27話 月下の死闘
アルシュバート殿下から一本を取ったことで、私の中でひとつの決心が固まった。
今日こそ黒衣の暗殺者を倒してやる、と。
これまでは、回帰のための儀式として、半ば殺されることを受け入れていた。
勝てればラッキー程度の反撃しかしてこなかった。
だが、今日は勝ちにいく。
殿下に勝った余勢を駆って暗殺者を討ってやろうという気になったのだ。
失敗しても、それはそれで経験になる。
惜しいところまでいけば、自信になる。
すべてうまくいけば、明るい未来がやってくる。
どう転んでも私は得をする形だ。
なら、思い切ってぶつかってみよう。
私はクラウト先生から調達した薬草を小鍋に投げ込んで、火にかけた。
コトコト煮込んでいる間に、馬で森の工房に赴き、ドワロフに相撲を挑み、寄り切って小川に落とす。
愛剣を無事仕入れたら屋敷に取って返して、煮詰めた薬草から魔薬の丸薬をこしらえる。
あとは、精のつくものを食べて、夜に備えるだけだ。
私は丸くなった腹をさすりながら、ベッドに潜り込んだ。
「……うーむ」
暗殺者とは毎日のように顔を会わせているはずなのに、いざ決戦を挑もうと思うといまいち寝付けなかった。
代わりに、双子の使用人の頬をムニムニすることで癒やしを得ることにした。
「どうされたのですか?」
「ルピエットお嬢様?」
ムルアとメルアはなぜか心配そうな顔で私を見上げていた。
私は笑顔で尋ね返す。
「どうって?」
「その、いつもより少し」
「お顔が怖かったので」
二人は言いにくそうに白状した。
顔が怖い、か。
何度もループしたのに、そんなことを言われたのは初めてだ。
どう返事していいかわからず、私は笑うしかなかった。
そうこうしているうちに、夜が来た。
剣を携え、屋敷の近くの小広い路地に仁王立ちする。
ここは、経験上、人どころか猫の子1匹通らないことを知っていた。
邪魔されずに果たし合うには最適な場所だった。
月が雲に隠れる。
濃くなった闇の中にぼんやりと人影が浮かび上がった。
墨汁を塗りたくったような黒衣から銀色の刃が伸びる。
もはや見飽きた登場シーンだった。
それも、今夜で最後になるかもしれない。
「こんばんは。今日は勝たせてもらうよ? そのつもりで来た」
私は奥歯に挟んでいた丸薬を噛み潰した。
途端に心臓が高鳴り、すべての感覚が研ぎ澄まされる。
致死量のギリギリ手前まで攻めた高濃縮魔薬だ。
効き目のほうは相当なもののはずだ。
血が燃えるような感覚が全身を襲い、跳ね上がった血圧で眼球が破裂しそうになる。
心臓の鼓動に合わせて頭がズキンズキンと痛んだが、その痛みが得も言われぬ快感のように感じられた。
私は意味もなく笑って、よだれを垂らした。
気分は恐れを知らぬ狂戦士だった。
「じゃ、始めよっか」
私は魔力で風に働きかけた。
圧縮した空気を背中で爆発させ、強引な急加速で前に出る。
石畳の床には土魔法が通りづらい。
代わりに、氷魔法で足場を薄く凍らせた。
暗殺者の足がずるりと滑る。
「『浮き藻斬り・改』――!!」
かすかにパンとソニックブームが響いた。
私が初めて放った『破音の剣』はククリナイフとぶつかって火花の雨を飛び散らせた。
黒衣が弾けて、鮮血が石壁にまだら模様を描く。
「浅いか……!」
暗殺者は背中から地面に転がった。
「影武者……!?」
仮面の下から困惑の声が聞こえてくる。
お嬢様が超音速の剣なんて振るったら驚くよね。
でも、
「ご本人だよッ!」
後転する勢いで後ろに跳んで距離を取ろうとする暗殺者の腹めがけ、私はたっぷり助走をつけた蹴りを繰り出した。
臓器を踏み潰すようなグロテスクな感触の後で、
「ぁウ……ッ!?」
と、うめき声が上がる。
怯んだのは一瞬だけで、暗殺者は黒塗りの針を投擲した。
その攻撃も見飽きている。
私は頭を低くして躱し、なおも突っ込んだ。
刃が重なった瞬間に、剣に雷魔法を流し込む。
紫電が暗い路地を激しく明滅させると、暗殺者の喉から絶叫が噴出した。
怯んだところに鋭く尖らせた氷塊を叩き込む。
ククリナイフが素早く左右に往復し、氷の弾丸を切り分けた。
電撃をまとった剣で斬り結びながら、私は口の中から自決用に取っておいた赤爆草の実をプッ、と吐き出した。
まさか、口腔内に爆発物を隠していたとは露ほども思わなかったらしく、暗殺者はそれをもろに切り裂いた。
激しい爆発が起きる。
ククリナイフが壁に突き立ち、爆風で引きちぎられた指が数本、ウィンナーのように転がった。
爆発によって四散した種子は暗殺者の片目を潰したらしく、割れた仮面の目の部分は赤い花が咲いたような有様になっていた。
ここだ!
私は一気に踏み込んだ。
「破音の剣!!」
二振り目のククリナイフがどこからともなく現れる。
しかし、体勢十分の私が放った横一文字は苦し紛れに差し出された刃を大根のように両断した。
暗殺者の体が大きく姿勢を崩す。
チャンスだ。
初めてかもしれない。
暗殺者が私にこれとわかる隙を見せたのは。
私は迷わず畳みかけた。
暗殺者は折れたナイフで私の首を狙った。
私は首をすぼめ、頬骨をえぐられるのを覚悟で暗殺者にぶつかった。
頬から入った刃が耳を切り裂きながら抜けていく。
こんなの軽傷だ。
死ぬことに比べれば。
「やあああああッ!!」
私は暗殺者の胸に剣を押し当てながら、そのまま、もつれ合うようにして壁に衝突した。
壁と剣で挟み込むようにして、私は黒衣の上から暗殺者を断ち斬った。
鎖骨と肋骨を断つドッ、ドッ、ドッという軽快な音の後で、切っ先が石壁にめり込む硬い感触があった。
剣が止まって、それ以上、斬ることも引くこともできなくなる。
「はあ……。はあ……」
私の剣は暗殺者の肩から入り、へそのあたりで止まっていた。
手が震えて、突然力が入らなくなってくる。
勝ったという高揚感はない。
人を殺してしまった。
罪悪感と恐怖で頭が真っ白になった。
震える手が伸びてきた。
最後の力で私の目でも潰す気かと思ったが、違った。
「ごめん、ね……ル、ぁ……」
暗殺者はここにいない誰かに懺悔の言葉を捧げ、月に手を伸ばすとそれっきり事切れた。
私は赤く濡れた剣を手放してへなへなとその場に尻もちをついた。




