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第20話 写真と幼き日の思ひで 後編


 時分は昼前くらいだろう。川辺であるからか、気温はそこまで高く感じない。しかし、定期的に水分補給をしなければ脱水症状を起こしてしまう恐れがあるくらいの気温ではある。


 ──6人は一旦、釣果を共有する為に元の広場に戻って来ていた。釣果としてはカジカが三十五匹、山女魚が二匹という中々の釣果であった。


 官九郎と英那ペアは終始、カジカ取り。辰巳と晃ペアはビギナーズラックで山女魚を二匹釣り上げた所で全く当たりが無くなったので、カジカ釣りに変更していた。恵多と秀平は大物の魚影を伺うことは出来ても、残念ながら釣り上げることは叶わなかったようだ。


 それぞれの釣果を持ち寄り、これから昼の準備である。川魚はこの場で全て捌いて塩焼きにして食べるつもりだった。官九郎がポケットナイフを取り出し、カジカの内蔵とエラを手際良く取ってゆく。


 竜養寮の子は施設での食事事情と自立を促す教育から料理には慣れている。特に年長組は率先して調理に回る事も多いので、手慣れている者が多かったのだ。


 そして、それに負けじと辰巳もリュックから取り出したナイフで晃と釣った山女魚の腹に刃を入れて内蔵を取り出し、血合いを引っ掻いて水で綺麗に洗う。それから持参した割り箸を口からぶっ刺した。


 下準備は着々と進むが……しかし、残念なことに、ここに居るのは中学生四人に小学生二人である。直火で焚き火をして焼いてしまいたかったが、世の中のルールは厳しい。中学生が堂々と火を使っていたのでは怒られてしまい、楽しい遊びは終わりだ。捌いたはいいものの、どうしようかと悩んでいると、恵多と秀平がニッコリとして近づいて来た。


「あっちにキャンパーの兄ちゃんいたんだけど、カジカ何匹かあげるって言ったら魚焼いてくれるってさ」

「おぉ、ナイス!」


 釣果ゼロだったのを気にしていたのか、恵多が考え、秀平と交渉して来てくれたらしい。カジカの何匹かを対価に、キャンパーのお兄さんは快く引き受けてくれ、焚き火を貸して貰える事になったのだった。


 塩を多めに振り、借りた焚き火の周りに魚を刺した割り箸を立てる。その間、キャンパーのお兄さんとも何処から来たのかと話をしつつ焼き上がるのを待つ。


「おっ、そうだ忘れるところだった」


 と、官九郎がパンパンになった自分のリュックから取り出したのはアルミホイルに包まれたオニギリだった。


「ホイ、ホイ、ホイ。一人3個な。あ、辰巳は一個だわ」

「カンちゃん、私3個も食べられないよぉ」

「じゃあ、俺が貰うわ」

「えーっ! ずっこいぞ、官九郎!」

「早い物勝ちじゃい、ボケェ!」


 と言って皆が手渡されたのは拳くらいの大きさのもの。ただ、辰巳に渡されたものだけ明らかに大きさが違った。ハンドボール──手のひら大くらいの大きさがあった。


「ありがとう。……でも俺のだけ何かデカくね?」

「俺初めて見たわ。そんだけデカイ奴」

「それアッちゃんが作ったからな。辰巳お兄ちゃんのオニギリはぁ、俺が作るぅーって。多分、辰巳の体がデカいから、大きい方がいいとか思ったんじゃね?」

「あぁ、アッちゃんならあり得る」

「ふふ」

「そっ、そんなの言ってねぇし、思ってねぇ!!」

「はは、そっか。ありがとな、アッちゃん」

「ふ、ふんっ! ありがたく食えよ!」


 晃の褐色の肌が微妙に赤みを帯びる。それを官九郎と秀平が誂い、晃が怒る。そんな様子を英那と恵多は楽しそうに眺めつつ、笑みを漏らすのであった。


 ──そうこうしている内に魚の皮の焼ける香ばしい匂いが漂い始め、誰かの腹の虫が鳴った。そうして、先に焼き上がったのはカジカの塩焼き。カジカを刺した割り箸を掴み、頬張ると熱々で、ホフホフと頬張る。その美味しさに自然と笑みが浮かぶ。身がホロリと崩れて、皮についた塩味のしょっぱさと淡白な身の旨みが口の中に広がってゆく。塩だけのシンプルな味付けだがそれがいいのだ。


「おいしいっ! 普段食べてるのとは違うね!」

「うはは、そうだろ! そうだろ! 自分で捕まえて食べるとスゲー美味いからな」

「確かにうめぇ〜」

「うん。家で食べるのとは全然違うよなー。外で食べると何でこんな美味く感じるんだろ」

「オニギリとの相性もバッチリだな! お、そろそろ山女魚もいいんじゃないか。ほら、アッちゃんが釣ったんだ。山女魚も食べてな」

「うん」


 カジカは臭みが少なく、身も柔らかくて美味しいと評判だ。また、山女魚も食べごたえがありつつ、風味もあって実に旨い。仲間しかいないので、二匹だけの山女魚は一口ちょうだいと皆で分け合った。


 オニギリを齧りながら魚の塩焼きを口に含む。火を囲みながら仲間たちと食べる食事は、どんな高級料理にも引けを取らない。きっと何年先でも記憶に残る食事になることだろう。


 そうして、焚き火でじっくり焼き上げられたカジカと山女魚は……分け合われて、夢中になった子どもたちに食べ尽くされたのだった。


「ふーっ……飯も食ったし、後は浅瀬で水遊びでもするか?」

「それなんだけどさ、ちょっと試したい事があるんだよね。協力してくれない?」


 午後から何して遊ぼうかと辰巳が言い、恵多が辰巳に何事かを手伝って欲しいと伝えた。


「いいけどさ、何すんの?」

「さっきアシナガバチがいたんだけどさ。ちょっと蜂の巣欲しくて」

「何々、蜂の巣取りすんの?」

「えっ、蜂? 危ないよぉ」

「もしするとしても、危ないから英那と晃は避難かな」

「えっ、嫌だ! 俺も皆と一緒にやりたい!」


 辰巳が恵多に詳しく聞いてみると、川の淵に大きな魚がいるらしく、そいつがどうしても釣りたいらしい。その為に、アシナガバチの巣にいる筈の蜂の子を餌にしようと考えていたらしい。


 恵多の考えでは蜂の子なら深い川底にいる魚でも白くて見やすい筈だし、蜂の子自体食いつきの悪くない餌になると。


「どうするか……」


 はたして──辰巳たちの返答はイエス。既に恵多は蜂の巣の場所をつきとめており、少し上流の方に物置小屋があって、その軒下にシャワーヘッドのような形をした巣があったらしい。皆で蜂の巣駆除に行くことは決定した。ただ、どうやって蜂の巣を取るのかだったが……


「うーん……破壊すんのは簡単なんだけどな。爆竹を分解して3、4本くらいに束ねたら、先を重くしてパチンコで打ち込めばいい。それでバラバラになるから。あとはクラッカーボールで爆撃しても木っ端微塵になる」

「ひぇっ」

「うわー……」

「……恵多は爽やかそうな顔して、ホントおっかねぇ事考えつくよな……ていうかそれ、慣れてる奴のやり口だろ……」

「え? そうか?」


 辰巳、官九郎、秀平は恵多のムーブに慣れているので割と平然としていたが、英那と意外なことに晃もドン引きであった。


「悪魔」

「悪魔だ」

「ここに悪魔がいるぞ」

「うるせぇな! こんくらい普通だろ! 逆に今まで何して遊んでたんだよお前ら!」


 頭も運動神経も良い。女子にもモテるのに遊び方が物騒なのは何かストレスでも抱えているのだろうかと内心で心配に思う三人だった。


 話は戻って──蜂の巣は物置小屋の軒下から落とす必要がある。そこで役割分担をする事にした。狙撃役:官九郎、防衛役:辰巳、見張り役:秀平、回収役:恵多である。襲って来ない遠くからパチンコで狙撃し、反撃を見張りつつも、もしも襲って来たら辰巳がタモで蜂を捕まえ、巣が地面に落ちた所でビニール袋に入れて回収、すぐさま場所を移動するという手筈だ。


「じゃあ、やるぞ。一応軒下にくっついてる部分を狙えよ。じゃあ、はいこれ」

「えっ、なにこれ。パチンコ……? 俺の知ってる奴と違ぁう……」

「スゲー、カッケェなそれ」

「はい! はい! 俺もやりたい! 俺もやりたい!」

「後で貸してやるから。ほら、危ないから下がっててな」


 と、恵多が自身のザックから取り出したのは全体が金属製の、ゴムも強力な代物であり、手首を痛めないようアームサポートが付いている本格的なスリングショットであった。断じて駄菓子屋に売っているような蛍光色感の強い玩具ではない。


「固っ、何だこれ……」


 官九郎が恐る恐るゴムを引っ張り、小さめの石を番える。距離は10メートルないくらいだが、いかんせん的が小さい。視界の先には巣に群がっている数匹のアシナガバチがいた。


 ──バヒュッ! という風を切る音と同時に、スリングショットの強力なゴムが石を弾き飛ばす。すると、カンッと巣のある物置小屋の屋根に当たった。残念ながら弾かれた石は巣に命中する事はなかった。


「何となく分かったわ」


 次弾をすぐさま番え、再び狙う。今度は先程よりも大きく腕を引き、ゴムを引き伸ばす。石を掴んだ指を離すと、官九郎の手元でバチッという音が鳴り、皆の視線の先にある蜂の巣がバラバラになって地面に落ちた。


「命中!」

「辰巳! 一緒来て!」

「おっけ」


 それをすかさず駆け寄った恵多がビニール袋に入れて回収し、辰巳がタモを振り回してブンブン飛び回っている蜂から恵多を守る。


「取った! お前ら逃げろ!」


 ワーキャーと一目散にその場から走って逃げた。皆の表情は明るい。ちょっとしたスリルと、ハラハラする緊張からの解放。笑みが浮かぶ。それは子どもだからこそ楽しむことの出来る経験であった。


 安全域まで来たことを確認すると、皆でビニール袋の中身を見てみることにした。ガサゴソと中を覗くと、二分割された蜂の巣が入っている。合わせれば拳大くらいにはなるだろう。成虫の蜂は付いていないが、白い繭から成りかけが出てくる事もあるので注意が必要だ。


 一つ白い繭を破ってみると中には顎をカチカチと動かしている幼虫が入っていた。


「おーいるいる。これでリベンジしてみるわ。結構繭あるし幼虫も入ってるみたいだけど、お前らもする?」

「そうだな。ならせっかくだし、俺もリベンジするかな」

「俺らはパス。折角だから、ちょっと水入ってくる。さっき良さげな場所見つけたしさ」


 恵多と秀平は午前に引き続き釣り。官九郎、英那は川遊びをしたいらしかった。


「アッちゃんはどうする?」

「んー……タツ兄ちゃんに付いてく」

「ほんと辰巳好きだよなお前」

「なっ……! 好きじゃねーよ! 怒るぞ!」

「なはは、じゃあ俺らも川遊びの方に行くか」


 じゃれ合いつつも、和気あいあいとした様子で、一行は2グループに別れて水辺に向かうのであった。


 □


 カジカを取っていた流域よりも更に下流にまで来ると、川幅が狭まり、水深がやや深くなっている岩場があった。


 水着など持ってきていないので、Tシャツだけ脱ぎ捨てると短パンのままザブザブ入ってゆく。


「ひょー気っ持ちいい〜!」

「お先! しゃーおりゃー!」


 現在は昼過ぎ。蝉たちは増々活発に鳴き、気温はまだ上昇する気配を見せている。水に足を入れると心地良い冷たさを感じられ、辰巳は短パンが塗れる事など気にせずそのまま豪快にダイブした。水飛沫があがり、パンツまで一瞬にして水浸しになる。


「ひゃー! 冷たくて気持ちぃー!」

「あっ、俺も!」


 同じくTシャツを脱いだ官九郎、脱ぐことなく上を着たままの晃も躊躇することなく水にダイブする。スカートを履いていた英那は大き目の岩に腰掛け、川に足だけ入れて三人のことを楽しげに眺めていた。


 浅瀬の川底の石はツルツルしており、滑りやすくなっていたが、水の流れは緩やかで気をつければ流れに足を取られるような事もないだろう。


 キラキラと水面が太陽光を反射している。透明度が高く、川底がハッキリと見えた。辰巳が潜って水中を見てみるとより鮮明に先を見通す事が出来る。深さもそれほどでもない。官九郎と晃の遊んでいる瀬は最も深い所で辰巳の胸下あたり。官九郎も晃も泳げるので溺れる心配も少ないだろう。


 向こうの水底では小魚が群れで泳いでいるのが見えた。ウグイかアブラハヤかもしれない。銛を持ってきていれば、そのまま取れたかもしれないな、と辰巳は思った。


 ──そのまま水中に潜ったまま身体を捩る。周囲を見渡そうとして……ふと何か人の様な影が大きな岩の陰に消えてゆくのが見えたような気がした。


 どうやら、その大きな岩の向こう側──少し下った流域には水の流れが滝のように下に落ちてゆく深い淵があるようで、辰巳の位置からはその先は見えなかった。そのままジッと、その岩を観察する。


 そういえば、と辰巳は思い出した。ここに来る前に祖母から遊んではならない場所があると伝えられた事を。ここは祖母から言われた場所では無かったが、淵のある場所には絶対に近づくなと言われていた。


「ジャーンプ!」

「とうっ」


 近くにある岩場に登り、飛び込みで遊んでいるのは官九郎と晃。辰巳が見た影は二人ではない。水深がそこそこある場所なので、結構な勢いで飛び込んでも、直で底にぶつかることは無い。飛び込む度に水飛沫があがり、派手な音を立てている。


「カンちゃーん! アッちゃーん! 怪我しないようにねー!」


 向こうで声を上げているのは英那だ。英那は浅瀬には入っていても、泳いではいない。辰巳が見た人影は英那でもない。


 辰巳が川底に潜ったまま、岩陰に消えた何かの様子を注意深く観察していると、突然背に衝撃がはしった。驚いて振り返ると、そこには楽しげに笑みを浮かべた晃がいて、背中に負ぶさるようにしがみついていたのだった。


 慌てて浮上する。背負ったままの姿で、水面から辰巳と晃が顔を出した。


「ぷはぁ! 何で来ないんだよ! タツ兄ちゃんも早くやろうぜ!」

「こら! ビックリさせんなよ。驚いて水飲むとこだったぞ!」

「え……ご、ごめん……」


 辰巳に怒られてシュン……とした様子をみせる晃。その様子を見た辰巳はウッと怯み、危ないからもうしたら駄目だぞと言い直して、晃を背負ったまま亀の親子のように泳いでゆく。信頼関係が築けていることの証左か、出会った頃は暴れん坊だった晃も辰巳の言う事は大人しく聞くようになっていた。


「カン。あっちの大きい岩の方は危ないから行かない方がいいと思う」

「お、そうか。辰巳がいると危ない場所教えてくれるから楽でいいぜ〜」


 子どもが沢山いる環境で年長者としての自覚を持っているからだろう。官九郎は弟妹たちが怪我しそうな場所であったり、危ない状況には敏感な所があった。それは危機察知能力が高いとも言える。


「タツ兄ちゃん……」

「アッちゃん、遊ぶか!」

「う、うん!」


 背中で、どこか遠慮がちな晃の様子に明るい声で誘いをかける。すると、それが功を奏したのか普段と同じように元気良く返事をした晃に辰巳はホッと安堵する。折角の遊びに来たのだ。怒られたという記憶のせいで、つまらない一日だったと思って欲しくはなかった。


「よし、見てろ、バク転飛び込みだっ!」

「おぉー! すげぇー!」

「おっし、俺もいくぞっ」


 バッシャンバッシャン、水飛沫と共に三人の歓声が上がる。そんな光景を、英那は岩場に座りパシャパシャと足で遊びながら、水遊びをする三人の様子をいつまでも微笑ましげに眺めていたのであった。


 □


「──はぁ、ずっと遊んでられたらいいのになぁ」

「確かになぁ。帰ったら母さんに宿題はちゃんとやってんのかって言われそうだ……」


 遊び疲れ、岸の平場で辰巳と官九郎が寝転がる。冷たい川の水にずっと浸かっていたので流石に身体も冷えてきていた。今度は、服を乾かしがてら日向ぼっこである。


「ハハ。また皆で此処に来ようぜ。今度はもっと仲間大勢連れてさ」

「そりゃ楽しそうだ。でも、やっぱり火が使えないのは不便だよなぁ……」

「あー、それはある」


 大人になったら、もっと何でも自由に出来るようになんのかな──そんな呟きが官九郎の口から漏れ出た。そんな事を話していると、最後まで浅瀬で遊んでいた晃と付き添いの英那がやって来た。


「うぇー、ビチャビチャ……服がくっついて気持ち悪い」

「そのままの格好で入るから。乾くまで我慢するしかないね」


 ゲンナリした晃の顔を見た英那は苦笑。こうなる事くらい分かっていただろうに、という表情だった。


「アッちゃん、全部脱いで絞ったら? その方が乾くのも早いと思うけど」

「辰巳、それは……」

「ええぇ?」

「や、やだ!」


 辰巳は真っ先に思った事を提案した。それを聞いた官九郎は流石に呆れ、英那は何言ってるのこの人という顔、晃は顔を赤くした。


「え? 誰も気にしないだろ。俺、何か変なこと言った?」

「……」

「……乾くまで我慢する」

「そうしろ」


 晃が寝転がり、微妙そうな顔をして日光浴を始める。晃が男の子だと思ったままの辰巳は、自分の発言後、何だかよく分からない空気になったことに最後まで戸惑っていたのだった。



「おーい──!」

「辰巳ー! 官九郎ー!」


 何処からか名前を呼ぶ声がした。声の聞こえる方に視線を向けてみると、釣り竿を片手に川の上流の方で手を振っている恵多と秀平の姿が目に映った。


「やっと見つけた」

「お前ら釣りはもう止めたのか?」

「釣れたから引き上げてきたんだ。激闘だったぜ」

「へぇ、何が釣れたんだ?」


 恵多が指差す先には、秀平のもつバケツ。その中には窮屈そうに30〜35センチほどの、身を丸めた立派な魚体があった。全身に現れた黒い点。エラから尾にかけて走るキラキラとした赤紫の線が美しい。秀平が釣り上げたと恵多は悔しそうに言った。


「どうだ! 見ろよこの大物!」

「お? おぉ、デケェ! 何これ? なんて魚?」

「ニジマスかな。下流の水温が高いから上まで登ってきたのかも」


 恵多曰く、上流に近い中流域でニジマスが放流される事があるらしい。今回の個体は冷たい水を求めて上まで登ってきたのではないかとの事だった。


「──んじゃ、見せたしもう川に帰すか」


 と、釣り上げた本人である秀平が言った。


「あれ、結構デカイけど放しちゃうのか」

「今から食う訳にもいかないし、生きたまま持って帰るのも大変だろ」

「捌いたってこの暑さじゃ、帰るまでに悪くなりそうだしさ」


 辰巳と秀平、恵多の三人はバケツの中のニジマスに目に向けながらそんな会話をしていた。確かに、焚き火をこれからまた借りに行くのも大変だし、もうそろそろ帰ろうかという時間だった。かといって、魚を締めたとしても周囲の気温はまだ高く、氷もなくクーラーボックスもないまま持ち帰るのは衛生的に良くない。


「えー! じゃあ放しちゃうの? 寮に持って帰って、皆に見せてやりたい!」


 ニジマスを放す話を聞いていた晃が、不満そうに声を上げた。その反応は折角手に入れた魚を放すのに抵抗を示すもの。しかし、言葉の根底には施設の仲間に今日一日川遊びしたことへの満足感を自慢したいという想いがあったのだろう。


 ただ、晃の兄姉たちはその点では現実的で厳しかった。


「俺も折角釣ったのを放すのは惜しいし、気持ちは分かるけどさ。大変だろ?」

「誰がこのバケツ持つんだよ。結構重いぞ」

「そうだよ、アッちゃん。可愛そうだし放してあげよ?」


 バケツには水が並々と入っており、釣ってから此処に持ってくるだけでも一苦労だっただろうことが分かる。生かしたまま持ち帰るには、このまま運ぶしかなかった。


「ヤダヤダヤダ! 絶対持って帰る!」

「じゃあ、お前が持って帰んのかよ? お前だけ歩いて帰るか?」

「いーやぁーだぁぁー!!」

「アッちゃん……」

「いい加減にしろ!! 諦めろって!! 我儘言うなら、もう連れてこねぇからな!!」


 駄々をこねる晃に、流石に官九郎も苛立ったのか語気を強めた。晃はビクリと肩を揺らし、目に涙を滲ませる。


 端でその言い争いを聞いていた辰巳が可愛そうに思ったのか、スンと鼻を鳴らした晃の肩に手を置いて引き寄せ、そこまで言うことないだろと官九郎を目で咎めた。それに官九郎もバツが悪そうな顔を浮かべるのだった。


「う゛ー……タツ兄ちゃん……」

「……仕方ない。恵多、悪いんだけど俺の荷物持ってくれない?」

「しゃーねーなー。頑張れよ、辰巳お兄ちゃん」


 恵多が辰巳のお願いに肩をすくめた。持つべきものは友である。


「おい、辰巳。アッちゃんに甘過ぎねぇか? アッちゃんに、魚までチャリに乗せて帰るつもりかよ」

「あんま甘やかすなよ、辰巳。俺らはその内自立して施設出て行かなきゃいけないんだからさ。自分のことは自分で考えて、責任持つのがルールだ」

「まぁ、そう言うなって。二人の言いたいことは分かるよ。心配してることも。でも、俺は大丈夫だし、アッちゃんもシュウが折角釣った魚、下の子に見せて食わしてやりたいんだろ」

「む……だけどさぁ」


 同じ施設の子が友人に迷惑をかけているのが気になるのだろう。官九郎と秀平の表情はそれでも苦い。


「へっ、タツ兄ちゃんはお前らみたいな貧弱とは違うんだよ!」


 晃はそう生意気にもいきがって、辰巳に引っ付いてくる。その捨て台詞は、二人に自身の考えを否定された挙げ句に詰められた腹いせだろう。


「はっ? お前、それはないだろ」

「オイコラ、教育が必要みてーだな」

「そうだ! 辰巳! そいつをよこせ!」

「やれるもんならやってみな! この、タツ兄ちゃんを倒せるならな!」

「ちょ、待て待て待て待て!」


 ガルル……と辰巳を間に挟み睨み合う両者。辰巳に引っ付いている晃を二人が引き剥がそうと腕を伸ばし掴まえるが、晃は辰巳にしがみついて離れない。当の辰巳はどうしたらよいのか分からず困惑するばかりだ。四人は仲良く揉みくちゃになる。


「ほんとお前ら見てると飽きないわ」

「恵多くんは気楽でいいよね……毎日こんなのだからホントに嫌になっちゃうよ」


 英那のしみじみとした言葉が苦労を物語る。恵多は至極他人事でそのやり取り眺めていた。


 ──その楽しげな騒ぎが気になったのか、チャプリと遠く川の淵から頭と目を出した河童が様子を伺う。そして、騒ぐ人間の子どもをひとしきり観察し、興味を失うとトプリと波紋を残して再び消えてゆく。そんな夏の一幕。


 カナカナと、ひぐらしが鳴いている。もうそろそろ家に帰らなければならなかった。


 □


 夕暮れ時の陽が部屋に射し込み、赤く染まる部屋。その部屋の主である晃は壁一面に留められた写真の中央──大きく引き伸ばされた辰巳の写真から唇を離した。


 柔らかな唇が艶かしく震える。


「……今日はちゃんと話せてたかな……変なこと言ってなかったかな……また昔みたいに一緒にいられるようになるかな……この《《顔》》のこと、変だって思わなかったかな……」


 その晃の瞳に籠もる感情の色は歓喜、不安、期待、恐れ。様々な感情が目まぐるしく変わってゆく。しかし、本来であればその感情に合わせるように現れる表情の変化はない。


 ──それはまるで、《《表情という機能そのものが消失している》》かのように。


「兄ちゃんなら……こんな私でも受け入れてくれるよね……?」


 晃の言葉は願望に他ならなかったが、込められた意思はもっと重い。


「だって──私がこうなったのは《《兄ちゃんのせい》》なんだよ」


 写真の辰巳を見る晃の目だけは何処までも熱を帯びて潤んでいた。


 尽きることのない執着心。執念。渇愛。偏愛。あなたが欲しい。私はずっと見てた。写真を通してあなたのたくさんの軌跡を。だから今度は私のことも見て欲しい。あなたの側だけは絶対に誰にも渡さない。逃さない。強い懐古の念。また昔のように一緒に──そんな、一方的な片思い。


「大好きだよ」


 そして、いつか。あなたと私。全てを混じり合わせて、一つになりたい。あなたと私だけの小さな世界に閉じ籠もって、組んず解れつ愛し合いたい。安心感を共有したい。


 そう甘美な妄想をすると身体がカッと熱くなった。子どもの頃とは違い、成熟した身体はパートナーの存在を求めていた。


 ──『念写』の異能で辰巳が生きていることこそ確信していたものの、先の見えないまま待つ十二年はひたすらに長かった。それでも諦めかける不安を執着心が否定し、失踪した辰巳がいつか帰ってくる、また会えると想い続けた日々。


 諦めることは執着心や《《忠誠心》》が許さなかったから。移ろいやすい筈の子どもの頃に定まった想いが今も尚、晃の心を縛っているのは……しかし、その根本には他者への不信感と、認めた者以外頑として受け入れない心理がどうしようもなく根付いてしまっているから。


 まだ子どもだった頃の──天真爛漫な面を多く見ていた辰巳は知らなかったが、学校にいる時や日常の晃は一匹狼気質であり、基本的には施設の子といるか、一人でいるかで他者とは群れようとしなかった。大人になってからもその気質は変わらず、晃の在り方を孤高として慕う者こそいれど、信頼に足りる友人はごく少なかったのだ。


 信頼できる家族は兄姉、弟妹と沢山いる。でも、家族以外に愛し合える人は辰巳だけ。晃の見ている世界で番になれるのは辰巳だけだという潔癖にも思える信条があったから。


 そして……辰巳が神隠しから帰還して、ようやくその想いは報われようとしている。十二年前のあの日から、晃はずっと心に決めていたのだ。──私は辰巳の番となり、人生を共に生きてゆくのだと。

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