第46話 その距離、危険過ぎませんか?
休日の街は少し冷たい風が吹いていた。
並木道の洒落たカフェテラス。俺たちは遠くのテーブルに座る二人を見つめていた。
圭吾と澄恋。向かい合って笑い合う二人の姿は、どう見ても初々しいカップルそのものだ。
声は聞こえない。けれど、仕草や空気だけで分かる。——澄恋、すごく楽しそうだ。
「……おいおい、圭吾。お前、これから他の女とお見合いするんだろうが……! 澄恋にデレデレするなよ!」
俺は思わず身を乗り出した。
肩を寄せて笑っている澄恋の姿に、心臓がざわつく。手を伸ばせば届きそうな距離感が、妙に生々しい。
「音無、お前……本当に澄恋さんのことになると余裕がなくなるな」
湊人さんが苦笑しながら、紙コップのコーヒーを口にした。
「いやいや、湊人さんだって凛のことになるとムキになるじゃないッスか! ……あぁー、圭吾の奴、近ェよ!」
「ちょ、ちょっと音無くん、声抑えて! 見つかるから!」
凛が慌てて俺の袖を引っ張る。けれど、その目は好奇心でキラキラしていた。
「でもさぁ、これ面白いね。圭吾くん、普段クールなのにあんなに笑うんだ」
「お前、完全に野次馬モードじゃねぇか」
「観察だよ、観察♡」
凛の楽しそうな声が、テラスの空気を少し和ませた。でも俺は目の前の光景から目を離せなかった。
澄恋が少し風に髪をなびかせながら、圭吾の話にうなずいている。その頬に浮かぶ笑みが、優しくて……俺の知っている恋人の顔そのものだった。
(……わかってる。これは練習だって。でも、なんでこんなに心臓が痛ぇんだよ)
「音無」
「……はい」
「大丈夫か?」
「……大丈夫、じゃないかもしれないです」
素直に言った俺に、湊人さんは小さく笑った。
「まぁ、恋してる証拠だな。その痛みも、愛情のうちだよ」
流石湊人さん、心に沁みる。それなのに彼氏が名言吐いている隣で、凛がこっそりスマホを構えて隠し撮りをしていた。
「ちょ、撮るな! お前、マジでやめろ!」
「だってさぁ、この三角関係おいしすぎるんだもん」
「現実の人間関係をネタにすんなッ!」
俺の情けない叫びに、湊人さんと凛が笑う。
その笑い声が少しだけ、胸のざらつきを和らげた。あぁ、一人だったら耐えられなかったな、俺。
その時、澄恋がふとこちらを振り向いた。
……いや、気のせいかもしれない。けれど、目が合った気がした。
ほんの一瞬。
けれどその一瞬で、彼女の微笑みが俺の胸の奥に焼きついた。
(あぁ、やっぱり。俺、完全に試されてんな……)
信じていないわけじゃない。
だけど、俺以外の奴が澄恋の隣にいること自体が許し難かった。
澄恋視点——……
「蓮も凛も湊人さんも、隠れる気あるのかな? すごくバレバレなんだけど」
圭吾さんの苦笑いが、風に混ざって私の耳に届く。小さな声だけれど、彼の表情とともに、緊張と困惑が伝わってきた。
「ふふっ、でも、蓮らしいから嬉しいです。きっと気になって仕方ないんですよね」
私は少し照れくさくて、でも素直に微笑む。
こういう時の蓮の反応は、いつもと変わらない——過剰に嫉妬して、でも不器用で可愛い。
圭吾さんはその言葉に複雑な表情を浮かべる。私は首を傾げて尋ねた。
「どうしたんですか?」
「いや、普通なら『そんなに私のことが信じられないの?』って怒りそうなのに、なんで笑えるのかなって」
彼の目が少し揺れる。私にはその戸惑いも正直で、素直な人柄が伝わった。
「え? そ、そんなんだ。私……五年くらいずっと蓮に片想いをしていて。だから、蓮の気持ちが私に向いているだけで幸せで。だから、どんな小さな嫉妬や束縛も嬉しいんです」
私は心の底からの気持ちを、真っ直ぐに伝えた。
それを聞いた圭吾さんの表情はさらに複雑になり、羨ましい気持ちも混ざっているのが見えた。
「……五年ってことはさ、蓮が女遊びが酷かったことも知ってるんだよね? それでも蓮がいいって思えるんだ」
その一言に私の顔は一瞬真顔になり、少し胸が痛んだ。圭吾さんの真剣さと無神経さが、ほんの少しだけ重なった瞬間だった。
「あ、ごめん。失言だったね」
「……ううん、大丈夫です。それに圭吾さんは間違ったことは言ってないから」
微笑みを返し、そして自分自身に言い聞かせるように、静かに続けた。
「——昔のことが気にならない……っていえば嘘になるけど、今は私を大切に想ってくれているのがわかるから。それに昔のことを一番気にしているのは蓮自身だし、私も人のことをとやかく言える立場じゃないんです」
その優しさに、圭吾さんは見惚れたように黙る。
そして小さく呟いた。
「——あぁ、俺……お見合い無理だ。とても蓮と澄恋さんみたいな関係を築ける気がしないや」
「え? そ、そんなことないですよ! 圭吾さんはとても素敵だから、きっと素敵な人と出会えますよ!」
そんなネガティブな言葉を聞いて、私は焦ってフォローしたが、その手を握り、圭吾さんは真剣な眼差しで見つめ返してきた。
「……それなら、俺にしませんか? 俺だって蓮に負けないくらい澄恋さんを大事にしますから」
「え……?」
胸の奥で血の流れが速まるのを感じる。手のひらがじんわりと熱を帯び、思わず膝の下で握りこぶしを作った。言葉を返す前に、耳に飛び込んできた声。
「圭吾、お前、それはダメな奴!」
振り向くと、蓮が眉をひそめて飛び出してきた。怒りとも嫉妬ともつかぬ感情が彼の瞳に揺れる。
その姿に私は思わず手を引き、後ろに一歩下がった。
圭吾さんは少し面食らった表情を浮かべていた。
でもその目には、複雑な感情と少しの寂しさが垣間見える。——彼自身、まだ整理できない想いを抱えているのだろう。
私はそっと深呼吸をした。胸のざわめきはまだ消えない。
だけど、蓮がのおかげで、不思議と心に安堵の温かさが広がる。
肩の力がふっと抜け、唇が自然に緩んで微笑む。
——良かった、蓮が飛び出てくれて。
あぁ、やっぱり私には蓮がいてくれるんだ。どんなに複雑でも、私の味方でいてくれる。
そして風の匂いと共に、擬似デートは唐突に終わった。
それでも圭吾さんの不穏な影だけは、私と蓮の心の片隅にしっかりと残ったままだった。




