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第23話 不安定な心のベクトル


「──ねぇねぇ方丈さん、幽霊見えるって噂、本当?」


 夏の盛りもやや過ぎて休みが終わり、登校が再び始まってしばらくすると、晃が通う学校内にまでも晃が霊感を持っているという話が出回るようになっていた。十中八九、竜養寮の誰かが寮外の友人に洩らし、その友人から話が伝わったのだと思われた。


 それは子どもたちにとって、やはり好奇心を刺激する話題でもあったのだろう。話が出回ると、竜養寮でもそうであったように学校内でも信じる、信じないの派閥が生まれ、晃は好奇の視線に晒された。


 しかし、今の晃にとってそれら好奇の視線は、鬱陶しさこそあれ、既に大きなストレスになるものでは無くなっていた。


「……だから何だよ? お前らには関係ないだろ。あっち行け」


 何故なら晃は辰巳に言われた通りに、《《仲良く出来ないと判断した連中》》を見切り始めていたからだ。ストレスになり得る存在は躊躇いなく切り離す。晃は辰巳の言葉を素直に受け止めて、実行していた。そして、評判が悪くなるというデメリットこそあるものの、実際にその効果は確かにあった。


「はぁ!? そんな言い方しなくても……!」

「お前ら、俺のこと嘘つきだとか頭がおかしいだとか陰口言ってるんだってな。そういうのインシツって言うんだろ? キモチワリー奴らだな」

「……っ!」

「お前らと仲良くするつもりねーから。さっさと、あっち行けよ」


 故意かそうでないかに関わらず、僅かにでも向けられた悪意には辛辣な言葉で追い返す。影で何と噂されようが、晃は気にも止めなかった。それはひとえに、どうでもいい奴からどう思われようと痛くも痒くもないという事に子どもながらに気づいたからであった。


 現に、どうでもいい連中を拒絶すると晃の周りは平穏を維持することが出来た。


「晃は本当に極端だよね」

「なんだよ、悪いかよ。タツ兄ちゃんが言ってたんだ。仲良くできない奴とは話なんてしなくていいって」

「……あのお兄さんが、そんな事言うかなぁ?」

「言ってた!」

「本当かなぁ……」


 寮の仲間との会話。晃は奇妙な物が見えるのを普通の事と受け入れて気にしなくなり、以降、人に言うのもやめた。自身の秘密は大切な人達だけが知っていればいいのだからと。


 辰巳は知らなかったが、晃は元々寮外の友達が多い訳ではなかった。しかし、このスタンスに変わってからは身内と数少ない友人以外からは、より一層怖い印象であったり無愛想、冷淡と思われる事が常になっていった。


 時にその物言いに反感を抱いた女子たちが嫌がらせをすることもあったが……男であろうと女であろうと、晃は真正面から立ち向かい、売られた喧嘩は必ず買った。竜養寮の多くの子どもがいる環境で育った晃には、子ども同士の喧嘩という圧倒的な格付けの経験があったのである。しかも、その実力は年上の男子が根負けして喧嘩に勝ってしまう程に。


 故に、何かあるとすぐに暴力に訴えようとする晃に周囲はビクビクしつつ、教室内で腫れ物扱いされるようになるのにそう時はかからなかった。


 ──学校での生活は非常につまらないものだったが、それでも、プライベートの晃は充実していた。


 夏は花火大会に祭り、秋には廃屋の秘密基地への改造が完了して仲間達だけの憩いの場になった。お菓子や漫画を持ち込んでダラダラと過ごす。冬はスケート、ボードゲーム、ある時は竜養寮に辰巳がゲーム機を持ち込んで行ったゲーム大会は大盛りあがりで、仲間内だけで楽しい時間を過ごした。


 そして、迎えた新たな春──辰巳は中学三年、晃は小学四年となる。中学三年生は高校受験の年であり、これまでの気楽で楽しい生活が終わることを予期していたのか、その年度始めに恵多がとある玩具を竜養寮に持ち込んだ。


 それはインスタントカメラ。一介の中学生の小遣いで買うには少々お高い代物。


 恵多はフィルムの枚数など気にすることなく、バチバチと撮っていった。撮っては写真を吐き出し。撮っては写真を吐き出し。それは目に見えない《《何か》》、二度と訪れることのない今を形として、記録として残そうと名残惜しむように。


 ──皆で集まった集合写真。仲の良い友人同士で撮ったもの。巫山戯たポーズ。何気ない日常。写る子の表情も様々だ。年少組や小学生の無邪気さ。若干迷惑そうな顔をしている中高生達。皆の姿を記録として、思い出としてフィルムに刻んでいった。


 そして、その中には辰巳と晃のツーショットも何枚かあったのだった。


 □


 中学最終年度は忙しい。春は運動会に修学旅行、夏は中体連に夏期講習、秋は文化祭にテスト三昧、冬は冬季講習、受験に向けた追い込み。


 それに加えて、高校受験に向けた受験勉強は日頃の自由な時間をも容赦無く削る。四人組の中で一番頭の良かった恵多に関しては県内の難関校を目指していた為、一緒に遊ぶ機会はほぼ皆無となり、学校の外で皆と顔を合わせたのは春に写真を撮った時が最後となった。


 そして、辰巳、官九郎、秀平の受験する高校の偏差値もそこまで高くはないものの、公立で倍率もそこそこあり油断など出来ない。


 特に、あまり勉強が得意では無い辰巳は人一倍時間をかける必要があり、塾にも行き始めた為、自由に遊ぶ時間は殆ど無くなってしまっていた。


 忍耐の年だった。この一年を乗り切ればまた楽しい日々が訪れる。そう信じて辰巳は既にパンクしかけになっている頭に、必要性のわからない知識を無理矢理に詰める毎日だ。


 ──その一方で、晃にとっても我慢を強いられる変化の年となりそうだった。


「なぁ、官九郎。何でタツ兄ちゃん最近来ねーんだよ……もう俺らとは遊ばねぇってことなのか? 兄ちゃんは俺らに会いたいとか、何とも思って無いってことなのかっ?」

「待て待て、落ち着け! 俺らは受験の年だぞ? 辰巳は塾も行ってるし、忙しいからに決まってんだろ」

「はぁっ? 納得できねーし、そんなの理由になんねーよ! ……どうせ、どうでもいいって思ってるんだっ。兄ちゃんはもう俺のことなんて忘れちゃってるんだっ」

「そんな訳ないだろうが。お前、アイツがそんな奴だと思ってんのか」

「……!! っ、くそっ!! もう、なんなんだよ!! 何かすげーイライラする!」


 というのも、晃は自身では原因の分からない苛々に悩まされ、周囲に当たり散らすことが多くなっていたからである。それは寮でも学校でも、仲間や大人たちに対しても頻発していた。


 他にも……


「アッちゃん、ずっとテレビばっかり見てるけど、宿題はもうしたの?」

「やった」

「本当に? 昨日、学校の先生から電話があって、最近宿題を忘れてくることが多いって──」

「っ、うるせぇー! 親でもない癖に指図すんな! チッ、やればいいんだろ、やれば!」

「なっ……! アッちゃん、今のは良くないよ。少し先生とお話しよ? 先生、今酷い言葉をぶつけられて傷ついたよ。ねぇ、自分が同じ事されたらどう思う? 自分がされて嫌な事は人にしたら駄目だってことは──」

「……」

「っ、アッちゃん。ちゃんと聞いてるの?」

「……ウッゼェな! どうせ何年かしたら寮も辞めて行くくせに、半端に先生ヅラしてんじゃねぇよ!」

「……っ、そんな、私は……」

「けっ、本当のこと言われて泣いてやんの。ダッサ」


 時に、皆が思っていても態々口には出さないような事まで言ってしまい、残酷なまでに大人の精神を追い込んだり。


「……クスッ……カワイソー」

「──あ? お前、今俺のこと見て笑ったよな?」

「え、わ、笑ってない、です」

「おい、嘘つくんじゃねぇよ。今、俺と目があって口が笑ってたぞ。馬鹿にしてんだろ? 俺に親がいなくて寮で暮らしてるから、カワイソーだとか言ったよな?」

「そ、そんなことっ、本当にっ……」

「謝れよ、じゃねーと殴るかんな」

「ひっ……ほ、ほんとに笑ってな──いだっ?! なぐったっ……!」

「チッ……ムカつく顔しやがって。おい、何で俺が悪者みたいになってんだよ。おめーが悪いんだろ。なぁ!!」


 暴言、暴力、苛立ちを振り撒くようになり、その暴威に巻き込まれたくない周囲の人間は晃から一斉に距離を取った。


 それほどに晃は凶暴になっており、竜養寮の子どもの反抗に慣れているベテラン職員であろうと、学校の教員であろうと、機嫌が悪い時は誰も手がつけられない状態になっていた。


「どけっ、こらぁ!!」

「ひぃっ」


「……あー、滅茶苦茶荒れてる。最近のアッちゃん大丈夫なのか、あれ」

「ヤバいだろ流石に。年下の子なんか怖すぎて近寄らなくなったぞ……」

「そうだな……遊んで発散させてやれば少しは落ち着くかもしれないけどさ……でも頼みの辰巳は勉強でいっぱいいっぱいだし、貴重な休み潰して遊んでやってくれなんて言えないしなぁ……」

「それはそうなんだろうけどよ……」


 コソコソと相談し合う声。その声の主は官九郎と秀平。


 話の内容は、今年に入ってから不安定になり、荒れに荒れている晃の現状について。その原因を晃自身は分かっていないようであったが、晃を外から見ていた人間にはその理由が分かっていた。


 それは二次性徴が訪れたことや、環境の変化。仲の良い年長者たちが受験勉強にかかりきりになり相手にされず、お気に入りの辰巳も竜養寮に顔を出す頻度がめっきり減っていた。その寂しさが精神的に不安定になっている原因の一つになっているのだろうと。


 しかし、理由があるからと言って晃の荒れようは看過できるレベルを超えていた。年少組や小学生の子ども達は晃の剣幕に怯えてしまいストレスを感じていた。年長である中学生、高校生達も反発する晃にどう接していいか分からなくなってしまっていた。


 ここのところ晃の凶暴性は日毎に増しているようで、寮の中の雰囲気はギスギスと悪くなる一方であった。その状況を重く見ていた官九郎と秀平はどうしたものかと頭を悩ませていたのだ。


「……やっぱり頼んでみるか。寂しがってるって言ったら来るか?」

「辰巳なら普通に誘ってもくるだろ。なんせ、《《弟》》みたいな存在だと思ってるしな……」

「いつになったら気づくんだ……」

「……さぁな」


 故に、流石にこのままでは不味いと、官九郎と秀平が辰巳に頼みこみ、晃のストレス発散に付き合って貰うことにしたのだった。


 □


 ── そして、数日後の休日。晃は竜養寮の外で、まだかまだかと辰巳を待っていた。


「兄ちゃん!」

「よぉ、久しぶり、アッちゃん」


 そして、機会は来た。塾やら講習やらの合間を縫って久しぶりに竜養寮に顔を出した辰巳を晃が出迎える。


 ちなみに辰巳が遊びに来ることは事前に伝えられており、その数日間は晃の機嫌も良く、寮は久しく平穏な日々となっていた。そのため職員の、辰巳が寮で寝起きすれば晃もまた大人しくなるのではないか、という冗談には本音が混じっていたとしか思えなかった。


「久しぶりの兄ちゃんだ〜」


 衝動的に抱着く。歓喜の感情が全身から放たれているようだった。久しく見ることのなかったニヘラとした無邪気な笑顔。だが、心の中にあるモヤモヤが首をもたげると、その表情は少しずつ曇ってゆく。


「……なぁ、何で全然遊びに来ないんだ? もしかして兄ちゃん……俺達のこと嫌いになっちゃったのか……?」


 早々に動物のスキンシップのようにじゃれつき、口を尖らせて拗ねながら問いを放った晃の目には不安が宿っていた。信頼する人が離れて行こうとしているのではないか、大切な人とこのまま疎遠になってしまうのではないか、と。


「そんな事ないって。今は受験があるからなぁ。終わったらまた皆で遊びに行こうな」

「うん……」


 最早、安定剤のようになっていた存在──辰巳が竜養寮に来られなくなり、安心感を得られる機会は減った。晃はストレスを上手く消化出来ず、それは苛つきや暴言、暴力といった形になって表に現れていた。


 苛立ちを言葉では無く、行動で周囲に示そうとする。元々、周囲の影響を受けやすい所のある晃が意思を示す為に暴力に訴えようとするのは、子ども同士の喧嘩が多い環境にいたせいでもあり、元々持っていた特性も影響していたのだろう。ただ、幼い時分は目立たなかったそれが、成長とともに周囲との齟齬という形で目立ってきていた。


「……勉強なんて嫌いだ。分かんないし、つまんないんだもん。もっと遊び行きたい。また川に行こ」

「そういう訳にもいかないんだよ。一緒に勉強するか? 四年生くらいなら俺でも教えられるし」

「えーっ! せっかく遊びに来たのに」


 そして、齟齬を生みつつの発達であったが、体の成長と共に、心も、感情も徐々に変化してゆく。認識はワガママを聞いてくれる兄貴分から、安心感をくれる異性へと。その感情が果たして恋と呼べるのか、どのように発展するのかどうかはまだ分からない。ただ、それは晃の成長においては避けられない事柄であった。


「──えっ……もう帰るの? 早くない? もっと遊びたい」

「また来るよ」

「それっていつ? 明日? ヤダヤダ! 遊べないなら兄ちゃん家にお泊りする! もっと一緒に遊ぶ! じゃなきゃ、兄ちゃんが寮に泊まればいいじゃん! またゲーム大会もしたい!」

「そうもいかないだろ。夕方からまた塾なんだ……」

「また勉強するの? つまんない! つまんない! つまんない! っ、兄ちゃんなんて嫌いだ!」


「あ、ちょっ」


 辰巳の服の裾を摑み、駄々を捏ねる。しかし、辰巳が晃のワガママに応えてくれないことを悟ると、説明しきれない感情を全てまとめた強い言葉を言い放った。そして、去り際に辰巳の方を暫しジッと観察するように見やると、そのまま自分の部屋に行ってしまったのだった。


「……行っちまったな」

「俺、嫌いなんて言われたの初めてだ……」

「あのくらいの子はそういうもんだろ」

「そうなのか?」

「あぁ。だからって避けたりすんなよ。悪化するから」

「そんなことしねぇって」


 それは晃なりの甘えであり抗議だったのだろう。嫌いと口にして、相手の反応を確かめる。自分の事を見てくれているか、嫌われていないか、大事に思ってくれているかを判断する為の。


 二次性徴を迎えた晃は、自身が辰巳にどう思われているのか気になるようになっていたから。そして、そんな自分自身にも戸惑っていた。


 これまでは他の男子と同じように生活し、自身が女であるなどと意識した事は無かった。ただ男女の違いなど身体の造りの差異だけだと思っていたから。


 だが……


 ──兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん……


 焦がれる想いを抱いて心は成長する。そうして身体も心も成長し、人に対する幼い愛着は次第に独占欲に結びつく。今はまだ、それは未だ男女の情を介さない独占欲に過ぎない。


 しかし──晃は自身の感情に徐々に気付き始めている。得体のしれない感情に思考は支配され、成長の最中にある心は一層不安定になってゆくのだった。


 □


 嵐はいつか去り、晴れ間も見えるようになるもの。高校受験も終わり、ようやく待ち望んだ受験勉強からの解放。久しぶりに竜養寮に顔を出した辰巳は、外で待ち構えていた晃に早々に捕まった。


「タツ兄ちゃん! もう勉強はいいのか!?」

「あぁ、やっと解放された……」

「じゃあたくさん遊べる!?」

「いいぞ。何したい?」

「釣り!」


 晃が真っ先に思いついたのは川釣り。何度も皆で遊びに行った場所。辰巳や寮の兄貴分達と遊んだ日々は、晃の思い出に深く刻まれている。


 始めに釣りを提案し、だが、昨日は雨が降っていたし、今はまだまだ肌寒い時期でもあった。今回、川釣りに行っても成果はあまり期待出来ないだろう。辰巳が時期的に早いんじゃないかと言うと、今度は悩んだ末に違う提案をした。


「じゃあ、じゃあ……ミーちゃん行く!」

「あー、最近行ってなかったなぁ。じゃあ、カンとシュウも誘って──」


 晃の行きたいと言ったミーちゃんというのは駄菓子屋のことだ。竜養寮からは少し離れた場所にある駄菓子屋で、店主のお婆さんが、いつも店先で椅子に座っている。


 中学生の辰巳はもう行くことも無くなっていたが、小学生の頃は幼馴染四人組でよく小腹が空いた時に行っていた。ミーちゃんでは寒い時期になると、もんじゃ焼きのメニューが増えるのだ。なので、学校終わりになると腹を空かせた子ども達が集まり、狭い店内に置かれた鉄板のついたテーブル席は何時も満席だった。


 そう、以前のことを思い出し、少し懐かしくなった。ならと、辰巳が寮の中にいる筈の官九郎や秀平にも声をかけて誘おうとするも、晃は慌てた様子で辰巳の声を遮った。


「っ! アイツらはいいから! 早く行こ!」

「え? なんで? 呼ばなくていいのか?」

「いいの! えっと……アイツら寮長先生に頼まれた用事あるみたいだから!」

「んー、そうか……受験終わったばかりなのに、年長組は色々大変だな」

「う、うん」


 普段つくことなどない嘘。官九郎や秀平に特段の用事がある訳では無かったが、晃は咄嗟にそう答えた。辰巳を独占したい晃は二人きりで遊びに行きたがったのだ。


 一方、その晃の様子に違和感を感じなかった訳ではなかったが、たまには二人で遊びに行くのも悪くないかと思い、辰巳はそのまま晃の提案にのる事にした。


 竜養寮の駐輪場まで戻り、辰巳が自分の乗ってきた自転車のサドルに跨がる。そして辰巳がペダルに足を乗せようとした瞬間、後ろから振動が伝わって来た。驚いて後ろを見ると晃が荷台に座り、辰巳の腹に腕を回して抱きついてきたのだった。


「びっくりした。アッちゃん、もうチャリ乗れるだろ?」

「疲れるから兄ちゃんの後ろに乗る」

「んー、二人乗り見つかったらめっちゃ怒られるんだって……自分の乗らない?」

「ヤダ! 後ろに乗る!」


 頑なに後ろに乗ると言い張る。折角、二人で出かけるのだ。もっとくっつきたいという原始的な欲求が晃を突き動かしていた。辰巳がいくら二人乗りは良くないと言っても聞く耳を持たなかった。


「仕方ないなぁ……人がいるとこは歩くからな。じゃあ、しっかり掴まってな」

「はーい」


 結局は晃の思うがまま。辰巳は根負けして後ろに乗せることになった。一つ溜息を吐いた後、後ろに一人乗せた状態で辰巳は駄菓子屋へとペダルを漕ぎ始めると、錆びついたギアが音を立てて回転し始める。


 駄菓子屋までの道のりは、自転車で十分程。駄菓子屋は竜養寮からは少し離れた所にあるが、辰巳自身、何度も行ったことがある場所であり、道順に迷いなどあり得ない。何時も通っている見慣れた道だ。


 しかし、晃の場合は少し違う。その道を通るのは初めてではない。むしろ幾度も通った見慣れた道である。それでも、目に映る景色はどうしてか新鮮に映った。それは心の作用であったのかもしれない。


(兄ちゃんの背中、あったかいな……)


 臀部から身体に伝わる振動。ガタガタと段差を越え、身体が跳ねる。ともすればバランスを崩しそうになるが辰巳の腹部に回した腕でしっかりと身体を支える。


(兄ちゃん、力つえーな……俺を乗せても全然平気そうだ)


 頬を目の前の背中にくっつける。頬に感じる服越しの辰巳の体温。


(兄ちゃんの匂い……)


 前方から吹き付ける冷たい風に混じって鼻腔を擽る、少し汗の混じった服の匂い。振動、熱、香り。その全てが心地良く感じた。


(安心する……)


 晃にとって辰巳の背中が安息の場所であるのは昔からのこと。その代わりは無く、これまで仲間の誰にも許す事なく晃一人で独占してきた。


 安心感は変わらずある。だけど……それだけでは何かが少し物足りず、満足出来なくなってきていた。もっと触れ合いたい。よしよしして撫でて欲しい。ぎゅっと抱き締めて欲しい。その腕の中に包まれたい。兄姉たちが隠れてしてるようにチューにも興味がある。ドキドキする。


 それは強烈な衝動だ。でも、そんな事恥ずかしくて言える訳がない。だから、燻る欲求を少しでも満たす為に、更に強く身体を密着させた。


(兄ちゃんは……俺のだ。ずっと、ずっと。大人になっても。誰にも渡すもんか)


 愛着はいつしか執着と化し、そして独占欲は嫉妬の感情と結びつきやすい。好意であることに違いは無いが、それはまだ恋とも、愛とも呼ぶには幼過ぎる感情。しかし、晃が自身も女であると明確に自覚したその時。その想いがどうしようもなく心に根付いてしまっていると気付く日になるのだろう。


 □


 駄菓子屋に着くと老婆がいつものように店先に座っていた。久しぶりに来たミーちゃんでは以前と変わらず様々なものが置かれていた。


 子どもの小遣いで買える菓子は当然として、昔ながらの王冠付きの瓶ジュース、忘れ去られているかのような昔のおもちゃ、ほこりを被り錆びついた古いゲーム機。以前に川で遊んだ時に恵多が持って来ていた爆竹やクラッカーボールも其処には置いてあった。


 ただ、残念ながら辰巳が少し楽しみにしていたもんじゃ焼きはまだ準備中だったらしい。そもそも老婆が一人で店番している駄菓子屋であるので、準備には時間がかかるのだ。


 代わりに、辰巳は瓶に入ったコーラを一本買った。心なしか缶よりも美味く感じる。店のルールで飲んだら瓶は返却することになっていた。


 それから、店の中を物色して、小さなカップに入ったプリンを三つと、傘状のチョコレート二つ、タバコ状のラムネを一つ手に取る。プリンは辰巳が、ラムネは晃が好んでいるもの。チョコはたまたま目についた物だった。


 そして、辰巳は会計を済ませると駄菓子屋の店先にあるガチャガチャを真剣な様子で睨み、音をたててツマミを回す──結果、微妙な顔を披露した晃にそれらを手渡すと、当の本人は満面の笑みを浮かべた。


「わっ、兄ちゃん、ありがとう」


 それから二人は店先に置いてあるコーラの赤いベンチに座り、他愛もない話をしたりしながら、買ったものを食べ始めた。


 とはいえ、駄菓子屋で時間を潰そうとしてもそう時は稼げようもない。すぐに二人は食べ終わり、コーラも飲みきってしまった。チラリと店内を見ても、もんじゃ焼きの準備をする気配も無い。もしかしたら、今日はやらないつもりなのかもしれなかった。


 結果、二人は駄菓子屋を後にすることにした。しかし、そのまま竜養寮まで帰るのも味気ないと思った辰巳は、晃に一つ提案した。


「ゲーム屋に行っていいか? フッフッフ……実は勉強頑張ったっていうので、婆ちゃんから小遣いを貰ったんだ。ずっと欲しいのがあったんだよねー」

「えー! ずりぃ! いいなぁ、俺もやりたい!」

「じゃあ、買ったら攻略手伝ってな」

「うん!」


 再び自転車に跨り、移動する事暫く。そこはゲーム屋というよりは、一般的には家電量販店として広く知られている場所だった。竜養寮から離れ、駅に近い場所にある大きな店。この店はゲームも取り扱っているが、家電を販売の主としていた。


 目的の代物だったが、ゲームをあまり買わない辰巳であるが、少し前に発売されそのゲームの評判は既に聞いていた。一部の層から圧倒的な支持を受けており、辰巳も発売前にティザー広告を見た時からずっと気になっていた。


「おっ、あったあった」


 目的のソフトは在庫有りの表示が出ており、その事に少し安堵する。販売からそれなりに時間が経っているが、中々人気が落ちないということで売り切れているということも考えられたからだ。


 パッケージを手に、途中で別れた晃を探す。晃はといえば、とあるコーナーの場所で座り込んで、ジッと目の前の商品を見ていた。手に取る事も無く、考えの読めない表情でただジッと。


 その場所はカメラを展示している一角で、一介の学生には手の届かない価格の商品が並べられている。しかし、晃はそれらには目をくれることもなく、陳列棚の最下部に置かれた商品──某国内メーカーが製造しているインスタントカメラを見つめていた。


 インスタントカメラもピンキリであろうが、チラリとその値段が見えたそれも、中学生の辰巳の小遣いが吹き飛ぶくらいには中々の値段だった。


「……それ欲しいのか?」

「えっ、うーん……うん。皆で写真撮った時、楽しかったなって。高校生になってバイト出来るようになったら買おうかなって。まだまだ先になるけど」


 晃が立ち上がってそう言った。ふと、辰巳は自身の手元を見た。辰巳の手には買おうと思っていたゲームがある。臨時収入があった今、ゲームを諦めれば買えない事はなかった。


「……」


 ゲームをしたいという気持ちに変わりはない。でも、大事な《《弟分》》にカメラを買ってあげる方が、《《最良の選択》》になると、何となくそう思ったから。


「……アッちゃんもだけど、寮の皆って結構しっかりしてるよな。俺とか恵多とか本当ガキだなって思うよ。……ゲームはいいや。それアッちゃんに買ってあげる」

「えっ……い、いいよ! 兄ちゃんの小遣いだろ! 欲しかったゲーム買えばいいじゃん!」

「何か欲しくなくなった。それより、そのカメラの方を買いたくなったんだよ」

「で、でも……」

「あんまりここにいると、またゲーム欲しくなりそうだから。ほら、それ持ってカウンター行くぞ。フィルムも忘れずにな」

「う、うん」


 さっきまで買うつもりでいた筈のゲームソフトのパッケージを元の場所に戻し、インスタントカメラの箱とフィルムを抱えた晃を引き連れてカウンターへと向かう。


「……あ、ありがとう、兄ちゃん。お、俺、こんなに高いの買って貰ったの初めてで……う、嬉しいのに、何か怖い……」

「ハハ。流石に高かったぜ……大事に使えよー」

「う、うんっ」


 辰巳の持ち金は見事に吹き飛んだ。だが、ただ自分用のゲームを買うよりも何倍も清々しい気分だった。レジで会計を終わらせると、晃が辰巳に歩み寄って来て礼を言った。嬉しさと申し訳なさが混在した複雑な表情で。


 晃の嬉しいのに怖いという感想。そこにあるのは高価な物を買って貰ったことへの申し訳なさだけではない。そこには晃自身、自覚しきれていないものも含まれている。


 それはまるで──運命的な変化。良くない何かが訪れるのを予期しているかのようだった。



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