第1章 ロイヤル・ザ・ラストリンクGP
砂漠の乾いた風が、アスファルトを焼くように走る。「ロイヤル・ザ・ラストリンク市街地GP」、その名の通り街中に張り巡らされたコースは、どこか非現実的な美しさを帯びていた。スタートグリッドの上で、ユウは深く息を吸い込み、周囲のざわめきを感じ取った。観客席からは熱狂的な声援が波のように押し寄せ、上空を飛ぶドローンカメラのライトが反射してコクピット内の計器にちらつく。
「よし…行くしかない」
小さく呟いた自分の声が、ヘルメットの内側に響く。指先でステアリングを軽く握り、ペダルに微妙な圧をかける。ARC-01のエンジンは微かに唸り、これから始まる一戦の鼓動を伝えてきた。
レースはすでにハイブリッド形式になって久しい。現実のコースでの操作精度と、DL──ドリームリンクへのダイブ切り替えを滑らかに行うことが、トップレーサーには求められる。だが、ユウにとってはこの瞬間こそが快感でもあった。
スタートシグナルが落ちる。ホイールが路面をかむ感触、タイヤから伝わる砂の微粒子のざらつき、排気の匂い。街全体が生き物のように反応している。隣のマシンの金属音、エンジン音が混ざり、視界の端に次々と他車が迫る。
ユウは集中する。直感的なライン取り、アクセルの踏み込み、ブレーキの微調整。軽やかさだけでは勝てない。より直感的なドライビングが求められる。
「くっ…カイザが前に…」
目の前に見えるのは、王者の風格を纏ったマシン。黒紫のシルエットが、街の光を受けて妖しく輝く。ユウは一瞬でラインを修正し、ギリギリでアウト側を回り込む。ステアリングの感触に全神経を集中させ、ほんの一瞬の判断ミスも許されない。
背後からの風圧が変わったのを感じた。次の瞬間、ユウはステアリングを軽く切り、マシンを最適な角度に合わせる。頭の中の映像がちらつき、街の路面が拡張するかのように広がる。これが、DLへダイブする前兆だ。
「ファントムフォーム、起動……」
ユウの脳内にリンクが接続され、ARC-01のマシン感覚と一体化する。現実の路面の感触は残りつつも、視界は仮想空間にシフトし、街のビル群が曲線を描く。路面に描かれたレースラインが光の帯となって浮かび上がり、他車の位置情報も直感的に把握できる。現実と夢の間で、まるで身体が二つに分かれたような感覚がユウを貫く。
リンカが無線越しに声をかける。「ユウ、角度注意!次のコーナーはAFSでいけるわ!」
ユウは頷くと同時に、マシンのフロントに微細な力を加え、Aero Flux Shiftを起動。風圧が変わり、コーナーを滑るように抜ける感覚。周囲の観客席にはその瞬間、軽く衝撃波のような空気の揺れが届き、VIPパドックでは目を見張る顔が並ぶ。
アリアは研究室からリンク越しに状況を観察し、解析データをユウに送る。「理論通りの加速効率、AFS完璧ね。ただし次の直線で前車を抜ける余地は少ないわ」
ユウは息を整えつつ、心の中でつぶやいた。「絶対に、この先で差を詰める…」
視界の端、リアルコースに戻った瞬間、砂埃の匂いと観客席の歓声が一気に意識を襲う。コクピットの外では、チームメカニックたちが手を振り、父も少しだけ背中を見せる。短い視線の交わりが、静かな決意をユウに与えた。
ユウの視界は完全に仮想空間に切り替わった。ファントムフォームが起動し、街全体が光のコースに変わる。ビルの角は滑らかな曲線を描き、道路標示は光の帯となってユウの目の前に浮かぶ。現実の路面の感触は残るものの、もはや直感だけが頼りだ。
「ここからが勝負…!」
ユウは心の中で叫び、ステアリングを握りしめる。AFSを再度起動し、マシンが微細に傾く瞬間、風圧の変化が身体を貫き、まるで自身が空気と一体化したかのような感覚が襲う。
前方にはカイザの黒紫のマシンが一瞬の隙を見せた。ユウは咄嗟にラインを修正し、アウト側から差を詰める。背後ではリンカが無線越しに声を掛ける。「ユウ、速度をを保って!あとはあなた次第よ!」
アリアの解析データも次々に流れ込む。「このAFSの効率なら、前車を捕らえられる!」
ユウは唇を噛み、脳内で全ての情報を整理する。光のコースに浮かぶライバル車、リアルタイムの風圧、タイヤの摩擦感、エンジンの振動…。全てを同時に感じ取り、次の一瞬を予測する。直感が研ぎ澄まされ、反射的に操作が決まる。しかし、理論だけでは勝てない。より直感的なドライビングが求められる。
カイザは冷静そのものだった。彼のマシンは完璧なラインを描き、ユウの攻めをわずかにかわす。王者の風格が画面越しにも伝わり、観客席からは驚きと熱狂の声が波のように押し寄せる。VIPブロックのロイヤルパドックでは、各投資家たちが前のめりになり、ユウの挙動を固唾を飲んで見守った。
「ここで勝たなきゃ、俺等の未来は…」
ユウは心の中で独り言のように呟き、アクセルをさらに微調整する。ファントムフォームが描き出す光の帯の上で、マシンは滑るように加速し、前車との距離を徐々に詰める。だが、カイザは絶妙な防御ラインを取り続け、わずかに抜かせない。
リアルコースでは、砂埃の匂いと観客の歓声が一瞬意識を引き戻す。ユウは軽く息を整え、再び光の世界に集中する。AFSによる瞬間的な加速が炸裂し、前方のカイザをを捉えそうになるが、わずかに届かない。ユウの胸に、焦燥と決意が同時に押し寄せる。
「まだ、ここから…」
脳内のリンクが微細な誤差を補正し、マシンの動きは完全に直感のまま反応する。光のコースが街並みの壁をすり抜けるように見え、時間の流れさえ緩やかに変化したかのように感じられる。
そして、最終コーナー。ユウはAFSを全力で解放するタイミングを計る。背後からカイザの存在を意識し、わずかな風圧の差を感じ取る。ここで勝負を決めなければならない。しかし、王者の冷静さと経験が立ちはだかる。
ゴールラインが近づく、ユウはマシンの微細な挙動を瞬時に読み取り、アクセルを緩めずに加速。エンジンが悲鳴を上げる。
だが、最後の瞬間、カイザがわずかに前に出る。光の帯の中、二台のマシンが並走し、視界が限界まで広がる。ユウは全神経を集中させたまま、ゴールの瞬間を迎えた。
結果は僅差でカイザが先行。ユウはマシンを減速させ、コース脇に停車させた。ヘルメット越しに深く息を吐く。背後には光の帯を抜けたリアル世界が広がり、砂埃と観客席の歓声が現実感を取り戻させる。
パドックではリンカが駆け寄り、顔を覗き込む。「ユウ、凄かったわ…あと少しだった」
アリアも冷静に解析結果を伝える。「AFSの反応速度、タイミング、完璧だった。わずかな経験の差が勝敗を分けたね」
父も静かにユウの肩に手を置く。「いい走りだった…次は俺たちの目標を超えられる」
表彰台のライトが街中に反射し、ユウは自分の中に芽生えた悔しさと希望を噛み締めた。王者カイザとの距離は近くて遠い、それは決して不可能ではなかった。むしろ、この敗北こそが次への糧であり、自分の成長の証でもあった。
表彰台の照明が、夜の市街地を白く照らしていた。王者カイザが中央に立ち、金色に輝くトロフィーを掲げる。その姿はまさに王者そのものだ。ユウは一歩遅れて階段を登り、銀色の二位のトロフィーを受け取る。胸の奥には悔しさが渦巻くが、同時に、自分がここまで辿り着いた事実を噛み締めていた。
観客席からは、まだ熱狂的な歓声が波のように押し寄せる。VIPブロックのロイヤルパドックでも、投資家たちが興奮気味に腕を組んだり、無言で頷き合ったりしていた。AFSの瞬間加速やファントムフォームに対する感嘆が、目に見えるようだった。
ユウはヘルメットを外し、汗に濡れた髪をかき上げる。肩越しに父の視線を感じた。表情は柔らかく、しかしどこか緊張と期待が混ざったまま。父は静かに言った。
「よくやった…だが、まだ先があるな」
その言葉は短く、言外に多くの意味を含んでいた。チームの代表としての責任、息子への期待、そしてこれからの戦いへの覚悟。それら全てをユウは一瞬で理解し、頷く。
リンカはユウの肩に手を置き、微笑む。「悔しいけど、あなたの走りは確かにカイザに届いてた」
アリアも無線越しに、データ解析の興奮を含めて告げる。「反応速度、ラインの選択、AFS使用タイミング、すべて良かった。あと少しで…」
ユウは心の中でつぶやく。「次こそ、あいつを…」
敗北の悔しさは、次への決意に変わる。街全体が淡い光に包まれ、現実とドリームリンクの境界がまだ身体に残る。ファントムフォームで感じた直感的な操作感、AFSの風圧の変化、脳内に刻まれた感覚。それらが、次の勝利への糧となると信じて。
パドックでは、チームメカニックたちが慌ただしく動き回る。データの収集、マシンの点検、観客や報道陣への対応。ユウは短く肩を回し、マシンの感触を思い出す。ARC-01は完璧ではないが、可能性に満ちている。その性能と、自分の直感的ドライビングの融合こそが、未来の勝利への鍵だ。
父はその場に立ち、静かにチームメンバーたちと目を合わせる。短いやり取りの中で、ユウへの信頼が芽生え始めているのがわかる。チームの士気は高まりつつも、まだ勝利の重圧が残る。
ユウは表彰台から降り、チームメイトと軽く拳を合わせる。リンカは笑顔だが、目の奥に疲労が滲む。アリアは淡々と解析結果を整理しているが、内心は興奮している。オーウェンはコースサイドから静かに観察し、ユウの成長を確かめるかのように頷いた。
夜風が市街地を吹き抜ける。照明に照らされた路面が、まるで次のレースへの道標のように光る。ユウはその光を見つめ、決意を胸に刻む。敗北は終わりではなく、始まりだ。次のグランプリ、次のDL区間、そしてファントムフォームの進化──すべてが白い閃光を生むためのステップだと、自分に言い聞かせる。




