31話 オペレーション『袋のネズミ』
羊の群れのような雲が空を流れていく。
私は屋敷の屋根の上に寝そべって、のんきにそれを眺めていた。
身体強化できるようになって行動範囲が格段に広がった。
壁を蹴ればこうして屋根に駆け上がることもできる。
ここは、おっかないパルタ先生にも世話焼きのメイドたちにも見つからない場所だから、考えごとに集中したいときにはもってこいの場所だった。
黒衣の暗殺者を生け捕りにするにはどうしたらいいだろう?
目下、私の頭の中にあるのはそればかりだ。
私がめちゃくちゃ強くなってすべての攻撃をさばききり、ひと睨みで戦意を喪失させるとかできればいいのだけど、それには、あと1万回周回しても足りない気がする。
暗殺者は剽悍で知恵が回り、油断も驕りもない。
生半可な策では止めることすらできないだろう。
私もだいぶ剣の腕がついてきたと思う。
おそらく、アルシュバート殿下の騎士たちなら5人同時に相手にしても圧勝できるはずだ。
それでも、あの暗殺者が相手では10秒持ちこたえるので精いっぱいだ。
まともにやったら生け捕りどころか、引き分けることすらままならない。
ならば、尋常ならざる方法にて攻略するしかあるまい。
いろいろ思案した結果、これならイケるかも、というアイデアが浮かんできた。
「まずは、下見だな」
私は屋根から飛び降りた。
シュタッと着地したのだが、そばで庭仕事をしていた老爺が仰天して腰を抜かした。
何事もなかったかのように微笑んでから、私は屋敷の裏手に回った。
決戦の舞台に選んだのは、地下だ。
暗殺者の行動パターンは主に2通りある。
背後から忍び寄り、標的に気づかれることなく首を掻き切るパターン。
それから、真正面から電光石火の早技で仕留めるパターン。
この2つ。
厄介なのはパターン1のほう。
背後から来られるのは警戒していても防ぐのが難しい。
気配を察して振り返ったとしても、その動作の分だけ初動が遅れ、それが致命的なロスとなって死ぬことになる。
だから、袋小路になった地下で壁を背後にして待ち構えることにしたわけだ。
名付けて、『袋のネズミ作戦』だ。
ちなみに、この作戦、裏路地の行き止まりとかでは成立しない。
さっき私がしたみたいに屋根の上から急襲される恐れがあるからだ。
その点、地下はアプローチコースを正面に限定できるというメリットがある。
私は庭を突っ切って、緑の壁を思わせる植え込みの裏に回り込んだ。
小さな小屋がひっそりとたたずんでいる。
納屋だ。
庭仕事の道具や滅多に使わない家具などが納められている。
「たしか、中に地下室があったはずだけど……」
雑然と物が置かれた薄暗い空間に砂ぼこりが舞っている。
鼻がムズムズしてきて、来たことを少し後悔する。
屋敷の地下食糧庫やワインセラーならもっと綺麗だが、家族や使用人を巻き込みたくはないから候補地はここ、一択だった。
「あった」
半分藁に没した金属の扉を跳ね上げると、地下に続く階段が現れた。
いちおう背後に警戒しつつ階段を下りる。
初めて来たはずの場所なのに、なぜか既視感があった。
「あれ? ここって……」
ここがどこか思い出した瞬間、私の膝は狂ったように笑い始めた。
石壁の積み方に天井のシミ、間取り。
湿ったカビの臭いと土の香りにも覚えがある。
「ここ、私が拷問を受けたところだ」
急に寒波が到来したように寒くなり、歯の根も合わないほど全身が震えだす。
食後だったら吐いていたかもしれない。
私は深呼吸を繰り返して、お守り代わりのアカハゼ草の実を舌の上で転がした。
大丈夫、大丈夫。
たとえ手足を縛られたとしても、これを噛めばリセットできる。
そう思うようにすると、落ち着いてきた。
「私、自宅の敷地内で拷問されていたんだな」
お嬢様は納屋に、まして、地下室に入ることなんてないから今の今まで気づかなかった。
地獄はすぐ目と鼻の先にあったのか。
これまでのんきに暮らしていたことが空恐ろしく思えてきた。
しかし、この新事実は犯人を特定する上で重要な手がかりになるかもしれない。
あのとき、暗殺者の後ろには黒幕らしき人物も一緒にいた。
厳重に警備されたリュピエート邸の敷地内に潜り込むのは大きなリスクを伴う行為だ。
となると、外部犯とは考え難い。
内部犯説が急浮上した形だ。
でも、屋敷で働く人物に怪しい者はいない。
それに、ルピエットは使用人たちから軽視されている節こそあるものの、愛されて大切にされているのも感じる。
殺されるほど嫌われているとはとても思えない。
思いたくないのもあるが。
まあ、今は憶測を重ねても意味がない。
真犯人の正体は暗殺者に訊けばいいのだ。
私はこの因縁の地を決戦の舞台にすることにした。
作戦がうまくいけば、剣すら交わすことなく暗殺者を御用にできるはずだ。
「さっそく準備に取りかかろう」




