第11話 音無さんって、彼女出来ました?
澄恋さんと一夜過ごした翌日……当然と言えば当然だが、全く仕事に集中できずにミスを連発していた。
「音無が領収書を貼り付けないで申請するなんて、珍しいな」
「——俺だって人間なんで、ミスくらいしますよ」
「するミスが初歩的過ぎて、心配してんだよ」
休憩室でコーヒーを飲みながら、俺は先輩である湊人さんと語らっていた。俺にとって憧れだった優しい先輩。
少し前まではこんなふうに二人で語らうなんて、もう出来ないだろうと思っていたのに、案外平気な自分に驚いていた。
「……何かあった? もし悩みがあるんだったら相談にのるけど?」
「いや、悩みっちゃー、悩みなんですけど……。実は俺、親にお見合い勧められて行ってきたんですよ」
「お見合い?」
想定外の言葉に、湊人さんが動揺してコーヒーを溢してしまった。
「あ……ごめん。服に掛からなかったか?」
「大丈夫です。湊人さんこそ大丈夫っすか?」
「俺は大丈夫。っていうか、そのお見合い……断れなくて悩んでいるとか?」
——ん?
あー、そっか。普通は悩みっていうと、そう思うよな。俺はお人好しすぎる先輩に感謝しながら笑い掛けた。
「逆なんですよ。彼女、俺には勿体無いくらい良い子で。今じゃ、縁をくれた親に感謝しているくらいです」
「——そうなのか?」
「はい。そんな感じの幸せな悩みなんで、問題ないっすよ」
毒気の抜けた俺の笑い方を見て、湊人さんも満足したように笑顔を見せてくれた。
「それなら良かった。そっか、音無に彼女か。今度、俺たちにも紹介してくれよ?」
「いいっすよ。約束します」
そんなまったりとした会話を交わした後、ニマニマと何かを企んでいる顔をした佐久間が、嬉しそうに近付いてきた。
「音無先輩、お疲れ様っす! 先輩、先輩! 俺、先輩の為に一肌脱いできたっすよ!?」
唐突な報告に、俺は顔を顰めて睨み付けた。佐久間がやることは、大抵良くないことだ。
「……お前、何をやらかした?」
「やらかしたって、そりゃーないっすよ! むしろ先輩の為に頑張ったんですから、褒めて欲しいくらいなのに!」
「だから、何をしたか言え。褒めたり叱ったりはその後だ」
「なーんで叱るが入るんすか! ったく! せっかく経理課の子達との合コンをセッティングをしたのにー」
——は? 何て言った?
案の定、どうしようもないやらかしをしでかした佐久間に溜息を吐きながら、俺は目を覆って天井を仰いだ。
「だって今日の先輩、色々やらかしてるじゃないッスか? 元気を出してもらう為には癒しが必要かなーって思って! 俺からの粋な計らいッス!」
「……お前って奴は、本当にろくなことしねぇーなァ?」
「えー、そんなことないっすよ? もう店も予約済みなんすよ! 俺にしては仕事早いっしょ? ちゃんと女子好みの高い店を頼んでいるんで、ここは金持ちの音無先輩の出番っす!」
要は財布を出してくれる男が必要ってことじゃねぇか。
「……俺、予定があるから行けねぇーんだけど?」
「えぇー! そ、それは勘弁して下さい! 先輩が来るっていうから来てくれる女子ばかり何すよォ! もし先輩が来なかったら……俺、会社の女性社員を敵に回すことになるッス!」
泣きそうな顔で縋る佐久間。
おいおいおい、泣きたいのは俺だよ……。
(澄恋さんのことを話してなかった俺が悪いし、仕方ねぇか。佐久間も佐久間なりに気遣った結果だし……)
「俺は少し顔を出して帰るからな? ったく、そう言うことは相談してから決めろよ?」
「だって、先輩のこと驚かせてやりたかったんっすよ! っていうか、嬉しくないッスか? 経理課の早乙女さんも来るって言ってたッスよ? 音無先輩、彼女のことを唆られるって言ってたじゃないっすか?」
早乙女って、あの美人でハキハキしている一軍女子か。たしか外資系の会社に勤めている彼氏がいるって言ってなかったか?
たしかに少し前までの俺なら、派手でわかりやすい女を好んでいたけど、今は違う。
「あー……でもな、俺、彼女が出来たから気が引けるんだよな」
「え? 彼女?」
「ん、そう。彼女。おかしいか?」
やっとことの重大さに気づいた佐久間と俺の間に、変な空気が流れる。佐久間は即座に土下座の体勢を取って「すいませんでした——っ!」と全力で謝罪をしてきた。
「でも、今回だけは何卒! 彼女ができたことを秘密にして参加していただけないでしょうか!」
「そんなお願いをしてくるところが、本当に佐久間だよなァ!!!」
……と言う経緯で、俺は佐久間と共に合コンに参加することとなった。
(家で待ってて欲しいって合鍵を渡した日に、何で合コンなんかに行かねぇといけねぇんだよ……)
気分転換のミントのタブレットをガリガリと噛み砕きながら、俺は昼食前までに済ませたかったタスクを済ませた。
帰りが遅くなると、澄恋さんに連絡をしなければとスマホを取り出した時だった。一件の通知が画面に表示されていた。
送信者は澄恋さん。
【お疲れ様です。お仕事は順調ですか? もしご迷惑じゃなければ、お弁当を作ったので届けに行きたいんですけど、大丈夫ですか?】
「べ、弁当だと?」
不幸続きだったのが嘘のように晴れ上がる。彼女の手作り弁当って、初めてなんだけど!?
【食べる、嬉しい。ありがとう】
送信した瞬間に既読になって【良かったです。今、蓮さんの職場の近くまで来てるので届けに行きます】と返信が届いた。
——不幸の後には幸せなことが起こるようにできてるんだな。
俺はニヤける顔を隠しながら、彼女が来るのを待っていた。
「音無、どうした? ニヤニヤして……いいことでもあった?」
「あ、湊人さん。いやー、さっき話してた彼女が、弁当を作ったから届けに来てくれるそうなんですよ。着いたら湊人さんにも紹介しますね」
「マジ? 良かったな」
そんな話をしていた矢先だった。
エレベーター前がザワザワと騒がしくなった気がして、何かあったのだろうかと二人して席を立った。
「どうした? 何があった?」
ヒョイっと顔を見せた瞬間だった。
見たことのある顔が視界に入り、全身の血の気が引いた。
な、何でコイツがここにいる——!?
「あ、音無さん! 会えて良かったァ♡ お父様に聞いて会いにきたのー♡」
甘ったるい猫声が癪に障る。
やめろ、やめろ! 澄恋さんの面影を残した顔でふざけた行動を取るのは止めてくれ!
だが、俺の気持ちとは裏腹に、彼女は俺に抱きついて腕を絡めてきた。
回りの奴らが「まさか」と騒めく。
いや、違う……! 彼女はできたけど、コイツじゃねぇ!
「え? 音無……もしかして彼女って、この子?」
「違……!」
「そうですー、早瀬真由と申しますぅ♡ いつも蓮がお世話になっております♡」
早瀬の名前により一層騒めきが大きく広がった。
「もしかして早瀬って、あの早瀬グループの?」
「芸能人みたいに可愛い! 音無さんにお似合いだわ」
違う、違う……! コイツじゃねぇ!
だが、露骨に否定してしまえば澄恋さんの家族に迷惑も掛かってしまう。クソ……っ、何でこんなことに……!
そして、こう言う時の不幸っていうものは、なぜか重なってしまうものなのだ。
一番見られたくなかった人物の視線を……不運にも察してしまい、俺は息を呑んだ。
「——蓮さん……?」
血の気が引いて青白くなった顔で、俺のことを見る澄恋さんの顔。
俺はきっと、その時に見た彼女の顔を一生忘れないだろう。




