第3話 ゾクゾクが止まらない
お見合いを終えた俺は、帰宅するや否や茫然と座り込んでいた。
兼ねてからお見合いの話をされていた早瀬グループの御令嬢、早瀬澄恋さん。まさかあんなに可愛らしくて唆られる女性だとは思わなかった。
「ヤバい、好みドンピシャだった……!」
一見無表情だと思った表情筋が死んだような顔。だけど実際は、俺の言動ひとつ一つに動揺する攻め甲斐のある可愛らしい女性だった。
「あー、お見合いってことは結婚前提なのか。え、あんな子が俺と結婚すんの? マジで? つーか、本当に彼氏とかいねぇの? 回りの男の目は節穴か?」
俺だったら、落とすまで絶対に口説き続ける。
それにしても、連絡すると言ったものの、どうでもいい内容を送ったら面倒だと思われるだろうか?
今までの俺なら適当に誘って遊んでいたのに、彼女には嫌われたくないと必死に頭を働かせた。柄にもなくスマホで色々調べて、オシャレで美味しそうな店を探したり、ドライブに聴きたくなるようなプレイリストを作ったり。
その時だった。スマホの画面に表示された一件の通知。会社仲間である佐久間からのグループ飲みの誘いだった。
その中には、ついこの前まで想いを寄せていた名前もあり、俺は顔を顰めた。
「……あー、だよな」
頭を掻きながら、これからもこんな機会は多くなるのだろうとため息が漏れた。
勝手に好きになって、勝手に諦めてしまった恋。恋人がいる人を好きなってしまった自分が悪いし、当然報われるわけがないと思っていたけれど、それでも名前を見るだけで胸が苦しくなる。
澄恋さんと出会った今でも、その想いは簡単には消えてくれなさそうだった。
「……とりあえず、顔だけは出してみるか」
澄恋さんへのメッセージは保留にして、俺は飲みに行くための支度を始めた。
飲み屋は職場の近くの大衆居酒屋だった。
十人程が入れる広めの部屋で、各々がお酒を嗜みながら楽しんでいた。
「音無先輩ー、どうっすかァ? 楽しんでますかー!」
「佐久間、ウルセェ。もっと静かに飲めねぇのかよ」
ムードメーカーでお調子者の佐久間は「ひゃはは」とビールのピッチャーを掲げながら、フラフラと色んなメンバーにお酒を注いでいた。
最近、同窓会で再会した男と付き合いだした藤森先輩や、彼女と同棲を始めた従兄弟の圭吾。あのお調子者の佐久間ですら、ボーイッシュな彼女、寧がいる始末だ。
「…………あれ? ってことは、この集まりで相手がいないのは俺だけなのか?
そしてトドメは初恋の女性、凛と湊人だ。
いつ見ても付け入る隙がない、仲睦まじい関係性に虚しさが込み上がる。
いつもならチャラけて笑い飛ばすが、今日はそんな気分になれなくて、誰にも気付かれないように席を外した。
「あー……、俺らしくねぇな」
明るい宴会場とは対照的に影を落とす廊下で、俺はメッセージアプリを開いて電話を掛けていた。
迷惑かもしれない。こんな時間に、もしかしたら出かけているかもしれない。
でも、3コールほどして『もしもし……?』と、か細い声が俺の鼓膜を揺らした。
「あ、急に電話してスイマセン。あの、俺です。音無です。覚えていますか? この前、料亭でお会いした……」
焦った俺は、思いつくままに言葉を連ねた。
そんな心情に気付いたのか、電話の向こうの彼女はクスっと笑って『はい』と頷いてくれた。
『覚えてます。電話、掛けてくれて、ありがとうございます』
騒がしかった店内が無音になったような——そんな感覚が全身に駆け巡った。
俺は壁に持たれるように倒れて、そのまま彼女との会話を続けた。
「……急に電話してすいません。不意に、澄恋さんの声が聞きたくなって。忙しくなかったですか?」
『大丈夫です。丁度、お風呂に入ろうかなって思っていた時だったので。むしろ入る前でよかったです』
お風呂か……。
ということは、彼女は今、ラフな格好で寛いでいたに違いない。ソファーでダラダラとテレビを見たりしていたのだろうか? 想像しただけで胸がゾクゾクする。
『音無さんは、外ですか?』
「あー、ちょっと会社の人に誘われて飲みに。うるさいですか?」
『いえ、でも、楽しそうですね。よかったんですか? そんな時に私なんかと電話なんかして』
気遣う彼女に口角を上げて、俺は天井を仰いだ。飲み会は好きだ、嫌いじゃない。でも今は、彼女との時間を優先したかった。
「……俺の方は大丈夫です。むしろ澄恋さんこそ、お風呂に入る前に邪魔してしまって、すみません」
『だ、大丈夫です! いえ、その……実はずっと、音無さんに送るメッセージを考えていたんです。なんて送ろうかなって……。そしたらあなたから電話が掛かってきて』
「——え?」
『夢みたいです……。こんなふうに電話が掛かってきて、お話ししてるなんて』
ヤバい、この子、可愛すぎねぇ?
すでにお酒が入っているせいか、ポワポワして何も考えられなくなった。
(あー、今すぐ会いたい。会って抱き締めて押し倒したいけど、相手は親が紹介してきた社長令嬢だぞ? 下手なことをしたら親にも会社にも影響しかねないのに……)
「……澄恋さんは、お酒とか好きですか?」
『え? えっと、強くはないですが、それなりには』
「んじゃ、今度……お互いの時間が合う時にでも食事に行きませんか? フレンチとかイタリアンでもいいし、和食が好きならそれでも」
しばらくしてから『……はい』と、鈴が鳴るような、小さく震えるような声が伝わってきた。
『よかったら……音無さんの好きなお店に行きたいです。もっとあなたのことが知りたいから』
——可愛い!
俺は真っ赤になった顔を両手で覆ってしまい、そのままスマホを落としてしまった。
(無理、俺、この子ツボ! 一見クールビューティーなのに、底抜けの溺愛系ってなんなの! 可愛い、可愛い、可愛い、可愛い……!)
「そんなこと言って、エロい店に連れて行かれたらどうするんですか。あんまり男のこと信用しない方がいいっすよ?」
忠告も兼ねて、俺は心配の意味で言ったんだが、通話をしていた女の子は一筋縄ではいかなかった。
『……むしろ、そうなりたいから……行くんです』
それから、何を話したのか記憶がない。
だが、後から届いた【楽しみにしています】というメッセージを見て、夢ではないんだと実感した。
————……★
「あれぇ、音無先輩。どーしたんっすか? 前屈みに座り込んで。一緒に飲みましょうよー!」
「ウルセェ、放っておけ! 今は立てねぇんだよ!」
「えー、エロ動画でも見てたんっスか? やっぱり変態紳士っすね(ニヤニヤ)」