をむけた。
「メリークリスマース! サンタウロスさんだよー!」
僕がサービスサービス、とちょっと前足をあげて挨拶をすれば、びっくりした顔をしていた園児たちが一斉に僕へと群がってきた。
尻尾を引っ張り、腹をつねり、男としてもケンタウロスとしても大事な場所にまで、その小さな手を伸ばしてくる園児たちに、僕は防戦一方。あっ、いやっ、ちょっとそこ、駄目だって!
助けを求めるように保育士さんを見つめてみるが、微笑ましそうに見つめ返されるだけで、どうにもならない。ぼっ、僕の身体は二十九日さんのものなのに!
「ほ、ほうらっ、よい子のみんなはプレゼント欲しくないのかなあ!」
慌てて担いできた白いサンタ袋を掲げてみせれば、園児たちはそれはそれは素直に「ほしいーっ」と声を合わせる。危ない危ない。僕の純潔をこんなところで散らすところだった。
ため息をつき、僕は気を取り直すと園児たちを一列に並ばせる。
中身はなんてことないお菓子の詰め合わせだが、受け取った園児たちは心底嬉しそうな笑顔で「サンタウロスさんありがとう!」と言ってくれた。
これはまあ、悪い気はしないかも。
「プレゼントもらって嬉しいひと、どこにいるのかなー?」
保育士さんがそう言えば、みんなきゃあきゃあ言いながら手を挙げる。
ちらり、と部屋の外を振り返ってみれば、なんとなく満足げな顔で大野さんと杉村さんが笑っていた。それは、さっきまでの意地の悪いものではなくて。
そう言えば、ここに来てからこういう地域の行事には参加したことがなかったなあ、と思い当たる。
ご近所や普段配達なんかでお付き合いのある人たち以外は、まだ僕のことを遠巻きにしている人も多い。もしかしたら僕を、この地区にとけ込ませようとしてくれたんだろうか。
その後少しだけ子供たちと遊んだ僕は、そんな感動を胸に抱きつつ、大野さんと杉村さんに合流した。
「サンタウロスとか、ふたりとも真面目に勃たなくなればいいのに、とか呪いをかけたりしましたけど、やってみるといいものですねっ」
「今すごく恐ろしいことを告白された気がするけど、東馬が楽しそうで何よりだな!」
「新参者はこうして地域貢献するのが習わしだ」
僕の言葉にふたりはうんうんと頷いてみせる。
そうして大野さんが懐から取りだした写真を、ようやく僕へと進呈してくれた。ああ、なんと可愛らしい二十九日さん……。
かすかにでも匂いがついていればいいのに、と少しだけ口惜しい。
「それじゃあ、東馬。年明けも頼むわ!」
「安心しろ。今度は獅子だ。獅子タウロスだ」
「は?」
いやあ、よかったよかった、と頷きあう二人に、僕はさっきまでの感動が音を立てて崩れていくのを感じた。
そこに追い打ちをかけるように、羽が生えたように口が軽い杉村さんがさらに口を滑らせる。
「今日の報酬がワインと若鶏だろう? んでもって、獅子の件じゃ大吟醸を三本ももらえたし。もう、年末年始にかけて、飲み物的には困ることがないなっ」
「……杉村、俺はお前のそういうところが嫌いだ」
「なんだよう、急にぃ」
「杉村さん、大野さん。僕、大事なお話があるんですけど!」
そういうところには敏感な大野さんが、僕の笑顔に何かを察知した時にはもう遅い。
聞こえようによっては上機嫌にも感じられる僕の声に、はっと杉村さんが息を詰めた。彼がインパラだったとしたら、二秒でこの世から消えているだろうってくらい鈍い。
本当に、僕が草食系でよかったですよね、杉村さん。
がしり、と二人の肩を掴み、僕はささやく。
「僕知ってるんですよ……どこかの地方にいる、悪い子をあぶり出す鬼のこと……」
「ええええ、悪い子ってどこにいるんだろうなあっ」
「まったく。俺たちは本当に今年もよく働いたと思う」
「うふふふふ」
ひっくり返った声で交わされる今さらの言葉に、僕も調子を合わせるように微笑んだ。
そうして後ろ足は準備万端、ガツッガツッと土を蹴る。
「せっかくの聖夜なんで、サンタウロスさんが悪魔を退治してあげますねっ。大丈夫、煩悩なんて百八回蹴り飛ばせば全部出ていきますから!」
「田中、西洋と東洋が不協和音を奏でているぞ!」
「俺が俺であるためには煩悩が必要なんだあああああっ」
その日、ふたりの身体には無数の蹄鉄スタンプが押され、お酒を飲んではしゃぐどころではなく寝込んでしまった。
その間に僕はパソコンに取り込んだ例の写真を、拡大して抱き枕へとプリントしてみたりしたのだった。やっぱり、よい子のところにはサンタさんが来るんだなあ、と僕は小さな二十九日さんの顔に頬ずりしながら、今日も心地よい眠りにつくのだった。