37話 黒幕
「クロベル……」
私は胸が引き裂かれるような想いで妹の名を呼んだ。
クロベルは五体満足の私と丸太のように転がる暗殺者を交互に見て、凍り付いた。
しかし、すぐに春のたんぽぽみたいな笑みを見せた。
「まあ、お姉様! こんなところで何をなさっているのですか? そちらのお方はどなたですの?」
あくまでも白を切るつもりらしい。
私は重ったるいため息をつきたくなったが、なるべく表情を殺すことにした。
「どうして私を殺そうと思ったの?」
クロベルは笑顔を崩さない。
でも、黒い瞳は隠しきれないほど揺れていた。
暗殺者を「アッシーカ」と名前で呼んだこと。
私を仕留められたか問うたこと。
なにより、この場に居合わせたこと。
クロベルがルピエット暗殺事件の黒幕であることは、もはや疑いようがない。
今の今まで尻尾を掴ませなかった手腕には驚愕する。
殺したいほどの悪意を完全に抑え込み、姉想いの可憐な妹を演じ切っていたわけだ。
とんだ悪役令嬢がいたものだ。
早々にちらりとでも馬脚を露呈してくれたなら、私のループも3回くらいですんだかもしれない。
「我が妹ながら大したものだよ」
だからこそ、残念だ。
ポンコツとあだなされる姉と違って、クロベルには完璧と称されるだけの才覚があった。
一体どうしてこんな出来損ないの姉なんかを殺そうだなんて思ったのだろう。
私がプレイした範囲では少なくともクロベルに不審な動向はなかった。
姉想いの優しい妹。
そんなイメージしかない。
出番自体ほとんどない脇役的な立ち位置だったが、まさか姉を拷問にかけるほどのヒールキャラだったとは。
「お姉様がいけないのですわよ。私を狂わせてしまった張本人はあなたですもの」
しばらくして、クロベルは開き直った様子で口を開いた。
その顔は悪意で黒ずんで見えた。
「私が張本人?」
「きっと自覚すらないのでしょうね。生まれつき恵まれていただけのお馬鹿さん」
生まれつき恵まれた、それはクロベルにこそふさわしい言葉じゃないのか?
なんでもパーフェクトにこなしてしまう『完璧令嬢』。
私が何度クロベルを見習えと言われたことか。
完璧な妹が至らぬ姉を狂わせることがあったとしても、その逆は決してないはずだ。
そうだろう?
「まあ、黒幕はわかったし、これで事件は解決だ。犯行動機については後でゆっくり聴くよ」
今は暗殺者――アッシーカが気がかりだ。
気絶しているように見えるのはすべて見せかけで、私が油断する瞬間を虎視眈々と狙っているような、そんな気がしてならない。
「あらまあ。お姉様ったら、どうして勝ったような顔をしていますの?」
クロベルはせせら笑いながら、ククリナイフを拾い上げた。
「あなたごときぼんくら、暗殺者に頼らずとも私が手ずから始末して差し上げましてよ」
刃を低く構えた姿からは、とても貴族家のお嬢様とは思えない凄まじい気迫を感じた。
黒いドレスが死神のローブに見えるほどだった。
クロベルの剣の腕前はパルタ先生を唸らせるほどだった。
まさか黒幕とも剣を交えることになるとは思っていなかったから、対策は何もない。
「少しずつ削って真っ赤なドレスを着せて差し上げますわ、お姉様!」
湾曲した剣を大鎌のように振るうクロベルを私はへっぴり腰で迎え撃った。
『完璧令嬢』にして、実の妹。
私にとっては難敵だ。
完全に気後れして腰が引けていた私だったが、一合打ち合った瞬間目が覚めた。
「なんだ、これ……」
黒と銀の防風のような猛攻を私は棒立ちでさばいた。
アッシーカやアルシュバート殿下と何度も対峙してきたからこそ、わかる。
クロベルの剣には決定的な何かが足りなかった。
姉を舐め切った無警戒の踏み込みには、数えるのも面倒になるほど多くの隙が見て取れる。
殺される側の痛みも殺す側の苦悩も知らない、習い事のような剣技。
「あなたの剣って軽いね、クロベル。おままごとみたい」
私の剣が蛇のようにうねり、ククリナイフを絡め取る。
突き出された切っ先を後方に流しつつ、私は膝を繰り出した。
「ぐぇ……」
潰されたセミみたいな悲鳴を上げて、クロベルは腹を押さえて倒れ込んだ。
吐しゃ物を滝みたいにこぼしながら、怯えた目で私を見上げている。
「そんな……。お姉様みたいなへらへらするしか能のないカスに……。この私が……」
口のお悪いことで。
「それがあんたの本性なんだね」
完璧とは程遠い、もはや、ただの性悪女だった。




