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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
21/34

さよなら



 最初にそうした時よりも自然に、私と田中はどちらからともなく手を繋いで歩く。

 いつも少しだけ荒れていて、かさついて、でも温かくて。そうして、まるでそれは私のためにあるとでもいうように、ぴったりと重なり合う。普段はひどく冷たい私の手は、今は田中の手の中でその温もりを分け与えられていた。

 急ぐこともなく、人の足と馬の足はゆっくりと道を行く。すでに暮れかけている空には、巣へと戻っていくのだろう烏が一羽飛び去っていった。なんていうことはない、私のいつもの日常。違うのは、隣にある体温だけ。

 するり、と田中の長めの指が私の指の間に潜り込んでくる。そうしてさらにぎゅっと強く握りこまれた自分の手を見て、それから少し上にある田中の顔を見上げた。


「すみません、調子に乗りました!」

「まだ何も言ってないだろうがっ!」


 びくっと怯えたように肩を揺らした田中に、私はわざと不機嫌な顔を作って答えた。本当は、ちょっと泣きそうだったんだけれど。

 そんなことわかっているという風に笑う田中から目を逸らした先に、いつかのあの丘が見えてきた。田中は『夕陽の丘』なんて乙女チックに命名しているが、丘というほど広いわけでも大きいわけでもない。

 ただ、小高い場所にあるなだらかな斜面は、この小さな集落を見通すのに最適だし、日が沈むところをそれなりに美しく鑑賞できる。田中と私が初めて二人で来た場所。

 そして、初めて抱き締められた場所でもある。


『夕陽なんて、いつだって見られる』


 そう言った私に、田中はただ笑ってみせるだけだった。あの時にはもう、いつかくる別れのことを考えていたんだろうか。

 ちらりと再び田中を見上げると、その美しい横顔は染まり始めた空と同じ色に照らされていた。赤い髪も、ガラスの底のように透き通る青の瞳も、みんな。

 ふたりとも無言で一番高いところまで昇ると、その場に腰を下ろした。さっきまでのように、私は温かな田中の身体を背もたれにして寄りかかる。その肩に、田中の腕が回された。


「最後だから、いいですよね」

「そういう言い方嫌いなんだけど。ていうか、おまえなんかもう飼い馬でもないのに馴れ馴れしい」

「こちらに来て初めてアルカディアさんを見た時には、ちょっとどころじゃく嫉妬しましたよ、僕。できれば厩舎で飼ってもらおうと思ってたのに……」

「今さらっと気持ち悪いこと言われた気がする」


 ベルベットのような手触りの尻に手を伸ばし、撫でる。もういいや。いつまでも意地を張っていてもしょうがない。正直、ずっと触りたかった尻だ。

 どこぞの駐在ではないけれど、本当によく締まったいい筋肉のついた尻はいい。馬に限るけれど。


「あっ、そんなに触られると僕ちょっと暴れ馬になりそうっていうか」

「そのための上半身だろうが。理性でなんとかしろ」

「わあ、すごく斜め上的に初めてケンタウロスを認めてもらった気がします」


 白い頬を上気させた田中はその上半身を少し捻って、寄りかかった私の首筋に顔を近付けてくる。妙に身体が柔らかい奴って、腹立つ。

 ふんふん、と匂いを嗅ぐように首筋にかかる鼻息が、こそばゆい。背筋が甘く痺れる感触に、私はちょっと慌てて撫でていた尻を思い切りつねってみた。


「あいたっ。ひどいですよ、二十九日さん!」

「おっ、おまえが変なことしてくるからだ! 許可なく匂いを嗅ぐんじゃないっ」

「じゃあ、嗅がせてくださいお願いします」

「お前は男としてのプライドってもんがないのか!」


 なんだか危険な空気を感じてさっと身を離した私に、思い詰めたような熱のこもった瞳をむけ、田中は潔く頭を下げてくる。

 そうして、真っ赤になって突っ込んだ私のその言葉に、顔を上げた田中はじりじりと身を寄せてきた。ひどく男臭く、笑う。逃げられないように私の手を強く掴んで、その彫刻のような顔を近付けて。


「忘れていませんか、二十九日さん。僕は男じゃないですよ」


 まるで私を優しく閉じこめるかのように、田中の腕が身体に回る。柔和な美貌に注目しがちだが、その身体は無駄なものが一切ついていない美しさに満ちていた。それこそ彫刻のような筋肉は熱く、私は思わず吐息を漏らす。


「なにっ……言って……っ」

「僕は“オス”です。そこを忘れてもらっては困ります」


 服の上から背筋をなぞられ、そのどこか背徳的な感触に私は身を震わせた。長く、優美で、しかし大きな男の手。抱き込まれるとちょうど顔の辺りにくる筋ばった首筋も、色気すら感じる喉仏も、私を閉じこめている固い胸も全部男の……いや、オスである田中のもの。

 身体中が心臓になってみたいに、お互いの鼓動が直接伝わってくる。

 泣きたいような、叫びだしたいような、その無言の音が何よりも私たちの気持ちを伝えあっていた。


「二十九日さん……」


 低く掠れた声に名を呼ばれ顔を上げれば、そこには消えることのない熱があった。氷の中に閉じこめられた炎がちらつく。

 ずっと、私を見つめ続けたその瞳。こんな焦がれるような青を、今までどうやって私は誤魔化してきたんだろう。もう、つかまったら動けないのに。


「二十九日さん」


 もう一度ゆっくりと囁かれ、私はかすかに震えて目を閉じる。

 吐息が近づいてきたと思ったら、あっという間にすべてを飲み込まれてしまった。圧倒的に伝わる熱が、感触が、私の全部を造りかえていくような。

 ひどく性急で、乱暴で、直接的な欲求をぶつけられた私は、ただひたすらにそれを受け止める。

 背と腰に回され、これ以上ないくらいに密着した身体。私も田中の首に手を回し、さらに奥へと誘うようにそうっと唇を開けばそこに、唇よりも熱く柔らかなものがさし込まれた。

 苦しいくらいに追いかけられ、何度も角度を変えて重ねられる。

 近づけば近づくほど鮮明になるお互いの身体の線が、ひたすらにもどかしい。ぴくり、と田中の身体が揺れる。私の身体も震える。この先を求めるようなそれに、切ない喜びが胸一杯に広がるのを感じた。

 頭の中が甘く、甘く痺れ始める。もう何も考えたくないのに。このままでいたいのに。

 それでも時間は待ってはくれない。

 唇が赤く腫れるくらいの口付けが終わる頃、夕陽はもう沈みかけ、空はオレンジから紫、そして濃紺へと色を変えつつあった。

 包み込む田中の手のひらに、頬を擦りつける。親指が優しく目尻をなぞり、そこに優しい唇が触れた。うっすらと目を開けた先に、儚く微笑む田中の顔。


「僕の代わりに、大野さんに謝っておいてくださいね。大野さん、昨日から高熱で寝付いちゃってるんで、話せなくって」


 困ったように笑う田中に、私は無言で首を振る。いやいやと、駄々をこねる子供のように。

 そんな私の額にもう一度唇が降る。


「僕もう、行かなきゃ」

「一緒に地獄に落ちてもいい。離れたくない……っ」


 胸にすがりつく私の肩をそっと掴んで、田中は泣くのを堪えるようにして笑った。

 ゆっくりと首を振って、私の願いを否定する。わかってる。引き留められはしない。でも、我慢できない。ねえ、田中。

 田中。

 田中。

 エデンでも、罪でも、なんでもいいから。


「行かないで」


 見上げたその美しい顔が、歪む。

 強い力で胸に引き込まれ、苦しいくらいに抱き締められる。耳元でこぼれる嗚咽。優しくなんかない、その乱暴さに喜びが満ちあふれる。このまま息が止まっていい。また失ってしまうくらいなら、全部いらない。

 そのほの暗い願いを敏感に感じ取ったかのように、田中ははっと息を詰め、そして私から身を離した。

 じわりと滲んだ涙を誤魔化すように、にっこりと笑う。とても無邪気なその笑みに、私の目からも涙が溢れた。


「さよなら」


 そして田中の姿は、落ちていく夕陽と共に、消えた。



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