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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
26/34

朝と夜の半分



 しばらくぼんやりと、消えていった駐在の背中を夜の闇に見つめ、そうして私は余韻を振りきるようにして家の中へと戻った。

 玄関の扉を閉めたとたん、なぜか涙がこぼれ落ちてくる。

 悲しい思いをしたのは私じゃないのに。私はただ、駐在にわがままを押しつけただけなのに。なんで、こんなに泣けてくるんだろう。


「二十九日さん」


 ふっと温かな胸に抱き込まれて、耳元で優しく名前を呼ばれた。

 懐かしい、お日様の匂いと乾いた干し草の香り。田中の香り。背に回った手に、ゆっくりと宥めるように撫でられて、私は我慢していた声を漏らした。

 しゃくり上げながら、なんて自分は別れ方が下手なんだろうと、それだけを思う。


「傷……つけたっ。じ、ぶんの、ことしか考えないで……私……っ」

「好きな女性につけられた傷は、男の勲章ですから」

「だって……っ」

「泣き寝入りする人じゃないですって。……あなたの口付けを最後の最後に奪っていった人ですよっ。ああっ、思い出しただけでも腹が立ちます!」


 わざと怒ったような声を上げた田中が、ちゅっと私の目尻に唇を触れさせる。流れる涙を舌ですくい取り、何度も何度も。

 そのくすぐったさに首をすくめると、ふわり、と身体を抱き上げられた。びっくりして思わず目の前にあった田中の頭にすがりつく。


「たっ、田中!?」

「東馬ですよ、二十九日さん」


 腰と膝裏に手を回して抱きかかえた田中は、私のあげた抗議の声を無視し、家の奥へと歩いていく。二人分の体重を受けてぎしぎしと軋んだ音をあげる、古い廊下。

 そのまま居間に戻るのかと思えば、田中はそこを通り過ぎ、さらに奥へと入り込む。んん、ちょっと待て田中。この先は……私の寝室だぞ!?


「おまえ、なんで私の寝室の場所を知ってるんだ!」

「愛する人のことなら、何でも知っているものなんです」


 美しい言葉でさらっと自分の変態性を飾り立てたな、この馬が!

 さらに「暴れると落としちゃいますよ?」とにこやかに脅迫めいたことを付け加え、私の抵抗を封じた田中は、ついに寝室の襖を開けて中に侵入した。違うっ、違うんだよ!

 入って欲しくないわけじゃなく、あれやこれやをするのが嫌なわけでもなく、単に今ものすごく部屋が散らかってるっていうか!


「……ジョーバ?」

「べっ、別にいいだろうが! 私が部屋で乗馬マシンに跨って、なんちゃってひとり騎手ごっこして悦に入ってようが、お前には関係ないっ」

「またがって、るんですか。二十九日さん」


 私の寝室――という名の馬コレクション部屋に一歩足を踏み入れ、そのまま固まった田中はなぜか無表情で、焦って叫ぶ私へと問う。馬の写真集やら敷きっぱなしの布団やらの中で、異彩を放つ乗馬マシン。

 世の女性たちはこれでダイエットに励むらしいが、私の使用目的はそれとはかけ離れている。雨でも風でも馬がいなくても、これなら気軽に乗馬気分を味わえる。そう思い、アルカディア号亡き後に購入したものだ。


「笑いたきゃ笑え!」


 多少ふて腐れて私がそう言えば、何かがぶつり、と盛大な音を立てて切れたのが聞こえた気がした。いや、多分聞こえた。

 なんだろうと私が首を傾げる暇もなく、突然動き出した田中によって私は布団の上へと投げ出されてしまう。多少乱暴なその行為に、私は文句を言おうと田中を見上げて――ひと言も発する事は出来ずに、全ての文句は奴の唇に吸い取られて消えた。

 ぐっと私の両肩を掴み、布団に押しつけるようにして田中がのしかかってくる。ひどく性急に絡められる舌に追い立てられ、私は田中のシャツを掴んだ。

 こいつ、熱でもあるんじゃないか――と思うほどに感じる体温が、重なった肌から伝わってくる。足の間に入った身体が、肩を掴む手が、さし込まれた舌さえ熱くて、熱くて。どうにかなってしまいそう。

 それに加えてさっきから腹にあたる何かが、田中の突然の発情を明確な形へと表していた。


「と、うまぁ……っ」

「ずるいです、ずるいですよ、二十九日さんっ。僕、今日は我慢しようって思ったのに……!」


 軽く唇をついばみながら、せっぱ詰まったように囁かれた言葉に、私は眉をひそめる。なにのどこが私のせいなんだよ!

 不満に思った私は、喉に唇を押し当て、鎖骨の辺りを指でなぞっている田中の髪に手をさし込む。そして、顔を上げさせた。


「なんで……?」


 ゆっくりと、欲望を高めるような奴の指に身を震わせながら私が訊くと、熱に浮かされたような顔をした田中は、髪にさし込まれた私の手を取りながら笑った。それは無邪気なものとは程遠い、腰の辺りをぞくりとさせるような笑み。取られた手に、指が絡められる。


「ねえ、僕は半分馬なんですよ、二十九日さん。しかも、とっても優良な雄馬なんです。そんな僕に、あなたがあれに跨ってるところなんて想像させたら……こうなるじゃないですか」

「こ、このスケベ! あっ、あれは純粋に私の趣味だ!」

「もうあんなの捨てちゃいましょうよ。僕のほうが絶対に乗り心地がいいですよ! ねえ……?」


 炎のような欲望がちらつく薄い青の瞳に見上げられ、私は何も言えずに黙り込む。馬鹿みたいにだだ漏れの色気に、こちらは白旗を上げるしかない。

 絡められた手を強く握り返せば、その意味を悟った田中はこれ以上ないという艶やかな笑みを浮かべてキスを再開した。

 本人の申告通り、人のものより少しだけ長い舌が横暴なほどの動きであちらこちらを舐めとっていく。顎が疲れたと自由なほうの手で肩を叩いて抗議をすれば、今度は顔中に、そして首に鎖骨にとキスは止むことがない。


「僕、初めてなんで優しくできません!」


 そのセリフ、何か違うだろ!とのツッコミを入れる間もなく、私は田中の動きに翻弄されて、奴の発する熱の中に沈み込んでいったのだった。



***



(二十九日ちゃーんっ、二十九日ちゃんっ)


 どこかで聞き覚えのあるような、そんな声に名前を呼ばれてふっと意識が覚醒する。

 何度か瞬きをするけれど、そこは真っ暗な闇の中。何でかひどくだるい身体を、何とか腕で持ち上げて、私は辺りを見回した。

 どこまでも、どこまでも続いている暗闇。ここにいるのは私ひとりだけ。

 いまいち状況が掴めずにぼんやりとしていた私の耳に、またもやさっきの声が聞こえてきた。


(二十九日ちゃんっ、こっちだよ、二十九日ちゃん!)


 まだ声変わりも迎えていないような、少年の声。

 こっち、と言われて声が聞こえてきた方向に視線を向ければ、闇の中からふわりと一頭の子馬が姿を現した。

 栗毛の光る、サラブレッドの子馬。黒い瞳は濡れたように光り、真っ直ぐに私を見詰めている。この子馬、もしかして。


(エ、デン……?)

(そう、僕だよ! やっぱり二十九日ちゃんは覚えててくれた!)


 びっこを引きながら、子馬は――エデンは嬉しそうに私にその身体をすり寄せてきた。

 座ったままの私はまだうまく働かない頭のままで、反射的にその首筋を撫でてやる。人間のものよりも少し高めの体温。香る干し草の匂い。

 しばらくそうして撫でているうちに、私の頭は徐々に普段の思考回路を働かせ始めた。ちょっと待てよ、なんで、エデン?


(お前、なんで……?)

(二十九日ちゃんは僕のことが好きなんだよね? 二十九日ちゃんと僕は仲良しだよね?)


 エデンは嬉しそうにそう言って、小さな身体をこれでもかと私に押しつけてきた。それを受け止めながら私は、これはなんなんだろうと思う。夢? それとも幻?

 懐かしい重みと体温に泣きそうになる。

 これは一度私が失ってしまった大切なもの。二度と取り戻せないと思っていた、私の手からこぼれ落ちてしまった命。


(エデン……)


 名を呼べば、子馬は応えて顔を擦りつけてくる。

 ああ、このままずっと一緒にいられたらいいのに。そう私が思った、その時。


(駄目ですっ! 二十九日さんは僕の愛しい人なんですっ)


 またもや暗闇から別の声。

 それは思い出すまでもなく、いつも私にまとわりついてきた半人半獣のものだった。

 エデンを抱き留めたまま再び闇へと目を凝らせば、予想通り、今度はケンタウロスの田中が姿を現した。

 闇の中でもぼうっと浮かび上がって見える赤髪に、珍しく薄い色の瞳を怒りに釣り上げている。いつもの白いシャツをなびかせ、栗毛の足がかっかっと闇を蹴ってこちらへやって来た。

 そうして容赦なく私から子馬を引きはがし、今度は田中が私の身体を抱き締める。


(二十九日さんっ、ああ、僕の二十九日さんっ)

(た、田中!?)


 げしげし、とエデンを後ろ足で蹴り飛ばし、田中はひっしと私にすがりつく。もう、何が何やらわからない。エデンはエデンで、幼いながらも鋭くいななき、田中の後ろ足へと噛みついている。

 ……エデンが田中で田中がエデンで?


(何を勝手なことを言ってるんですか!? 二十九日さんは僕のですよ!)


 エデンとケンタウロス田中の小競り合いが続く中、どこから現れたのか、最後にやってきたのは二足歩行の田中だった。もちろん、ピンクのふりふりエプロンで。

 そうして背後からぎゅっと私に抱きつくと、ぺろり、とうなじに舌を這わせる。


(ぎゃっ)

(二十九日さん!?)


 思わず上げた悲鳴に、喧嘩に夢中になっていたエデンとケンタウロス田中がこちらの異変に気が付いた。私にセクハラをかますエプロン田中の姿を見つけると、「ずるいっ」とハモリながら、二匹は同じように私へと突進。

 結果、私はどことも知らない暗闇の中、三匹の田中にぎゅうぎゅうと抱き締められるはめになってしまった。く、苦しい!


(大好きですっ、愛してますっ、僕らの二十九日さん!)

(わかった! わかったからっ! 苦しいっ、死ぬ!)

(二十九日さんっ!!)


 暴れる私にかまわず、奴らはさらに力を込めて抱きついてきて――。





 あまりの苦しさに、叫び声を上げて夢から覚めた私の目に飛び込んできたのは、馬体。カーテンの隙間からこぼれる朝の光に輝く、栗毛の。

 それがなぜか私の胸の上に、半分乗っかってしまっていた。うん、これは苦しい。しかしいい尻だ。

 仰向けに寝ている私の胸に乗っかっている馬の尻。それを何の疑問も持たず、ついついいつもの癖で撫で回していると、黒い毛の尾がぴくっと動く。んん?


「ひ、二十九日さん、起き抜けにそんなことされたら僕……っ」


 私の目の前から馬の素晴らしい尻が消え、代わりにやってきたのは――陶然とした田中の顔。乱れた髪の毛と裸眼の瞳が、文句なしに色っぽい。美形は寝起きでも美形だな、なんて他人事のように思ってから――。


「たっ、たっ、田中っ!?」

「はいっ、あなたの田中東馬です! おはようございます、二十九日さん」


 そこにいたのは、朝日に照らされて完璧なフォルムを見せる馬の身体を持った、ケンタウロス田中。

 昨晩見た人の足はすでにそこにはなく、ただただ私の大好きな馬野か半身があるばかり。まるで昨日のことはすべて夢だったとでも言うように。


「おま、おま、おまえっ。あっ、足はどうしたっ」

「ああ、言ってませんでしたっけ?」


 下手な美術品よりよっぽど美しく、左右対称のその顔にうっとりとした笑みを浮かべながら、田中は言う。

 驚きのあまり布団の上に半身を起こした私の、何も身につけていない肩を撫でながら。


「僕、夜だけ二足歩行になっちゃうみたいなんです」


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