38話 似た者同士
私は石材を泥化させて、クロベルの手首に塗りつけた。
手錠の形にして再び石化させる。
主犯格は逮捕。
実行犯のアッシーカもコンクリートの布団で眠っている。
これにて、一件落着と見ていいだろう。
隕石にでも当たらない限り、ここから私が死ぬ展開はないはずだ。
そのときが来れば、東の空から昇ってくる朝日を拝めるだろう。
「ねえ、どうして私を殺そうと思ったの? 答えて」
私は罪人を引き立てながら、あらためて尋ねた。
『ポンコツ令嬢』ルピエットと『完璧令嬢』クロベル。
対照的な二人だけど、姉妹仲は良好だったと記憶している。
少なくとも、ルピエットの視点では。
「お姉様がいけないのですわ。私の大切なものを全部奪っていくんですもの」
虜囚となってなお、クロベルは反抗的な目をしていた。
私が大切なものを奪う?
さきほど、きっと自覚すらないのでしょうね、とあざ笑われたばかりでアレだが、本当になんのことかわからない。
「お姉様の微笑みは魔性のものですわ。笑顔の魔物ですの」
「魔物?」
「お姉様が笑うだけで使用人たちがなびくの。私に忠誠を誓って、私に尽くして、私のためだけに生きるべき私の人形たちが、どうしてお姉様のほうばかり向くの? どうしてよ……!」
金切り声が地下室に響いた。
「お父様も先生方も口を揃えて言うんですの。クロベルもお姉様のように慕われる人になりなさいって」
「私が? 慕われる人?」
何を言っているんだコイツは、と思った。
私は馬鹿にされることはあっても人から慕われたためしはない。
少なくとも、無限ループが始まる以前は。
「お姉様は気づいていらっしゃらないのでしょうね。私の前では硬い表情をしている使用人たちがお姉様の前では心から笑顔を浮かべていますのよ?」
そう言われて、水垢の一件を思い出した。
クロベルが廊下の向こうから駆けてくると、使用人たちはピリッとした空気で背筋を伸ばしたのだ。
私がいたときは気の抜けた様子で談笑していたのに。
あれを見て、私は自分が軽んじられているのだと感じた。
仕えるべき主とみなされていないから談笑などされるのだと。
緊張感をもたらしたクロベルに感心したほどだった。
でも、クロベルの目にはまったく違った光景が見えていたらしい。
「お姉様ばかりズルい! お姉様が笑うだけでみんなお姉様の虜になる。私に背を向けるの! 私は寝る間も惜しんで努力して振り向いてもらおうと必死なのに。お姉様が少し笑っただけでみんなみんなお姉様に夢中になる!」
クロベルはこの世の理不尽を嘆いているようだった。
寝る間も惜しんで努力か。
クロベルは治癒魔法の習得に3年を費やした。
しかし、私はただの一度で、それもクロベルよりずっと高度な治癒魔法を使えるようになってしまった。
努力の結晶が目の前で踏み砕かれたわけで、そのショックは計り知れないものだろう。
そして、傷心のクロベルに畳みかけるようにムルアが言ったのだ。
『クロベル様でも治せなかった傷を治してしまわれるなんて、ルピエットお嬢様はすごいです!』
もちろん、ムルアに非はない。
悪意があったわけでもない。
だが、認められたい一心で努力したクロベルは救われない想いだったに違いない。
何もかも私がかっさらっていったのだから。
今回の拷問についてはそれが引き金だったということか。
「アルシュバート殿下も私のことを見てくださらない」
クロベルは目を伏せて声を震わせた。
「私はアルシュバート殿下を心の底からお慕いしておりますの。でも、殿下はお姉様しか見ようとしない。私なんて眼中にもないのですわ。こんなにも恋焦がれて、こんなにも努力して殿下にふさわしい女になろうとしているのに。全部お姉様が悪いのよ。お姉様さえいなければ、私があのお方の一番になれるのに……」
クロベルからアルシュバート殿下への想いを聞いたのは初めてだ。
ゲームでもそんな設定はなかったはずだ。
『クロベルが殿下と結ばれればいいのに』
ふと自分の声が耳朶に蘇り、私は後悔の念に駆られた。
初めて拉致・拷問を受けたあの日、手の怪我を癒やしてくれたクロベルに私はそう言ったのだ。
出来のいい妹のほうがアルシュバート殿下にふさわしいと思ったから出た発言だった。
あの言葉をクロベルはどんな想いで聞いていたのだろう。
アルシュバート殿下の寵愛を一身に受けるルピエット。
そんな私が殿下の想いを軽んじる発言をした。
クロベルが欲しくて欲しくて仕方ないものを、私は自ら放擲したのだ。
恋愛における地雷を見事なまでに踏み抜いている。
その結果、私はあの日、地下室で地獄を見ることになったのだろう。
「ムルアがお礼をしたいと言うのよ。お姉様が傷を治したから。目を輝かせてお姉様の話ばかりしていたわ。どうして? ねえ、どうして私の使用人までも奪っていこうとするのよ」
涙に濡れた憎悪の目が見つめてくる。
私は目をそらしそうになったが、眉間に力を入れて堪えた。
勝手なことばかり言う奴だ。
殿下の件は私の失言だった。
それは認めよう。
だが、ムルアの怪我を癒やした件も、使用人たちが私を慕ってくれている件も、私にはなんの責任もないじゃないか。
なぜ、暗殺されねばならないのか。
なぜ、拷問まで受けねばならないのか。
何十回も殺しやがって。
冗談じゃない。
みんなに好かれる姉が羨ましいから殺しました?
ふざけるんじゃないってんだ。
張り倒してやりたくなったが、いちおう姉であることを思い出したので、やめた。
私は黒い髪をなで、クロベルを同情の目で見た。
「あんたはルピエットが羨ましかったんだね」
『完璧令嬢』という突出した設定に反し、作中におけるクロベルの出番は驚くほど少ない。
『ライプリ』の世界ではいちおう名前が与えられている程度の脇役なのだ。
姉のポンコツっぷりを際立たせるための舞台装置。
初めから姉の引き立て役として生み出された、それがクロベル・リュピエートだ。
脇役であることを運命づけられた彼女には私がどう見えたのだろう。
努力もせず、ただ笑っているだけで周囲を虜にしていく主人公がまぶしく、そして、恨めしくもあったのではないだろうか。
届かぬ太陽を見上げる日陰者。
積み重ねた努力の分だけ虚しさも膨らんでいったはずだ。
「でもね、クロベル。努力ってね、人に認められるためにするものじゃないんだよ。自分の未来を切り開くためのものなんだ。人の目なんて気にせずに、あなたはあなたのなりたい自分を模索するべきだったの」
私は妹の頬を両手で包んだ。
こわばった表情が手の中でほどけていくのを感じる。
「あなたは努力家だけど、努力の方向を間違えたの。誰も後ろを向いたままじゃ前には進めないんだよ」
「あなたなんかに何がわかるのよ」
姉を殺したがるような奴の気持ちなんて心底理解不能だ。
でも、正しい道筋を通らないと未来がやってこないことを私は身をもって知っている。
明日を掴むのに必要なのは完璧さなんかではない。
正しい努力なのだと思う。
クロベルは目に力を込めて抗おうとしていたが、やがて、堪え切れなくなってわんわんと涙を流し始めた。
やったことは絶対に赦せない。
だけど、不憫な子だなと思う。
『完璧令嬢』と称されるようになるまでに彼女は血のにじむような努力を重ねたのだろう。
私自身、剣も魔法も学問も全部極めることでこの無限ループを乗り越えようとしたから、完璧へと至る道のりの過酷さはよくわかっているつもりだ。
そして、努力が報われない辛さも身に染みて知っている。
私とクロベルは完璧を目指した点でとても似ている。
最大の違いは、私にはやり直す機会があったことだ。
彼女にも無限のチャンスが与えられていたならば、きっと正しい道を探し当てることができただろう。
本当に不憫だ。
そして、皮肉な話だ。
私の命は今夜、頭の時限爆弾によって失われるはずだった。
わざわざ暗殺者を差し向けて亡き者にする必要などなかったのだ。
その私は黒幕であるクロベルに教わった治癒魔法で命を繋ぎ止めた。
クロベルの空回りっぷりときたら『ポンコツ令嬢』も真っ青なレベルだ。
やっぱり私たちは姉妹なのだろう。
こんなにも似た者同士なのだから。
私は泣き崩れる妹の頭をそっと抱きしめた。
彼女にもやり直す機会が与えられることを静かに祈りながら。




