20話 赤いキャンディー
「大丈夫ですか、ルピエットさん」
馬上からパルタ先生が軽蔑しきった顔で見下ろしている。
私は体中を念入りにまさぐってから、ホッと熱い息を吐き出した。
怪我はない。
どこからも血は出ていない。
腕もちゃんと繋がっているし、正常に動く。
強いて言うなら、後頭部が痛かった。
だいぶ凄惨な目に遭ったが、無事にループしたらしい。
頭の中では安堵した反面、まだ痛みを覚えている体のほうは弱い犬みたいにぷるぷると震えていた。
パルタ先生が馬から飛び降りてきて私を抱きしめる。
「ずいぶん怖い思いをしたようですね。でも、もう大丈夫ですよ。さっ、立って。医務室でクラウト先生に診てもらいましょう」
いつものトゲトゲした性分を全部しまい込んで、温かい体で包み込んでくれたパルタ先生がなんだか女神様に見えてきた。
「先生、私だいぶ重症です。先生が女神様に見えました」
「それは深刻ですね。事は命に関わるかもしれません」
私はすべてを両先生方に委ねて、目を閉じた。
心の中はつい先ほどまで感じていた激痛で千々に乱れていたが、クラウト先生が焚いてくれたハーブが著効したらしい。
30分ほど医務室に横たわっていると、凪の湖のように落ち着いてきた。
いやぁ、えらい目に遭った。
初めて殺されたときも、これほどの恐怖は感じなかった。
殺され慣れて、ある種、達観し始めている気でいた。
でも、それは、ただ私が死の奥行に対して無知だっただけらしい。
やっぱ死ぬの嫌だわ……。
なんとしても生きねば。
私は寝返りを打って足をバタバタした。
最悪な思いをした分、得たものも多い。
まずは、暗殺者の性別が割れたこと。
女だとわかったからといって勝機が見出せるわけではないが、警戒はしやすくなった。
暗殺者だって常日頃から黒衣で過ごしているわけではない。
普段はモブキャラクターみたいな顔で市井に潜んでいるはずだ。
声の調子はかなり若かったから、とりあえず、若年の同性には注意を払っておいたほうがいいだろう。
それに、人となりが見えたのも大きい。
暗殺者は、私に対して同情の念と罪悪感を抱いているようだった。
雇い主のほうをなんとかできれば、暗殺者とは和解できるかもしれない。
問題はその雇い主のほうだ。
わざわざ苦しめて殺したということは、動機はおそらく怨恨だろう。
金銭目的でも政争でもなく、憎悪による犯行だ。
でも、私――ルピエットのことを殺したいほど恨んでいるキャラに心当たりがない。
『ライプリ』には敵キャラも憎まれ役もいるが、基本は乙女ゲームだ。
暗殺なんて血なまぐさい手段に訴えるキャラなんてそうそう出てこない。
まあ、序盤しかプレイしていない私にゲームの全容は見えないのだが。
「私、たぶん虎の尾を踏んだんだろうな……」
拉致されたのも八つ裂きにされたのも初めてのことだ。
何か雇い主の強い怒りを買うような出来事があったんだと思う。
「これといった心当たりはないけどなぁ……」
パルタ先生の馬術の稽古をブッチして、双子たちに水垢を落とすライフハックを伝授し、クラウト先生にたんこぶを引っ込めてもらい、アルシュバート殿下と木剣をぶつけ合って、クロベルに手の傷を癒やしてもらった。
それだけ。
いずれも、これまでに何度もあった展開だ。
地雷を踏んだ感じはなかった。
原因がわからないのでは対処のしようがない。
また、あんな目に遭うのは御免だ。
スパッと殺されるのなら無限ループにも耐えられるが、毎度毎度あんな地獄を味わわされたら精神のほうがまいってしまう。
記憶を引き継げるのは私の最大のアドバンテージだと思っていた。
トラウマも継承してしまうのは盲点だった。
最悪、拷問ループで精神崩壊なんて悪夢もありえるんだよな……。
私は居眠りしているクラウト先生の胸ポケットから鍵をくすねた。
劇薬を鍵付きの棚で管理しているのは過去の周回で把握している。
「ええっと……これだ」
小瓶に封じられた赤い果実。
ルビーのように透き通った果肉に無数の黒い粒が見られる。
赤爆草の実だ。
パルタ先生によると、これは爆発することで種子を広範囲に散布するらしい。
森に分け入った狩人が果実を踏んで足を失う事例が稀に報告されるのだとか。
私は果実を口に放り込んだ。
舌で奥歯と頬の間に押し込む。
いざとなったら、これを噛んで自決してやる。
私を舐めるなよ。
わっはっは!
「爆発物を舐めながら笑っているんだもんなぁ」
いつになったら乙女ゲームを楽しめるのだろう。
誰か教えてくれ……。




