10話 たまには、のんびり
無詠唱魔法を使えるようになったものの、結局私はなすすべもなく殺され続けた。
相手がそこいらのチンピラや駆け出しの冒険者なら、私はもはや負けることなどないだろう。
でも、あの黒衣の暗殺者はとにかく格が違う。
人間離れした強さなのだ。
実は人間じゃありませんと言われても納得すると思う。
壁を走ったり空から降ってきたり、なんでもアリで確実に殺しに来る。
その手際は鮮やかそのもので、証拠さえも残しはしない。
未だに仮面の下を拝むには至らず、声すら聞かせてもらっていない。
たぶん、世界最強の暗殺者とかそんな感じなのだろう。
心当たりがないか父パトシュに尋ねてみたが、知らないとのことだった。
死人に口なしだ。
これまで一度も暗殺に失敗していないのだとしたら、証言もされないわけで、当然噂にもならない。
私はどうやらだいぶ厄介な奴に目をつけられてしまったらしい。
「暗殺者の雇い主を探したほうが早いかなぁ。でも、どこかで恨みを買った覚えはないんだよねぇ……」
私怨でないなら、政争とか?
自分のあずかり知らぬところで大きな陰謀が渦巻いている可能性は十分考えられる。
上級貴族家の長女という私の肩書きは殺される理由となりうるはずだ。
「はぁ……」
根を詰めすぎるのもよくない。
パルタ先生を殺しかけた負い目もあるし、私は体感1か月半ぶりに休養を取ることにした。
ちょっといったん休憩だ。
のんびりしていたら、見えてくるものもあるかもしれない。
「ため息が」
「止まらない」
「ご様子」
「ですね」
「「ルピエットお嬢様」」
輝かしい銀の髪の双子が交互にしゃべる持ちネタを披露してくれた。
下級使用人の兄ムルアとメイド見習いの妹メルアだ。
水垢の件がなくても、二人とは仲良くなる運命にあるようだった。
今日も仕事の合間を縫って私の私室に遊びに来てくれていた。
遊びにといっても、せっせと紅茶を淹れたり掃除をしたりと忙しそうにしているが。
「私の専属メイドは長い長いお買い物の旅に出ているからね、二人がいてくれて助かるよ」
単に便利な小間使いというだけでなく、シンクロした二人の動きは愛くるしさと面白さを兼ね備えていた。
血の匂いにすっかり慣れてしまった私にとっては束の間の癒やしだ。
「あっ」
妹のメルアがカーペットにけっつまずいて転んでしまった。
持っていた花瓶は割れずにすんだものの、カーペットには盛大に水がまき散らされてしまっている。
「ご、ごめんなさい、ルピエットお嬢様。どうかゆるしてください」
血の気を失ったメルアが震える唇で哀願する。
失禁しそうなほど怯える姿を見て、何を大袈裟なと思ったが、この時代、使用人の命より家具のほうが高いなんてよくある話だ。
「妹の不始末は兄である僕の責任です。僕が代わりに制裁を受けますから」
何を思ったか、ムルアは私に背を向けてシャツを脱いだ。
色白な背中に描き殴られた赤や青の無数の線。
最初私は新進気鋭の現代アーティストが使用人の背中をキャンバスにしたのかな、とか思っていた。
でも、よく見れば、それはミミズ腫れの痕だった。
何度も鞭で打たれたらしく、膿んでいる傷もあった。
「どうしたの、この傷」
「僕が悪いのです。未熟者ですから、痛くされないと覚えられないのです」
「お兄ちゃんは悪くないんです。わたしが役立たずなのが悪いんです」
ムルアが諦念をにじませ、メルアは自分の不覚を悔いて泣いている。
ミスをすればお仕置きを受ける。
この世界では、叩かれて育つのが一般的だ。
パルタ先生も私がミスをすれば鞭で叩く。
貴族令嬢ですらこれだ。
使用人への制裁はもっと凄惨なもののはずだ。
ときには、命を落とす者もいるくらいに。
でも、私は嫌だな。
二人には、せめて、ここにいるときくらいは心安らげるようにしてあげたい。
私は双子を抱きしめた。
「ミスは誰にだってあるよ。大丈夫。頑張ってくれてありがとう」
二人のこわばった体が弛緩していくのがわかった。
「それに、こんなの魔法を使えばちょちょいのチョイだよ」
私が指を鳴らすと、カーペットに染み込んだ水は見えないスポンジに吸い取られるようにして宙に浮かび上がった。
窓から庭にポイすれば一件落着だ。
「さあ、お仕事はそのへんにして、一緒にクッキーを食べましょう」
私は老舗高級菓子店から取り寄せた超一級品を二人に振舞った。
幼い顔がパーッと輝く。
「でも、よろしいのですか?」
「わたしたちみたいな使用人が」
「こんなに立派なものを」
「いただいても……」
もちろんオーケーだとも。
私は声を潜めて言った。
「これは、食べてもなくならない魔法のお菓子なんだよ」
「魔法の」
「お菓子、ですか?」
「そっ! だから、遠慮なくどうぞ!」
私が死ぬたびに食べた分が戻ってくる。
いくら食べても太らないし、魔法のお菓子と称しても過言ではあるまい。
というわけで、私は愛くるしい二人の笑顔をニッコニコで見守った。
ガチャと扉が開く。
一瞬、暗殺者かと身構えた。
でも、よく考えれば、あの黒衣の人物は物音を立てるような愚は犯さない。
扉の隙間からじーっとこちらを覗き込んでいるのは、我が妹クロベルだった。
「「ひっ……」」
小さな肩を跳ねさせて、まずいところを見られたという顔をする双子たち。
クロベルはクロベルで、むっすぅーと頬を膨らませている。
「サボっていたわけじゃないの。この子たちを怒らないであげて」
「まあ、お姉様ったら! 私はお姉様に怒っているんですのよ? 私の使用人をたぶらかさないでくださいまし」
クロベルは大好きなぬいぐるみを盗られそうになった女の子みたいに双子たちを抱き寄せた。
「いやぁ、悪いね。私の専属メイドはずっと留守だからさ」
「何をおっしゃっていますの? ウルヴァなら今朝、隣町に発ったばかりではありませんの。明日には戻りましてよ?」
その明日が今のところ永遠に来そうもないのが目下一番の悩みだ。
彼女がいてくれたら、暗殺者とも互角以上に戦えるはずなのに。
「そうですわ、お姉様」
双子の頬をぷにぷにしていたクロベルが思い出したように言った。
「屋敷の前にアルシュバート殿下の馬車が見えていましてよ」
アルシュバート。
それは、我が国の第一王子の御名だった。
私は弾かれるように立ち上がった。
王子の来訪なんてイベントは、ループが始まって以来、初めてのことだ。
何かのきっかけで隠しシナリオに入ったのかもしれない。
膠着した難局に突破口が開けた気がして、私は尻を叩かれた馬のように部屋を飛び出した。




