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魏帝国崩壊の序曲:曹宇後見体制構想の挫折と権力構造の変遷  作者: えいの
第三章 密室の政変と帝国の自死――官僚の越権と無念の落涙

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第一節 皇族連合の結成と病床の封鎖(前編)

 景初二年(二百三十八年)の暮れから翌景初三年(二百三十九年)の初頭にかけて、魏の帝都である洛陽の宮廷は、建国以来かつてないほどの異様で息詰まるような緊張感に包み込まれていた。第二代皇帝たる明帝、曹叡の病状がいかなる名医の治療をもってしても回復の絶望的な状態に陥り、その命の灯火がまさに消えようとしていたからである。専制君主制の国家において、皇帝の肉体の死は単なる一人の統治者の死を意味しない。それは、国家のすべての法律、軍隊の指揮権、そして官僚に対する生殺与奪の権という、絶対的な権力の源泉が一時的に完全に消失し、次なる権力の担い手へと巨大な力が強制的に移行する、国家の命運を左右する最も危険な空白時間の始まりである。とりわけ、明帝の後継者として指名されるべき斉王、曹芳がわずか八歳の幼弱な童子であったという事実が、この権力移行に伴う政治的危機を極限にまで増幅させていた。

 前章までに論証した通り、明帝は自らの死後、幼き皇帝の玉座を司馬懿ら他姓の重臣たちから守り抜くため、武帝、曹操の実の息子である燕王、曹宇を大将軍に指名し、夏侯献、曹肇、秦朗という出自を異にする皇族たちをその後見陣容として配置する「多極分散型の血統防衛構想」を固めていた。しかし、いかに皇帝の脳内で精緻な権力分散の制度設計が構築されていようとも、それを現実の政治体制として稼働させるためには、大任を託される当事者たちの強固な意志の結集と、皇帝の決定を正式な「詔書」という法的文書として天下に発布する物理的な手続きが絶対に不可欠であった。そして、この国家の最終手続きを前にして、皇帝の病床という極めて閉ざされた密室を舞台に、魏帝国の命運を完全に暗転させる凄惨な権力闘争の火蓋が切って落とされたのである。

 病床の明帝から、天下の全軍を統帥する大将軍の印綬を受け取り、幼帝を補佐して激動の帝国を導くよう命じられた時、燕王、曹宇が最初に見せた反応は、歴史書が伝える通り、深い恐怖と絶望による「涙」と、大任への「固辞」であった。勝者である司馬氏や官僚たちの手によって編纂された正史『三国志』は、この曹宇の姿を単なる臆病さや無能さの証明として極めて冷ややかに記述している。しかし、当時の政治力学と、曹丕以来の「宗室去勢の法理」がもたらした過酷な監視社会の現実を深く洞察すれば、曹宇のこの初期の逡巡は、決して単なる個人の柔弱さから来るものではないことが明らかとなる。

 曹宇は、長年にわたり己の爪と牙を隠し、一切の政務から遠ざかって生きることで、辛うじて一族の粛清から生き延びてきた人物である。彼にとって、突如として大将軍という国家の最高権力の座に就くことは、名誉などではなく、巨大な死の罠に自ら足を踏み入れることに等しかった。彼が玉座の横に立てば、必然的に、九品官人法を通じて官僚機構を支配し、外敵との戦争を通じて全軍の支持を集めている司馬懿をはじめとする正統派の士大夫層と、国家の実権を巡って正面から衝突することになる。自らには彼らを実務で打ち負かす知力も、腕力でねじ伏せる武力もない。もし自分が大将軍になれば、いずれ必ず有能な他姓の重臣たちから激しい憎悪と反発を受け、無能を理由に弾劾され、一族もろとも処刑されるという破滅の未来が、彼には極めて鮮明に見えていたのである。曹宇が明帝の病床の前で叩頭し、涙を流して辞退を繰り返したのは、自己の生存本能と、政治的現実に対する極めて正確な絶望から来る、当然の帰結であった。

 しかし、歴史の深層において真に注目すべきは、この初期の恐怖と逡巡の後に訪れた、皇族たちの精神的な劇的転換、すなわち「皇族連合の結成」という極めて重要なプロセスである。曹宇が泣いて大任を辞退しようとするその傍らには、明帝が精緻な計算の下に配置した後見陣容、すなわち武門の誇りを色濃く残す夏侯献や、皇帝の最側近として強い当事者意識を持つ曹肇らが控えていた。彼らは、曹宇の恐怖を痛いほどに理解しながらも、同時に、もしここで曹操の直系である曹宇が逃げ出せば、魏の玉座は確実に司馬懿ら他姓の重臣の手に落ち、建国以来の曹氏の覇業が完全に水泡に帰すという、国家存亡の絶対的な危機感を共有していた。

 皇帝の寝所という薄暗い密室において、夏侯献と曹肇は、逃げようとする曹宇に対して血を吐くような説得を試みたはずである。夏侯献は、かつて自らの先祖である夏侯惇や夏侯淵が、曹操と共にいかにして泥と血に塗れながらこの帝国を創り上げたか、その武門の誇りと犠牲の歴史を説いたであろう。彼は「私が領軍将軍として首都の全兵力を掌握し、外の敵から貴方をお守りする」と約束した。そして、曹休の血を引く曹肇は、「私が屯騎校尉として近衛の精鋭を率い、内なる敵の刃から貴方をお守りする」と誓った。さらに、皇帝の恩寵のみに生きる秦朗もまた、自らの命に代えてもこの体制を支え抜く覚悟を示した。彼らは曹宇に対し、政治的・軍事的な実務能力など一切求めてはいなかった。彼らが曹宇に求めたのは、ただ一つ、建国者の直系という「純血の象徴」としての巨大な神輿に乗り、皇室の絶対的な中心として座り続けてくれるという、その一点の覚悟だけであった。

 「我々が物理的な武力と実務で必ず貴方をお守りする。だからどうか、建国者の実の息子として、他姓の簒奪から宗廟社稷を守り抜くための旗印となっていただきたい」

 この同族たちの悲壮な覚悟と、死の淵で自らにすがりつく甥(明帝)の姿を前にして、いかに恭敬にして温順な曹宇であっても、いつまでも己の保身のために逃げ隠れし続けることはできなかった。自らの身体に流れる曹操の血が、ついに彼に国家の重荷を背負うという究極の自己犠牲の決断を下させたのである。曹宇は流した涙を拭い、恐怖をねじ伏せ、自らの能力の無さを完全に自覚しながらも、ただ「曹氏の玉座を守る」という純粋な赤心のみを頼りに、大将軍として立ち上がる覚悟を固めた。

 この瞬間、夏侯献、曹肇、秦朗、そして曹宇という四名の皇族たちは、個人の恐怖や利害を完全に超越した「皇室防衛」という巨大な大義の下に、精神的に完全に一つの強固な連合体として結集したのである。明帝が望んだ「実力に対抗し得る唯一の武器としての赤心」は、幾多の逡巡と葛藤の末に、ついに実体を持った鉄の意志として完成の域に達した。彼らはもはや、怯える親族の寄せ集めではなく、魏帝国の正統性を他姓の重臣たちから死守するための、極めて強固な政治的・軍事的な決死隊へと変貌を遂げていた。

 自らの命を犠牲にしてでも幼帝を守り抜くという強烈な精神的連帯を確立した皇族連合が、次に行うべき最も緊急かつ重大な行動は何か。それは、この明帝の決定と自分たちの体制を、法的に不可逆なものとするための「絶対的な防衛線の構築」、すなわち「皇帝の病床の完全なる物理的封鎖」であった。

 いかに皇族たちが心の中で固い結束を誓い合い、覚悟を決めようとも、専制国家においてそれが意味を持つのは、皇帝の玉璽が押された「正式な詔書」が起草され、天下に発布された後のみである。そして、この詔書の起草権限を握り、皇帝の意思を外部へと伝達する国家の神経中枢を担っていたのが、他ならぬ「中書省」という実務官僚の機関であった。

 皇族連合、とりわけ実働部隊の中核である夏侯献と曹肇は、この権力移行の最終局面において、自らの最大の政敵であり、最も警戒すべき存在が、遠く離れた戦場にいる司馬懿ではなく、宮廷の奥深くに巣食う中書省の最高責任者、中書監の劉放と中書令の孫資であるという政治的現実を誰よりも正確に見抜いていた。彼らは、皇帝の寝所を自らの武力で固く取り囲み、病床の警護を口実にして、これら実務官僚たちを明帝から完全に遠ざけ、一切の情報の出入りを遮断するという極めて強硬な情報統制と物理的封鎖の作戦へと打って出たのである。

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