第29話 怒りの相 中編
大蜘蛛達が迫る──しかし、先ほどとはまた挙動が異なっていた。大蜘蛛達は辰巳を真正面から相手にすることなく、囲むように右へ左へと跳ね回る。その軌道には強靭な蜘蛛の糸が伸び、辰巳の行動範囲を狭める結界が張り巡らされようとしていた。
『この糸は特別性ぞ。一度でも触れればその者を絡め取り、自由を奪う』
綱彦が脚を折り曲げ、跳躍と屈伸を織り交ぜた不規則な動きを取る。それに伴って糸も縦横無尽に張り巡らされる。地面から灯篭へ。灯篭から松の木へ。松の木から山門の屋根へ。山門から地面へ。そして糸同士も繋がり合い、結ばれ、引っ張られ、まるで出口のない迷路の様態を成す。その様は圧巻の一言。
そして、ある程度の糸の結界を構築すると、今度は大蜘蛛がジリジリと辰巳との距離を詰め始めた。
『これでお主はもう逃げられぬ』
『如何な妖とてこの糸の結界に囚われれば無傷では出られぬぞ』
大蜘蛛達の想定した通り、辰巳は行く手を蜘蛛の結界に阻まれて足が止まり、思うように身動きが取れなくなった。
『それっ! 今よォ!』
そして大蜘蛛が前脚で一本の糸を切ると糸の結界は一気に狭まり──辰巳の動きを封じ込めようと密集。辰巳をグルグル巻きにして拘束した。
『クカカ……これで仕舞い。意外な難敵じゃったが……』
『儂らの相手ではないの。全く、脚が何本も折られてしもうた。次の脱皮までは狩りに苦労しそうじゃわい──』
大蜘蛛は辰巳を糸で雁字搦めにしたことで、これでもう安心とばかりに気を抜いた。そのまま、ゆっくりと近づいて、自らの契約者の命令通り動けなくなるよう死なない程度の神経毒を打ち込もうと呑気に考えていたのだ。
しかし──
『な……!?』
糸で雁字搦めになった辰巳の体が藻掻き動く。しかし、ただ普通に動いただけではない。大蜘蛛の張った結界の糸を力尽くで引き千切ろうとしていたのだった。
ミシミシと糸が伸び、プチ、プチ……と一本、また一本と千切れてゆく。その様に大蜘蛛が驚愕した様子で一歩後退る。
『馬鹿なっ……! 儂らの糸を力づくて切ろうというのか。どんな馬鹿力じゃ──』
『この蜘蛛の糸は儂らが霊力で編んだ特別製じゃぞっ! それがまさか人間に……!』
結界の糸が引き千切られる。大蜘蛛達が驚愕し、辰巳のその常軌を逸した力に恐れ慄いた。そして、異常は続く──糸を引き千切ってゆく上に、辰巳の身体から赤々とした炎が滲むように漏れ出し……身を縛る蜘蛛の霊糸を焼き払っていったのだ。
「──」
よくよくと辰巳の口元を見れば、何事かを呟いているのが見えた。それはこの寺院でも聞き覚えのある呪言。迦楼羅炎/智火を背負うとされる不動明王の、火界呪と呼ばれるものか。
清浄なる炎が辰巳の背で渦を巻く。それは神聖にして苛烈なる智慧の火。一切の不浄を焼き清め、煩悩を断ち切り、災いを退ける。その身を縛る三毒から救済し、助けを求め地を這う衆生を守護する霊験あらたかな炎。
「破ァ!!」
雄叫びと共に、辰巳の周囲の糸が火種となり、導火線の如く焼け落ちてゆく。渦巻く智火は炎の奔流となって凄まじい熱量を場に満たし──闇夜を引き裂いたのだった。
『なんと……これは……』
『もしや法界の火、なのか……?』
ヒリヒリと灼けつくような、辰巳から放たれる人とは思えぬ強大な霊力に……恐れ慄いた大蜘蛛が後退し晃の元まで下がった。
「晃、本当は分かってるんだろ。自分が間違ったことをしてるって。……自分で自分を止められないなら……それでもお前が誤った道を選ぶというなら、俺が何度でもお前を止める。何度でも無理矢理にでも連れ戻す。俺はお前の味方でありたい」
「……っ」
晃が明確に怯んだ。強い眼差し──それは必ず救うという覚悟を示していた。常人であれば持ち得ない気迫──覚悟の重みが大きな威圧感となって二匹と一匹の戦意を挫く。
大蜘蛛達視点──目の前の人間は明らかに尋常の者ではない。それこそ、かの不動明王のように迦楼羅炎/智火を背に負うなど、人間には有り得ないことだった。どんなに厳しい修行を乗り越え、神仏の加護を得ている高僧とて智火を背負うなど聞いたこともない。
『こ、こやつ、いったい何者なんじゃ……?』
『儂らは何かとんでもないものを相手にしとるんじゃあるまいか……』
『このままでは儂ら、ひょっとしたらもうダメかもしれんぞ……』
大蜘蛛の二匹が慄き、そんな弱音を吐く。それほどまでに智火という火は妖にとっての脅威となり得た。
……しかし実際には、大蜘蛛達の声音に恐れや怯えといったものはそれほど含まれてはいなかった。それよりも──
『……しかし、これほどの強敵はいつ以来か……』
『うむ……久しく相まみえておらん』
『儂は……興奮してしまっておる。不思議な気分じゃが……闘争の果てならば、討たれても良いとさえどこか思ってしまっておる。これも土蜘蛛を祖とする妖の本能か』
『クカカ! 奇遇じゃな。実は儂も悪くないと思っておったところよ。此奴ほどの相手をした末の敗北ならば、儂ら一族にとっても誉れとなろう』
妖達は古くから人間という隣人を見てきた。彼らにとって人間とは、時に天敵であり、時に糧であり、時に友でもあった。その長い関係を俯瞰すれば両者の繋がりは切っても切れないものと言える。
古に存在した人と妖の知恵比べに、腕試し。故事に倣えば、強い人間との戦いとはそれだけで語り継がれる誉れとなる。それ故に、強い人間に討ち果たされるということは、妖にとっては古代から続く一つの理想の終わりとも言えるのかもしれない。
まして二匹は大蜘蛛。土蜘蛛を祖霊とする蜘蛛の精。古の時代には権力者に対する反骨精神、不服従の象徴として畏れられ、皇軍と争った闘争の歴史がある。それ故に、その本性は『狼の性、梟の情』と例えられるほどに獰猛な気性であったからして。
『滾る……滾るではないか』
『長い事生きてきたが、まさかこのようなこともあるんじゃのぉ』
『嗚呼、心地良い昂りよ』
『年食った蜘蛛にも猛りの情はまだ残っておったようじゃ』
二匹がそんな会話を交わす。しかし、と──背後の契約者のことを視界に入れる。まだ年若い契約者で、先代より引き継いだのは、彼らからすれば昨日のことのようだ。
二十そこらの、まだ未熟で幼い、自分で歩くのすら覚束無い童に他ならない。当然、蜘蛛のことなどまだまだ理解も浅く、自分達の言葉を聞くことすら出来ていない。
──蜘蛛の歴史は敗北の歴史だ。しかし、そこに誇りがないわけでは決してない。新たに蜘蛛の精の一族を率いる《《幼い》》姫には、蜘蛛の誇りを知って貰いたいと二匹は考えていた。
それに一度討たれたからと言っても存在まで滅される訳でもない。少し復活に時間はかかるだろうが、輪廻を巡りいずれ再誕する。年若い姫に蜘蛛の生き様を見せられるなら、それもまた悪くないだろうと二匹は考えていた。
『──反骨。不服。大いに結構。獰猛に、用心深い蜘蛛の生き方を見せようではないか』
『クワハハハッ! それはいい! 蜘蛛の精の意地と言う物を見せてやろうぞ!』
『まぁ、儂らが負けた後に姫はあのおっかない男に叱られるのであろうが』
『ちょうどよかろう。……今の姫の心は危うい。今にも《《栞糸が切れそうな状態》》だからの』
『クカカカカカッ!!』
意気軒昂。大きな威圧感を前に二匹は会話を終えると、まだまだ負けていないとばかりに跳躍した。白蛛が先に跳躍から地面に着地。無事な第一脚をしならせ辰巳を強かに打ちつける。
そして暗闇の中で気配を殺したもう一匹の大蜘蛛──綱彦が麻痺毒を打ち込もうと、辰巳の背後から音を立てずに忍び寄った。
触肢と第一脚を失っているが、その動きは未だ俊敏。残りの脚だけで音も無く、闇の中を疾風の如く飛びかかった。
「っ……!」
背後から飛び掛かって来た蜘蛛の気配に気づきながらも、回避するには一手遅いと察した辰巳は舌打ちして迎撃せんとする。
「フンッ!!」
『なんとっ!』
辰巳は打ちつけられた脚を受け流すと深く腰を沈め、白蛛へと掌打を打ち吹き飛ばす。そのまますぐ背後に迫っていた綱彦の鋭い鋏角を回避──すかさず無事な脚を掴んで抱え、白蛛目掛けて背負い投げた。
『ぐわっ!?』
その速度に白蛛も反応し切れず、白蛛と綱彦が衝突。二匹の蜘蛛が団子のように絡まり合って地面を二転三転と転がる。大蜘蛛がもがくように身動ぎした。……しかし、脚が絡まり、思うように身動きが取れなくなっていた。
そうして二匹が脚を解いている間。聞こえてきたのは辰巳の口から紡がれる呪言だった。
──唵 三曼多 縛折羅檀 扇多 摩訶盧闍陀 娑婆多也 吽多羅多 鑁
印を組んだ辰巳の口から紡がれる真言は、澄み切った水面に落ちる一滴の雫のように静謐で力強い響きを持っていた。その言葉は単なる音の羅列ではなく、古に伝えられた智慧と数多の願い、幾重にも折り重なった祈りが凝縮された力ある呪文である。
「──降魔の法。智慧の火よ。祓火を以って、汝らを降伏せしめる。精霊よ、囚われろ」
辰巳の宣言と共に、背負う智火がさらに勢いを増す。まるで意志に反応するかのように激しく力強く踊る。智火の光が境内全体を照らし出し、石畳や石燈籠、松の木の影が揺らめいた。
そして、二匹の大蜘蛛を囲むように炎の輪が出現した。霊体を焼く炎が大蜘蛛達を逃さぬようにと円状に燃え上がり──四方八方を囲む。
『ぐぅぅ……だが、まだだ……まだ諦めぬ……!』
『これしきのこと……! 儂らを舐めてもらっては困る……!』
二匹の大蜘蛛が立ち上がる。身体の至る所を損傷していても、闘志は衰えていないようだ。まさに土蜘蛛の末裔らしい執念深さであった。
二匹はその脚でしっかりと大地を踏みしめる。しかし……四方を霊験あらたかな炎に囲まれ、大蜘蛛の姿も誰の目から見ても満身創痍。これ以上闘うことなど出来そうには見えなかった。
「……良い式神を持ったな、晃。……腹が立つなら俺が全て受け止めてやる。だから直接殴りに来い。お前の気持ちを全て俺にぶつけろ。お前に過ちなどさせはしない」
「あ……た、タツ兄……わ、私は……!」
場に満ちる智火が《《邪気》》を退けたせいか──晃が奮戦した大蜘蛛達の姿と辰巳の真っ直ぐな視線に応え、狂乱の意志を鎮めようとしていた。
──だが、その時だった。不意に辺り一面に甘い香りが漂って来たのは。蜜のように濃厚で、それでいて腐臭が混じっている粘り気のある匂い。それは不吉な前兆であった。
□
『──嗚呼、いかんいかん。主さまよ、何故、絆されようとなされておる──?』
どこからか聞こえてくる妖艶な女の声。その瞬間──境内の空気が変わった。闇がより濃くなったような感覚。石燈籠の灯りが闇に飲まれるように儚くなったようにも感じられた。
そして──その声が聞こえるのと同時に晃の氷の表情が更に強張った気がした。
「そんな……タツ兄……逃げて……」
「晃……?」
今まで致命的な敵対とは言わずも、争い、荒れ狂っていた筈の晃が明らかに怯えた目をして辰巳に逃げるように促す。そのことに辰巳は怪訝そうに眉根を寄せた。
『い、いかんっ! 精神が不安定になって封印が緩んでしもうたかっ』
『あの性悪雌蜘蛛め……もしやずっと封印が綻ぶ機会を待って……!』
『ぐうぅっ……! 火が邪魔で近づけん!』
『お主! 早く、この陣を解くのじゃ!』
大蜘蛛たちが慌てたように円状に囲む火に近づいては、引き下がるという行動を繰り返す。大蜘蛛達が脚を踏み鳴らし、何事かを知らせようとしていたが、辰巳にはその意図が分からない。
──妖艶な、蜜のように甘い声が聞こえてくる。
『──主さまよ、貴女の想いはもっともっと深いものであったじゃろう──? 知っておりますぞ? ……何をしても手に入れたい、全てを投げ捨ててでも欲しいものが在ると──』
「やめ、ろっ……私は……操られない……」
晃が頭を抱えて苦しむ──その声は甘美な蜜のようであった。耳元に囁かれるとゾクリとするような、心の奥底にある欲望を刺激する声。抵抗しようとしても逆らい難い力を持っている。
『──ふふ……女ならば好いた男の腕の中で眠りたいというのは当然の夢……その夢を邪魔する者を排除して何の問題がありましょうか。想像なされませ……あの男の腕の中で眠る心地よさを……えぇ、えぇ……主さまは何も間違ってなどおりませぬ』
声と共に濃厚な薫りが増していく。甘く蠱惑的な香りは思考を鈍らせ判断力を奪っていくようだった。心の隙間から入り込み、ジクジクと侵食してゆくような──その香りの源を辿るようにして辺りを見回していた辰巳が眉を顰めた。それは晃から漂っているように感じられたからだ。
『だから、もっと憎みや恨み、不安と恐れで心を満たして──そう……そうじゃ。それで良い。後は妾がいくらでも力を貸しますゆえ──』
いや──香りは正確には晃の肩にずっといた蜘蛛から。そしてそれは現れた。
『──嗚呼、可哀想な幼き主さまよ。貴女は祓い屋としても未熟で、まだ何も知らぬ純粋無垢の乙女。故に無防備であられる。穢れやすく、染まりやすい』
晃の影の中から滲み出るように蠢くモノが在る。ズルズルと黒い液体のようなものが広がり、次第に形を帯びてゆくと──女の姿を取った。
『妾は主さまと同じ女であるのじゃから。その憂いが妾には手に取るように分かる。それに影の中にいた時からずっと心の声が聞こえておりましたぞ。そこな男を愛おしく想う気持ちが、恨む気持ちが──』
その女は背丈は高身長の晃よりも更に高く、辰巳と同じほどの背丈がある。それでいて花魁のように豪奢な着物が着崩され、今にも溢れそうな胸──豊満な肉体美が強調されていた。肌は白磁器のように滑らかでありながら、同じ女が羨むような透明感を持つ。そして特筆すべきはその美貌──まさに傾国の美女と言って差し支えない美しさであった。
『しかし、その若さと未成熟さでは……世の大人の女がどれだけ狡猾で汚れているかもまだ知らぬのでしょうなぁ……ふふっ……愛いことよ』
ニタリと笑う赤い唇からは鋭利な牙が垣間見えている。その微笑みは何処か禍々しくもあり淫靡な雰囲気も相まって、見る者を不安にさせた。
「うっ……タツ、兄ちゃ……早く、逃げ、て……」
「晃っ!!」
傾国の美女が晃の目を──その心の闇を覗く。女と目が合った晃の表情から徐々に生気が抜けて虚ろになってゆく……無意識下で想い人を心配する言葉が漏れ出た。
『主さまはとても素直で可愛らしい御方……その恋慕の想いが報われるように……貴女の望みが叶いますようにと……妾が助力いたしましょう……男の愛が欲しいのでしょう? 寂しさを消す温もりと快楽が欲しいのでしょう? 愛されているという実感が欲しいのでしょう? ──簡単なこと。所詮男など、女を犯すことしか頭にない愚かな生き物故』
そして──晃はとうとう正気を失い、虚ろな眼差しで目の前の女を見つめ続けるまま。その瞳からは完全に光が消え失せてしまい、それはまるで催眠術にでもかかったような状態であった。瞳からは一筋の涙が流れ落ちる。そんな晃を女は愛おしげに抱き込んだ。
『憎んで──怨んで──妬んで──嫉んで──その想いが溢れ零れ、心の器より滴る涙のようなその感情を。それはこの上もなく醜くて穢らわしいものでしょうが……同時に尊く、美しくもある。その想いを蔑ろにする輩が存在することなど赦されるものでしょうか』
赤く濡れた唇が妖艶につり上がって嗤い──晃の肩口にいた蜘蛛──縁繋を掴むと躊躇いなくグチグチと喰み、その身へと取り込んだ。
『嗚呼、この未通女が五濁悪世の象徴である歓楽地獄に沈んだ時──どれほど美しい涙を流すのでしょうなぁ?』
□
「お前が……晃を誑かしたのか」
『そのような目をなされて……おぉ、怖い怖い……旦那さまは随分と気性が荒くていらっしゃる。しかし、誑かすとは言葉が悪い……少なくとも、主さまのこれまでの言葉は本心だと妾は思いますなぁ』
「お前は何者だ」
『ふふっ……妾は故郷では絹喰と呼ばれておりました……。東海道は伊豆国に住んでいた、ただの絡新婦でございます。お見知りおきくださいませ、旦那さま』
辰巳の問いに対し、その女は慇懃無礼に挨拶して一礼した。その口元は相変わらず愉悦を滲ませており、纏わりつくような視線が絡みつく。
それから女は晃の身体をツゥーと撫ぜると、ペロリと一度舌なめずりをして──晃の頬に手を添えた。
『──嗚呼……主さまと旦那さまの逢瀬は素敵なものでしたなぁ。この娘の旦那さまへの一途な愛……貴方様がそばにおられるだけで心安らぎ、幸せなのでございましょうね』
微笑まし気に、しかし酷薄な意志を宿した目で晃を見て話す。それはまるで、これから訪れる絶望の未来を言い聞かせるように。
『ですが──今宵の逢瀬が最後。お二方の永遠の別れとなりましょう』
絹喰は晃の身体を軋むほどにギリギリとキツく抱き締めながら、辰巳に流し目を使って艶然と微笑む。その笑みには余裕が感じられ──同時に妖しい色気が滲んでいた。
「……一体何を考えている。何が目的だ」
絹喰はぼうっと佇む晃の首筋に指を這わせ、その指先に纏わりついた汗を長く赤い舌で舐め取った。まるで極上の酒でも味見するかのように喉を鳴らし──恍惚とした表情のままに辰巳の方を見る。
『──嗚呼……甘露なこと……未通女の健気で純粋な愛情とは斯くも美味なもの。されど、まだ少々若い。憎しみに深みが出れば、もっと美味な魂になりましょう……』
「何が目的かと聞いている」
『はぁ……せっかちな殿方は嫌われますえ? ……妾は主さまの師でもある養母に影の中に封印された過去がありましてなぁ。ようやっと、術が崩れて出てこれた所……まぁ、一言で言えば復讐ですとも。この娘を苦しめて苦しめて……後悔させてから魂ごと喰ろうてやろうかと思いましてな』
禍禍禍、と嗤った。その声音には明らかな愉悦が含まれていることが伺えた。
『おのれ、雌蜘蛛……! 姫さんを返さんかい!』
『師の代わりに弟子に復讐とは……何と執念深い奴じゃ! 陰険にも程があろう!』
綱彦と白蛛がテレパシーを飛ばし、蜘蛛同士のネットワーク上で罵倒した。しかし──絹喰はそんな大蜘蛛達のことをも嘲笑う。
『あん? なんじゃ、囚われておるとは不様よのぅ……土蜘蛛を祖に持つとは言え、所詮は末裔か。粗末な供物ばかり持って来て、好き放題犯しくさりおって。雄蜘蛛風情が食い殺すぞ』
『なにぃ、腹が減ったから貢物持ってきたら交接させてやる言うたのは、そっちじゃろがい!』
『なーにを偉そうに。そっちこそ不様に封印されておった癖に。それに雄雌が混じり合うのは自然の摂理じゃい!』
『誰が好き好んで小物の蜘蛛の精なんぞ相手にするか。妾は永きを生きる妖ぞ。仕方なく態々相手してやったのじゃ。勘違いするでない』
絹喰が嘲りを含んだ声で返す。その言葉には明らかな侮蔑が含まれていた。大蜘蛛達が反論するも、絹喰は意に介さない。
『──はぁ……もうよい。雄蜘蛛なんぞ相手にしても疲れるだけ。時間の無駄よな』
絹喰がため息を吐く。そして──突然、周囲の空気が重たくなる。絹喰が晃の頬を撫ぜ、耳元で何事かを囁く。その囁きに晃の瞳が不安気に揺れた気がした。
『さて──旦那さま。この娘と別れるのは辛いでしょう? ですが心配無用でございますよ……妾は慈悲深い。せめて二度と忘れられないよう、主さまが堕ちゆく姿をお見せして記憶に刻みつけて差し上げましょうぞ──』
「……何だと?」
『例えば──こういった趣向は如何か?』
絹喰の嘲笑うような声がすると同時に、その妖艶な肢体から黒い煙のようなものが立ち昇る。それは絹喰の腕の中にいる晃を完全に覆い隠し、姿を消失。その上で新たに影絵のように歪な形を作り出したが──その形が定まった時、辰巳の眼前には信じられない光景があった。
「……っ!」
『──旦那さまよ。馴染の女が他の男に抱き潰される様をただ見ているしかないというのは……どのような心地が致しましょうなぁ?』
そこには一糸纏わぬ姿で横たわる晃の姿があった。その傍には複数の男達が群がっている。いずれも屈強な体躯をした野獣のような男達だ。そして男達は皆一様に獣欲に支配され──晃の身体を弄ぼうとしていた。
『──ふふっ。ほら、そこでご観覧なさいませ……この娘が快楽に溺れゆく様を。おっと、主さまの命が惜しくば、其処から動かぬように……』
それは幻影なのか現実なのか──男達は晃の細い腕を押さえつけ、晃の褐色の肌を蹂躪してゆく。その首筋に、その果実に、その褐色の肌に男の唇を押し当て強く吸う。
「ひっ……」
小さな悲鳴。晃の唇が震え、《《その表情が恐怖と羞恥に歪んだ》》。その光景はあまりにも非情で──晃の身体の曲線が乱暴な手により強調され、官能的な色彩を帯びていく。晃の唇が男によって塞がれ、男の舌が蠢くように晃の舌を絡めとった。
「んあぁっ……たつにぃ……たすけ……」
助けを求めて手をのばす──男達によって辱められる晃には為す術もない。組み伏せられ小さな抵抗すら許されず男達の陵辱を受け入れることしかできない。──そして、次第にその身を汚されていく事実に絶望し、抵抗はどんどん弱くなっていった。
悲鳴には嬌声が混じるようになり──晃の身体が跳ねた。身体が意思とは関係なく悦びに震えてしまう。それは晃の心と身体の乖離を浮き彫りにするようで、責め続けられた身体は刺激に抗えずに反応してしまっていた。そんな《《屈辱と淫蕩に塗れた女の表情》》──晃の痴態を絹喰は嗤いながら眺めていた。
『ほら、旦那さまが見ておられまするぞ? 今の主さまの姿を見て、どのような思いを抱かれておられるか……想像すると愉しいものよのぉ』
絹喰がニタリと嗤った。その嗤いに晃がビクリと怯え……羞恥で染まった頬のまま辰巳の方を見遣る。それからすぐに顔を背け、その瞳からは涙を流しながら必死で声を抑えるべく口元を手で覆った。その涙は悦びから来るものなのか、それとも絶望から来るものなのか……
「晃っ…………お前ら……! その薄汚い手で触れたこと、死ぬほど後悔させてやるからな──!」
その光景を見ていた辰巳が吼え──そこで晃の身体を弄ぶ男達が我が意を得たりとばかりに、ニタリと邪な笑みを作ったのだった。




