お前を馬とは認めない
馬は良い。実に良い。
なんと言ってもあのバランスの取れた美しい身体。光る毛並み。風になびくたてがみ。
知性の光を湛えたつぶらな黒い瞳も、懐くと頭を擦りつけてくるような仕草も、全てが愛おしくてたまらない、私の愛する存在。
だがしかし。
あくまで私、尾野二十九日が愛しているのは馬であって、馬人間ではない。絶対にだ。
「二十九日さーん、二十九日さん、二十九日さんっ。今日はとてもいい天気ですよ! 遠駆け日和だと思いませんか? 僕ならいつでも準備オッケーですっ」
「黙れよ馬人間」
「ひどいっ! ひどいです、二十九日さんっ。何回言ったら直してくれるんですか。僕はあくまで半人半獣。馬人間ではありません! 人間馬ですっ」
突っ込むところはそこでいいのか、田中。
「ていうか、お前如きが馬を名乗るのすらおこがましいんだよ」
「全否定!? 僕の存在全否定ですか!!」
わざとらしく目の前で泣き崩れてみせるこの男――田中東馬の横っ腹に、私は思いきり印鑑を投げつけ、当初の目的を強制的に思い出させる。
「とっとと受領印受け取って帰れ、郵便局員!」
「そんな乱暴さんな二十九日さんも素敵です! あ、印鑑頂きます~」
途端に真面目な顔つきに戻り、多少気持ち悪いことを呟きながらもてきぱきと伝票にはんこを押していく。
そして玄関先に仁王立ちになってそれを見ていた私に、にっこりと笑顔を向けた。
「それでは、こちら荷物になります。これ、とっても重いんですよ。僕、親切な郵便配達員なんで運んであげますね。二十九日さんの部屋まで」
「さらっと上がろうとするな。全国の親切な郵便配達員さんに謝れ!」
「二十九日さんは結婚式までだめよ派なんですね。そんな風に僕を焦らすなんて、二十九日さん、意外とテクニシャン……」
「屠殺場へ行け。トラックは私が手配してやるから、今すぐに行け」
半眼で低く呟くと、田中はようやく玄関のドアを開けて頭を下げる。
「ふふふ、僕たちは半分馬ですが基本的人権を持った馬ですから。安心してください、ちゃんと戸籍もありますから、結婚して尾野から田中になれますよ! それに僕、夫としてもすごく優良物件ですよ! 真面目で!」
頬を染めてもじもじと主張する田中の姿に、最早切れかけていた何かが盛大な音を立てて爆発する。
「独身女性の部屋に上がり込もうと画策する男のどこが真面目だ!」
玄関に飾られていた木彫りの熊を投げつければ腹立つほど簡単にそれを受け止め、田中はそのむかつくくらい美しい顔にとろけるような笑みを浮かべる。
「嬉しいなあ。僕のこと『男』って意識してくれてるんですね!」
「だ、誰がっ――」
「でも二十九日さん、間違ってますよ?」
ふ、と田中は肩で息をする私の耳元に唇を寄せる。
「俺は男じゃありません、『オス』です。ケンタウロス族生後23年、優良な雄馬ですよ」
わざとらしく吐息をかけられた耳を押さえて私が後ずさると、田中は満足そうににっこりと笑い、あっという間に駆けていった。くそう、無駄にいい走りしやがって。
取り残された私はぺたりと玄関先で座り込む。
そして手に戻された木彫りの熊に向かって、熱くなる頬を苦々しく思いながら呟いた。
「あんな馬、全然可愛くないっ……!」
***
そもそもケンタウロス族とはなんぞや、というのが、それを初めて見た片田舎の住人達の疑問だった。
それもそのはず、異種族どころか外国人すら見ないこの片田舎。
いくら都会ではもう当たり前だといっても、いきなり配属されてきたこの半人半獣の青年を前に、地区の長老的存在が発した言葉は「う、馬並みじゃのう」だったという。
最初は違和感放ちまくりの田中だったが、その生来の人懐っこさとギリシャ彫刻か!という美貌、そして仕事の速さからたちまち地区にとけ込んだ。
いや、とけ込んでしまうどころか、下は三つの幼女から上は九十のお婆さままで幅広い範囲の女性を虜にしてしまったのだ。
確かに見てくれは悪くはない。
燃えるように赤い髪は清潔に整えられ、それと反対に色素の薄い青色の瞳はいつでも柔らかく、どちらかと言えば柔和な印象を薄いフレームの眼鏡が引き締めて見せる。
彫りの深い日本人離れした美貌は眩しいくらいだし、制服に包まれた上半身は服の上から見ても引き締まっている。
そしてその下半身。
そこに存在するのは馬の身体。
それもこの馬フェチの私をして見とれずにはいられないほど美しい、栗毛のサラブレット!
あああああ、上さえついていなければああああ!あの脳みそさえ乗っていなければああああ!! ブラッシングしてえええええええええ!
寝室に引いた布団の上で、私はあまりの悔しさにごろごろと転げ回った。
拳を枕に打ち付けて、乱れた息を整える。落ち着け、落ち着くんだ二十九日。
起きあがって姿勢を正すと、私は今し方の自分のいけない妄想――中学生男子が河原で見つけた捨てエロ本に興奮してつい持ち帰っちゃったりするあの背徳感――を振り切り、枕元に置いておいた段ボールを手に取った。
こんな片田舎にも即日配送。うむ、パーフェクトだ、アマゾン。
それがケンタウロス族の配送会社によって、ケンタウロス族の郵便配達員の手によってもたらされた物だとしても、この際関係ない。
べりべりと勢いよく箱を開封し、中から出てきた数冊の写真集に思わず頬ずり。
『サラブレッド列伝』『サラブレッドの四季』『日本の名馬100撰』『サラブレッドの休日』
素敵すぎる。タイトルだけで鼻血が出そう。
これは中学生男子とエロ本の如く、私も興奮を抑えられない。
やべえええ、サラブレッドまじやべえええ。美しすぎる、エロ過ぎる!!
この陽に輝く美しい毛並み、細くも引き締まった長い足、程良く筋肉の付いた胸、腿、尻!
たまらん。実にけしからん。
この家に誰かがいれば不審がられるくらい下品な声を上げつつ、私の幸福な夜はそうして過ぎていくのだった。