32話 作戦決行
日中あわただしく駆け回り、日が沈んだ頃、準備万端整った。
私はこれ見よがしに庭を一周してから納屋の地下室に潜り込んだ。
一番奥で壁を背にして立ち、入念に考え込んだ作戦の流れを反芻する。
あとは、私という餌に魚が食らいつくのを待つだけだ。
そして、そのときは意外にも早く訪れた。
西日で赤く染まった狭い通路の向こうに漆黒の影が現れる。
いつもより、やや早い登場だ。
方々でいろいろと準備している私を見て、さっさと殺したほうがいいと判断したのだろう。
袋のネズミ作戦スタートだ。
「……」
仮面の向こうから質量のある強い視線を感じた。
いつもなら矢の勢いで突っ込んでくるのに、今日に限っては慎重に周囲の様子をうかがっているようだ。
そして、通路の天井から垂れ下がる極細の糸とその先にある極小の釣り針を目ざとく見つけたようだった。
釣り針には即効性の麻痺毒が塗ってある。
うっかり引っかかってくれたら、それで試合終了のホイッスルを吹けたのに。
思い通りにならなさすぎて笑えてくる。
だが、ここは素直にあっぱれと賛辞を贈るべきだろう。
大丈夫。
プラン2でいこう。
「こんにちは」
毒針を斬り払い、慎重な足取りで近づいてくる暗殺者を、私は場違いな明るい笑顔で迎えた。
「これだけ毎日顔を会わせると、私にも愛着みたいなものが湧いてくるよ。ライバル意識にも似た感覚なんだけどね」
もっとも、勝敗ではこちらが大きく負け越しているのだが、ラストマン・スタンディングが私の信条なので不問とする。
「今日で終わりにしよう。二人とも生きて明日を迎えられるといいよね!」
私は隠し持っていたフラスコを、風魔法を込めた手で投じた。
フラスコは勢いよく壁にぶち当たって中身の液体を飛び散らせた。
液体は風にあおられて瞬時に気化し、何十倍にも体積を増やして爆発的に白い煙を拡散させる。
硫黄のような刺激臭が地下空間に充満した。
いかにも毒ガスですって感じだが、実際には毒性なんて皆無だ。
それでも、暗殺者からすれば息を止めないわけにはいかない。
そして、人間は息を止めていられる時間に限りがある。
タイムリミットを設けることで慎重さを奪う。
それが私の狙いだった。
暗殺者がククリナイフを抜刀するのと同時に、私は煙幕に紛れるようにして石床に触れた。
魔法を行使すると、あらかじめ魔力を練り込んでいた石床は水風船を割ったように突如として様相を一変させた。
使ったのは土魔法『底なし沼』。
暗殺者は突然現れたぬかるみに物の見事に突っ込んだ。
煙幕には焦らせるだけでなく、視界を悪化させて泥だまりを見えにくくする効果もあったのだ。
暗殺者は膝まで泥沼に呑まれ、とっさに出した左手も泥の舌に絡め取られていた。
粘土の高い泥がトリモチのように伸びて、獲物を離そうとしない。
暴れれば暴れるほど暗殺者の体は泥沼に沈んでいった。
すでに勝った気でいると、暗殺者はフリーの右手でククリナイフを投げてきた。
私は抜剣し、それをなんなく叩き伏せた。
だが、剣を握っていた腕に鋭い痛みが走った。
見れば、細い針が刺さっているではないか。
ククリナイフと同時に針も投擲していたらしい。
無論、毒針であろう。
私は逆の手で氷の塊を投射した。
暗殺者は肘打ちで砕こうとしたが、氷塊は熟れた柿のようにぐしゃりと潰れて暗殺者の腕にまとわりついた。
あえて水っぽく作って正解だった。
これで、暗殺者の四肢は完全に封じた。
私は泥を操って暗殺者の首から下を包み込んだ。
泥をコンクリートに変える魔法で再び岩石化させる。
暗殺者はプロポーションの悪いダルマみたいな姿になった。
普段のギャップも相まって、だいぶ面白い。
……おっと、笑っている場合ではなかった。
すでに、体には痺れが表れていた。
「解毒、解毒……!」
私はコルク栓を飛ばして小瓶に吸い付いた。
中身はクラウト先生謹製の解毒薬だ。
「ぅぷ……」
良薬は口に苦しとはよく言ったもので、味は最悪だった。
腐敗した牛乳でコトコト煮込んだホウレンソウのスープに味噌を加えたみたいな味だ。
こんなものを飲まされては安楽死に向かっていた末期患者も息を吹き返して、医者に猛ダッシュで殴り掛かることだろう。
それでも、死ぬよりマシだと私はひと息で飲み込んだ。
すぐに痺れが消えて後味の悪さだけが残される。
悪態をつく私を見て、暗殺者が困惑したのは仮面越しでもわかった。
苦心して仕入れたであろう必殺の毒を無効化されたのだから当然だ。
私は目線より低い位置にある暗殺者の顔を見下ろした。
あっさりと生け捕りに成功してしまった。
これで、ルピエットお嬢様連続暗殺事件も解決に向かうだろう。
「やったやったー! 暗殺者をついに攻略したゾ! 完封勝利だ! ほっほー!」
私はでたらめな勝利の舞を踊った。
はしゃぎすぎたせいだろうか。
ずきりと頭に痛みが走って、ふと冷静になる。
喜ぶあまり油断してグサリなんて笑えない。
百里を行く者は九十を半ばとせねば。
むしろ、ここからが本番だ。
私は腕まくりした。
「それじゃ、取り調べ開始だよ!」




