33話 取り調べ
「それでは、まず、仮面のほうを外させてもらいましょうかね」
私がニタニタしながらそう言うと、暗殺者は嫌だ嫌だと身をよじった。
しかし、強固なコンクリートと化した泥はその程度ではクラックひとつ入りはしない。
初めて見る暗殺者のご尊顔。
鬼のようにおっかない顔か、はたまた、呪い殺すような冷徹な目つきか。
「……いざ」
ごくりと喉を鳴らして私は仮面を剥ぎ取った。
長い銀の髪が黒衣のフードからこぼれ出る。
続いてあらわになったのは、私の予想よりずっと美しい顔だった。
ヒロインのようだと思った。
長いまつげに、くっきりした二重のまぶた。
小さな鼻と薄い唇。
私を映す、澄んだ銀色の瞳。
まるで、鏡の妖精のようだった。
歳は私と同じで15か16くらいだろう。
作り物めいた整った顔には捕まったことへの屈辱ではなく、恐怖の色がありありと浮かんでいた。
我が身を待ち受ける運命を憂いているのだろう。
敵の手に落ちた暗殺者の末路なんて得てして悲惨なものだ。
治癒魔法を用いた終わりのない拷問にさらされ、完全に精神が破壊し尽くされるまで死ぬことすら許されない。
種々の薬草で鋭敏化された肌に間断なく想像を絶する痛みが走り続けるのだ。
青くなった唇と慈悲を乞う目を見ていると、妙な気分になってきて私は舌なめずりして湿度の高い笑みを浮かべた。
私が変態男じゃなくてよかったね、あんた。
「正直ね、とっても驚いてるよ」
近くでまじまじと顔を見つめながら言う。
「若い声だなぁとは思っていたけど、少なくとも20代半ばだろうって推定していたんだ。まさか、私と同年代でこれだけ動けるなんてね。もしかして、どこか特殊な組織みたいなところで訓練を積んだの?」
「……」
「自分のことは話せないのかな? 秘密を漏らすと爆発して死ぬとか割とありがちだよね?」
「……」
返答はない。
まあ、わかりきっていたことなので気長にいこう。
「お名前を教えてくれるかな?」
「……」
「私はルピエットっていうの。ま、知っているだろうけどね」
「……」
「びっくりしたでしょ? 私が意外と戦えたから。予想外だったんじゃない? あなた、きっと雇い主から『標的はポンコツだ』って聞かされていただろうからね」
雇い主という言葉で眉がぴくりと動いた。
「教えてよ。誰に雇われたのか」
「……」
「どうして、私を殺そうと思ったの?」
「……」
「あなたに殺しを命令した人はどんな人なのかな?」
「……」
「ね! お願い! ヒントだけでもちょうだい! ほら、この通りだから! ねっ?」
「……」
その後も手を変え品を変え延々と話しかけ続けたが、何を訊いてもだんまりだった。
口にチャックし、目も感情のない人形のように虚空を見つめている。
このレベルの暗殺者だ。
それこそ、拷問したところで口など割らないのだろう。
進展のないまま、お腹が空いてくるほど長い時間が流れた。
どんな名刑事でもうんざりしてタバコの一本でも吸いたくなるほどの完黙だったが、私は眉ひとつ動かさない。
目を離したわずかな隙に逃げられる気がしたからだ。
顔色一つ変えないが、きっとコンクリートの内側では脱出のための準備を着々と進めているはずだ。
私がさらなる泥で塗り固めると、暗殺者は能面のような顔にわずかな失意をにじませた。
やっぱり内側でコンクリを削っていたな。
油断も隙もない奴だ。
「あなたも頑固だね。少しくらい話してよ。相談したいことがあるなら聞くよ?」
「……」
「誰に雇われているの? 欲しいのはお金じゃないのでしょう? あなたが嫌々従っているのはわかっているの」
「……」
「もし、従わざるを得ない理由があるなら打ち明けてくれないかな。私ならあなたの悩みを聞いてあげられるかもしれないわ」
にっこり笑いかける。
ルピエットの微笑みは魔性のものだ。
たっぷり時間をかけたのも無駄ではなかったらしく、暗殺者の瞳はゆらゆらと揺れるようになっていた。
私が拷問どころかビンタのひとつもしないから、心を許しつつあるのだろうか。
そろそろ日付が変わるかな?
しんと静まり返った夜の空気を感じて、そんなことを思っていると、暗殺者が小さく口を開いた。
「…………私もあなたのことを殺したいわけじゃ、ない。……ごめんなさい」
それだけ言って、また黙ってしまった。
刑事ドラマで見たことがある。
世間話でも身の上話でも、被疑者から最初の一言を引き出せたら、二言目も自然と出てくるものだと。
完落ちは目前だ。
私は喜色を隠して質問を重ねようとした。
しかし、声が出なかった。
声の出し方を忘れてしまったみたいに口をパクパクさせるしかない。
少し遅れて、頭が痛み始めた。
始めは鈍痛のようだったが、突然痛みの質が変わった。
頭の内部で爆竹が爆ぜたようだった。
経験のない激痛に私は目をぎゅっとつぶった。
まっすぐ立っていられない。
暗殺者に弱みを見せたくなくて再度目を開けると、我が目を疑うことになった。
地下室が様変わりしていた。
暗い虹色に染まった石壁がぐるぐると回りながら溶けたアメ細工のように歪み、波をかぶった砂城さながらにボロボロと崩壊していく。
世界が壊れていくようだった。
いや、壊れているのは自分だ。
自分が頭の中から急速に崩壊していく。
思考がでたらめになり、精神が分裂と再統合を繰り返しながら非可逆的な変異を続けていく。
そして、闇がどんどん近づいてくる。
この感覚だけははっきりとわかった。
死ぬのだ。
また私は死ぬのだ。
また死ぬ。
なんで!?
暗殺者の毒牙には触れていないはずなのに。
解毒薬が不十分だったのだろうか。
いや、それにしては、剣の馬。
双子のドワロフ。
路傍に芝の、停められた屋根の上がふくよかな体でポンコツとされたことさえもが私、私私を差し入れさえすれば手綱曲線を持つ片刃の剣だ。
がががま……。
……。
………………。
…………。
「大丈夫ですか、ルピエットさん」
「……あ、はい」
気づけば、私は快晴の空を見上げていた。
親の顔より見たパルタ先生のあきれ顔も一緒に見える。
死んだらしい。
なぜだ!?
「先生ぇ……。自分ではかなりイイ線いったと思うんですよぉ」
「いいえ、見事なまでの落ちっぷりでしたよ。でも、何か掴めたことがあったのなら素晴らしいことです。失敗した原因を突き止め、次に活かしなさい」
おっしゃるとおりだ。
どうして死んだのかまったくわからないが、そうすることにした。




