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1話 プロローグ


 青い空が見える。

 雲が白い帆を張った船のように進んでいく。

 びゅうと風が吹いて、芝の青い香りが鼻腔をくすぐった。

 大きな獣の匂いも感じる。


「……」


 私はなぜか地面に大の字で倒れていた。

 ひどく頭が痛む。

 空の半分を覆い隠す茶色い尻と左右に揺れる尻尾を見て、私は落馬したことを思い出した。

 でも、なんで落馬なんてしたのだろう。

 ついさっきまで、布団の中でスマホを握りしめてゲームをしていたはずなのに。


「大丈夫ですか、ルピエットさん」


 貴婦人が馬上から私を見下ろしている。

 美人ではあるけれど、すべてを拒む懸崖のような、いかめしい表情の人だった。

 この人は知っている。

 パルタ婦人だ。

 私が今やっている乙女ゲームの登場人物の一人で、主人公ルピエット・リュピエートの教育係を務める女性だ。


 ……そうだ。

 私の名前はルピエット・リュピエート。

 王国指折りの大貴族リュピエート家の長女。

 つまりは、由緒正しきお嬢様だ。


 私は寝転がったまま答えた。


「いえ、大丈夫じゃないです先生。私、この世界がゲームであることを思い出しました」


「重症ですね。医務室へ行きましょう」


 パルタ先生は思いのほか強い力で私を立たせると、突き離すように背を押した。

 私はなぜか手に鞭を握り、キュロットを穿いて硬いブーツに両足を突っ込んでいる。

 どうやら、馬術の練習中だったらしい。

 前世の記憶と転生後の半生がごちゃ混ぜになっているせいか、頭の中が混沌としている。

 そもそも、なんで私はゲームの世界に転生しているのだろう。


「どうすれば、草をはんでいるだけの馬から落ちることができるのですか。少し高い椅子と何が違うというのです? そんなことだから、『ポンコツ令嬢』などと揶揄されるのですよ」


 速足で私を引っ張りながら、パルタ先生は仏頂面で睨んでくる。

 先生もおおせの通り、私は――というか、ルピエットはポンコツキャラという設定だ。


 剣を握ればすっ転び、魔法を唱えりゃ舌を噛む。

 舞えば雄鶏、歌えばガチョウ、歩く姿は千鳥足。

 王国一の『ポンコツ令嬢』と公式サイトにも明記されている。

 いわゆる、お馬鹿キャラというやつだろう。


 そんなルピエットが曲がりなりにも乙女ゲームの主人公を張っているのは、天真爛漫な性格と、出会う人々をたちまち魅了してしまう天使のような笑顔という武器があるからだ。

 ただ、その数少ないセールスポイントはついさきほど失われてしまった。

 根暗を自認する私が前世の記憶を取り戻したことで、可憐な愛され少女ルピエットは上書きされ、完全に塗り潰されてしまったのだ。

 残ったのは『ポンコツ』という救いようのない属性だけ。

 お先真っ暗だね。

 わっはっは。


「何を笑っているのですか」


 ピシャリと吐き捨てたパルタ先生が忌々しいものを見るような目で私を見下ろした。

 パルタ・ラ・ダイモン。

 片田舎の下級貴族家の出でありながら、第一王子の教育係にまで上り詰めた才媛。

 文武両道にして才色兼備。

 働く女性すべての憧れなどと呼ばれているパルタ先生は、ルピエット――つまり、私を心底憎んでいる。

 娘のポンコツっぷりに業を煮やした父が金に物を言わせてパルタ先生を雇い入れたのが、そもそもの原因だ。

 出世街道から突然脱線させられた上に、教え子が第一王子からポンコツ令嬢に格下げされたのだ。

 パルタ先生からしたら、迷惑なんてレベルではないだろう。

 私の腕に食い込む指が憎しみの強さを物語っている。


「ルピエットさん」


「はい、先生」


「妹君のクロベル様は誰に教わるでもなく馬を乗り回していたそうですね。それも、当時はまだ5歳であらせられたとか。姉として立つ瀬がありませんね。恥ずかしいことだと思いなさい」


「はい、先生」


 そういえば、ルピエットにはクロベルという妹がいたのだった。

 姉の才能をすべて奪って生まれてきたような、何をとっても完璧な妹が。


「わたくしも教え子とするならばクロベル様のようなお方がよかったとつくづく思います」


 落ちこぼれに対する蔑視の視線で私を貫くと、パルタ先生は少しだけ表情を緩めた。


「しかし、ルピエットさん。今のあなたは普段と比べれば幾分かマシですよ。あの腹立たしいへらへら笑いを浮かべていませんからね」


 私は初めてパルタ先生にシンパシーを感じた。

 主人公ルピエットは、明るい笑顔を武器に攻略対象の美男子たちをことごとく虜にしていく。

 でも、私はこの主人公像が好きになれない。

 笑っているだけで人が寄ってくるなんて、サキュバスじゃあるまいし。

 それに、高い教育を受けてなお何一つ会得できないなんて周囲への裏切りだ。

 それを笑って誤魔化すところに薄ら寒さを感じてしまう。


 そんな空っぽな主人公にコロッと落とされてしまう男性陣にも思うところはある。

 結局、屈託のない笑みを惜しげもなく向けてくれる女を自分だけの沈まぬ太陽として崇めたいだけではなかろうか。

 理想の母親像みたいなものをフィアンセに求めているだけではないだろうか。

 まあ、そんなふうに思うのは私がやはり根暗だからだろう。


「先生とは気が合いそうです」


「馬鹿をおっしゃい。馬をほうってはおけません。あなたでも一人で医務室に行くくらいのことはできるでしょう? 自分のお屋敷で遭難などしないでしょうし。さあ、お行きなさい」


 私を屋敷に押し込むと、パルタ先生は庭のほうに戻っていった。

 落馬した教え子より馬の心配か。


「我ながら嫌われてるなぁ……」


 私は痛む後頭部をさすりながら苦笑した。

 さて、これからどうしよう。

 大人気ソーシャルゲーム『ライトメア・プリンシス ~煌めきの花園と七人の王子様~』。

 あの『ライプリ』シリーズの最新作!

 話題沸騰中!

 などという謳い文句に乗せられて始めてみたはいいものの、まだ序盤しかプレイしていないので、ゲーム知識で無双とかはできそうもない。

 アドバンテージといえば、前世の知識くらいのものか。


「えいっ」


 人差し指で空中をなでてみた。

 メニュー画面とかが出てくる様子はない。

 なぜゲーム世界の主人公になっているのか知らないが、ここはゲームの中というより実世界と呼んだほうが正解らしい。

 まあ、後のことはたんこぶに湿布を貼ってから考えるか。


「あれ? 全然綺麗にならないよ、お兄ちゃん」


「どうしよう。このままじゃクロベル様にお叱りを受けてしまう」


 年若い使用人がこわばった顔を並べている。

 困りごとみたいだ。

 何か力になれることがあるかもしれない。

 私は丸まった二つの背中にそっと声をかけた。


毎日更新します。

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