第26話 シンデレラの魔法
翌日、定時には仕事が終わりそうだと目処がたった俺は、澄恋に連絡をして一緒に銀座のフォーマルサロンへ向かうことにした。
正直、女性のドレスをどこで選べばいいのか分からなかったから、母親の雅代にアドバイスをもらって専門のスタイリストを紹介してもらったのだ。
会社のエントランスで待っていた彼女は、普段よりも清楚な、誰が見てもお嬢様の風格が漂う美少女だった。
「うわー、音無先輩の彼女、やっぱ美少女っすねー。あんな美人をヒィヒィ泣かせてるんっスか? 音無先輩」
いつの間にか背後に来ていた佐久間が、ニヤニヤと俺に囁いてきた。コイツ……、澄恋のエロい姿を想像するなんて、いい度胸だな。
「おいおいおい、佐久間くん。お前、鼻の穴にフック入れてやろうか? 澄恋がヒィヒィならお前はブヒブヒ鳴くか?」
「か、勘弁して下さいって! 音無先輩が言うと冗談じゃすまねぇんッスよ!」
「なら言うなよ。ったく、佐久間のくせに生意気な」
そんな俺と佐久間のやり取りに気付いたのか、少し離れたところにいた澄恋近付いてきた。
「お疲れ様です、蓮さん。ご一緒にいらっしゃるのは……この前ご紹介して下さったご友人の佐久間様でしたよね?」
爽やかな微笑みと共に頭を下げる澄恋に、思わず二人して言葉を失った。
特に佐久間は、この前の塩対応のせいでギャップに困惑しているようだった。
「え? え?? あれ? この人、この前の人と一緒ッスよね?」
「あぁ、同じだけど、同じじゃねぇーな」
あまりの変わりっぷりに、彼氏の俺ですら頭がバグりそうになる。
「いつも蓮さんと仲良くして下さって、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」
「も、もちろんです! よろしくお願いします!!」
見違えるような澄恋の対応に、嬉しいような寂しいような複雑な感情が胸の奥でせめぎ合う。
だが、佐久間が視界から消えると、凛とした澄恋の表情が一気に崩れた。
「き、緊張した……。私、ちゃんとできてたかな?」
「おっ、いつもの澄恋に戻った。うん、大丈夫だったよ。スマートな対応で、誰が見ても品のいいお嬢様って感じだった」
褒められたのが嬉しかったのか、ご満悦な表情で腕を組んできた澄恋が可愛かった。
あぁ、彼女はきちんとした自分を認められたいんだろうが、俺としては少し抜けた澄恋の方が好きなんだよな。
けど、きっと上手くコミュニケーションが取れない自分に嫌気がさしていた彼女のことだから、相当勇気を出して頑張ったに違いない。
俺は澄恋の頭を撫でて、目一杯誉め上げた。
「さすが俺の自慢の嫁だな。後で全力で愛でてやる」
「もう、蓮は大袈裟だよ」
恥ずかしがりながらも嬉しそうに頬を緩める彼女が可愛すぎる。ここが会社でなければ抱き締めていただろう。
俺達は手を取り合ってサロンへ向かった。
銀座のメインストリートから少し外れた、静かな通り。外観は一見、宝飾店か美術館のようだった。
入り口の前で足を止めた澄恋が、少しだけ息をのむ。
「……ここ、なんだか別世界みたい」
「まぁな。俺の母さんの行きつけのサロンだよ」
自動ドアが開くと、涼やかな空気とともに花の香りが流れ出した。高い天井、白い大理石の床、静かに流れるピアノの旋律。
スタッフが一斉に頭を下げる光景に、澄恋の背筋がぴんと伸びた。
彼女のそんな仕草が妙に愛しくて、思わず笑みがこぼれた。
「澄恋、もしかして緊張してる?」
「そ、そんなに分かります?」
「うん、バレバレ。怖がらなくても俺がそばにいるから心配ねぇよ?」
「も、もう……蓮が落ち着きすぎなんです」
手を握ろうとして、彼女が周囲を気にして躊躇する。この場の空気の硬さを理解している証拠だ。
しばらくするとスタイリストが現れ、ドレスのラックを押してきた。どれも眩しいほどに美しい。
淡いベージュ、ボルドー、シャンパンゴールド。
高級感のある布の質感と、照明の反射が眩しくて——澄恋は完全に圧倒されていた。
「じゃあ、早速だけど試着していこうか。今日中に決めないと間に合わないからな」
「え、わ、分かりました! それじゃ、早速着てきます」
そして澄恋が着替え始めてしばらくして、試着室のカーテンがそっと開くたびに空気がほんの少しだけ変わった。
一着目は、淡いピンクベージュのドレス。
柔らかなレースの袖が腕に沿い、光を受けて花びらのように揺れる。
「……どうですか?」
澄恋が小さく袖をつまみながら尋ねる姿を見て、俺は一瞬、言葉を失ってしまった。
「いや……似合いすぎて、評価できねぇ」
「えっ? ど、どういう意味ですか?」
「もう全部、反則」
スタッフが小さく笑う。澄恋は頬を染めて、照れ隠しにスカートの裾を持ち上げて軽く回った。裾のレースがふわりと広がり、まるで桜が舞うようだった。
二着目は、ディープブルーのタイトドレス。
シルエットが身体のラインをなぞるようで、澄恋自身も「これ……少し大人っぽすぎますね」と苦笑いする。
「……悪くない。いや、むしろ最高」
「も、もう、真面目に言ってください!」
「真面目だよ。これでパーティーに来たら、他の奴ら全員黙る。けど、この澄恋は俺だけが独り占めしたいな。他の奴らには見せたくねぇ」
少し拗ねたように澄恋が、俺の肩を軽く叩いてきた。
その拍子に柔らかい布が音もなく滑り、彼女の香りがふわっと広がり、俺の喉がごくりと鳴った。
三着目はサロンを勧めてくれた際に母が選んだグレージュのロングドレス。
上品な艶のあるシルク地に、繊細な刺繍が光を反射している。澄恋が鏡の前に立った瞬間——空気が変わった。
柔らかい照明の中で、彼女の白い肌と生地の光沢が溶け合い、完成された美しさだった。
俺はただ、見惚れるしかなかった。静かな呼吸、裾が床を滑る音、心臓の鼓動。すべてがひとつのリズムになっていく。
「……澄恋」
「はい」
「多分、今日見たどのドレスよりも綺麗。そのドレスこそ澄恋に相応しい」
その言葉に、澄恋が頬を染めて小さく笑った。
「それじゃ、このドレスにします。蓮のお母様が選んでくださったって聞きました」
「悔しいけど、俺よりも母の方が何倍も上手だったな。パーティーには母さんも来るから、一緒にお礼に行こう」
彼女が少しだけうつむいて笑い、スタイリストが優しい眼差しで二人を見守っていた。
外は午後の光が傾き始め、鏡の中の二人は、まるで絵画のように寄り添っていた。




