第26話 悲嘆
吐息と吐息が混じり合う。唇と唇が合わさり、辰巳と晃が一つに繋がり合おうという間際だった。
「駄目っ!」
──悲鳴のような静止の声。それから、つんざくような甲高い音を鳴らして、闇夜の中、低く飛来した何かが辰巳の側頭部へと直撃してゴスッ! と鈍い音を立てた。
「い゛っ、てぇっ?!」
「っ!?」
その衝撃の大きさに思わず悲鳴をあげた。瞬間、靄がかかっていたように不明瞭だった思考が一気にクリアになり、身体に籠もっていた筈の熱は霧散。それまで自分がしようとしていた《《異常》》を改めて認識して愕然とした。
「な……おれは、いったいなにを、しようと……」
ハッとした辰巳が未だ覆い被さる晃の肩を掴んで起こす。ふと視界の端に映るものがある。地面には矢じりのついていない蟇目矢と、小猫ほどの大きな蜘蛛が丸まるように転がっていた。
その矢は辰巳の頭に当たったものと思われ、蜘蛛はヨタヨタと目でも回している様子で身体を起こすのに難儀しているところであった。
「チッ──縁繋」
口惜し気に晃の口からポツリと溢れた言葉はその蜘蛛の名なのだろうか。
「あと少しだったのに……誰だよ、邪魔したのはっ……?!」
しばらく何が起きたのかと混乱していると、今度は辰巳から引き離すように矢が次々と晃に向かって射掛けられる。暗闇の向こう側。石灯籠の灯りの届かない参道から飛来する矢──晃はそれを回避する為に、辰巳の上から飛び退かざるを得なくなった。
そして、その矢の狙いはきっちり晃に定められているようで……執念深く射掛けられる矢は、その意図通りに晃を辰巳の側から退けた。
「くそっ、誰だ!!」
その内の一矢が回避不可能な軌道を描く。晃に直撃しようとした所で、背後から伸びた《《黒い何かが》》その矢を弾き落とした。
──そして、晃と入れ替わるようにして、自身に向かって暗闇となった参道側から駆け寄って来ようとする者が一人いることに辰巳は気がついていた。
「──石動くんっ、大丈夫っ?」
「か、神楽木さん!? どうしてこんな所に……」
それはこれから辰巳のアルバイトの雇い主となるであろう女性──辰巳の小中学校時の同級生でもある結衣が弓を携え、息を切らせながら走ってくるところだった。
何故こんな時間、こんな所にいるのかと驚愕しながらも、変な所を見られてしまったかと内心で焦っていると、彼女と目が合いニコリと微笑まれる。
──こんな深い夜でもその瞳は変わらずに綺麗な碧だった。でも、今はその深い水底色の目を見ていると不思議と心を覗き込まれているような気分になる。辰巳がふと、そう感じると結衣は不意に視線を外し、立てる? と手を差し出した。
「あ、あぁ……ありがとう。でも、どうして此処に……」
「そ、それはー……えぇっと……何だか嫌な予感がして寝付けなくて……気晴らしにドライブしてたら、《《偶然》》石動くんを見かけて……誰かと一緒にいたみたいだったけど……そしたら突然女の人が石動くんに覆い被さって……」
「へ、へぇ……?」
まさか、スリードの返信が無いことを不安に思い、以前に渡した御守に忍ばせておいた位置情報追跡機器で現在位置を調べると自宅にはいなかったため、念のため様子を見に来たなどとは口が裂けても言えない。──事実を明かすことなく、結衣は肩で息をしながら曖昧に答える。矢を射掛けた位置からさほど距離があった訳ではないが息苦しそうにしているあたり、結衣はあまり体力がある方ではないらしい。
一方で、やはり見られていたようだと辰巳は赤面する思いだった。それから信じて貰えるかわからないが、自身に起こった異常について何とか弁明しようとしたのだが……
「あ、あの、それには理由が──」
「──それでね、なんかムカついたから射っちゃった」
「えっ?」
その言葉に驚いた辰巳は再度結衣の顔を見た。どうしてムカついたのかという言葉の意味を知るために。しかし、そこには邪魔だったのならゴメンね、と茶化すように笑う結衣がいるばかり。その結衣の完璧な微笑みに真意を誤魔化された気がした。
──だだし、その内心では……結衣は笑顔のままに人生過去イチでブチギレていた。当然であろう。ずっと目を付けていた男が知りもしない女に言い寄られ、知らない内に奪われかけていた。しかも、当の男は《《魅了の術》》に負けそうであったのだから。
「てめぇっ……! 何のつもりだ……! っ、チッ」
それから苛立ちが抑えられなくなったのか、もう一度女に対して矢を射掛けた。
「──それよりも、気づいてた? あの人が蜘蛛で石動くんを操ろうとしてたの」
「えっ?」
結衣にそう言われ晃へと視線を向ける。晃の肩口には先程の縁繋と呼ばれた蜘蛛がいつの間にやら乗っており、辰巳達が視線を向けていることに気がつくと、ヨッ! とばかりに前脚を挙げた。
当然のこと、ただの蜘蛛ではないだろう。恐らくは妖怪の一種か、蜘蛛の精といったところであろうか。
「……仕事道具、車に積んでおいて本当に良かった。様子が変だったし、慌てて射ったから《《偶然》》頭に当たっちゃったけど、石動くんの頭が丈夫で良かったよ」
「あの……実は何か怒ってます……?」
「何で私が怒るのかな? でもまさか、術を掛けられていたとは言っても……石動くんの理性がそんなに弱いだなんてね。知りませんでした」
「うっ……それは、その…………神楽木さんは様子が変だと思って助けて、くれたんだよね……? 止めてくれて、その……ありがとう……」
「続きが出来なくて残念だったね」
「そ、そんなことは……本当に、何かおかしいと思って、ずっと耐えようとはしてたんだけど……」
「駄目そうだったね」
「……耐えられた、と思う」
「……でも触ったんでしょ?」
「うっ……」
「……えっち」
男の人ってすぐそういう事考えるよね、という呟きに辰巳は口を噤んだ。
表情とは真反対の刺々しい口調と雰囲気に辰巳は気後れした。どうしてこんなにしどろもどろになりながらも言い訳をしなければならないのかと……辰巳自身理解出来ていなかったが、目の前の結衣に反論する気概など到底持つことは出来なかった。
こんな場面を見せてしまったのだ。もしかしたらアルバイトの話が飛ぶどころか、このまま絶縁されてもおかしくないという不安が過る。
──だが、結衣もみすみす辰巳を手放すようなマネはするつもりもない。むしろそれを今後数十年の弱みとして握ろうとする、結衣は強かさを持つような女であった。
故に、辰巳への嫌味はそこそこに。内面の怒りを笑顔の仮面で隠し、結衣は褐色肌のヤンキーギャル風の女──晃を冷たい目で見据えていた。
「……あの写真の《《巫女》》……テメーが神楽木とかってヤツか……よくも邪魔してくれたなァ……!」
顔の表情筋は働いていないながらも、目は口ほどに物を言う。晃の普段よりも開かれたその眼には怒りが満ちていた。
「ところで、彼女は知り合い、ってことでいいのかな?」
「あ、あぁ……昔よく一緒に遊んでた。中学の同級生だった官九郎と秀平、覚えてる? あいつらと同じ寮の子だったんだけど……」
「あぁ、それで……」
まさか女の子だったとは気づかなかったんだけど……とは辰巳の内心の声。その心の声を視ていたのならば流石の結衣も呆れていたかもしれない。
官九郎と秀平の二人のことは結衣も覚えていた。辰巳とよく行動していた二人で、それに恵多を合わせた三人は特に仲が良かったことを。結衣自身、彼らと話したことは無かったが悪い人物ではなさそうだと感じていた。
「あなた祓い屋でしょう? 式神を使って、人を操ろうとするなんて……どういうつもり?」
「……テメーには関係ねーだろ。部外者が、突然しゃしゃってんじゃねーよ。さっさとタツ兄から離れて消えろ」
「ふん……関係なくなんかない。石動くんはね、私の《《パートナー》》になる予定なんだから。手出しは許さない」
「は? パートナー? テキトーな嘘つくなよ。あんま調子乗ってっと、泣かされんのが自分だって気づくことになんぞ」
「ふ……乱暴な言葉でしか自分を守れないのね……かわいそうに。でも、もしも私が泣くことになるとしたら、それはあなたのあまりの幼稚さを哀れんでになるかも」
「あ?」
「──だってそうでしょう? いい年にもなってお人形遊びが好きだなんて」
「な、ぁっ? てめぇっ……」
お人形遊び、とは辰巳を式神で操ろうとしたことを揶揄しているのだろう。威圧するつもりが効果はなく、逆に挑発的に返されたことで晃の顔色が怒りと羞恥で赤く染まる。慕っている男の前で恥をかかされた屈辱で身体が震えた。
「……私達のような存在が、秘匿される力で人に危害を加えるのは昔からの禁忌。祓い屋の癖に、そんなことも知らないとは言わないわよね」
「そんな罰則もないルール。誰も守ってねぇ……!」
「禁忌には意味がある。……あなた、何も知らないのね」
「何の説教だ。さっきっから何様のつもりだ、テメー」
ヒートアップする言葉の応酬。それを見ていた辰巳は女二人の怒気のぶつけ合いに心臓が縮み上がる思いだった。
「な、なぁ晃……? どういうことなんだ……? 俺を操ろうとしたってのは本当なのか……?」
「……タツ兄がはっきりしないのが悪いんだろ。私はそれを少し手助けしただけ。どうせいつかそうなるんだ。それが少し早くなったって何の問題もない」
悪びれる様子もなく、そう言い放つ。
「だからって、操るとか……晃はそんなことするような子じゃなかっただろ……」
「……ハ……いつの話。もう子どもの頃とは違う。私がこの十二年間何してたかなんて何も知らない癖に。こんな奴になっててガッカリでもした?」
「な……」
ハ、と晃が鼻で笑った。確かにこれまで晃が歩んできた道程のことを辰巳は何も知らない。どのような学生生活だったのかや、友人関係、引き取られた家のことなども殆ど。十二年──離れていた時間は長すぎた。晃の吐き捨てるような言葉に、辰巳は何も言えなくなった。
「……私がこんなになったのもタツ兄のせいだろ。タツ兄が突然いなくなったせいだ──」
恨みの籠もった視線で辰巳を射抜いた。
「え?」
「私がこんなんになったのは……タツ兄がいなくなって……私を一人にしたせいだって言ってるんだよ」
それは一見すると子どもがするような言い訳に聞こえたが、誰かのせいにしなくては現実を受け止められないという……晃の恨みの籠もった心の声でもあった。
「な……それは、どういう……? 俺がいない間に何か、あったのか……?」
何があったかだって? 無い訳ないだろ、と、晃が言葉尻を震わせて怒りを滲ませた。それから、なら教えてやるよと続けた。
「……こんな顔になってから、皆私を気味悪がった。無表情で、笑ったり、怒ったり、悲しんだりもしない。何を考えてるかも分からない。見えないものが見えて、頭がおかしい。表情が無くなったのも、呪われてるからだろって影で言われてた」
晃は表情を失ったことを気にしていないと辰巳に言っていた。だが現実として、晃は表情を失ったことで好奇の目を向けられ周囲からは孤立していたらしい。表情を作れなくなったことも、晃の霊感を揶揄してオバケに呪われたからでしょ、と。
「孤立とかは別にどうでもいいよ。学校でなんかその前から殆ど一人だったし。陰口なんて気にしなきゃなんてことない。でも……」
晃は元々、交友関係は狭い。それに自分の線の内側の存在だけを大事にしたがる傾向があったからだ。だから学校での孤立自体は何でもなかった。だが……
「──ある時、普通の人には見えない奴ら──妖と話してたのを見られて馬鹿にされた。それで頭にきたから暴れてやったらさ、今度は精神異常者だって」
それは普通の人には奇行に映ったことだろう。何もない空間に対して話しかける。突然何かを恐怖したかのように叫ぶ。何もない場所で立ち止まり、周囲の声が届かなくなる……
まるで、《《そこに》》何かがいるかのように。不気味で、理解が出来ない。そのことを気味悪がって……しかし心の奥底では自分にはない特別を羨んでいた同年代の女子が揶揄した。普通の人は持たない《《霊感》》という才能を嫉んで。
そのことをを──馬鹿にされたと感じた晃はキレた。相手は女子で暴力に耐性などない。張り手一発で伸すのは簡単だった。だが、その暴力で相手にケガを負わせたことがそこそこ大きな問題ともなった。
「そいつの親、声だけはでかくてさ。娘と精神異常者を同じ場所に置いておけないって言い出したんだよ」
娘が殴られたことが相当に腹に据えかねたのか、連日、学校や施設に抗議を入れ理由も聞かずに晃が一方的に悪いと糾弾したのだという。幻聴、幻覚を日常的に体験している子が普通に学校に通っていて大丈夫なのか、聞けばかなり暴力的な問題児らしいがと。
寮の先生達の頑張りか──結局は子どものしたことと、晃が謝り、大人が今後の様子を見るということで話しはついた。だが、そのことで精神的な病院にも行かされることになったのだと言う。
そして、そこで本格的に精神異常者のレッテルを張られることになった。病院の医師に他の人には見えない霊や妖が見えると言ったら、馬鹿にしたような顔でそれは幻覚だと否定された。表情が動かなくなったのも、瞬間的に怒りに支配されて暴力的になるのも心の病のせいだと。
本当はどこも悪くないのに。自分の言っていることは間違っていないのに。これが私なのに。誰も理解してくれない。無理矢理にカウンセリングを受けさせられた。
それからは毎日毎日……それこそ年単位で日記を書かされ内容を確認された。思ったこと、ムカついたこと、楽しかったこと、《《幻覚を見たこと》》、日常に関わることは何でも。監視され、異常があればその度に話し合い。その内、面倒になって《《幻覚を見なくなった》》ことにした。
「タツ兄が消えて、誰も私を分かってくれる人がいなくなって……話を本当だと聞いてくれる人もいなくて……安心出来る場所なんて何処にもなかった」
誰も晃の話すことを信じてくれない。目に見えない存在は確かにいるのに。自分が見えないからと、存在を信じない。信じてはくれない。嘘つき、病気と疎外され、孤立した。誰も晃の心を守ってはくれず、傷つき、抑圧され、自身が本当に正しいのかも分からなくなっていった。
「子どもで精神科に通ってたのも良くなかったのかも」
──悪い流れは続く。精神科に通う精神異常者というレッテルを貼られると、寮の仲間も一人、また一人と晃から距離を取り始めたのだと言う。信じていた仲間の裏切り。その時の晃の気持ちとは……
「……寮の皆は晃の味方だった筈だろ……? 家族だったじゃないか……」
「ハ……家族? それは違うって……結局は、《《みたいな》》だよ。私達は血が繋がってない。育った場所は一緒でも本当の兄妹でもなければ、家族でもない。……私は何を言われても、ずっとあいつらのことを家族だと思ってたけど……向こうはそうじゃなかったんだよ」
年下の子にこう言われたんだ。もう見えるとか言わないで。同じ寮にいるからって、晃と一緒にされるの恥ずかしい──と。それが悲しくて悔しくて……そう語る晃の声からは感情が抜け落ちていた。
「そんな……カンとシュウは……」
「あの二人だって、ずっと味方してくれてた訳じゃなかった。秀平は元からそういうのは信じてないし、官九郎は私を否定しなかったけど、もう庇えないから何も言うなって」
病院で精神疾患だと診断を受けたのだから。もう寮の中の誰も晃の話を信じてはくれなかった。やっぱり精神疾患だった。霊感なんて無かったんだ。じゃあ、今まで晃が言ってたことは全部嘘? と噂し合って。
寮内全体で精神疾患を持つ晃の言うことを信じるのは、おかしいという空気になっていたそうだ。その言葉を聞いて、辰巳はショックを受けた。
「──照厳先生は私が寮内に留まるのを、私にとっても良くないと考えたんだと思う。だから、私を寮から出した。祓い屋だって言う、ババアなら私のこと分かってくれるんじゃないかって」
竜養寮を出たのは、晃のことを理解してくれる人を求めてのことだったと。そして照厳先生は行くかどうかは自分で決めなさいと。
「ババアは私に良くしてくれたよ。話も聞いてくれたし、私の状況に怒ってもくれた。馬鹿だし、勉強も出来ないし、すぐカッとなるし……人と上手くコミュニケーション取れない私を受け入れてくれた」
晃にとって養母は理解者足り得たのだろう。自分のことを分かってくれる人。そんな自分を守ってくれる人として。
「でも……タツ兄さえいてくれたら、辛い時に私の話を聞いてくれてたら、もっと我慢できた。ババアのとこに行かなくて済んだ」
ポロリ、と晃の瞳から雫が一つ。そしたらババアに会うこともなかったし、死ぬことは無かった……そう呟くのが聞こえた。その後悔に満ちた呟きに辰巳は……
「晃……養母さんは……」
「祓い屋の大きい仕事で……ヘマした私を庇った。それで、死んだ」
そこにどういう経緯があったのかは分からない。ただ、晃の心は再会した時からずっと深く傷ついていたのだとようやく辰巳は気づいた。
気づけなかった。再会した時から晃の心はずっとヘルプのサインを出していたことに。表情の変化がなくて、違和感を拾い上げられなかった。
「依頼人が嘘ついてて、祓おうとしてたのがヤバい奴だった。私らでは手が出せないような……神霊に近いもの……」
それでもその《《ヤバい奴》》は養母が命を犠牲にして何とか封印したのだと。理解者であった養母を失った晃の気持ちとは……その悲しみや後悔はどれほどのものか計り知れない。
「……祓い屋になって人の悪い所をたくさん見た。悪いことして死者からとんでもない恨みを買ってる生者もいれば、ただ気まぐれに不幸にしようと祟ろうとしてる悪霊もいる。生きてても、死んでても悪意だらけ。嘘ついて、人を操って、自分がよければそれでいい。そんなんばっかり。世の中には良い人もいるとかどれだけ言い訳しても、ここは汚い世界なんだよ。気持ち悪い……」
自身の肩を抱く。まるで自分を護るように。この世界には自分の居場所などない。絶望し、それが真実だと心から信じているように。
「大人になると、何でこんなに生きづらいんだ……」
チラリと覗く。そう嘆く晃の手首には大小無数の……
「晃……」
「子どもの頃は良かったよ。でもさ……大人になると皆汚れてくんだ」
「……」
「ババアが言うにはさ、私らは掃除屋と同じなんだって。人が死んだ後に出てくる、魂に積もりに積もった穢れを祓うのが私らの仕事。汚れた人を濯ぐのが役目なんだって」
そう話す晃の瞳は空虚で、目に映るもの全ての価値を低く見ているようだった。
それは、元々、付き合う人を選別するほどに人嫌いな性格だったのが、人の汚い部分を見なければならなくなり輪をかけて嫌いになったように。
霊障に対峙する際に自己保身から騙され、失望するようなことが多くあったように。
世のため人のためと働いても、苦労に対する見返りがまるで見合っていなかったように。
おそらくは、その全て。そして確実に言えることは、晃はもう他人を信じてはいないということ。それは目の前の辰巳を含めて。
「いくら祓っても、いくら祓っても欲まみれの悪霊はいなくならないしさ……どんどんどんどん、まるでマンホールから下水が溢れるみたいに」
ババアが言うみたいに、まるで街中に溢れる汚物を掃除してる気分だと。
「同業の祓い屋だってそう。私に近づいてくる奴は利用しようとしてくる奴ばかり。女だって分かると下卑た視線送ってくるのもいたし、私の力を利用して金儲けしようとしてた奴だっていた」
気色悪い。まぁ、そんなクズは容赦なく潰してやったけど、と鼻を鳴らす。
「使ってやるとか言って上から目線で見下しながら、自分がエライとでも思ってそうなのがムカつく。ナメてんじゃねーよって」
晃の口調は荒かった。まるでこれまで我慢してきたものを吐き出すかのように止まることがない。そして、何かを思い出す度に、その目は暗く澱んでゆく。
「──どいつもこいつも皆自分のことが大事なんだ。だから人を信じるのも、期待するのもバカらしくなってやめた。それよりは《《少し》》脅して怖がらせてやった方がイイ感じに動いてくれる」
「自分を守るために嘘ついて何が悪いんだよ……人を操ろうとして何が悪いんだよ……それに、タツ兄にした事なんて何でもないでしょ。逆に気持ちよくなるだけじゃん」
明らかに自分本意な考えだが、晃は微塵も悪いとは思っていないに違いなかった。自身にとって幸せな未来を掴み取るためには必要なことだったと本気で考えていた。
「タツ兄は違うと信じたかった。ずっと私の心の支えだったんだから。毎日、『念写』してタツ兄がちゃんと生きてるか確認した。タツ兄が生きてるから私もまだ頑張ろうって、毎日毎日毎日毎日……」
それが支えだった。昔の一番楽しかった頃の思い出に縋り、また会える日を夢見て。念写の力と写真、カメラがなければ、晃は縋る物もなく精神を破綻させていたかもしれない。
「でも……私のこと、すぐに思い出せなかったよね。約束も思い出せないままだし」
表情は変わらずとも声には、目には感情が宿る。悲痛な想い、辰巳への疑念が晃の言葉には込められていた。
「おまけに他の女の影もある。これまで私がどんな思いで帰りを待ってたと思ってんだよ。また会えるのをずっと楽しみに頑張ってきたのに」
その一言に辰巳はハッとした。晃は自分が無事に帰って来る日を、ずっと願っていてくれたのだと。十二年の歳月がたとうが、縁はまだ繋がり合っていたのだと。
晃が縁を繋いでくれていたからこそ、辰巳は向こう側から縁の糸を辿って現世に戻ることが出来ていた。つまりは、晃もまた辰巳の恩人なのだと。
「──それなのに……何でそんなショック受けたような顔すんの……ダル……」
しかし、その晃は──辰巳に失望の目を向けていた。
辰巳なら笑って許してくれるという、晃なりの辰巳への甘えがあった。昔と同じように少しの悪戯くらい笑って受け入れてくれる。辰巳ならどんな自分でも受け入れてくれるという期待があった。
「……タツ兄も変わっちゃったよ。全然、私のこと見てくれてない。再会したら喜びながら抱きしめてくれると思ってた」
だけど、現実は……辰巳は晃に気づくことも出来ず、約束だって思い出せないまま。新たな関係を結び直すことも拒否されたのだから。
「思い出の中のタツ兄はもういないんだ」
理想郷は過去の中。思い出は美化され、額縁の中でこそ輝く。現実は理想には追いつけない。だからこそ、晃は過去を見続けたまま、現実の変化に戸惑い受け入れられないまま。
「今のタツ兄はなんか信じられない……」
晃の目には絶望が巣食う。その目には暗く沈んだような闇がどこまでも続く。その荒んだ目を見て、辰巳は言いしれない焦りを覚えた。
「……でも、大丈夫だから安心して。ちゃんとタツ兄を取り戻してみせる。思い出させてあげるから。二人きりになれる場所で、楽しかった昔のこと、たくさん話そ。これからはもう、ずっと一緒だから」
晃が辰巳へと手を伸ばす。しかし、その手は途中で止まり……人差し指の形を作って辰巳の隣の女を差し示した。
「──だからさぁ、邪魔なテメーは消えてろよ……綱彦、白蛛、ヤツを排除しろ」
血を吐くような声で、そう、《《ナニカ》》に命令を下した。




