第30話 ウチの嫁がお世話になりましたね(ニッコリ)【ざまぁ?】
噂の当事者である澄恋が気にしていないという、何とも言えない状況なのだが、俺としてはその噂を上書きしたくて仕方なかった。
何故なら、うちの嫁はこんなにも美しくて可愛いのだから。
「……おい、蓮。お前、ろくでもないこと考えてるだろ?」
「いやいや、旦那として当然のことしか考えてないが? 間違った噂は訂正されるべきだろう? 過去はどうあれ、今の澄恋はこんなに可愛くて美人なんだぞ!」
圭吾の目が「この惚気野郎が」と言っている。澄恋に至っては、恥ずかしさのあまり顔を逸らした。
いや、だって事実だろ?
「確かに蓮の言うことももっともだけど、荒波は立てないに越したことないだろう?」
「は? 誰が喧嘩を売るって言った? 喧嘩なんて売らなくても、澄恋を見せつけるだけで十分だろう? 百聞は一見にしかずって言うしな」
——とは言え、噂の張本人にだけは、直に見せつけてやりたい。
俺は澄恋からお見合い相手の名を聞き出し、犯人を割り出した。
噂の出所は芹沢工業の専務、芹沢典保。建設業を営む三十二歳の二世だった。
「澄恋より一回り年上の中肉中背……? 《《あれ》》が澄恋を『愛想なしのコケシ令嬢』なんて貶したのか?」
見た感じ、どうにもパッとしない小太りだ。
澄恋、あんなのと結婚させられそうだったのか?
「断られて本当によかったな。うん、心の底から」
「え? え? あ、うん。結果的に蓮と出会えたから……そうだね。芹沢さんにお礼を言わなきゃ」
「いやいやいや! お礼なんて言う必要ないから! もしかして澄恋さんって天然!?」
「そんなところも可愛いだろ?(ニヤリ)」
「今惚気るな!!」
……というのは冗談だが、芹沢に見る目がなかったことには感謝したい。
あの男が澄恋のポテンシャルを見抜いていたら、俺はこの幸せを掴めなかったかもしれない。
芹沢が飲み物を飲み終えたタイミングを見計らって、俺は接触を試みた。ひとまず圭吾に澄恋を頼み、一人で話してみる。
自然な足取りでテーブルから新しいボトルを取った。ラベルを確認して、軽く笑う。
——高めのブランデー。悪くない。
「……もう一杯、いかがですか?」
声をかけると、芹沢がちらりと横目を向けた。その視線はまるで相手を値踏みするような鋭さだった。
「失礼ですが、あなたは……?」
「三条グループの音無です。建設関係の芹沢さんとは直接お付き合いはないですが……母が少し、顔を出しているかもしれませんね」
『音無』と名乗った瞬間、彼の眉がピクリと動いた。母——音無雅代は輸入業で幅広い人脈を持ち、『音無雅代を敵に回すな』と囁かれるほどだった。
「これはこれは、雅代さんの息子さんでしたか。噂はかねがね……。いやぁ、光栄です。音無さんに顔を覚えていただいていたとは」
「いえいえ。ちょっとした噂を耳にしたので、真相を確かめたいと思いまして」
ニヤリと笑うと、芹沢はわずかに引き攣った笑みを浮かべ、逃げ腰になる。
逃すわけがないだろう?
「芹沢さん、以前、早瀬グループのご令嬢とお見合いされたとか?」
「——ああ、その話ですか。いやいや、ハハ……実は早瀬社長に頼まれて、形だけでもと。ほら、体裁ってやつですよ」
そう言うと、芹沢は聞いてもいないのにペラペラとお見合いの話を語り出した。
「早瀬社長のお嬢様はお綺麗だと聞いていたんですがね、私がお会いしたのは《《ハズレ》》の娘さんでして。一緒にいるだけで空気が重くなるような愛想のない子でしたよ。そりゃあ社長も困るわけですよ。だが、あんな女を嫁にしたら運気が下がる。女は愛嬌ですからねぇ。音無さんも気をつけた方がいい。男は連れ添う女で運命が変わりますから」
……確かに、一緒にいる女性で運気が変わるのは納得だ。俺は澄恋に出会ってから、運気も気分も最高だ。
俺はボトルを傾け、芹沢の空いたグラスに慎重にブランデーを注いだ。琥珀色の液体が光を受けて、金の糸のように揺れる。
「ここのブランデー、香りがいいですよ。少し重いですけど、こういう場ではちょうどいい」
「なるほど。喉を焼く刺激で、曖昧な笑顔を流し込むわけですね」
……コイツ、いちいち癪に障る話し方をするな。
「それはそうと、実は私も早瀬さんのお嬢様を紹介していただきまして。このたび、婚約することになりました」
「——え?」
「……幸い、俺は運がよかったみたいで。素敵な縁を授かりました。紹介します、婚約者の澄恋です」
驚愕の視線の先にいたのは、『愛想なしのコケシ令嬢』ではない。眩いほどの美しさを放つ、俺の自慢の彼女だった。
澄恋は少し気まずそうに頭を下げ、「ご無沙汰しております」と丁寧に挨拶をした。
「……ハハッ、音無さんも人が悪い。てっきりハズレの娘かと思ったら、アタリのお嬢様と婚約されたんですね! 羨ましい! できることなら私も、その方とお見合いしたかった!」
え、コイツまだ気づいてないのか?
「《《アタリ》》の娘って、真由姉さんのことじゃないんですか? それに、私、芹沢様のことはよく覚えています」
澄恋の言葉に、芹沢の額に汗が滲んだ。
ハハハ、焦れ焦れ。自分の失言を悔やめ。
「そういえば、お見合いの時はありがとうございました。芹沢様の『アナタみたいな愛想なし、誰も娶りやしませんよ』というアドバイスを参考に、見た目から改めた結果、無事に音無さんとご縁をいただくことができました。あの時の辛辣な言葉があったからこそ、今の幸せがあります。ありがとうございました」
うわー、芹沢の顔が最高に引き攣っている。
しかも澄恋の場合、皮肉じゃなく本気で言ってるから余計に効くんだよな。
「…………え? あ、アナタがあの時のお嬢様ですか?」
「はい。芹沢様には無駄なお時間を過ごさせてしまって、心から申し訳なく痛感しております。芹沢様も、私と同じように素敵な縁に恵まれますように、心から願っております」
口をパクパクさせる芹沢。——無様だ。
逃した魚は大きいってやつだ。
「芹沢さん、あなたがおっしゃっていたことは、全部母に伝えておきますね。《《大事な嫁を貶された》》と知ったら、うちの母も何をするか分かりませんが……事実ですし、仕方ないですよね?」
「いや、待ってください! 音無さん、それだけは勘弁してください!」
「芹沢さん、うちの嫁がお世話になりました」
その場に膝から崩れ落ちた芹沢を横目に、
俺は踵を返して、澄恋の隣へと戻った。




