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第25話 郷愁

 深夜──門前町の通りを抜けた先にある慈願寺山門。


 山門前には石灯籠が立ち並び、盆の期間中には火鑽で起こした清浄な火──忌火が灯され、深い闇の中で仄かに辺りを照らす火という幻想的な雰囲気を醸し出している。


 この清浄な火は邪気を払いつつ、彼岸から帰って来た先祖の霊が道に迷わぬよう道標としての役割がある。その石灯籠の照らす参道は真っ直ぐに山門の奥へと続いていた。


 その山門は慈願寺の境内と繋がっており、巨大な山門を潜った先には本尊が入った逗子が厳重に保管されている本堂が建っている。山門両脇には金剛力士像が二体。厳しい形相で参道を睥睨し、悪鬼悪霊から寺院を守護するように構えていた。山門の向こう側は聖域であり、門は俗世と聖域を区切る境界としての役目があった。


 一方で、山門から参道を下れば直ぐに門前町があるが、深夜の参道には人気が無い。当然、山門周辺の人通りも皆無であった。それは普段の人の溢れる光景を知る者からすれば、それこそ別世界とも思える光景だろう。


 ──そんな人気のない山門前の階段に並んで座り、会話をしている男女がいた。


「──って、そんな感じで念写の力を得たんだ」


 声の主は褐色肌クールショートの女性──晃。彼女の話を相槌を打ちながら聞いているのは辰巳であった。


 二人の話の内容は辰巳が神隠しに会い、行方不明になった当時のこと。それから、晃が念写の異能を持つようになった切っ掛けについて。


 曰く、晃の深い悲しみと願望、精神的なショックが念写の異能を発現させた。そう聞かされた辰巳はただひたすらに申し訳ない気持ちになっていた。


 異能が発現しただけならば、驚きつつもそこまで気に留めなかったのかもしれない。だが、異能を得ることで何かしらの犠牲──身体の不具といった症状が出るという話は結衣から聞いたことがあったから。


 ──辰巳が晃と再会してからずっと疑問に思っていたこと。晃の表情の変化の無さは、よく知る昔の晃とは全く異なっていた。それは辰巳が晃のことを当初『アッちゃん』であると気づけないほどに。彼女の正体に気づいてからも、その変貌の理由が何なのかずっと気になっていた。


 しかし、その変化が異能を得たことにより表情が作れなくなったのだと教えられ、辰巳は理由を理解しつつも晃にどう声を掛けたらよいのか分からなくなった。


「それは……何というか……その……表情がなくなったのは、俺にも原因があるってことなんだよな……」

「神隠し自体はタツ兄のせいじゃないでしょ?」

「それはそうなんだけど……」


 過去は変えようがないとは言え、神隠しになど合わなければ晃の表情は昔のままだったのではと考えると自責の念が湧いてくる。


 しかし──


「あの時は急にいなくなってスゴイ悲しかったし、表情が動かなくなって戸惑ったけど……念写の力があったからタツ兄の無事が知れたんだし。タツ兄に買ってもらったカメラも役に立った」


 そう、だからタツ兄が気にすることない、と言って晃は少しだけ目を細める。


 一方の辰巳は念写の力で無事を知ったという言葉を、向こう側に渡った自分を念写したためと解釈していた。


「……そうか。あの時のカメラ、まだ使ってくれてるのか?」

「古くなっちゃったけど、一応は使えるよ。でも壊れると悪いから今は大切に保管してる」

「それでも大事にしててくれてるなら嬉しいよ」


 思い出す。当時、欲しかったゲームを諦めて買ってあげたインスタントカメラのことを。中学生にとって、決して安い買い物ではなかったことも覚えている。


 そのカメラも今ではすっかり古ぼけてしまったようだが、手入れをしながら大事に保管していると。


 その事を話す晃の口調は穏やかで、辰巳は買って本当によかったと思ったものの……その後の話を聞く内にほんの少しだけ後悔した。


「──それに、あのカメラは正直性能は微妙なんだけど、何でかタツ兄の写りは少し良くなるんだよね。それで、《《たまに》》タツ兄何してるかなぁ、なんて念写してみたり?」


 曰く、晃はたまに念写の異能を使って辰巳の様子を伺っていたと、楽しげな声音で話す。


「へ、へぇ、そんなことが……その念写ってのは俺が向こう側にいても普通に写ったのか?」

「うん。今何してるのかなぁって気になって撮ってみた時は山伏みたいな格好してたり、剣構えてたりとかだった。連続で撮ってみたら似たような写真だったし、その時のタツ兄を写してたのかも。本当のとこはわかんないけどね」


 つまりは晃の念写は現時点での対象の様子をリアルタイムで写すことが出来るということ。更に聞けば、辰巳のことに限らず過去の場面をフィルムに写すことも可能性なのだと言う。


 辰巳の直感が何か嫌な予感を報せる。もしや、と思い聞いてみることにした。


「念写って制限ないのか……? 枚数とか、距離とか……」

「やっぱりカメラが無ければ出来ないけど……あれば特に制限はないよ」

「……それって私生活筒抜けになってるってことじゃ……俺の生活覗くのに使ったりするなよ……?」

「……覗いてると思うの? 私が?」


 つまりは盗撮仕放題と言うことだ。


 真相を確かめようと目を見るも、晃はジッと合わせて離さない。晃のその眼は真剣なようにも、嘘をついているようにも、はたまた何も考えてないようにも見える。事の真相は判別出来ない……その内、根負けして辰巳の方から視線を外した。


「…………冗談だよ。晃に限って、まさかそんなことする訳ないよな」

「うん、心配のしすぎ」

「……疑って悪い」

「いいよ、気にしてない」


 ともあれ、歳の差はあれどある意味幼馴染とも言える相手を疑ったことを辰巳は恥じた。それを見透かしたように、晃は軽く流す。……しかし違和感は一向に無くならなかったが、辰巳は取り敢えず忘れることにした。


「──多分だけど、タツ兄が写りやすいのはあのカメラへの想い入れとか、相性、その時の調子とかもあるんだと思う。あとは、タツ兄から買って貰ったっていう縁があるから、タツ兄の像が結びやすいってのもあるかもね。あのカメラ、他のことだと全くサッパリなんだけどさ」


 その声音は楽しそうで、あいも変わらずポーカーフェイスだったが声の調子は軽く、表情を失ったことへの陰は見られない。そのことに、安堵と共に若干の不安を覚えた。


「……そうか。なぁ、晃。顔のこと、本当に……」

「──別に気にしてない。……表情が動かないのは不便だけどね」


 だから聞いた。本当に気にしないでいられるものなのかと──それは未だ何も失っていない辰巳には分からないことだったから。


「……それともタツ兄はさ、この顔のこと気持ち悪いって思う? もしそうなら後悔するかも」

「何言ってんだっ。気持ち悪いなんて思う訳ないだろ!」


 辰巳が思わず叫ぶと、晃は目をパチクリさせる。そしてすぐに嬉しそうに目を細めた。それからしばし瞑目する。


「ならいいんだ。……表情が変わらないとさ、中々感情が伝わらないからさ。喜びも悲しみも、本当は楽しく思っていても周りにはつまらないんだって思われる」

「……」

「ちなみに今はタツ兄と話せてすごく嬉しいし、楽しいんだけど、分かる?」

「いや……」


 大きな表情の変化のないままに、そうだよね、と続けた。それから、あぁ、と何かに思い至るように晃が呟いた。


「そっか……今まで考えたことなかったけど、もうタツ兄に笑顔も泣き顔も見せられないってことなんだ」

「晃……」

「……そういえば声を上げて泣いたのはあの時が最後だったっけ……泣き疲れて起きたら表情筋死んでてさ。全然動かなくて、ビックリしたの覚えてる」


 ハハ、懐かしいなぁ、とポーカーフェイスのまま笑い声が出た。


 思い出すのは、辰巳が消えた日のこと。買って貰ったばかりのインスタントカメラを抱き締めて眠った。全てが何かの間違いで、寝て起きたら夢であることを期待して。もう一度、辰巳の顔を見られることを願った。


 だが……辰巳がいなくなった現実が変わることはなかった。朝起きた時には晃は表情を失っており、それを周囲は大きな精神的なショックを受けたせいだと勝手に解釈したのだ。


「……晃?」


 ──ただ、晃には何が起きたのか漠然と分かっていた。これは願いに対する対価なのだと。


 微睡みの中で、どこか遠くの光景を確かに見た。それは普通の夢とも違い、むしろ以前見た明晰夢に似ていた……


 ──どこともしれない山林の中。そこには辰巳がいて、自身の境遇に戸惑い、その表情には恐怖と焦りがあった。夢の中で晃が必死に声を掛けても辰巳に届くことはなく……薄れてゆく夢の中、その姿を残す為に持っていたカメラのシャッターを切った。


 そこで、はたと、目が覚め──インスタントカメラから吐き出されたのだろう、床に落ちていたその写真を見た。願いの通り、夢の中で辰巳には会えた。……しかし、願いの対価として、その時にはもう心の底から笑うことも、子どものように泣き喚くことも出来なくなっていた。それが晃の異能の始まりだった。


 暫し無言となっていたが、唐突に晃が巫山戯るように自分の口角を両人差し指で持ち上げて見せる。


「何でもないよ。でも、タツ兄に笑顔見せられないのは、やっぱり悔しい……どう? 笑顔になってる?」


 その顔は笑顔と呼ぶには歪だったが、その気持ちは辰巳にも伝わっていたのだろう。辰巳も釣られて笑みを浮かべた。


「ふっ……変な顔になってるぞ」

「笑顔って難しい」


 笑みの形に口角を持ち上げていた指を落とす。それから一拍置いて再び話し始める。


「……表情ってやっぱり自分の気持ち伝えるのに大切なことなんだよね。嬉しいときの顔も、嫌な時の顔も、真面目な時の顔も私には出来ないから伝わらない。伝えられない」


 表情を作れないことの苦労がある。それは当事者にしか理解出来ないこと。だから、と晃は続けた。


「表情が作れない私は、どうしたらいいのかなって。どうしたら伝えられるのかなって考えてた。でも、私難しいことは考えても分かんなくて……取り敢えず伝えたい気持ちはあるのに、黙ったままじゃいつまでも伝わらないなってのだけは分かってたから」


 表情に変わりはない。……ただその時の微妙な変化。空気に少しの緊張感が混じったのを辰巳は敏感に感じ取った。


「──だ、だから言うね、タツ兄。私ずっと……ずっと待ってたんだよ、帰ってくるの。だから、また会えて……すごく嬉しい。タツ兄のこと、昔から、ずっと好きだったから」

「……あぁ、ありがとう。俺もまた会えて嬉しいよ」

「ほんとう? 良かった……」


 会いたかったと言われて嬉しくない訳がない。だが、その後の好きという言葉の意味を辰巳は深く考えることもなく、男女のそれではなく、幼馴染としてのそれと判断した。


「子どもの頃、タツ兄の背中が一番安心できる場所だった。私に色んな思い出をくれて、ワガママを言って官九郎達が怒っても、いつもタツ兄だけは味方になってくれた。霊感が芽生えて不安になった時は励ましてくれた」


 ずっと言えなかった思い。伝えたくても伝えられない苦しさを知った。遠くにいる人をずっと想う辛さ、愛おしさ。それをやっと伝えられることで、晃の言葉はいったん話し出すと溢れ出して止まなくなった。


 想いの丈を。溜め込んだ十二年分の感情を精一杯言葉に乗せてぶつける。それは甘く、苦く、醸成された重厚な情感であった。


「信じられると思った。だから仲間には言えなかった秘密も教えたし、タツ兄が今は忘れてる《《大切な約束》》もした」


 チクリ、と棘で刺すように険が混じる。その言葉に辰巳が少し気まずげにした。


「いつの間にか好きになってた。でも、やっと自分の気持ちに気がついた時には既にタツ兄はいなくなってて……辛かったけど、好きだったからずっと待ってた。タツ兄にまた会えるって信じてたから」


 真剣な目だ。表情が作れなくてもそのくらいのことは分かる。冗談やからかいなどではない事が。そして……そこで初めて辰巳は晃の話す『好き』が男女としてのそれを指しているのだと気がつき、緊張感を覚えた。


「タ、タツ兄は……向こうかこっちに彼女、いる?」

「か、彼女……? そんな存在に縁なんて無かったからな……」

「そっかぁ……なら良かった。私さ、ずっと決めてたんだ。いつかタツ兄の彼女になるって」

「あ、晃……?」


 もしも表情筋が働いていたのなら、満面の笑みを浮かべていたのは間違いないだろう。それは興奮か陶酔か。少し目が潤んでいるようにも見えた。


「……十二年待った。だから、もう絶対に逃さないから。タツ兄ちゃんの隣にいるのは私。何があっても誰にも渡さない。もう一人は嫌だもん。もし拒んだりしても許さないし、離さないから──」

「っ……」


 私、本気だよ、と。今まで隠れていた狂気がチロリと漏れ出始めていた。それは例えばコップに張った水の表面張力のように、何かの切っ掛けで溢れる。しかし、ある意味では安定している状態だった。


 十二年の内に溜め込んだ感情は決して良いものばかりではない。時に一途な好意が報われずに、恨み憎んだこともあったかもしれない。だからこそそれは、《《愛憎入り混じる》》という表現が近いのかもしれなかった。


「──でもさ、タツ兄も酷いよね。コッチに帰ってたならもっと早く会いに来てくれたら良かったのに」


 安定は崩れ掛け、また一滴、コップから狂気が零れ落ちた。


 それは低い声だった。辰巳の行動への不満と、再会した時に仲良くしていた來良への嫉妬心。何で一番に私に会いに来てくれなかったの、と。声に圧が籠もっている。


「っ、それはスマン……でも、十二年だからな。俺を覚えてる知り合いなんて、もう誰もいないと思ってたし……晃、カン、シュウ、ケータ……お前達四人は、探して会いに行くつもりだった」

「……ふーん。まぁ、そういう事にしておいてあげる」


 晃からの疑うような視線に辰巳は訳も分からず戸惑った。


「本当だって。それに戻ったって言っても、まだほんの数日だぞ?」

「……そう。でも、今日みたいな偶然じゃなくて、タツ兄の方から会いに来て欲しかった」

「あ、あぁ……それは、ごめんな……」


 それから暫し沈黙が続き、気まずい空気が流れ始める。不満の意思表示なのか不機嫌そうな雰囲気の晃の方からは何かを話し始める気はないらしく、辰巳が焦りながら再び話しかけた。


 妙な話になってしまったな、という内心を隠して。


「──そ、そういえばなんだけど、晃は今は何をしてるんだ? 竜養寮はもう出たんだろ?」


 気まずい空気を避けるような話題転換。晃の視線の温度は低かったが無視するつもりはないらしい。ジトリと睨めつける。ジワジワと精神を甚振るような、不満の発露。相手の失敗をなじる、子どもじみた反発心が今の晃の雰囲気からは感じられた。


「……あぁ、それはね──私が寮を出たのは確かタツ兄がいなくなってから、数年後だったかな」

「えっ……そうだったのか……数年後って言うと、まだ小学生の頃か? 誰かいい人がいたってことなのか?」

「……結果的にはそんなに悪くなかったと思うよ。どこで聞きつけたのか知らないけど……私の念写の力を知って、養子に引き取ろうとしたババアがいてさ」


 曰く、晃を引き取ろうとした女性の初めの印象は、寮の職員の話を聞く限りではあまり良くなかったと。


 何故ならその女性は、当初施設内でこそ善良な人間のように振る舞っていたが、竜養寮の職員が集めた評判ではあまり好ましい人物では無かったから。


 市街地からは少し離れた農村部に住んでいるというその年配の女性は古くからの家に住むが金にガメつく、夫も子どももいない。近所からは遠巻きにされ、付き合いも殆どなかったのだとか。


 何度か寮に通う内にそれがバレ、職員に指摘されると観念したのか今度は本性を現し、子どもの念写の力は私が有効に使ってやると宣ったらしい。


「それ聞いただけで明らかにろくでもないって分かるでしょ。私の力を目当てにして、金儲けの道具にしようって魂胆が見え見えで」


 そう言って晃は笑っているのかクツクツと喉を鳴らした。特に仕事をしている風でもないのに大きな家に住み、近所からは妖術師だとか呪い師、魔女の家と噂される。敷地内からは奇妙な声や叫びが聞こえたり、家の門戸の前に立つ不気味な影を見たという話もあったと。


 中には女性に騙された、詐欺に合ったという噂も聞かれたという。


「当然、寮の皆も先生たちも大反対。……でも、一人だけ反対しないでお前が決めろ、お前の人生だって言ってくれた先生がいてさ」


 頬杖をついて、昔のことを懐かしそうに話す。


「覚えてる? 照厳先生って。タツ兄が内緒で寮に泊まろうとした時、スッゴイ怒られたことあったの」


 あの先生、と。


 晃の言う先生のことは辰巳にも覚えがあった。自他にとても厳しい人で、寮の内外を問わず子どもを叱る。正直なところ子どもの頃の辰巳はその僧侶のことを苦手としていた。


 ただ、晃の方は辰巳とは異なり、明らかな信頼感情を抱いているようであった。それは関わり合った時間の総量であり、会話の数の影響なのだろう。


「先生が私だけに教えてくれて、皆は知らなかったんだけどさ。そのババア、民間の祓い屋みたいな仕事してたんだよね。祓い屋の仕事は表に出せないからって、こっそり跡継ぎ探してたんだって」

「じゃあ、念写の異能は仕事で使うために……」

「うん。金儲けの道具にしようってのは間違いじゃない。でも、それで食べていけるようにきっちり修行はつけるって」


 女性が言うに、念写という異能の使い方と金稼ぎの方法を仕込んでやる。その代わりに祓い屋の跡を継げと。全く取り繕うことをしない、不器用な人だった。でも一本気通った人でもあったと。


「それで私はババアの養子になるって決めた。それからはキツい修行をさせられて、祓い屋の仕事のイロハも、力の使い方も教わった。物覚えが悪いって何度も怒られたけど、頑張った」


 で、一通りの事を教わって、それからは一緒に仕事してたんだけど……と。


「今度は私が祓い屋の仕事を引き継ぐことになった」

「へぇ、そうなのか」


 それが大まかな晃の軌跡。それだけが全てではないにしろ、晃の中心にあった生活の基盤。その上に学校や仕事、プライベートな人間関係が構築されている。


「今日、ゲームセンターで会ったのも仕事の一環。半ニートの息子が半年前に心臓発作で死んだけど、誰もいない筈の部屋の壁や床を叩く音がする。死んでも迷惑かけるなんてアイツに違いない。成仏しようとしない息子を何とかしてくれってさ」


 聞き慣れない言葉に辰巳がニート? と尋ねると、晃は働きもしないで家に閉じ籠もってる人種と答えた。それから半ニートは、仕事はするけどすぐに辞めるを繰り返す人種と教えた。


 同じ人であるのに、人種という区別をしたあたり、晃にはそうした存在に隔意があったのかもしれなかった。


「それでゲーセンで格ゲーやったら成仏するって言うからさ。ゲーセンに連れてって、やらせてたって訳」

「そんな理由があったんだな……そうか、晃ももう立派に働いてるってことか」

「ふふ……なにそれ。本当におじさんみたい」


 あのアッちゃんが……と、時の流れは早いな、としみじみと呟いた。


「──そうだよ、タツ兄。ちょうどいいから私の仕事手伝ってよ。帰ってきたばかりだったら、仕事もないし時間あるよね? タツ兄がいたら私も安心できるし、やる気も上がるから。もしそういうの嫌だったら、後ろで見てくれてるだけでもいいし」


 これは物凄く良いアイディアだとばかりに声を少し弾ませ早口で捲し立てた。先程までの不機嫌な様子が嘘のように、明るい声の調子になる。


 しかし──


「あー……すまん」

「……なにが?」


 辰巳が申し訳なさそうに謝った。晃の声が平坦になった。


「──手伝いたいのは山々なんだけど……お祓い関係の仕事は先に手伝うって約束してしまってる人がいてな……その人に相談無く他の仕事も手伝うってなったら不義理になるかもしれない。その人はとても世話になってる人だから……」


 と、辰巳が目を逸らしながら言う。


 否定された。拒否された。ズキリ、と胸が痛み、その声がどこか遠くで聞こえているように晃は感じられた。晃の目からは光が消えていた。


「……」

「誘ってくれて嬉しいけど、手伝いが出来るかは…………晃? おい、聞いてるか? 大丈夫か?」


 そんな晃の様子を不審に思ったのか辰巳が晃の目を覗き込む。夜の暗闇の中にあって、一等昏い、その瞳に不安を覚える。


「うん。その人って、誰?」

「……俺の同級生で家が神社なんだよ。俺が困ってた時に色々助言もくれたし、仕事が無くて困ってたら助けてくれたんだ」


 その人には私よりも先に会ったんだ、という落胆と失望の声は口からは出なかった。ただ無表情のままの晃に、辰巳がその感情を悟ることは出来ない。


「名前は?」

「……神楽木結衣さん、って言うんだけど……もしかして知ってるのか?」

「神楽木…………名前は聞いたことがある」


 晃には聞き覚えがあった。神楽木、それは最近になって祓い屋界隈で聞こえてくるようになった名だった。月隠山の隣山である霧神山むこうやまに所在する八杜神社の神職の苗字だと思い出す。


「その人が納得すれば、タツ兄は私の仕事、手伝ってくれる?」

「え? それはまぁ、そうだが……おい、変なことするなよ? 迷惑になるからな」

「……しない。ちょっと話するだけだから。ねぇ、タツ兄、その人はタツ兄の何? さっき彼女はいないって言った」


 徐々に徐々に……心が千々に乱れ、冷静さを失ってゆく。私以外の女なんていらないのに。そいつ私からタツ兄を奪うつもりなんだ。許せない。


 嫉妬心。怖れ。怒り。焦り。独占欲。期待。敵愾心。ぐちゃぐちゃに入り混じったそれが心を満たしている。そして静かにうねる。荒れる。荒れ狂ってゆく。


「彼女じゃないって……俺みたいなのじゃ向こうにも失礼だろ。神楽木さんは同級生で友だちだよ」

「……」


 そんな言い訳のような言葉など信用することは出来ず、懐疑的な視線を辰巳へと投げ掛けた。


「さっきの話だけどさ──まだ答え聞いてなかったよね。話終わったって思ってるかもしれないけど終わってないから」


 その言葉に辰巳は表情を強張らせた。晃が言っているのは先程の告白のことだろう。


 辰巳視点、晃のその想いは一方的に過ぎる。まるで幼い頃の思い出に引きずられ、昔は楽しかった、昔の関係に戻りたいと回帰させることに固執しているように。あまり健全な想いには思えなかった。


「……この顔になったこと気にしてないとは言ったけど、私の表情がなくなった原因はやっぱりタツ兄にあるんだよ。……ねぇ、私の顔を奪ったんだからさ──当然責任は取ってくれるんだよね」

「な……それは……」


 私が苦しいのはあなたのせいだ。ずっと苦しめられてきた。この感情のせいで。心の中心にあなたが居座っているから諦められない。


 貰った物は全て呪いに変わった。楽しい楽しい思い出も。あのカメラも。報われなければ辛い思い出になる。それ故の他罰的な思考。


「……何とか言ってよ。男らしく、責任取るとかさ。……これでも見た目はそれなりに成長したと思うんだけど。彼女になったら好きにしていいんだよ、この身体。それを悩むなんて…………でもまぁ、それも意外とチキンなタツ兄らしいっか」

「待て……晃も少し落ち着いて考えて……」


 今の晃は冷静ではない。それは明らかなことだった。だがしかし、十二年も待たされた感情を簡単に止めることなど出来ようか。


 重い物体の慣性は大きい。一度、動き始めてしまえば止めるのは難しい。それは心も似たようなもの。


「駄目。今決めて」


 迫り、密着する。階段に座った姿勢のまま少し身体を引いた辰巳に、晃が追い縋ってのしかかり、体重を完全に預けた。身体の距離はゼロになり、今度は少しずつ口づけしそうになるほどに顔の距離が狭まってゆく。


 良い香り、晃の肌の感触の柔らかさ、預けられた晃の重み、向けられた視線の熱が辰巳の理性を加熱させて焼いてゆく。まるで本能に訴えかけるような魅惑に、しかし、辰巳は抗おうとした。


「わかるよね。タツ兄もドキドキしてるって」

「あ、あぁ……でも、これは……」


 何かが違う。まるで熱に浮かされるような気分だった。自分の身体が自分のものでないような。晃と触れ合った肌が熱く感じ、触れる度に得も言われぬ快感が齎される。甘い吐息が鼻にかかるほどに思考は鈍化してゆき、その上気した頬がどうしようもなく艷やかに愛おしげに映った。


「それって、私を女って見てることなんだよ」

「だ、だけどアッちゃんのことは……元々は弟みたいな存在に思ってて……」


 茹だる思考。焼き切れてゆく理性。晃に対する呼び方が昔に戻っていることにも気がつかない。理性は衝動を抑えていても本能は抗えておらず、辰巳の雄の身体は晃の雌の身体に反応していた。おかしい。何かが……と僅かに残った冷静な思考が警鐘を鳴らしていた。


「晃って呼んで。私は弟にはなれないし、女。分かってるでしょ」

「うぅ……何で……」


 魅惑的な声が耳から入って、脳を侵す。手がピクリと反応し、そのまま柔らかな身体を抱き締めてしまいたい衝動に駆られた。身動ぎする晃の身体が性感を煽る。欲望が肥大化し、肉欲的な愛おしさが溢れて止まない。


「ほら、本当は触りたいんでしょ? タツ兄は特別だから。触っていいんだよ……」

「……何をしたんだ、晃……」


 抗いつつも生唾を呑む。身体の自由をも操作しようとしている誘惑に、これ以上は耐えられそうになかった。


 ──結ばれる。繋がる。纏まる。一つになる。最小の世界の構築。陰と陽。男女が成す、完全な円環への欲求。


「もう迷わないで……面倒な事は後で考えればいい……」


 囁くような声。理性の糸がプツリ、と切れた。


「あ……」


 辰巳の手が胸へと伸び、その山へと被さる。喜びを含む嬌声が聞こえ、胸を熱くした。柔らかさと温かさ。僅かな鼓動を感じる。N極とS極。それはまるで磁石のように離れず、引き離そうとする意志を挫く。それから徐々に顔が近づいてゆき──


 そのまま快感を伴いつつも、朦朧模糊とした状態でその行為以外が考えられなくなった。ただ、本能が求める方へ流れてゆく。まるで、甘美な夢につられ、落ちてゆくように。もっと、もっとと、繋がり合う快楽を得るために……


「これでもう……ずっと、一緒にいられる……」

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