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第36話 レジャープール


「──さぁ、着いたよ」

「おぉー! 駐車場ひろーい!」

「めっちゃ人いるじゃん!」


 結衣さんの穏やかな声と共に、俺たちは目的地のレジャープールへと到着した。運転席の結衣さんが、ハンドルから手を離して深く息を吐いた。


「ふぅ……無事に着いて良かった。道が混んでなくて助かったね」

「運転ありがとう、結衣さん」


 辰巳が声を掛けると、彼女は軽く首を振って微笑んだ。


 ──道中は湊が昨日水着と一緒に買っていた浮輪を膨らませていないことに気づいて騒ぎ、慌てて膨らませて準備するという一幕があったくらいで、特にトラブルもなく順調に進んだ。


 ただ、初めは楽しみだが、何となくノリきれない。ソワソワとどこか浮ついた空気が車内には漂っていたが……それはきっと親戚や馴染みの無いメンバーでプールに遊びに行くという非日常感も影響していたのかもしれなかった。輝たちも周りが見知った顔ぶれであればもっと気を使わなくても済んだのだろうが……


 しかし、徐々に緊張もほぐれたようで一日楽しんで過ごそうというムードになってくれていたようで良かった。それはやっぱり人当たりの良い結衣さんや繭子ちゃん、晃のお陰なんだろう。婆ちゃんの言うとおり、俺は取っつきにくいし、俺では輝たちの緊張を解すのは難しかったかもしれない。


 ──施設の駐車場は殆ど満車状態だったが運良くスペースを見つけることが出来た。


 後部座席からは勢いよくシートベルトが外される音がして、湊が騒ぎ出す。


「よっしゃー! プールだ!」

「慌てて怪我するなよ」


 輝がたしなめるが、その声にもどこか楽しげな色が混じっている。


 車を停めてみんなが降りると、ムワッと熱気が押し寄せてくる。熱せられた鉄板の如きアスファルトのせいで全身から汗が吹き出るようだ。真夏の陽射しに焼かれた地面からは熱気が立ちのぼり、遠くに並んだ車体がゆらゆらと揺らいで見える。


「あっつぃ……!」

「あっちー」

「あついね〜。でも絶好のプール日和だね! 美鶴ちゃんも楽しみだね」

「……うん」


 輝は早速暑さにダレ、湊は暑さが苦手と言う割に元気で平気そうな顔をしている。ただ、繭子ちゃんが輝の様子に苦笑すると輝は少し姿勢を正した。そして、そんな中でも汗をかく様子も無くケロっとしているのが美鶴ちゃんだった。彼女は相当に暑さに強いみたいだ。


 それから、何処からともなく漂ってくるのは──プールの匂いというのだろうか? 鼻腔を刺激するのは微かな塩素の香り。それに、聞こえてくる楽しげな喧騒。スライダーだろう水しぶきの音。遠くでアナウンスが響き、場内の賑わいがここまで伝わってくる。今日は相当に混み合う一日になりそうだった。


「ほら、早く行こ。モタモタしてたら時間がもったいないよ」


 晃が俺の腕を引き、急かすように言う。子どものように待ちきれないとばかりに目を輝かせワクワクしている様子に苦笑してしまう。


 ──昔からこういうところがあるのだ。


 誰よりも行動的で、思い立ったら即行動というタイプ。昔から落ち着きがないというか、一分とじっとしていられない性分だった。


「晃お姉さん。浮輪忘れてるよ」

「おっと、しまった! 危ない危ない……」


 美鶴ちゃんに指摘されると、晃は慌てて車に引き返し浮輪を抱えて戻ってきた。その様子に、俺は思わずため息をつく。


「まったく、相変わらず落ち着きのない……」

「いいでしょ、楽しみなんだからっ。こういうの初めてだし、なんかワクワクするじゃんっ」

「わかった、わかったから落ち着けって」


 呆れ顔で諌めるも晃は聞く耳を持たない。その姿を見て輝たちも笑っていたが、やはり期待を抑え切れない様子のようだった。


「ほら、美鶴も。落とすなよ」


 輝が兄らしく妹の荷物を持ち直してやると、美鶴はそっけなく「分かってる」と返す。だが、その横顔にも普段は隠しているのだろう、わずかな高揚が見えた気がした。


 ──入場だが、ケータイを利用して入場チケットを購入出来るとかで、晃が事前に人数分の手続きをしてくれていたらしい。入場の列が出来ている中、俺たちはさっさと施設入口を潜って行くことが出来た。昔と比べて便利になったものだ。


 建物の中は既に人でごった返している。


 盆前の平日とは言え、既に休みに入っている人もいるのだろう。それに夏休み真っ只中ということもあって人の多さは圧巻だった。客はファミリー層が目立つが、学生やら若いカップルと思しきグループも多く見られる。


 ……しかし、プールなんて何年振りか。中坊以来だぞ。


「とりあえず更衣室行くか。そこで着替えた後、入口集合でいいか?」

「おっけ〜」

「じゃあ、また後で」

「石動さん、結衣先生の水着期待しててくださいね〜? きっと意識しちゃって仕方なくなりますよ!」

「繭子っ……! 余計なこと言わなくていいからっ……!」


 繭子ちゃんに誂われて結衣さんが少し恥ずかしそうにした。ぐぅ……か、かわいい……っ、い、いかん! 気をしっかりと持て俺! 


「……繭子ちゃん、あまり自分の先生を誂ってくれるなよ。結衣さんもそんなに本気にしないで……」

「……た、辰巳くんは私の水着に興味はないの?」


 ドキッとするからそういうのはやめてくれ! こういうのには耐性がないんだ。


「そ、そんなことは……いてっ」

「──タツ兄、私も忘れないで。タツ兄をドキドキさせるのは私の水着」

「そうです。辰巳お兄さん。晃お姉さんの水着も楽しみにしててください」

「そう……たくさん見ていいよ?」


 少し動揺していると突然足を横から蹴られる。晃だった。それから、すぐに腕に柔らかな感触を感じてしまう。


 だから、オッパイ当たってるんだってばぁ! 距離感バグってんじゃん! 腹の底から煮え滾る何かが迫り上がって来ようとするが、何とか堪える……


「わかった! わかったから早く行ってくれ……!」


 そう懇願し、何とか更衣室に送り出すことに成功した。女性陣は何だかんだ、みんなキャッキャとはしゃいでいて楽しそうだった。


 次また接触されたらマズイかもしれない。しかも今度は肌の面積が増える。俺の理性は持つのだろうか……晃にはもう少し自分が女だってことを認識して欲しいものだ……


「……辰巳さんもお相手が二人もいると大変ですね」

「だからお相手じゃないと……」

「好意があからさまですし、流石にそれを無視するのは無理があると思います」

「ぐぅ……」

「晃姉ちゃん、女なのに距離感全然気にしねぇから凄え困るんだよな……」

「……それは同意する」


 おいおい、晃。輝と湊にも言われてんぞ。


「まぁ……取り敢えず俺らも着替え行こうぜ」

「そうだな……いつまでもここにいても仕方ないしな」

「男子更衣室は……アッチみたいです。行きましょう」


 そう今日するであろう気苦労を思いながら──俺達も人の流れに乗るように更衣室に向かうのだった。


 □


 さっさと着替えてロッカーに荷物を置いて男性用更衣室を出た俺たちは、屋外プール入口付近で女性陣を待つことにした。しかし——


「あの、辰巳さん……」

「ああ……すまん……ほんと、すまん……」


 輝たちが俺の体をチラリチラリと見ては気不味そうな顔をしている。それにその視線には少しの恐怖も感じる。当然だろう。自分の体のことなら誰よりもよく分かっている。これは明らかに俺の失態だった……


 身体を誰かに晒すことなんて無かったし、《《向こう》》では気にしたことも無かったのですっかり失念していた。


 ——それは俺の身体にある傷跡のことだ。引き攣れたような傷跡や肉が盛り上がって線状になっている傷跡。大小さまざまの古傷が刻まれている。


 更には肩口から胸元にかけて、まるで鋭い刃物で斬り付けられて出来たような傷痕も目立っていた。これはつい先日、絡新婦に付けられたものだった。


 傷は自前の治癒能力や、向こうでの薬の効果もあって既に痕になっていたが、身体の前面にあることで目立つ。非常に目立つ……訳を知らない人からしたら、危ない人。どこの兵隊さんって感じか、もしくはどちらの組の方ですかって感じなんだろうが……俺は傷を隠す方法についてすっかり忘れていた。


「みんな辰巳さんのこと避けてますね……」

「……そりゃそうだろ。そんな傷跡見れば、どこの反社だよって思うだろ普通。着替えで服脱いで、それあったの見た俺だってめちゃ怖かったもん。やっぱヤバい人なんだって。前に温泉で見たことある入墨とかタトゥーよりも異質? だし」

「ぬぅ……」

「湊、もう少しオブラートに包んで……」

「ついでに気になるから聞いちゃうけど、辰巳さんの背中にある羽みたいな形した痣って入墨?」

「それは子どもの頃からあるただの痣だ」

「ふーん……」

「悪いな、二人とも……あと湊。反社じゃないからそこの所間違えるなよ」

「へーい」


 ──ここは様々な人が遊びに来ている。多くの家族連れやカップルに加え、友達同士で来た若者のグループ。皆一様に楽しげな雰囲気を纏ってはいるのだが……


 プールの方に行きがてら、ちらちらとこちらを見てゆく。ヤンチャそうな男でも俺と目が合いそうになるとサッと気まずげに逸らされて足早に去る。あからさまに怯えた表情を向けられることもしばしばだった。


 ──これはマズイ。俺も何でここに来るまで気づかなかったのか。俺もだいぶ向こうでの常識に染まっていたようだ……せっかく遊びに来たのに、輝たちにも気を使わせてしまうし、このままでは周囲の迷惑にもなってしまう……


 周囲から浴びせられる好奇や不安の視線に居心地の悪さを感じていた。


「まぁ、中にはすげー熱視線の女の人もいるんだけど……ほら、アッチの人とか」

「あれはヤベェな。ガン見だよ。ガッツリ狙ってるって感じ。コワイけど、何かカッコいいみたいな? ムキムキだし」

「湊、あまり見ない方がいいと思うけど……」


 ……湊が言った通り何故か一部の女性から熱烈な視線を受けることもあったが、これについては何とも言えない。隠せるような服は他に持ってきてないし、ガムテープか何かで傷隠しとこうかな……


「あの、《《その傷》》って……もしかして聞いたらマズイ奴ですか?」

「いやまぁ……詳しくは言えないんだけど、色んな所を転々としてた時に出来たっていうか……」

「へぇー! 冒険してたってこと?! 何それカッケーじゃん!」

「カッケーって湊……」

「そうだったんですか。じゃあ辰巳さんはいろんな国に行ったことあるんですか?」

「……まぁ、そんな感じ」


 本当は秘密にしておかなければならないことなのだろうけれど。だが嘘を吐くわけにもいかないので雑に誤魔化すしか無かった。毎日が冒険だったのは本当だ。嘘ではない。嘘では。


 しかし、今はとにかくこの状況をどうにかすべきだ。このままここに突っ立っていてもいたたまれない気分になるばかり。せっかく遊びに来たんだから楽しめるようにしないと勿体ない。 


 そう考えて辺りを見渡すとプールに上着を着たまま入っている人も普通にいた。へぇ、今はあぁいうのも有りなのか。


「——悪い、売店で上着買ってきて良いか? 上に羽織れるようなもの何も持ってきてなくてさ」

「その方が良いと思います」

「だよなぁ。流石に目立ちすぎるし」

「悪いな。輝と湊はここで少し待っててくれ」

「気にしないでください。売店は確か……入場ゲートの近くにあった筈です。僕達はここで皆さんを待ってますから」

「あんまり遅いと先に遊びに行っちゃうからなー!」


 ──そう二人に促されて、俺は足早に売店へと向かったのだった。


 売店は入り口ゲートのすぐ側にあり、思った以上に広かった。外から見ても分かっていたが、店内に入ってみるとショッピングモールに入っている大きなテナントよりも広く感じ、沢山の商品が並んでいるのが見える。


 飲み物や食べ物といった軽飲食、水着や浮き輪、さらにはお土産類なんかも豊富に置いてある。此処で水着を買う人はフラッと立ち寄る人とかなのだろうか? 


 とまぁ、商品を見て回るのはそこそこに……目的である何か羽織る物を探しに売り場へと足を踏み入れた。


「えぇっと……俺に合うサイズはあるのか?」


 そこはちょうどTシャツのコーナーだった。物色を始め……ハンガーに掛かっている服のサイズを確認するが大きくてもLLサイズしかない。身長も幅もある俺の身体には少し小さい……参ったな。


 デザイン的には派手なものからシンプルな柄まで色々あるが……合うサイズが見つからずに悩んでいると若い女性の店員さんに「いらっしゃいませ」と声を掛けられた。


「お客様、どのようなものをお探しでしょうか?」

「あー……その、上に着るTシャツみたいなの探してるんですけど……大きめのやつありませんか?」


 女性がチラチラと身体を見てくる……恥ずかしいからあまり見ないでくれ。


「え、えぇっと……お客様に合う大きいサイズですと……申し訳ありませんがコチラには今在庫が……」

「……そ、そうですか。分かりました……じゃあ、どうするかなぁ……」


 女性にサイズに合うものがないと言われてしまい困ってしまった。これはもう、いよいよガムテープで傷を隠すしかないのでは……? 


「あ、お待ちくださいっ。代わりと言ってはなんですがこれなんてどうでしょうか──?」


 勧められたものはゆったりサイズのシャツで、かりゆしウェアと呼ばれるものらしい。見た目は派手なアロハシャツのようにも見えるが……その違いは俺にはよく分からない。


 南国感溢れるものだったが、生地はしっかりしていてかつ軽い。サイズ的にも問題なく着られそうだし丁度良さそうであった。流石に肌の上に直接羽織ることになるので試着とかは出来なかったが……ただ、やはり少し派手ではないだろうか……? 


「少し派手じゃないすかね……?」

「このくらい柄が入ってた方が格好良いと思いますよ」

「そうっすかね?」

「はい。それにゆったり着れるので、動きやすいしオススメですよ! お客様の体型にも、《《雰囲気》》にもマッチしてますし」


 雰囲気……? 


「……じゃ、じゃあ、コレでお願いします」

「ありがとうございます。じゃあ……あちらのレジまでお願いします」


 俺が頷くと女性店員さんは小走りにレジへと向かい、俺はそれに続くように歩いて行く。


「他にお求めのものはありましたか?」

「いえ──」


 ふと、カウンター横にあるラックから目に入ったのはサングラス──ポップによればスクエア型というらしい。そういえば、今日は陽射しが強かったな、と思い出す。そう考えていると目の前で店員さんが微笑んだ。


「サングラス。今日は眩しいですからね……そちらもよくお似合いになるかと思いますよ」


 と言う店員さんにつられて試着してみる──光が遮られ視界が暗くなる。確かに外はかなり眩しかった。やっぱりあった方がいいかもしれない。


「──やっぱりっ、よくお似合いです! アウトローっぽいのが、とってもカッコよくて……《《DV》》してそうな、束縛してきそうな危うさがまた……」


 DV? 束縛? なんだ、この店員さん……目が少し怖いな……


「……じゃあコレも一緒に」


 早く買って離れよう。懐具合的には少し痛手だが、婆ちゃんからの小遣いもある。ハハ……28にもなって小遣いか……結衣さんの仕事の手伝いもそうあるものでもなさそうだし、事情を話して晃の仕事の手伝いもした方がいいのだろうか? 


「ありがとうございました。……あと、あの、これ……よかったら後で連絡欲しくて……」

「え? あ、はぁ……」


 帰り際、紙切れを握らされたので反射的に受け取ってしまったが──ちらりと見た限り番号が書いてあった。何だこれ? 電話番号じゃないよな……


 こんなの初めてなんだが……こういうことってあるんだなぁと、困惑しながらも店を後にすることとなった。


 ──服のタグは先程の店員さんに切って貰い、そのまま羽織ることにした。やっぱり派手じゃないか? どうにも俺には似合ってないような気がする……


 それから急いで輝たちの下に戻ろうとしたのだが……元いた場所に近づけば近づくほどに嫌な予感がしてくる……妙な胸騒ぎとともに近くまでくると何やら揉めている声が聞こえてきた。


「──だからって、この下衆たちの相手を私に押し付けないでくれますか? 不愉快です」

「いいじゃん。アンタ、そういうのあしらうの得意そうだし。私、あぁいうの相手してるとムカついて、すぐ手出ちゃうんだよね。こんなとこで傷害沙汰になったら困るじゃん」

「常識というものがないのですか? あなたは……」

「あるっつーの。だいたいこういう奴らって馴れ馴れしいしさ、キメェし、きったねぇ手で触れてこようとすんだもん。どう考えても悪いのは向こうじゃん」

「……《《あの時》》にも思いましたけど、あなたもう少し考えた方がいいと思いますよ? 殴って警察沙汰なんて迷惑、正気ですか」

「そーならないように、アンタに《《お願い》》したんだろ? チッ……てーか、久しぶりにタツ兄と《《二人で》》遊べると思ったのにさぁ……いつの間にか車の運転もアンタになってるし、タツ兄は助手席だしさぁ……すっげぇ邪魔」

「アレはウチの車なので。私が運転するのは当然でしょう? というか、二人でって言いました? 輝くん達のことを放置するつもりだったんですね。なんて自分勝手な……これ以上、辰巳くんに迷惑かけるのやめてもらえます?」

「あ──? おい。今、なんつった?」

「迷惑だって言いました。話が通じてないのですか? 私の言葉理解してます?」


 声を荒げて大声でやりあっている訳ではない。ただ顔を突き合わせて、先に目を離したほうが負けだというような空気がある。雰囲気は物凄く険悪だ……


 胸騒ぎはやっぱりこれだったのか……というか、今日は皆で遊びに来てるんだが? もう少し何とかならないのか……


 二人から少し離れた場所では見知らぬ若い男二人と輝たちが気まずそうに立ち尽くし、繭子ちゃんと美鶴ちゃんも止めに入ることが出来ずにオロオロしていた。……正直、これ以上近づきたくねぇ。


「……遅くなって悪い。何があった?」


 俺が仕方なく近寄ると、湊が気まずそうに小声で説明してくれた。


「さっき晃姉ちゃんに男の人が声かけてきたんだよ。ナンパってやつ。でも、晃姉ちゃんが──」

「──ガン無視。でもしつこくて、そしたら今度は結衣さんに相手してやればって押し付けたんだ」


 輝が言葉を継いだ。


「そしたら言い争いになっちゃって……今の状態」


 再び視線を向けると、結衣さんは温度の感じられない碧い瞳でサングラスを掛けた晃を睨みつけていた。普段は柔らかな雰囲気なのだが、怒ると怖いらしい……


「……辰巳さんの彼女でしょ。何とかしてくれよ。このままじゃ遊びに行けないって」

「……」


 ごもっとも。俺はため息をひとつ吐くと、二人の前に歩み出た。周囲の客たちがちらちらとこちらを見ているのを感じる。目立ちすぎて居心地が悪いが、このままでは余計に恥ずかしいことになる──


「二人とも、ここには遊びに来てんだぞ。言い争いしてどうする」


 二人を宥めるように言い聞かせる。すると、そこでようやく俺の存在に気づいたのか、二人が互いの視線を切った。


「聞いてよ、タツ兄っ──って、何それ、かっこよ〜っ。アロハシャツ? めっちゃ似合ってるじゃん。やば〜お古の甚平より全然良いよ。サングラスもいい感じ。でも何で前全部閉めてんの? 前開けよ。その方がエロくていいって! ──うはっ! 傷だらけ、エロすぎでしょ!」


 先ほどまでの険悪なムードは一瞬で霧散し、晃は嬉しそうに寄って来て俺の右腕にギュッと抱きつく。ぐぅ……肌の感触が……やらーかい……そして、ボタンを開けるのをやめろ。エロいってなんだ。前を開けたら態々服を買ってきた意味がないだろうが。


 一方の結衣さんはと言えば碧い瞳で俺の方を見て、何故かショックを受けたような顔をしていた。


「ア、アロハシャツ……? っ、そんな……女の……員が……辰巳くんの服……選らんだ……? ……初めて……私が選ぶ……だったのに……!」


 何事か呟いていたみたいだが、プールから聞こえてくる歓声でよく聞こえなかった。


「結衣さん……? 大丈夫か?」

「……う、うん。アロハシャツ……いや、かりゆしウェアかな? 似合ってるね。でも私は辰巳くんの和服の方が好き、かな……? 今度、一緒に買いに行こうね? お金のことなら心配いらないからっ、プレゼントするからっ、ねっ? ねっ?」

「え、あ、あぁ……」

「それとこの紙は没収ですっ! これは辰巳くんには必要のないものですからっ」


 店員さんに渡された紙は結衣さんに取られてしまった。まぁ……よく分からない番号が書いてあるだけだったし。何故か懇願するような圧を発している結衣さんに困惑していると、また横から足を蹴られた。


「ちょっと、タツ兄。こっち見てよ。水着女子の前にいるのに感想ないの?」


 ……なるべく安く意識しないようにしてたのに。結衣さんも晃も普段よりも露出の多い格好をしていて、それを意識してしまうと直視出来なくなってしまう。このままやり過ごそうと思っていたんだが……サングラスを掛けて視線を誤魔化す。買っておいて良かった〜。


「こらっ、逃げるなっ」

「あっ、ちょっ」


 だがすぐにサングラスは晃に取られてしまった。


「た、辰巳くんっ」

「うっ」


 呼ばれて結衣さんと目が合う。その姿の眩しさにドキリとしてしまう。


 結衣さんは落ち着いた色の水着でオフショルダーというらしい。露出を抑え、胸を強調しない作りながら背中部分は大胆に開かれている。腹部を覆いつつも腰の括れを強調する作りらしく、腰回りがキュッと締まっていて普段分からない結衣さんのボディラインがよく分かる。結衣さんが恥ずかしそうにしていることも相まって、妙に胸に刺さるものがある。めちゃ可愛い……正直タイプです。


 晃は褐色肌に映える白。所謂、ホルターネックと呼ぶらしい。首の後ろで紐を結んだタイプで胸の谷間を強調する作りになっている。下はデニム生地のショートパンツで、そこから長い脚が伸びており、脚線が美しい。全体的にスポーティーな印象で、細身ながらくっきり腹筋の割れた程よい筋肉質な身体が健康的かつ蠱惑的な魅力を放っていた。めちゃ綺麗だ……ドキドキしてしまう。


 二人とも──まさに魅惑的なスタイル。思わず息を飲んでしまうほどに完璧すぎた。だからこそ数秒と直視出来ない。見てしまえば……触れたくなる。引き返せないほどに獣欲に支配されるかもしれないと直感した。


 しかし──そんな俺の葛藤など露知らず彼女達はこちらを見上げて俺の言葉を待っている。無防備すぎる二対の上目遣いは凶悪に過ぎ……動揺を堪えられなかった。


「……ふ、二人とも似合ってる……《《触れたくなるくらい》》……」


 向けられた上目遣いから視線を逸らしながら、そう溢した。


 二人とも本当に可愛くて、綺麗で……でもそんなこと恥ずかしくて言える筈もない。なのに、本心が少し溢れてしまったのは動揺のせい以外の何ものでもなかった。


 ……しかし、なかなか反応が返ってこないことを不思議に思い、チラリと顔を再び覗くと結衣さんと晃がピシッと固まっていた。彼女たちは頬を紅潮させ潤んだ瞳を俺に向けている。


「え……あっ!」


 そこで俺はようやく自分が口にしてしまった言葉の意味に思い至ったのだった。触れたいなどと……! 


「た、たつみくん……今……それに……《《かわいい》》って……」


 あ、あれ、俺、可愛いって口にしてた……?


 結衣さんが唇に指を添えた。潤んだ碧い瞳が俺を見据えている。そ、その表情は反則だ。羞恥に染まった頬が艶かしい。心に風が吹き込むようだ。──駄目だ。見てはいけない。欲に支配される。これ以上は、本当に惚れてしまう。でも……目が離せない。


 あぁ──抱きしめたい


 そう心に思い浮かぶと、結衣さんの碧い瞳に涙が浮かび、表情が艶めかしく蕩けた。


「タツ兄……もっと……もっと褒めて……もっとちゃんと見てくれなきゃ……ヤダ」


 それに──晃がそう言いながら腕に胸を押しつけてくる。ふわふわと柔らかい感触……心の内の何かが暴れようとするのを感じた。摩羅が囁く──この女達を手に入れろと。身も心も蹂躪しろと。全てを喰らってしまえと。


 晃は綺麗になった。昔から俺の後を付いて回ってたかわいらしい弟分は女性として成長し、俺がいない間も一途に思い続けてくれていた。その思いに応えて、その褐色の肌に触れたくなる。壊れるほどに抱きしめたくなる。滅茶苦茶に蹂躙したくなる。その依存心を完全なものにして、晃を支配して……感情の乏しい顔に、悦楽の色を刻みつけて──


 ……違う──違う。違う! 違う違う違う! 違う!! 


 そんな暴力的な思考を振り払い、必死に心を正常に戻す。ゆっくりと深呼吸を繰り返す。煩悩の悪魔──誰しもの心に巣食う摩羅の囁きに耐える。俺は彼女達を傷つけたい訳じゃない。


 今の自分を認識する。自分の中にある欲をしっかりと見つめて監視する。……大丈夫だ。落ち着いたはず。


 ──そこで、もう片方の腕も取られた。腕を取ったのは結衣さんだった。その碧い目と視線が合う。


「──辰巳くん」

「──タツ兄」


 結衣さんと晃は俺を待っているかのように、頬を赤らめたまま俺を見つめ続けていた。


 ──あぁ、だめだ。だめなんだよ……そんな目をされても俺は……




「──なぁ、俺らさっきからいったい何見せつけられてるんだ?」

「……さぁ?」

「さっさと付き合っちゃえばいいのに。辰巳さんって外見と違って、意外とヘタレ……?」

「それは……そんな気がする」

「あのナンパのお兄さんたちも災難だったよな。いや、災難なのは俺等もそうだと思うけど」

「完全に脈なしだと分かったら、さっさとどっか行っちゃったし。あーあ、漫画みたいに男の人が女の人を庇ってナンパ追い払うの、私見たかったんだけどなぁ」

「なぁ、やっぱアンタ変わってるって言われるだろ……もうほっといて先に行っちゃう?」

「まだ続きそうだし、そうしよっか」

「…………はぁ、アホらし」


 ……子どもたちが呆れて去ってゆくのを、俺はただただ……見送ることしかできなかった。

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