エプロンの正しい使用法
「ほら、どうです二十九日さん。僕って可憐でしょう?」
なぜにエプロンなんだ、田中。
しかもなぜにピンクでふりふりなんだ。ていうか、うちにそんなもの無かったはずなんだけど、どうして当然のように出てくるわけ!?
そして何でしまってある場所を、お前が知ってるんだ、二足歩行田中!
白いシャツに下半身丸出しで、その上からピンクのふりふりエプロンを着用した田中は、嬉しそうにくるりと一回転して見せる。ちらりとナニかが揺れて見えたのは、きっと私の目の錯覚だ。そうに違いない。
「すごいぞ、田中。丸出し状態からあれこれ隠したはずなのに、もっと卑猥になっている」
「いやだなあ、大野さん。そんな誉めないでくださいっ」
「誰も誉めてないんだよ、この馬鹿馬がっ!」
どこの乙女だと言うように、エプロンの裾をつまんでもじもじ照れる田中の姿に、私の何かが盛大に切れた。勢いに任せて置いてあった座布団を投げつける。
あの座布団、絶対あとで捨てよう。
「場内のお客様、座布団を投げるのはご遠慮下さい」
「駐在っ、馬鹿言ってないであれをなんとかしろっ」
「二十九日さんたら、そんなに激しく僕のことを……」
ほわっと嬉しそうに笑った田中は、すぐに何かに気が付いたようにエプロンの前を押さえた。まさかとは思うが、おまえ、それを口にしたらどうなるかわかっているんだろうな。
こちらをちらちら見つつ、ほんのり薄紅色に染まった頬も美しい田中は、ぽつりとそれを宣言した。
「二十九日さんがあんまり可愛らしいことするから、僕の中の野生が目覚めてきたっていうか……」
「恥じ入るところを大幅に間違っていると、どうしたらお前は理解するんだ!!」
「今のはかなり変態臭いが、男としてはむやみに怒れないな」
「お前らまとめてもげろ!」
心の中に渦巻くありったれの女性的暗黒面を言葉に込めて、私は駐在と田中に呪いの言葉をぶちまけた。久しぶりに、激しく疲れる。
私は軽く頭を振ると、無理矢理気持ちの切り替えを行った。このままボケにツッコミ続けていては、話が進まないし何より私が保たない。
そうして自らの股間をがっちり私の視線からガードしていた馬鹿二人に、居間に座るように指示。ていうか、そんなもんとらないから、押さえるな!
「とにかく、座れ。黙って座れ」
私の真剣な声音に何を感じ取ったのか、馬鹿二人は素直に大人しく居間の座卓の前に腰を下ろした。この際、田中の尻が丸見えだってことには突っ込まない。
私はそれを見届けると、朝使った出がらしの茶葉でお茶をいれる。あいつらにはこんなもので充分。
また馬鹿どもが余計な騒ぎを起こす前に、それを素早く適当な湯呑みに入れると、私は居間へと引き返した。日常の作業をしたことで、少しは心も落ち着いたらしい。
とりあえず、向かい合って座る二人から離れた誕生日席と呼ばれる位置につく。
「で? さっさと説明しろ、田中」
「あ、はい」
ぐいっとお茶を飲んでから私が田中に話を振ると、奴はきちんと正座したまま満面の笑みで頷いた。相変わらず、所作は綺麗な奴だ。
少し考えるようにして口を開く。
「僕としては、しばらくは二十九日さんと二人っきりで過ごしたいんですよね。今は無職ですけど、郵便局員時代に貯めたお金はけっこうありますから、二十九日さんを困らせるようなことは絶対にないです! ちょうと家もないことですし、このままこちらに同棲って形にして頂いて、折を見て婚姻届を――熱ぅっ!」
訊いてない。誰もそんなこと訊いてないだろうが、この丸出し男が!
畳が濡れるのは覚悟して、私は奴の下半身にむけ、いれたてのお茶をこぼしてやる。横でそれを見ていた駐在は、少し顔色を青くした。
「俺でさえ引くくらいのドエスプレイだな、尾野。ある意味グッジョブ」
「黙れ変態!」
「ひどいですよう、二十九日さんっ。もう僕のこの野生部分は、あなたにだって関係のないものじゃないんですよ?」
「断ち切ってやろうか、その関係……」
再度湯呑みを手にした私を見て、不満げに口を尖らせていた田中はぶるぶる震えながら首を振る。視界の隅で、駐在がそっと涙を拭いたのが見えた。お前、役に立たないな本当に!
もう一回ボケをかましたら、駐在共々さっさと叩き出そうと心に決め、私は自分の席に戻る。
怒りを極限まで押さえ込んだ目で田中を促せば、奴は生まれたての子馬のごとくぷるぷるしながら、もう一度話し始めた。
「あの後……管理人さんと楽園に戻った後、ちょっと困ったことになったんですよ。楽園にいる他の馬たちがですね、僕や一部の馬だけが地上に戻れたのは不公平だ!ってデモが始まりまして」
「なんか、一気に生々しい話になってきたな……」
私の頭の中で描いていた、動物たちが楽しく過ごす楽園のイメージががらがらと崩れ落ちていく。新しく、安保闘争をしている馬たちを思い浮かべ……まあ、それはそれで可愛いからいいか。
「僕なんかは日本生まれの日本育ちで、奥ゆかしい性格をしているのであれなんですけどね。やっぱり外国馬っていうのは気が強い方が多くて。最初は管理人も無視してたんですけど、日に日にデモの参加者が増えてしまって、収拾がつかなくなっちゃったんですよ」
「どうしても許せないような表現があったけど、まあいい。続けろ」
「ええと、そこで僕、賢い馬なので考えました。この期に乗じるしかないって!」
そこで初めて田中の美しい顔が、何やらどす黒い微笑みに彩られた。うわあ。
何となくその後の管理人に降りかかった苦労を察し、私は心の中で手を合わせる。
「それで、僕は早速デモ参加者たちで馬組合を作りまして、そこの組合長になったんですよ! 交渉するなら断然まとまったほうがいいですしねっ。まあ、相手もなかなか頑固で話し合いは一進一退。それでも僕たちは頑張りました……スローガンも作って馬体に書いたり、まだ参加してない馬たちに啓蒙活動をしたり……」
馬って……馬って……。
「僕はすぐにでもあなたの元に帰りたくてしょうがなかったんですよ? そろそろ我慢の限界で、こうなったら実力行使しかないだろうって話が出始めた頃、あの人が楽園にやってきたんです」
「あの人……?」
田中の口調が柔らかいものに変わり、それに気が付いて首を傾げた私に、優しく微笑んでから続ける。懐かしい、親友の話でもするように。
「僕のライバルで、同じように二十九日さんが大好きな、アルカディアさんですよ」
「アル、カディア、号……!?」
「はい。僕や他のケンタウロスたちが今ここにあるのは、あの人のお陰なんです。だてに歳は食ってないですよね! もうそのごり押し具合ったら、味方である僕たちでさえ心の底から震えましたらか!」
アルカディア号が……。ちゃんと楽園に辿り着けたんだ!
私はじわりと滲んだ涙を瞬きで誤魔化す。そんな私を見つめながら、田中は大きく頷く。
「最初は僕たちを地上に帰さないなら、自分は楽園に入らないってごねて。それから、管理人さんが地上で行っていた、楽園の責任者らしからぬ振る舞いをひとつひとつ暴露して。それに耐えきれなくなった管理人さんが、ついに折れて僕たちの要求を呑んだのが、あちらの時間で三日前だったんです」
あちらとこちらでは、時間の流れが違うみたいですね、と言葉を切って田中はお茶に口を付けた。
アルカディア号の恐ろしさもさることながら、管理人、あいつはここで何をしてたんだ、何を!
「じゃあ、どうしてすぐに戻らなかった? 他のケンタウロスたちは、もっとずっと前に地上に来ていたんだろう?」
それまで黙って田中の話を聞いていた駐在が、初めて口を挟む。
彼にはわからない部分が大半だったろうに、それを夢物語と笑い飛ばすことはない。むしろ、今はまるで田中に挑むかのように真剣な眼差しをむけていた。
その視線を正面から受け止めて、田中は首を振る。
「交渉成立したからって、一番先に組合長が手を挙げるわけにいかないでしょう? 希望する馬たちをケンタウロスとして再び地上に戻して、最後になるまで僕は待ってたんです」
「アルカディア号はなんて……?」
彼女もまた、この地上のどこかでケンタウロスとして暮らし始めているんだろうか。また、私たちは会うことができるんだろうか。
そんな考えを巡らせる私に、田中は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……アルカディアさんは、残りました。自分はもう充分素敵な思い出をもらったからって」
「そんな……っ」
「ありがとうと伝えて、と僕が託されたのはそれだけです」
知らずに流れ出していた涙を、近づいてきた田中の指がそっと拭う。優しく目を細めて、どこか小さい娘でも見るように慈愛に満ちた微笑みで。
頬に感じるその温もりが、ただひたすらに嬉しかった。もう、離れていかないこの温度が、私の心をすうっと落ち着かせてくれる。抱き締められたい。今すぐに、強く。
そんな欲望を含んだ視線を田中に向けると、奴は嬉しそうに、だけど少し困ったように横をちらりと見た。
「お前ら今、俺を亡き者にしていただろう」
ちゅうざい!
言葉通り、すっかり彼がいることを忘れていた私は、田中の手を叩き落として後ずさる。それを見ていた駐在は深いため息をひとつ落とすと、黙って立ち上がり玄関のほうへと歩いていった。あ、と思ってそれを追いかける。田中は何も言わずに見送ってくれた。
「大野っ」
玄関を出たところで、彼の腕を掴まえる。
だけど、そうしたところで私には何も言うことができないって気が付いていた。もうずっと前に、彼は私に気持ちを伝えていたし、私はそれを断ったのだから。
それでも友でいたいと、そんな我が儘を押しつけていたのは私で。どれだけそれが彼を傷つけたのか、苦しめたのか、わからない。私がそれをわかっては、いけない。
腕を掴んだまま俯いて黙り込んだ私の頭に、駐在はもう一方の手のひらを乗せた。そのまま少し乱暴に撫でられる。驚いて顔を上げればそこに、深い色をした瞳が私をじっと見つめていた。
「俺はお前の気持ちを軽くしてやる言葉は言えない。わかるだろう?」
「……わかる」
「しばらく、顔も合わせたくない」
穏やかに告げられたその言葉に、私はぐっと奥歯を噛み締めた。
怒っているわけでも、責めているわけでもないその声音が、よけいに辛かった。でも、私はここで泣くべきではなかった。
だけど、ひとつだけ。
「ひどいことを言ってると思われてもいい。だけど私はお前と、また友達として会いたい。会いたいから、その時まで待ってる」
「尾野……」
見開かれた黒い瞳の中に、私の不細工な顔が映り込んでいた。泣くのを我慢している、変な顔。そんなことを考えながら、駐在の瞳を見続けていた――と。
柔らかく、私の唇の上に駐在の薄い唇が重ねられた。ほんの一瞬だけ。
すぐに彼は身体を離し、にやりといつもの底意地の悪そうな笑みを浮かべてみせる。
「散々世話してやったんだ、これくらいは許されるはずだ」
「おっ、おっ、おま……っ!」
見る見るうちに上がっていく体温と今し方されたキスに混乱しながら、私が何も言えずに目の前の駐在を睨み付けると、彼は少し笑ってこちらに背をむけた。
そのまま夜道を歩いて行ってしまう。
「またな、尾野。きっとお前を最高の女友達だって、お前のためなら腕一本くらい惜しくないって、言えるようになるから……っ」
優しい言葉の最後が震え、それは彼の姿とともに夜の中に消えていった。