13話 ハプニング
「私、馬を乗りこなせるようになったのですよ。イメージはラクダのこぶです。自分は馬の背中のこぶなんだと思って揺れるに任せていたら上手に乗れることに気づきました」
「そうか」
「パルタ先生も存外いい人なんだなと最近は思うようになりました。こんなポンコツの私に根気強く付き合ってくださいますし。それに、剣も魔法も学問も超一流で、教えが的確なのです」
「そうか」
「クラウト先生とも近頃よく話をするのです。甘いものが好きな方ですから、クッキーを焼いて差し上げれば、薬草学の秘術をご機嫌で教えてくださるのですよ」
「そうか」
アルシュバート殿下には口下手という設定があるせいか、私が何を話しても「そうか」としか言わなかった。
しかし、私との会話が退屈というわけではないようで、口数が少ない割には、殿下は終始ご満悦の表情を浮かべている。
どうも殿下的には、私を眺めているだけで満足らしい。
まるで、庭を駆け回る孫を縁側から見守るおじいちゃんみたいな柔和な顔をしている。
そういえば、ゲームでもアルシュバート殿下が口を開く場面は少なかった。
その分、独白が多かった気がする。
「」より()が多いのだ。
今こうしている間にも、テーブルをひとつ挟んだ向こう側では、ルピエットへの愛の言葉が()の中で渦巻いているはずだ。
なんだか、顔が熱くなってきたな。
「ぁ……!?」
小さな悲鳴が客間に響いた。
ムルアがダイナミックな姿勢で宙に浮いていた。
カーペットがめくれ上がり、ティーポットが宙を舞う。
紅茶を運んでいて、足を引っかけてしまったらしい。
湯気を放つ液体が私に向かって茶色い放物線を描いている。
そんな光景がスローモーションのように見えていた。
私はとっさに氷魔法を行使した。
ほぼ同じタイミングでテーブルの向こうから何かが飛んできて、私に覆いかぶさる。
爽やかな香水の香りがした。
ガチャァンと陶器が割れる音がして、私の間延びした体感時間は1.0倍に引き戻される。
私はアルシュバート殿下の胸の中にいた。
大きな腕に包まれて、どくんどくんという力強い鼓動を聞いていた。
「怪我はないか!? ルピエ!」
アルシュバート殿下が鬼気迫る形相で私を覗き込む。
本気で案じてくれているのが伝わってきた。
「私は大丈夫です、殿下」
身をていしてかばってくれるなんて、まるで王子様だ。
なんてドキドキしたけれど、よく考えれば本職の王子様だった。
「殿下こそ、火傷なさってないですか?」
私はアルシュバート殿下の周りを右往左往した。
白い服のどこにも紅茶が染み込んだ跡は見られない。
カーペットの上には陶器の破片と一緒に茶色い氷塊が散乱していた。
「ルピエ、これは君が?」
「ええ。私、魔法が使えるようになったみたいで」
「祈りを捧げずとも神が手を差し伸べてくれるとは。君は天に愛されているのだな」
殿下はいたく感心されたようだが、それはどうだろう。
殺され続ける日々を思えば、天はむしろ私に無限の試練を課しているようにすら感じる。
「なんの騒ぎだ!?」
パトシュと騎士たちが客間になだれ込んできた。
砕けたティーポットとうずくまって半べそをかくムルアを交互に見て、おおよその事情を察したらしい。
パトシュの顔が炎のように赤らんだ。
「なぜ下級の使用人風情が殿下の前にしゃしゃり出ている!」
「も、申し訳ございません旦那様。僕、どうしてもルピエットお嬢様のお役に立ちたくて……」
ムルアは対照的に顔面蒼白だった。
「その結果がこれか! 殿下の前でふざけた真似を!」
パトシュが剣を抜き放った。
「だめ……!」
私はアルシュバート殿下がそうしてくれたように剣の前に身を投げた。
でも、この判断は間違いだったと思った。
身を盾にするのではなく、この短気な父の横っ面に飛び蹴りを放っておくんだったと後悔する。
もう50回くらいは死んだけど、実の父に斬り殺されるのは初めての展開だ。
ムルアの小さな体を抱いて、私は目を閉じた。
そのとき、なぜか銃声のような音が轟き、一陣の風が駆け抜けた。
ごん、と頭上で音がする。
目を開けると、アルシュバート殿下の背中が見えた。
剣を振り抜いた姿で立っている。
パトシュの手に握られていたはずの剣は天井に深々と突き刺さっていた。
殿下の神速の一刀により弾き飛ばされたのだとわかった。
絶対死んだと思った。
そういえば、アルシュバート殿下は王子でありながら王国随一の剣豪として顔も持ち合わせていたっけ。
おかげで命拾いした。
「ご、ごめんなさい、ルピエットお嬢様。僕……」
よほどショックだったのだろう。
ムルアは過呼吸をきたすほどに追い込まれていた。
私は彼をぎゅっと抱きしめて背中をなでてやった。
「むしろグッジョブだよ、ムルア。あなたのおかげで私、乙女の気分を味わえたからさ。王子様に二度も助けてもらっちゃった! ぐふふ!」
「何を馬鹿なことを言っているんだ!」
アルシュバート殿下が本気の怒気を爆発させて私の肩を揺さぶった。
「剣の前に飛び出すなんて君は愚かだ! 二度とするな!」
普段物静かな分、殿下の言葉は胸に深く響いた。
「君に何かあったら、僕は……」
怒りだけでなく、揺れる金の瞳の奥には失うことへの恐れも見て取れる。
死んだら人生それっきり。
それが普通だ。
死に戻りできるせいか、私はいつの間にか自分の命を軽んじる癖ができてしまったらしい。
反省だ。
私は謝罪の言葉を殿下に伝え、そして、ふと思った。
死に戻りのことも、暗殺者のことも、いっそすべてを彼に打ち明けてみたらどうだろう、と。
アルシュバート王子は、作中でも一貫してルピエットの守護者として描かれていた。
愛する人を守る。
そんなコンセプトを持つキャラクターだ。
私に暗殺者の魔の手が迫っていると知れば、生真面目な彼は自分の身を危険にさらしてでも守ってくれるだろう。
たった今そうしてくれたように。
そばには優秀な騎士たちも控えている。
戦力としては申し分ない。
「……」
そこまで考えたところで、冷ややかなものが胸の中に広がった。
戦力だってさ……。
そんな風に心算する自分がつくづく嫌いになる。
人の恋心に付け込んで、自らを守る肉の盾として利用するなんて、悪役令嬢のやり方だ。
このゲーム、私以外が死んでは絶対にダメなんだ。
もし、誰かが死んだ状態でセーブポイントが更新されたら、もうやり直せなくなってしまうのだから。
それに、ゲームというのは自分で困難を乗り越えることこそが醍醐味だ。
王子様にキャリーしてもらおうだなんて思っちゃダメ。
私は今、あらためて、ここに誓う。
剣も魔法も学問も全部極めて、最強で完璧なヒロインになると。
その日の夕刻、王子は帰城の途についた。
シナリオにはこれといった変化はなく、イベント限定アイテムの類ももらえなかった。
でも、殺され続けるだけの殺伐とした日常の中にダイヤモンドのごときまばゆさで降臨した王子様は、私にひとときの夢を見せてくれた。
なんだか10歳くらい若返った気分。
どうせ何もかもリセットされるなら、押し倒してキスくらいしておけばよかったな。
そんな後悔をしているうちに、私はやはり殺されたのであった。




