16話 達人の剣
「本気で剣を学びたいのなら、君はもう少し筋肉をつけたほうがいい」
決闘形式での稽古が始まって10周ほどが過ぎた。
アルシュバート殿下は丸1日私に付き合ってくれた後、必ずと言っていいほどそんな言葉で締めくくった。
筋肉か。
無理をおっしゃる。
死に戻りで引き継げるのは記憶だけだ。
どんなに筋トレを重ねても肉体の変化を継承することはできない。
その証拠に、毎日死に物狂いで木剣を振っているというのに、私の手は未だにお嬢様のヤワヤワな手のままだ。
しかし、身体能力を上昇させるすべは何も筋肉だけではない。
体を強くする方法はいろいろある。
例えば、魔薬だ。
冒険者たちが魔物討伐の際に使っている代物で、米粒ほどの丸薬を飲むだけでたちまち鬼神のごとき力が湧いてくる。
レシピはクラウト先生から教わった。
もちろん、副作用もあるから本来はここぞってときに服用するものだけど、私は金平糖感覚でボリボリしていた。
薬害もリセットされるのは好都合だった。
もうひとつの方法としては、魔力による身体強化がある。
体内で魔力を操って筋力や動体視力を増幅させる技だけど、達人ともなれば素手で石を砕いたり、屋根の上にひとっ跳びで上がったりできるようになるらしい。
これは魔法と同じで、技術を理屈で覚えれば引き継ぐことができた。
そんなわけで、私のパワーは日ごとに増していった。
「なんて重い剣なんだ……。ルピエ、君の実力はおそらく見習い騎士よりも上だろう」
15周目にして、ついにアルシュバート殿下の口からそんな一言を引き出すに至った。
私はこの機を逃さじと踏み込んだ。
「殿下! 私に殿下のあの奥義を伝授してください!」
「あの奥義?」
「はい、『破音の剣』です!」
伝授されたところで、素人に毛が生えた程度の私に超音速剣なんて土台無理な話だろう。
だが、山頂へと至るルートさえわかれば、自分の足で歩いていくことはできる。
殿下には私の道しるべになってもらいたい。
「まあ、いいだろう。僕も師にねだって見せてもらった。自分が誰かに剣を教える番が来たのかと思うと、なんだか感慨深いな」
アルシュバート殿下は木剣を置くと、私から距離を取った。
腰の鞘に左手を添えて、深く腰を落とす。
ひとつ息を吐き出した、その直後だった。
落雷のような音が我が家の庭に響き渡った。
殿下は瞬きよりも短い時間で剣を振り抜き、あろうことか、再び鞘に納めていた。
騎士たちが息を呑み、パルタ先生がお見事ですと褒めたたえる。
決闘形式の稽古の中で時折『破音の剣』を見ることはあったが、こうしてまじまじと目の当たりにしたのは初めてだ。
蹴り出す脚のバネ、踏み込む足のグリップ、膝のクッション、腰のひねり、上体の伸び、腕の振り、手首のスナップ、最後の握り込み……。
すべての動作が「剣を加速させる」という、たったひとつの目的のために機能し、連動していた。
そして、切っ先がわずかに音の壁を超越する。
身体強化を極めると人間はかくも速く動けるものなのか。
「これほどの剣技を二度も見せていただけるなんて光栄です!」
私がそう言うと、アルシュバート殿下は目を見開いた。
「見えたのか? 二度振ったのが」
「はい。一度目は抜剣そのままに横一文字で虚空を斬り、返す剣で十字を描いていましたよね?」
あまりにも速すぎるために破裂音も一度しか聞こえなかったが、私の目にはたしかに縦一文字が見えていた。
重さ8グラムの拳銃弾でも肉体を貫くほどの威力を誇るのだ。
音速を超えた数千グラムの鉄塊が持つ運動エネルギーは果たしていかほどのものだろう。
「お前たちには僕の二の太刀が見えていたか?」
アルシュバート殿下が騎士たちに問いかけた。
騎士たちは揃って「なんのこっちゃ?」な顔を並べている。
「ルピエはすごいな。見ての通り、近衛に名を連ねる騎士ですら見えた者のほうが少ない。君は動体視力だけなら、すでに達人の域に達していると思う」
褒められ慣れていない私だが、殿下の賛辞は素直に受け取っておいた。
毎晩のように超腕利き暗殺者の神がかり的なナイフさばきを見ているおかげで、目が養われたらしい。
まあ、まだ体がついてこないから見えても避けられないのだけど。
「ただ、君は少しばかり思い違いをしている」
アルシュバート殿下は剣の柄を静かになでた。
「今見せたのは断じて奥義などではない。剣の達人同士の戦闘では、すべての斬撃が破音となる」
「それって……」
「ああ、『破音の剣』は剣士の基本だ。これより遅い剣は剣ではない。僕は師からそう教わった」
私は愕然とさせられた。
殿下の言が正しいならば、達人同士の戦いでは超音速戦闘が当たり前ということになる。
1秒の間に何度も刃が交わされるような、そんな壮絶な光景を思い描いて、私はこれから登る山の本当の高さに絶句した。
それでも、私には無限の時間がある。
いつか、頂に立って雲海を見渡す日が来るのかもしれない。
「奥義が見たいなら見せよう」
「本当ですか!?」
「ああ。君はきっといい剣士になる。僕の編み出した剣技が指標になれば嬉しい」
アルシュバート殿下は本当に剣がお好きらしい。
少年のように煌めく目が私にはまぶしく見えた。




