第6話 この子、可愛過ぎる……!
とりあえず、抱き締めたい一心で入ってしまった知らないバー。そこは一人のオネェが切り盛りをしている隠れ家的バーだった。
「あらぁ、ご新規さん? 初めまして♡」
「二名なんですが、空いてますか?」
「もちろんよ。あらあら、仲良く手を繋いじゃって……仲良しさんね♡」
ママの言葉に素直に反応する澄恋を見て、俺まで顔が赤くなる。それでも手は離さない。むしろ強く握って逃さなかった。
「カウンターも空いているけれど、個室がいいわよね? そこのカーテンを開けて入って頂戴。飲み物は……ふふっ、チェリー入りのロゼをボトルで入れてあげる♡ チェイサーも置いておくから、自由にお飲みになって♡」
ここのママ、仕事出来るな。
気軽につまめるチーズとチョコとお酒を置いて。案内された俺たちは、二人だけの空間に静かに腰を下ろした。
垂れ下がったカーテンだけが仕切りの半個室。耳をすませば常連さんと野太い声のママの声が聞こえてくるが、俺にはもう澄恋さんの音しか耳に入らなかった。
「恥ずかしい……ですね」
「——少し。俺も緊張しています」
ソワソワした様子で互いに顔を合わせて、ふふっと笑い合った。
「澄恋さん、俺の彼女になってくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。まさか私なんかが音無さんと付き合えるなんて、思っていなかったから」
彼女の中で俺はどんな扱いなのだろう?
小動物みたいに怯える彼女に笑みを溢しながら、お酒を作ってカチンとグラスを鳴らした。
「とりあえず、これからの話をしたいんだけど、澄恋さんは一人暮らし?」
「いえ、実家に家族と一緒に」
「門限はある? 今日は遅くなることは伝えてある?」
「あ、はい。音無さんと……食事に行くって伝えたら、喜んでくれました」
はにかみながら報告してくれる彼女が可愛かった。あぁ、もう。この子、可愛過ぎるだろう……!
だが、初日から遅くまで連れ回すのは印象が悪いだろう。時間を確認すると、九時半を回ったところだった。そんなに長いはできなさそうだ。
「音無さんは一人暮らしですか?」
「ん、大学の時からずっと。よかったら遊びに来てよ。澄恋さんが楽しめるように色々準備しておくから」
俺の言葉に素直に顔を赤らめる。
クソー、持ち帰りてぇー。一晩中、抱き締めながらキスして押し倒したい。
「誰かのお家に遊びに行くの、初めてです。ドキドキする……」
うん、俺の心臓も別な意味でドキドキしています。
こんな可愛い子に、俺が色々教えていいのか?
手は繋いだし、ハグもさっきした。今度はキス……そしてその先の扉も……。
「音無さん、私……これからたくさんメッセージを送ってもいいですか?」
「え? あぁ、もちろん」
「それじゃ、音無さんも送ってくださいね。楽しみにしてます」
——俺の心臓はピュア耐性ないので、あまり可愛い行動しないでください……!
嬉しそうにスマホの画面を見て微笑む彼女に、俺も表情筋が緩む。マジで連れて帰って独り占めしたい。
「とりあえずさ、一緒に写真撮ろうか」
「写真ですか?」
「付き合った記念にツーショット。会えない時も寂しくないように」
——っていうのは口実で、単に二人の距離を縮めたかっただけなのだが。
だが、素直な彼女は俺の隣に座って、遠慮がちにスマホの画面を見つめ出した。
小さな顔……薄化粧にも関わらず綺麗で滑らかな肌。大きな黒目に長いまつ毛。艶のある髪も全部、愛しくて堪らない。
「はい、チーズ……」
画面の中には幸せそうに肩を寄り添った恋人たち。ニヤニヤが止まらない……きっと今の俺は、世界一の幸せ者だ。
「音無さん。その写真、私にも送ってください」
「もちろん。この写真見せて『私の彼氏』って紹介してもいいよ。俺も自慢するから」
「か、家族に見せます……! ふふっ。幸せすぎて泣きそう」
大袈裟だなと思ったのに、本当にボロボロと涙を流し始めて……。驚いた俺は慌てて彼女の涙を拭った。
「……音無さん」
「——大事にするよ。俺の彼女になって良かったって思ってもらえるように、全身全霊で愛するって誓うよ」
「ふふ、大袈裟すぎて、逆に胡散臭い」
「ははっ、言うねぇ。でも、本当に。好きだよ。澄恋さんに出会えて良かった」
「私も……好きです。大好きです」
俺の手を愛しそうに両手で握って、彼女はとろけるような顔で目を瞑った。
それからしばらくして店を出た俺たちは、澄恋さんの自宅に送るためにタクシーを拾った。
会話は交わさなかったけれど、しっかり手だけは繋いで。それだけで気持ちが伝わってくるようだった。
「……あ、そこの信号を右折して、しばらく行ったら着きます」
到着したのは当然、富裕層の豪邸が立ち並ぶセレブ街。遜色のない立派な家の前で、彼女は名残惜しそうな表情を浮かべて、別れを口にした。
「今日もとても楽しかったです。また誘ってください」
「それじゃ、明日仕事終わりに会いに来ていい? 澄恋さんの顔を見に」
「え、でも……そんな……! お疲れのところ悪いです」
「迷惑なら我慢するけど?」
「迷惑だなんて……むしろ嬉しいです」
「んじゃ、来るよ。おやすみ、澄恋さん」
彼女の前髪をそっと上げて、額にキスを落とした瞬間だった。玄関のドアが開き、眩しい室内の光と共に元気な声が飛んできた。
「えぇー! 本当だったの? 澄恋、音無さんとデートなんて!」
明るい茶色の髪を揺らしながら現れたのは、澄恋によく似た少女。澄恋よりも派手で活発そうな雰囲気だが、その口調は容赦なかった。
「ママの冗談だと思ってたのに〜。はぁん、だから昼間から美容院に行ったんだ。澄恋って自分じゃ髪もまともにいじれないもんね」
「ま、真由ちゃん……やめて……!」
「ダーメ。澄恋は何もできないノロマでクズちゃん、って教えてあげなきゃ。後で『こんな女と付き合って時間の無駄だった〜』って思われたら可哀想でしょ?」
俺は無言で眉をひそめる。苛立ちに気付いたのか、彼女は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「ふふっ。本当の音無さんのお見合いの相手は──私。真由。嬉しいでしょ?」
「は? 冗談だろ」
澄恋の肩をそっと握りながら、俺は心底苦い声を漏らした。




