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ケンタウロスと私  作者: 吉田
本編
13/34

夢と馬と私の望み?



 最近、田中の様子がおかしい。

 いや、おかしいのはもとからだけど、今回のはそれとはまた違う。なんていうか、全体的に満遍なく斜め上方向に、変なのだ。


「こっ、こんにちは、二十九日さん! いいお天気ですねっ」

「大雨降ってるけどな」


 というか、台風が近付いてきているこの大荒れの空模様を見て、そんな白々しいことを言うのは田中、おまえだけだ。

 紺色のカッパを着込んだ田中にハンコを渡しながら、私はあくまで冷静につっこみを入れる。すると、とたんに大人しくなって「そうですよね、雨ですよね」なんて、心ここにあらずで頷く奴はとつてもなく不気味だ。

 しばし無言で伝票を確認。いつものようにハンコを押すと、それは荷物とともに返される。


「……」


 で、この沈黙はなんなんだ?

 今までの田中ならここらで「僕、寒さに弱いんですっ。だから、温め合いましょうよ、ねっ」とかうざいことを言い出すはずなのに。

 思わずまじまじとその顔を見つめると田中は、なぜか顔を真っ赤にしてもじもじと後ずさりをした。馬鹿なことも言わなければ、迫ってくることもない。

 え、なにこれ。調教の結果ってこんな風にいきなり出るものなの? 教えて調教師さん!


「あの、それじゃあ、その……失礼しますっ」


 最後までこちらを一度も見ることもなく、田中は大慌てで頭を下げて玄関から飛び出していく。その姿は昨日から降り続けている大雨に、すぐに見えなくなった。

 少しの間は道路を走っていく気持ちのいい蹄の音が聞こえたが、それもまた雨の音に紛れて消える。

 本日の田中の滞在時間、五分少々。おかしい。

 これが恋の駆け引き的作戦なのだったらガン無視だけれど、そんな高等技術があの馬に使えるとは思えない。っていうか、使ってたらストーカー呼ばわりはされないだろう。

 玄関先で立ち尽くしたまま考え込む私を、土間のほうから聞こえたアルカディア号のいななきが現実へと引き戻した。

 雨風がひどくなりそうなので、本日彼女は屋内に退避中。こういう時にこの古い造りの家は重宝する。

 いっそのこと今日はアルカディア号と一緒に眠ろう、なんてことを考えにやにやしながら私は田中のことをあっさり忘れ、彼女の元へと急ぐのだった。



***



 そのまま丸二日。台風を言い訳にアルカディア号との蜜月を過ごした翌日、私は見事に青っぱなをたらす状態になっていた。人はこれを風邪、と呼ぶ。

 やっぱり土間に寝るのに、マットレスと藁だけじゃだめだったか。寄っかかったアルカディア号が意外とぬくかったからいけるかと思ったんだけど。

 とりあえず、自分の風邪よりも高齢のアルカディア号の体調が心配で、朝一で呼び出した獣医の診断を見守る。

 マスク・どてら装着の私を見るなり、「座敷わらしなんて、初めて見た!」とか写メを取った奴には、もうすでに蹴りを入れた。


「んー、アルカディア号の体調は大丈夫だな。特に風邪ってわけでもねえし。それより、尾野ちゃんのほうが心配なんだけど」

「微熱だし、寝てれば治る」

「診療所まで送ろっか? 俺がついでに診るわけにもいかねえしな」

「微熱だし、寝てれば治る」

「え、なんでそんな最初からキレ気味なん、尾野ちゃん……」

「微熱だし、寝てれば治る!」


 ずるずると鼻を鳴らしながら三度繰り返せば、獣医杉村は仕方がない、とばかりに肩をすくめた。いつもは空気を読まない男だが、あくまで読まないだけであって腹の中は駐在以上に謎の男である。

 手を洗っててきぱきと器具を鞄にしまい、それから思い出したように白衣のポケットから何かを取りだした。ほれ、といきなりこちらに放る。

 慌てて受け止めて何かと見れば、それはまだ温かいハチミツレモンの缶だった。


「うわ、俺、ちょう優しいっ!」


 私が何か言う前に自画自賛して、獣医は手を振って背を向けた。憎めない奴。

 多分、今朝電話した時に鼻声だったのを気にかけてくれたんだろう。それを素直に渡さないところが、あの独身寮の住人たる所以か……。

 私は見えなくなった背中に頭を下げて、家の中へと戻った。獣医に宣言した通り、今日は一日無理をせずひたすら眠ることにする。

 風邪は寝て治す、は私の基本だ。昔身体が弱くて散々病院のお世話になったせいか、あそこは私の鬼門。あの独特の空気や匂いが、今でも大の苦手だったりする。

 できるだけ医者には近付かないことを心に決めると、私は素直に布団の中へと潜り込んだ。お昼あたりにアラームをセットしておけばいいだろう。

 そうして目を閉じた私は、すぐに深い眠りへと落ちていったのだった。




『二十九日さんっ、二十九日さんっ、二十九日さんっ』


 いつものうるさいあの声が追ってくる。

 飽きることも、諦めることもしない男の声は、この暗い空間の中であちこちに当たって響き、私は思わず耳を押さえた。うるさいっ。

 何だか頭は重いし体はだるいし。もう少し静かにしろ、と怒鳴りたくてその姿を探すが、そこにいるのは私ひとり。

 目にも鮮やかな色彩をまとった、あの馬の姿はどこにも見えない。

 背筋を何かがぞくりと駆け抜けた。寂しさではなく、もっと根源的な気持ち。空虚。ぽかりと胸の中に空いてしまった場所が大きくて、驚く。


『二十九日さん』


 不意に近くで田中の声がして、私は耳を押さえていた両手を外して顔を上げる。

 栗色の毛並みに、いつもの制服。撫でたくなるような喉仏の形に、引き締まった頬から顎にかけての線。こちらを見つめる瞳の色は、氷のように薄い青色。男らしさを損なわない優しげな顔立ちは、いつ見てもため息が出るほどに美しかった。

 その美貌のケンタウロスが一歩、こちらに近付くと、闇の中でその赤い髪が艶やかに揺れた。


『二十九日さん、紹介します。こちら、僕の新しい恋人です』


 うっとりとどこか夢見るような瞳でそう言って、田中は自分の背後を振り返る。そこにいたのは、やはり美しい造形をしたケンタウロスの女性。

 彫りの深いエキゾチックな顔立ちに、これでもかと言わんばかりの大きな胸。くびれた細い腰の下に、芦毛の身体。

 彼女は田中を見て微笑むと、その身を奴にすり寄せた。それはどこからどこ見ても、幸せそうな恋人同士のそれで。

 その彼女に田中も白い頬を染め、腰に手を回して引き寄せる。私はただ呆然と、そんな光景を見つめていた。

 そんなの、ずるい。

 反射的にそんな思いが駆けめぐる。

 いつも私を見ていたあの青い瞳が他の誰かを映すのも、その温かい胸に誰かを引き寄せるのも、あの深く胸をざわめかせる声が私以外の名前を呼ぶのも、全部。

 全部、いや。

 そう気がついた瞬間、私は目の前の田中に向かって拳を振り上げる。


「そんなの、やだっ!」




 最初に来たのは、衝撃。

 目がちかちかするほどの痛みに、私は呻いて額を抑えた。なに、なんなの、何が起こった?

 そんな私の傍で、やはり何かがうめき声を上げて身体を丸めている。


「い、痛いですう、二十九日さん……」

「田中!?」


 涙目をこすりながら隣を見れば、そこには上半身を折り曲げて悶絶している田中の姿。一瞬、さっき見た情景の続きかと身構えて辺りを見回す。

 だけどそこは、当然ながら自分の寝室で、眠りについてからまったく変わっているところもない。ここに、田中がいるということ以外は。

 じんじんと痛む額に手をあてつつ、私はうるんだ瞳をこちらに向けてくる田中につっこむ。


「何してる、この不法侵入ストーカー!」

「不法侵入については謝りますけど。だって、玄関からすっごく声をおかけしたんですけど、二十九日さん全然応えてくれないですし! 心配だったんですよ。杉村さんから二十九日さんがお風邪だって聞いたので……」


 耳があったら垂れているような声音で、田中は私にそう言い募る。

 夢の中で名前を呼ばれたと思ったのは、そのせいか。熱のせいでくらくらする頭でそう考えた私は、直後、その続きを思い出して布団に倒れ込んだ。


「ひっ、二十九日さんっ!? 大丈夫ですかっ! 熱が上がったんですか!」

「うるさいっ」


 おろおろと声をかけてくる田中に、完全な八つ当たり。

 それでも恐る恐る布団を掛けてくれる奴に、私は完全に自己嫌悪に陥った。なんなんだ、あの夢は!

 いいじゃないか、田中に恋人ができたって。同じ種族なら、なおいい。

 一方的に押しつけられる好意なんて、今の今まで拒絶してきた癖に、少し引かれたらそれは嫌だって。私は子供か!


「あの、勝手してごめんなさい。だけど僕、心配で! それでその、診療所の中村先生にさきほど往診を頼んだので、もうすぐ来られると思うんです。えっと、それからもし食欲があるなら食べたほうがいいと思って、おかゆ作ったんですけど……」


 嫁だ。今すぐ嫁に行け、田中。

 こちらを気遣うそんな言葉に熱くなってしまった目頭を誤魔化すように、そんなことを考える。それは、いつものように向けられる、純粋すぎる好意。見返りを求めない、ただひたすらの愛。

 枕元からこちらを見下ろし、今にも泣きそうな表情をした田中を見上げ、再度起きあがった私はなんとかひと言、言葉をひねり出す。


「あり、がと……」


 言って田中をちらりと見れば、一瞬ぽかんと目を見開いた奴は、次の瞬間その白皙の面をゆでだこに変えた。噴火するんじゃないかと思うくらいの赤。

 あんだけ私に対して日々セクハラしているくせに、こんなことで赤くなるんじゃない!

 つられて赤くなったような気がしたのは、熱のせいだと自分を誤魔化す。


「そ、それとっ、さっき頭突きしちゃったから、ごめんっ」

「え」


 夢にうなされて飛び起きた私の、額に激突したのは多分この馬の顔だろう。

 私が額であれだけ痛かったのだから、しばらく悶絶していた奴のどこにぶつかったのだか知らないけれど、相当痛かったに違いない。

 田中がどうこうというよりも、人間として美しいものを愛でる気持ちを持っている私は、とりあえずそこも謝っておく。

 こいつが顔を腫らした日には、佐内の双子あたりが怒鳴り込んできそうだしな。

 そんなことをつらつら考えながら反応のない田中を見れば、やつはさっきよりも物凄い勢いで顔を真っ赤に染め上げていた。

 飲んだ後に温泉に一時間浸かっても、こんなに赤くはならないと思う。

 え、何、私今そんなに変なこと言ったっけ?

 眉をひそめて田中のその顔を覗き込んだ私に、奴はすごい勢いで後ずさりをすると、俊敏に立ち上がって頭を下げた。


「ごごごごごご、ごめんなさいっ!」

「はあ?」


 そう謝罪するやいなや、田中は猛ダッシュで私の寝室から姿を消した。

 どかどかという蹄の音とともに、玄関から飛び出して行く音がする。だから、畳が痛むから走るなとあれほど!

 あまりのことに関係ないことを考えながら、私はただ呆然とそれを見送った。そして、再び布団に寝転がる。

 なんて、面倒くさいことになっただろう。

 夢が願望を映す鏡だなんて、そんなバカげたことを誰が言い出したのかと小一時間ほど問いつめたい。


「どうしろって言うんだよ……」


 情けなく呟いて、私は診療所の中村医師が訊ねてくるまで、そうして布団を被って現実逃避を試みたのだった。


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